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『愛無き牙城』


 夕闇の迫る村の一帯をレオニール伯爵は居城から見下ろしていた。彼は古くからこの地域に住む吸血鬼一族の末裔である。美しいものを、とりわけ楚々とした若く美しい娘をこよなく愛する彼は気に入った娘をその美貌で惑わし、魔力で支配し城へ連れ去り仕えさせていた。レオニールに仕える娘達は心を支配され、永遠の愛を誓う従順な僕となる。絢爛豪華な家具や宝飾品、美しい娘達、欲しいものを全て手にしてきたレオニールは飽く事無く次の獲物、彼好みの美しい娘を探し続けていた。既に手に入れたものに対し興味が失せるわけではない。魔力で支配しているものの、レオニールなりに仕える娘達を大事に扱い愛を注いでいる。だがそれでも満たされない心は、吸血鬼の本能であるとして常に新たな獲物を探し求めていた。
その日の夕刻、街道を急ぐ少女に目を止めたレオニールは一目で彼女を気に入った。歳は十代の半ばであろうか。白い肌にレースをあしらった白のブラウスと黒いスカートが良く似合う。急ぐ足取りに合わせ揺れる柔らかそうな栗色の髪、暗くなっていく道に不安げに彷徨う青い瞳、息を切らし上気した頬と少し苦しそうに開かれた唇は、あどけなさの残る少女の美しさをレオニール好みに際立たせていた。すぐさま蝙蝠に姿を変えレオニールは窓から飛び出す。少女の近くまで飛び、少し先の木の上で変身を解き彼女が来るのを待ち構えた。レオニールの魔力が辺りの夕闇をより一層濃く染め上げ、東の空に浮かんだ月が赤味を帯びた妖しい色に変わる。急に暗くなった周囲に少女は怯えた様子で辺りを見回した。レオニールは努めて優しく声をかける。
「何をそんなに急いでいるのだ? 今宵の月は美しいぞ。足を止め月を見るがいい。」
「誰?」
足を止め怯えた声を上げた少女にレオニールは満足げに微笑むと、音も無く木から飛び降り大仰な仕草でマントを翻した。
「我が名はレオニール。誇り高き吸血鬼の末裔。」
ゆっくりと少女に近付きながら、レオニールは言葉を続ける。
「我の目に適った美しき乙女よ。共に来るのだ。我が城に仕える栄誉を与えよう。」
夕闇の中にあっても冷たい輝きを放つ銀色の髪をかき上げ、レオニールは少女を見据える。
「行かないわ。私、家に帰らなきゃ……。」
後退りする少女をじわじわと追い詰めながらレオニールは応える。
「お前の帰る場所は我が城。未来永劫、我に愛と忠誠を誓うのだ。」
「そんなの嫌よ!」
怯えながらも反抗する少女ににやりと笑い、レオニールは赤い瞳を煌かせた。
「これは既に決まっていた事。お前の運命なのだ。」
「勝手に決めないでよ。」
後退りする少女の背が大きな木に当たる。その瞬間を逃さずレオニールは少女を捉えマントの中に包み抱きすくめた。
「いやぁーっ!」
「絹を裂くかのような乙女の悲鳴、実に心地良い調べだ。さぁ、我が力を受け入れ我に跪くがいい。」
だがレオニールが牙を少女の首筋に近づけた瞬間、予想だにしない事が起きた。
「何すんのよ、この変態オヤジ!」
そう叫んで少女は力いっぱいレオニールを突き飛ばした。油断していたレオニールは数歩よろめくと、信じられないといった顔で少女の言葉を反芻する。
「変態? オヤジ? 誰の事だ?」
「あなたに決まってるでしょう!」
少女はレオニールを睨み据え言い放った。
「いきなり現れてあんな事して無理矢理人を連れ去ろうとするなんて、変態以外の何者でも無いじゃない!」
「ほぉ。我を愚弄するか。」
それまでの柔らかな物腰を捨て、レオニールは怒りを顕わにし少女の手を掴む。瞳にいっそうの力を込め、目を逸らせぬよう少女の顎に手をかけた。
「我に屈せよ!」
だが少女は揺らぐ事なくレオニールを見据えていた。その瞳には魔力に屈しない強い意志が浮かんでいる。レオニールは状況を把握出来ずにいた。これまで、彼の赤く光る瞳を見て正気を保っていた者は1人もいない。全ての者が彼の美貌に惑わされ吸血を許し、心を支配され跪いてきた。なのに、何故彼女は正気を保っているのだろう。
「我が術が効かぬとはどういう事だ?」
「あなた吸血鬼だって言ったわね?」
少女は恐怖に震える身体を叱咤するように拳を握る。
「私は牧師の娘。悪しき力には屈しないわ。」
「何だと……?」
「私は聖なる力に守られている。あなたの邪悪な力は私には一切効かないのよ。わかったらさっさと退散しなさい!」
震えながらも気丈にレオニールを睨むと、少女は掴まれていた手を振り払い身を翻して駆け出した。少女の背を見つめながら、何としてでも彼女を手に入れ跪かせたいという想いが強まる。レオニールは落ち着きを取り戻し優雅に笑った。
「それはそれは。ますます我が手に入れたくなった。」
足元に少女のハンカチが落ちていた。運命は自分に味方しているようだと、刺繍された名前を読み上げレオニールは上機嫌で呟いた。
「サラ、か。良い名だ。」
城に戻ったレオニールは自室に人払いをし、寝床に横たわって拾ったサラのハンカチを手に取った。魔力に屈せずにきっぱりと自分を拒絶したサラ。あんな事は初めてだった。本当に聖なる力が彼女を守っているというのだろうか。サラのハンカチを見つめ、何の気なしに刺繍の綴りをなぞる。ふと脳裏にサラに良く似た女性の姿が浮かんだ。涙を零しながら白いハンカチに刺繍を施しているのは、今のサラよりも少し歳を重ねた若い女性だった。
「何だ、これは?」
レオニールが訝しげに呟くと女性の幻影は消えてしまった。首をかしげながらもレオニールは周辺の景色を思い描き頷く。
「牧師の娘と言っていたな。この辺りで教会といえばあそこしかない。」

