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『Xmas gift』

 毎年クリスマスが近づくと、淋しそうな顔でカレンダーや家族写真を見ている父の義晴に浩之は呆れ気味に声をかける。
「そんなに淋しいならもう許してやったら?」
ほら、とスマートフォンを差し出し軽く振ってみせる。だが義晴は仏頂面で首を振った。
「何で俺から電話するんだ。許してほしいなら向こうから話をしてくるべきだろ。」
仏頂面のままで風呂場に向かった父の背に浩之は肩をすくめる。彼の2歳上の姉、千春は18歳の時に当時付き合っていた同い年の男性との間に子供ができ、猛反対する父に反発してクリスマスイブに家を出てしまったのである。姉が出て行ってから今年で10年、そろそろお互いに仲直りしてもいいんじゃないかと浩之は考えている。意地っ張りで頑固なところはそっくりだ、お互い本心では仲直りしたいと思ってるくせに、と浩之は着信履歴を検索しながら思う。
「あ、もしもし? 浩之です。例の件で確認なんですけど……」

 クリスマスイブの夜、浩之は上機嫌で自宅のインターホンを鳴らす。
「ただいま。」
「こんばんは!」
「こんばんは!」
息子の声の後に響いた可愛らしいコーラスに母親の慶子も上機嫌で出迎える。
「まぁまぁ、いらっしゃい。よく来てくれたわね。」
「初めまして、おばあちゃん。西川歩美です。」
「はじめまして! なつみです。4さいです。」
「ちゃんとご挨拶できるのね。偉いわぁ。どうぞあがってちょうだい。ずっと待ってたのよ。」
「父さんは?」
「今お風呂よ。びっくりするわね。でもきっと喜ぶわよ。ずっと気にしてたんだから。」
「だよな。」
母の言葉に苦笑して頷くと、浩之は歩美と夏海をリビングへ連れて行き義晴が現れるのを待つ。幼い夏海は初めて訪れる家を好奇心いっぱいに見回しているが、歩美は緊張した表情で静かにソファに腰かけている。
「叔父さん。おじいちゃん、会ってくれるかな?」
歩美の不安そうな声に浩之は力強く笑って見せた。
「大丈夫だよ。おじいちゃんはずっと歩美達の事心配してたんだ。顔見せてやったら喜ぶよ。」
安心させるように歩美の手を軽く握ってやりながら、子供にそんな心配させちゃ駄目だよと胸の内で姉に向かって呟く。この日、義晴に孫の顔を見せてやろうと思いついたのは浩之である。千春と連絡を取り合っていた浩之は、毎年淋しそうな顔でクリスマスを迎える父を不憫に思い、仲直りしないかと姉に持ち掛けたのだ。千春も義兄の貴志も、父に謝りたいと思っていると言う。だが意地っ張りな父の事、いきなり自分達が行っても会ってくれないだろうと言う千春の言葉に、孫を先に会わせる作戦を採ったのだ。やがてリビングの扉が開き義晴が入ってくる。
「おじいちゃん!」
待ちに待っていた祖父との対面に幼い夏海は全身で喜びを表す。義晴の足に抱き付くと満面の笑みで見上げた。
「あいたかったー!」
「こら、夏海! ちゃんと挨拶しなさい!」
「おい、何だ何だ?」
状況を把握できず目を白黒させる義晴に慌てて歩美が立ち上がり夏海を引き離す。
「初めまして、杉村千春の娘の歩美です。こっちは妹の夏海です。」
「はじめまして、おじいちゃん! なつみ、4さいです。」
「会いたかったです、おじいちゃん。」
千春の名にはっとして義晴はじっと2人を見つめる。緊張した顔で自分を見つめ返す歩美と、無邪気に笑っている夏海。どちらも千春によく似ている。2人の顔を交互に見つめ、背後でしたり顔をしている浩之に視線を移す。「お前、図ったな」と口元だけで呟くと、改めて2人の孫を見つめる。無事に生まれて育っていると聞いた孫と初めて対面して、娘は立派に子育てできているのだと安堵する。10年は長かったが、愛されて育っている孫を前にしてわだかまりは消えていった。沸きあがる感慨に何と言っていいやら解らず、白髪交じりの短い髪をしきりにかき上げる。
「まぁ、その、よく来たな。何も無い家だが、ゆっくりしていきなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
「母さん、飯はまだか。」
義晴の照れくさそうな顔に歩美はほっとして頭を下げる。「できてるわよ」と返し電話を切った慶子の表情に、こっちも大丈夫だろうと浩之は胸をなでおろした。夕食後、2人の孫に囲まれ義晴はすっかりでれでれになっていた。後に「あんな父さんの顔見た事無い」と慶子と浩之を呆れさせたほどである。
「おじいちゃ〜ん。」
「何だい?」
「あえてうれしいな。」
「俺も嬉しいよ。」
「お父さん。」
「何だい?」
「ただい、ま。」
孫とよく似た、だがもっと大人の声に呼ばれ、でれでれした返事をしてしまいハッとする。
「千春!」
リビングに浩之と共に入ってきたのは千春と貴志だった。慌てて義晴は表情を引き締める。
「娘2人をほったらかしてずいぶんと遅い帰りじゃないか。」
「いや、僕が早く迎えに行きすぎちゃったんだ。姉さん達のせいじゃないよ。」
