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『Scream rain』


 人類が天候を操作するようになってどれくらいの時が経つのか、もう誰にも解らなかった。この小さなスラム街の上空には故障した降雨装置が投棄されており、街は霧雨から豪雨まで多様な雨が常に降り注いでいる。今日はうっとおしい霧雨が街を濡らしていた。少年は暗い空を見つめる。物心ついた頃からこの街で暮らす彼は、辛うじて雨を凌げる粗末な小屋に座り込んでいた。
「セラ、やっぱりここに居たのか。」
自分を呼ぶ声に顔を上げると友人が手を振っていた。
「カイか。何か用?」
「つれないなぁ。重大発表があるっていうのに。」
大げさに嘆いて見せるカイにセラは表情を変えないまま問いかける。
「何だよ、重大発表って?」
食いつきの悪いセラに肩を落としつつ、カイは空を指差した。
「俺はこの街にも青空をもたらしたい。その為に、お前の協力が必要なんだ。」
「青空?」
怪訝な顔をするセラにカイは得意気に話を続ける。
「そうだ。スラム街の外では雨は少ない。太陽が街を照らして、明るく青い空が広がってるんだ。」
目を輝かせカイは言葉を続ける。
「俺達スラムの住民にだって、青空の下で暮らす権利はあるはずだ。俺達にも青空をよこせって訴えてやるんだよ。」
「訴えるって、誰に?」
「えぇっと、誰か偉い人に。」
「ずさんな計画だな。」
言葉に詰まったカイを見遣りながらセラは考える。この雨が止む日が来るのか。雨が止んだ空はどんなものなんだろう。友人の計画はずさんだが、その企み自体は悪くないと思えた。雨が酷い日には身体の調子も悪くなる。重く痛む身体で横たわったまま過ごす日も多い。そんな状況を改善出来るかもしれない。
「お前の計画はずさん過ぎて心配だ、付き合ってやるよ。」
「よっしゃ、そうと決まればまずは情報収集、戦いの始まりだ!」
拳を突き上げたカイにセラは大げさな奴だと苦笑する。彼らはまだ、それが何の始まりであるかを知る由もない。