 翌日の夕暮れを待ち、レオニールはサラが暮らす教会へ向かっていた。ハンカチを返し、今度こそ城へ連れて来ようと考えながらサラの姿を探す。教会の裏手にある家がサラの暮らす家のようだ。サラが外出中である事を確認すると、教会から少し離れた所で帰りを待つ。やがて外出から戻るサラの姿が見え、レオニールは微笑を浮かべサラの背後から声をかけた。
「サラ。」
突然呼ばれ振り返ったサラは、自分の名を呼んだ人物の姿を見て身構える。
「またあなたなの! 私の名前をどこで調べたのよ!」
「そう険しい顔をするな。美しい顔が台無しだ。」
後退りしてレオニールから距離を取りながら怒りを顕わにするサラに、レオニールは優雅に微笑みかける。
「お前の落とした物を届けに来てやったのだ。大事な物なのではないか?」
レオニールが手にしたハンカチに目をやり、サラは慌ててポケットを探る。
「無い! あなたが盗んだの!?」
「落し物を届けに来たのだと言っただろう。」
ハンカチを奪い返そうとしたサラの腕を掴みレオニールは不敵な笑みを浮かべた。
「親切に落し物を届けに来てやったのだ。礼があっても良いのではないか?」
憤りを抑え唇を噛み、サラは小さく答える。
「……ありがとう。」
「まだ盗まれたと疑っているようだな。」
睨みつけるサラの視線を受けレオニールは嘆息を漏らす。
「我は誇り高き吸血鬼。気に入った娘を手に入れるためとは言え、盗みなどという矮小な手段は使わん。」
「怪しい力で従わせるのもたいして変わらないじゃない。」
「言うではないか。お前のその気の強さも気に入った。我が城へ来い。手厚くもてなしてやるぞ。」
「嫌だって言ってるでしょう。」
「まぁ良い。今日の我は機嫌がよい。大人しく引き下がるとしよう。」
ハンカチをサラに差し出し、ふと刺繍を施していた女性の事を思い出すとレオニールは何気なく問い掛けた。
「その刺繍はお前の母が施したものか?」
「えっ?」
困惑した顔のサラにレオニールは言葉を続ける。
「ハンカチを手にした時、お前の名前をそれに刺繍する若い娘の姿が見えたのだ。そういう行為は母親がするのが一般的なのであろう?」
レオニールの言葉にサラの顔は悲しげに歪んだ。ハンカチをひったくるように奪うと怒りと悲しみの入り混じった声で叫ぶ。
「人の心にずかずか入って来ないでよ! 二度と私の前に現われないで!」
にじんだ涙を見られないように俯くとサラは教会へ向かって走り出した。涙を浮かべたサラの顔と悲痛な声が、レオニールの胸を刺す。
「そんな顔をするな……。」
走り去るサラの後姿をレオニールは呆然と見送っていた。