フォローする浩之を制して千春と貴志は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。お父さんの事も、ずっとないがしろにしてしまってごめんなさい。」
「俺の事はいい。お前達毎日こんな時間まで娘をほったらかしてるんじゃないだろうな?」
「いつもはもっと帰ってくるの早いよ!」
「はやいよ!」
慌てて母親を庇う歩美達に視線を移す。
「本当か?」
「本当だよ!」
「ほんとだよ!」
揃って首を縦に振る2人に義晴は小さく頷いた。
「なら、いい。」
頭を下げたまま千春は言葉を振り絞る。
「あれからずっと、お父さんの事考えてた。『お前達はまだ子供だ』って言われて、腹立ててて家飛び出して、でもお父さんの言葉は正しかった。私達はまだ子供で、でもだからこそ見返してやりたくて、意地張って……。」
「勝手な事をしたのを謝りに行かなきゃいけないとずっと考えていました。もっと早く来るべきだったのに、申し訳ありません。」
頭を下げ続ける2人を義晴はじっと見据える。
「それで、お前達は今幸せなのか?」
「裕福な暮らしとは言えないけど、生活するのに支障のない収入はあるし、子供を学校と幼稚園に行かせて、貯金も出来てる。だから大丈夫よ。」
千春の言葉に貴志はふと顔を上げた。
「お義父さんが聞きたいのはそういう事じゃないんじゃないかな?」
「え?」
顔を上げ困惑する千春の肩にそっと手を添え、貴志は義晴を見つめる。
「この10年で私達は2人の娘に恵まれて、若造なりに家庭を築いてきました。苦労はしましたがそれは苦痛ではありませんでした。愛する人を守る為に生きているのですから、その苦労すらも幸せな事です。」
貴志を見据え義晴は小さく笑う。
「若造がいっぱしの口利くじゃないか。」
「お義父さんから教えて頂きました。自分達ははまだ子供だと自覚して学ぶ事、苦労しない人生など無いと覚悟する事を。」
「で、お前達は今幸せか?」
「はい。でもまだ完全ではありません。」
「完全ではない、とは?」
「お義父さんからの祝福を頂けていないからです。あの日、お義父さんの手を私達は振り払ってしまいました。それは大きな喪失だったと気づいて、けど取り戻せる機会があると信じて今日まで生きてきました。」
姿勢を正し貴志は再び頭を下げる。
「我が儘を申し上げているのは承知の上です。ですが、私達にはお義父さんの祝福が必要です。私達の人生を、祝福して頂けますか?」
貴志に続いて千春も頭を下げる。浩之と慶子、歩美と夏海の視線が義晴に集まる。
「孫を先に寄越すなんて卑怯なマネしやがって。」
苦笑交じりに呟き言葉を続ける。
「子供はいつまでたっても親に我が儘を言うもんだ。お前達もまだまだ子供なんだから、いつでも親を頼って来い。出来る限りの事はしてやるし、放り出すべき時にはきっちり放り出す。どんなに小さな苦労でもさせたくないって親心も、その内わかるようになるだろう。」
「お父さん……!」
「ありがとうございます。よろしくお願い致します!」
「ママとおじいちゃん、仲直りできた?」
「うん、大丈夫だよ。」
「良かったぁ。」
「子供が子供に心配されちゃ世話ないな。」
「精進します。」
「そうそう、お父さんにお土産買ってきたの。」
憂いの晴れた顔で千春は玄関に置いていた包みを取って戻ってくる。
「はい、お父さんの好きなお酒。わざわざ探してきたんだから。」
「孫でダメなら酒で懐柔する気だったのか?」
「違うわよぉ。」
「あら、私には?」
「お義母さんにももちろんありますよ。」
「わたしとおねえちゃんは?」
「夏海と歩美にはサンタさんから届くから今日は早く寝ましょうね。」
「うん!」
「僕には?」
「あんたにあるわけないでしょ。」
「ひどいなぁ。姉さん達の事心配して色々手を貸したのに。」
「今度一杯おごるよ。」
「約束ですよ義兄さん。」
すっかり義晴に懐いた歩美と夏海は、「今日はおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に寝る」と言って義晴と慶子の手を引き寝室へと向かっていった。静かになったリビングで、浩之は10年間灯る事の無かったクリスマスツリーに灯りが灯ったのを感慨深く眺める。
「父さんに最高のクリスマスプレゼントになったね。」
「高かったもん、あのお酒。」
「いや、酒じゃなくてさ。」
「わかってるって。」
千春もツリーに視線を移す。
「あの子達も、『ママのおじいちゃんに会いたい』ってよく言ってたの。歩美はもう10歳で、自分が生まれた時の事を多少は知ってるから余計に辛かったでしょうね。だから、今日ここへ来れて良かった。きっかけをくれたあんたにも感謝してる。」
それは良かった、と呟き浩之は微笑む。
「クリスマスはみんなで笑って過ごさなきゃね。」

クリスマスは幸せのきっかけをくれる日。


              END

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