 この街にはガラクタ以外本当に何も無い。住民の数もまばらだが、彼らは身を寄せ合うでもなくただただ雨を凌いで佇んでいる。物の流通もなく、する事もなく、希望もなくただ日々を過ごす。セラとカイのようにつるんで行動する者は皆無だった。外の街へ繋がる場所を目指して歩く二人を目にしても、彼らは一切の関心を示さない。忌々しい壊れた降雨装置を撤去させられれば、この街の様子も変わるだろうかとセラは考える。ガラクタだらけの街を太陽が照らす様を想像してみる。あまり希望の持てる光景では無かった。それでも、何かが変わるかもしれないと折れかけた心を奮い立たせる。セラの思案をよそにカイは力強い目で口を開いた。
「まずはあの街に降雨装置を捨てた奴を探そうか。誰がどういうつもりであそこに装置を捨てたのか知る必要があるだろう。それでそいつを見つけ出し、撤去を要請する。拒否するようなら徹底抗戦だ。」
「どうやってそいつを探すんだ? 手がかりはあるのか?」
「天候を操作してるのは政府の人間だろ? その中からこの地域を担当してる奴を当たれば見つかるんじゃないかな。」
「大雑把な計画だな。」
呆れ顔になったセラだが、スラム街は情報が遮断されているのだから仕方ない事かもしれないと思い直す。一つの装置で操作できる範囲には限界があるだろう。一つの地域の天候を操作するのにどれ程の人間が関わっているのか見当も付かない。いつからあの街に装置が捨てられているのかも知らない。それにスラムの外の人間は、壊れた降雨装置がどうなろうと関心を持たないだろう。装置の撤去を訴えても軽くあしらわれるのがオチかもしれない。再びセラの心が折れかけた時、カイが前方を指さし振り返った。
「あれがこの街の外れ、外とここの境界線だよ。」
カイが指さす方へ視線を向けると、コンクリートの残骸や錆びた鉄パイプ、壊れた何かの基盤、複雑に絡まったワイヤーなどが壁のように積み上げられている。首が痛くなるほど見上げても、てっぺんは見えない。
「これを乗り越えれば外の街だ。」
「これを……?」
げんなりした顔で見つめ返すセラの手をカイは引き壁に歩み寄った。
「長年積み上げられて足場はしっかり固まってるからそう簡単には崩れない。ワイヤーとか掴んで登ってけばあっという間だよ。」
手を引かれ仕方がないとセラは飛び出した鉄パイプに足をかけ上り始める。カイは慣れているのかすいすいと登って行く。よく街中を歩き回っていたのはこの日の為だったのかと納得しながら、カイを見失わないよう後を追う。積み上げられたガラクタは自重でしっかり固まっているようで、一見不安定な所でもセラの体重をしっかり支えている。少し安心したセラはスピードを上げ外を目指して登り続けた。登り始めてからどのくらいの時間が経ったのかのかわからなくなり始めた頃、ようやく視界が開ける。先に登っていたカイがセラの身体を引き上げた。平らな場所に立ち安堵の息を漏らすセラにカイは笑う。
「お疲れ。でも大変なのはこれからだぞ。」
「わかってるさ。」
「ここはまだ境界線近くだから何も無いけど、もっと街へ近づけば人も建物もたくさんの本当の街が広がってるらしい。ここから先は俺も初めて行くんだけどな。それにほら。」
カイは空を指さしセラを見つめる。
「街にはこんなに綺麗な青空が広がってるんだ。雨も降るには降るけど、たいていはこの綺麗な空が見られる。スラムにも青空が広がれば、もっと街としてちゃんと機能すると思うんだ。」
「こっちで暮らしたいとは思わないんだな。」
「う〜ん、それも考えたんだけどさ。街に行っても一人ぼっちで生きるのは難しいと思ったし、生まれ育ったあの街を見捨てられないんだ。」
セラはカイが指さした方を見つめる。明るく青い空の下に広がる整った街。ガラクタだらけのスラムもあんな風になるんだろうか。そしてどうしてこんなにも違いが出来てしまったのかと不思議に思った。壊れた降雨装置は何故あそこに捨てられたのだろう。考えを巡らせながら立ち入り禁止の札が下がった柵を乗り越え街に向かう。スラムはこんな風に閉ざされていたのか、外の人間は誰もスラムの事なんか知らないかもしれないなと感じ、セラはふと立ち止まる。生まれてから一度もスラムを出た事の無い自分が、どうしてスラムの外の世界を知っているのか。雨空しか知らない自分が青い空を異質なものと感じなかったのは何故だ。境界線から先へ行くのは初めてだと言ったカイは、どこで外の街の事を知ったのだろう。嫌な予感がしたが、意気揚々と歩く友の背に、それをぶつける事は出来なかった。
街へ近づくと整備された道路に立ち並ぶ真新しい高層ビル、等間隔に植えられた街路樹が見えてくる。行き交うたくさんの人と車、ゴミ一つ落ちていない道、太陽に照らし出される洗練された空間に、みすぼらしい格好のセラ達はひどく浮いていた。露骨に嫌悪の視線を向ける者、あからさまに目を逸らす者、不躾な視線を送る者、それらを気に掛けないよう精一杯の努力をしながら二人は歩き続ける。やっぱり止めておくべきだったとセラは後悔し始めていた。カイは気丈に顔を上げ口を開く。
「この中から、天候操作に関わってる人間を探すんだ。政府関連の建物を当たるか、もっと身近な役所か自治体を当たった方がいいかな。」
カイの言葉に適当な相槌を打ちながら、セラはどうやってカイを諦めさせるか考え始めていた。世界が違い過ぎる、無理だ。それに、こんな違い過ぎる世界の事をお前はどこで知ったんだ? 上手く言葉に出来ないまま街の中心部に近付く。人通りが増え、閑静だった街並みは賑やかで活気を帯びたものに変わる。一体どうすべきかとセラが考えあぐねていると、交差点近くのビルに取り付けられた巨大な街頭ビジョンが見慣れた景色を映し出していた。
「おい、あれ……。」
セラがビジョンを指さすと、つい先ほど通ってきた街とスラムの境界線の映像をバックにキャスターがニュースを読み上げ始めた。テロップの見出しに二人は驚愕する。
「処分場……?」
「どういう事だよ。」
キャスターは映像の場所を郊外にある産業廃棄物処分場で古い機械や欠陥品のロボットなどを処分する場所だと説明し、近々飽和状態になるであろう事、新規の処分場建設を巡って議論が割れているという内容だった。またそこの廃棄物からレアメタルが発見される例もあり、無断で廃棄物を持ち去る事を取り締まる条例を作る事も検討しているという話だった。ビジョンは他のニュースを伝え始めたが、二人は呆然とビジョンを見つめ続けていた。
「俺達も、廃棄物だっていうのか?」
「カイ、もういい。戻ろう。」
セラの手を振り払ったカイは近くのショーウィンドウに映る自分の姿を見た。生まれて初めて見る自分の姿は人間の少年のもの。だが、不自然な程に細い身体に浮かび上がるのは、骨と血管ではなく無数のボルトとコード。
「俺、バカみたいだな。捨てられた欠陥品のくせに、自分を人間だと思い込んで、青空の下で暮らしたいなんて夢見てさ。」
目を見開き自嘲するカイをセラは強引に背負って歩き出す。ロボットとして知識を与えられていたから、閉ざされたスラムにいながら外の事を知っていたのだ。廃棄された理由は自分を人間だと思い込んだ事かそれとも別の何かなのか。いつ自分が作られ捨てられたのかも解らない今となっては、どうでもいい事だ。カイはセラの背で壊れたように笑い続ける。
「俺達は機械だからあんな食べ物も何にもない所で生きてたんだな。人間だったら死んでるよな。あ、機械だから生きてたとは言わないのか。」
「黙れよ。」
「お前も欠陥品なんだとさ。知ってたかぁ?」
「黙れってば。」
「俺達は処分されたんだから、存在してちゃいけないんだよ。」
「いいから黙れ!」
けらけらと笑い続けるカイを背負いセラは走った。

 翌朝。共に横になっていたはずのカイの姿が無い事に気付きセラは飛び起きた。雨のスラム街を――正確には処分場だがそんな事はどうでもいい――探し回る。
「やっぱりか。」
カイは外との境界の壁の前に倒れこんだまま、セラが呼びかけ身体を揺すっても動かなかった。自分が人間ではないと、その上存在を否定された事が相当ショックだったのだろう。動かなくなったカイを抱え寝ていた小屋へ戻ると、雨を凌げる場所へカイの身体を横たえた。
「バカだな。」
震える声でセラは呟いた。真実なんか知らない方が幸せだっただろうか。よく解らない。だが、誰が何を言おうと、自分が何者であろうと、どうだっていいじゃないか。否定された所で、自分は何かを考え願い行動し、ここに存在している。それを今更どうしろっていうんだ。
壊れた降雨装置が激しい雨を降らし始めた。セラは暗い空を見つめる。叩き付けるように降る雨は、友の叫びのようであり、自分の涙のようでもあった。


                           END


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