「お帰りなさいませ、マスター。」
城に戻ったレオニールを何人もの娘達が出迎える。彼女達の目は自我を失い、皆同じように虚ろで恍惚とした笑みを浮かべていた。いつもなら優雅な笑みを浮かべ彼女達の出迎えに応えるレオニールだが、今日の彼は煩わしげに手を振ると足早に自室に向かう。いつもと全く様子の違うレオニールに彼女達が気付く事は無い。そんな彼女達に苛立ちすら覚えた事に戸惑いながらレオニールは寝床に横たわった。城には外出から戻れば美しい声で出迎えてくれる娘達が大勢いる。レオニールが渇きを感じると我先にと自らの身を差し出す彼女達は、レオニール自身が欲し手に入れた美しい娘達だ。命令のままに動く彼女達に満足していたはずだった。だが、サラと比べると一片の魅力もない存在に見えてしまう。意志を奪い仕えさせる娘達と、支配できず反発するサラ。これまで出逢った娘達と違い、思い通りにならないサラを生意気だと思う反面、強く惹かれてもいた。手に入りにくいものほど魅力が増すという事だろうか。果敢に自分を拒絶したかと思えばか弱く悲しげな姿を見せたサラ。何故サラはあんなにも悲しげな顔をしたのだろう。何か聞いてはならない事を聞いてしまったのだろうか。浮かんだ涙を見られまいと顔を伏せたサラの横顔が、レオニールの心に焼き付いて離れない。一体何がサラを傷つけたのかとレオニールは思索する。
「サラ、何としてでもお前を手に入れる。あんな顔は二度とさせない。」

 翌日の夜。レオニールは再びサラの住む教会へとやってきた。裏手の家に回り、2階にあるサラの部屋の窓際へひらりと飛び上がる。閉じられたカーテンの隙間からそっと覗き込むと、サラは机に向かって本を読んでいるようだった。窓をこつこつと叩きサラの注意を引く。しばらくして音に気付いたサラは恐る恐る窓に近付いた。カーテンの隙間から外を見たサラは驚きに目を見開き、次に怒りの表情へと変え力いっぱい窓を開け放った。
「二度と私の前に現われないでと言ったでしょう!」
「そう怒るな。昨日の事を謝りに来たのだ。」
レオニールの言葉に困惑した表情を浮かべ黙り込んだサラに、レオニールはそっと言葉を続けた。
「何か触れられたくない事情があったのだろう。無神経な事を聞いてすまなかった。許して欲しい。」
「……もういいわ。吸血鬼が謝るなんてよほどの事ね。」
サラの瞳は戸惑いに揺れる。レオニールは壊れ物に触れるように静かにサラの手を取った。
「お前の事が忘れられぬのだ。我の下へ来る気にはならぬか? 我に仕えるというのが気に入らないのであれば、我が妻として迎えてやってもよい。お前にはそれだけの価値がある。」
「勝手にそんな価値付けないでよ。」
レオニールは理解できないといった顔で小さく首を振る。
「何故そんなに拒む? 我が城には何でもあるぞ。高価な調度品、華麗なドレス、美味いワインもある。お前が望むなら世界中の宝石を手に入れてみせよう。王国一つを丸ごと手中に収めてやる事もできる。」
「そんなものに興味は無いわ。」
「ならばどうすればいいのだ?」
「あなたもしつこいわね。人の意思を無視しないでよ。」
呆れ顔で握られた手をそっと払ったサラにレオニールは大げさに首を振った。
「何としてでもお前を手に入れたいのだというのがどうしてわからぬのだ。」
「私の意志を無視しないでと言ってるのよ。強引なやり方は嫌いなの。」
「ならばお前の意志とやらを聞かせるがいい。どうすれば我が下へ来るのだ? 何でも叶えてやるぞ。」
サラは逡巡し、やがて真っ直ぐにレオニールを見据える。
「なら、私のために吸血鬼をやめられる?」
「何を言うか。吸血鬼である事は我が誇り、やめる事はできん。」
レオニールの言葉にサラは失意の表情を見せた。
「体裁が大事なのは人間も吸血鬼も同じなのね。」
「どういう事だ?」
「何でもないわ。二度と現れないでと言ったでしょう。」
視線を逸らし窓を閉めようとしたサラの手をレオニールは掴んだ。
「待て! ならお前は何故この窓を開けた? 何故我と言葉を交わすのだ? 本当にその気が無いのなら窓を開けなければよいだろう。」
レオニールの言葉にサラははっとした顔をする。窓枠に手をかけるとレオニールは畳み掛けるように言葉を続けた。
「サラ、お前が欲しい。お前を愛しているのだ。」
「だったらそれを証明してみせてよ。」
「だから望むものを何でも与えてやると……」
「そういう事じゃないわ。」
レオニールの答えに小さく首を振りサラは言葉を続ける。
「あなたはそうする事でしか他人を愛せないのね。そんなやり方で愛されても嬉しくないわ。魔力で無理矢理愛を誓わせる。淋しい人ね。」
「淋しい?」
「そうよ。今までにもたくさんの女の人達をさらってきたのでしょう? それでもまだ満たされなくて新しい相手を探し続ける。そうやって欲しいものを無理矢理奪ってもあなたは孤独なままよ。あなたに誓われる愛は偽りなんだから。」
サラの言葉に城の娘達の虚ろな表情が脳裏に浮かんだ。彼女達の愛と忠誠は、自分が魔力で誓わせているものだ。それが吸血鬼の本能であり、仕えさせる娘の数の多さは吸血鬼の誇りに繋がるものだと思っていた。だがその愛も忠誠も偽りだという事実を突きつけられ、レオニールは満たされない心の意味をようやく悟る。そしてサラに惹かれる理由もだ。言葉に詰まったレオニールに、サラは迷うように視線を彷徨わせるとやがてレオニールを真っ直ぐに見つめ口を開いた。
「私はね、赤ん坊の時にこの教会の前に捨てられていたの。あのハンカチはその時私が持っていたものよ。牧師様は私を育ててくれて親切にして下さるけど、村の人達への体裁を気にしているだけなのよ。本当は私を厄介者だと思っているのがわかる。だったら孤児院にでも入れればいいのにね。村の人達の目が気になって出来ないのよ。」
真っ直ぐにレオニールを見据えサラは言葉を続けた。
「あなただって私の見た目が気に入っただけでしょう? 私を手に入れてもまた他の人を求めるのでしょう? 私を愛していると言った口で他の人にも愛を語るのでしょう? 私は愛なんて信じない。本当に私を愛してるんだったら、吸血鬼の力なんか使わないで私を手に入れてみせて。」
一息に告げるとサラは勢いよく窓を閉め部屋の中へ姿を消した。思いもよらない告白と悲しげな視線にレオニールは戸惑う。愛なんて信じないと言うサラが、それでも肌身離さず持ち歩いている白いハンカチ。それに「私は牧師の娘」という言葉に、レオニールの孤独を指摘したサラもまた淋しいのだと感じる。そして、レオニールを拒絶するサラが自身の境遇を話した理由を考えた。「私のために吸血鬼をやめられるか」と言ったサラの声が蘇る。
「サラ、お前に愛を信じさせてみせよう。」
レオニールは音を立てず地面に舞い降りると城へ向かって歩き出した。

 数日後。近隣の村で行方不明になっていた娘達が戻ってきたと騒ぎになっていた。彼女達は姿を消していた間の記憶は失っていたが、無事に戻った娘に大人達は涙を流し歓喜した。
そして姿を現さなくなったレオニールに安堵と失意を同時に感じていたサラの下へ、バラの花束が届けられる。メッセージカードも贈り主の名すらもない贈り物に牧師は気味悪がったが、サラにはレオニールの言葉が聞こえた気がした。
「あの人、本当に……?」

 娘達を帰し人気の無くなった城にレオニールは佇んでいた。
「サラ、お前の言葉は真実だった。偽りの愛はもういらぬ。それを気付かせてくれたお前のためなら、吸血鬼の誇りなど捨てても構わない。今度はお前の孤独を打ち破ってみせよう。」
レオニールはそっと自分の牙に手をかけるとひと思いに引き抜いた。
「ぐぅ……っ!」
激痛に眩暈を感じ壁に寄りかりながら2本の牙を抜き投げ捨てる。もう自分には必要のない物だ。力の抜ける身体を支え激痛に顔をしかめながらも、強くサラを想う。今度こそ自分を受け入れてくれるだろうか。愛されている事を気付かせられるだろうか。自分だけではない、サラを教会に置き去りにした母がハンカチに込めた想いを、村人の目を気にしているという牧師も決して体裁だけでサラを育てたわけではないだろう事を、気付かせる事が出来るだろうか。大きく息を吐きながら、痛みが治まるのを待つ。牙の無くなった口元に違和感があったが、じきに慣れるだろう。
「サラ、もうすぐお前を迎えに行く。」

 それから数日後の昼下がり。レオニールは街道を歩くサラを見つけ呼び止めた。
「サラ。」
「レオニール……!」
久しぶりに姿を見せたレオニールにサラは戸惑う。今まで夕暮れや夜にしか姿を見せなかったレオニールが陽の光の下へ出て来ている。それにレオニールを包んでいた禍々しく恐ろしい雰囲気が消えていた。思わず名を呼んだサラにレオニールは喜びの笑みを浮かべた。
「初めて名を呼んでくれたな。」
表情を引き締めレオニールは言葉を続ける。
「もう知っているだろうが、我が城にいた娘達は皆帰るべき場所へ送り届けた。それに先祖代々受け継いだ城も放棄した。吸血鬼ではない、一人の男として、お前と共に生きたい。」
話すレオニールの口元を見たサラは驚きの声を上げた。
「あなた、牙はどうしたの?」
「抜いた。もう必要の無いものだからな。」
「どうしてそこまでするの?」
「お前が欲しいからに決まっている。」
レオニールの言葉にサラは泣き出しそうな表情を浮かべる。
「どうして私にそんなに執着するの?」
「執着ではない。サラ、お前を愛している。お前が願うなら吸血鬼の誇りなど捨てても構わない、そう思えたのだ。」
サラは大きく首を振り悲しげに応えた。
「私には何も無いわ。あなたのように捨てられるものも無い、愛された事もなければ人の愛し方も知らない。あなたの気持ちに応える術を持っていないわ。」
「何を言うか。お前は愛されている。目に見える事実に捕われているだけだ。」
「どういう意味よ?」
「お前の母親が残したハンカチ、お前に与えられている整った部屋や綺麗な衣服、それらは愛情の証だ。」
「でも母は私を捨てた。牧師様は村の人達の目が気になるから私を丁重に扱うだけよ。皆愛を装っているだけだわ。」
サラの肩にそっと手をかけレオニールは口を開く。
「なら何故お前はそのハンカチを肌身離さず持ち歩く? 自分を「牧師の娘」だと言ったのは何故だ? 彼らの愛を信じたいからではないのか。自分を悲劇の主人公だと思い込むのはやめないと、周りもお前自身も不幸だ。」
サラは目を見開き叫ぶ。その瞳に涙が浮かんでいた。
「じゃあどうして母は私を捨てたの!? 牧師様はどうして私が捨てられていた事を話したの!? 私の事など愛していないからでしょう!」
零れ落ちたサラの涙を指で掬いレオニールは静かに口を開く。
「お前が生まれた十数年前、この辺りの村は飢饉に苦しんでいたのを知っているか? 当時は山奥に捨てられた赤子が大勢いたのだ。そんな状況の中、お前が置き去りにされた場所は教会だった。その意味を考えてみるがいい。牧師もそれを伝えたくてお前にその話をしたのではないか? それに一見した所、牧師は独身なのだろう? お前が実の娘でない事を、お前を傷つける事無く伝えたかったのではないか?」
はっとした顔になり震える声でサラは呟いた。
「私は、愛されているの……?」
サラの頬に手を添えレオニールは頷く。
「もちろんだ。止むを得ずお前を置き去りにした母親も、お前を育てた牧師もお前を愛している。わかるか?」
その言葉に何度も頷くサラの目を真っ直ぐに見つめ、レオニールは言葉を続ける。
「それにお前に救われた我も、お前を愛している。」
「救われただなんて、私は何もしていないわ。」
「そんな事は無い。お前は我に本当の愛し方を教え孤独から救ってくれた。感謝している。」
涙を零しながらもサラは微笑んで首を振った。
「感謝するのは私の方よ、レオニール。あなたは私に愛を気付かせ信じさせてくれた。」
レオニールの口元へそっと手を伸ばす。
「牙を抜くなんて、辛かったでしょう? 痛む? 私のために、ごめんなさい。」
「謝る事など無いぞ。お前を手に入れるためなら、何て事は無い。」
そっとサラの手を取り、レオニールは真摯な眼差しを向ける。
「サラ、お前を愛している。我と共に生きてくれるか? もう無理矢理連れ去ろうなどとはしない。お前の意志を尊重する。」
レオニールの手を握り返しサラは微笑みながら口を開いた。
「ありがとう。私でいいのなら、喜んで。」
そしてふいに悪戯な笑みを浮かべる。
「牧師様は厳しいお義父様よ。覚悟してね。」
「……覚悟しよう。」


孤独の殻に篭もっていた少女は自分を包む愛に気付き、愛無き牙城を捨てた吸血鬼は真実の愛を得た。


                     END


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