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『愛の名前』

「よく来たな、少年。さぁ入りたまえ。」
姉さんの仇を討つのだと意気込み、エイウスは吸血鬼の屋敷を突き止めた。地域に伝わる吸血鬼の伝承と姉のミーレイが残した日記を頼りに見つけた屋敷は、昼でも薄暗い森の奥にひっそりと建っていた。レンガ造りの屋敷は全体を蔦に覆われていて、いかにも魔の者が棲んでいるといった雰囲気を醸し出している。開いていた門扉を抜け豪奢な扉の前に立つ。正面から突入するか、それとも窓か裏口から忍び込むかと迷っていた時、突然軋んだ音を立て分厚い扉がゆっくりと開いた。扉を開けたのは、屋敷の主である吸血鬼ラウニィアである。以前、森の奥へ向かう道をミーレイと寄り添って歩いていた黒ずくめの男は、楽しそうに微笑んで殺気立つエイウスを屋敷へ迎え入れたのであった。
「そう警戒せずとも、取って食ったりなどせんぞ。」
応接室に通され紅茶を差し出される。出鼻をくじかれたじろいでしまったが、これでは奴の思うつぼだ。テーブルの上で良い香りを立てている紅茶を見据える。毒が入っているに違いないと、紅茶には手を出さずエイウスはラウニィアを睨みつけた。同じポットから注いだ紅茶を口にしラウニィアは微笑む。
「飲まぬのか? ミーレイも気に入っていた上等の茶だぞ。」
応えずに睨み続けるエイウスにラウニィアは愉快そうに笑った。
「噂に違わぬ芯の強い子のようだ。気に入った。」
カップを置くとラウニィアはエイウスの顔を覗き込んだ。
「私を殺しに来たのだろう? いつでも歓迎するぞ。なんだったらここに住むといい。家族を亡くしてひとりになってしまったのだろう? ここにはもう私しかいない。部屋はたくさん余っているから好きに使うといい。」
突拍子もない申し出にエイウスは怒りを顕わに立ち上がる。
「バカにしてんのか!?」
だが怒りに震えるエイウスにラウニィアは素直に詫びた。
「すまない。そんなつもりはないのだが、そう思われても仕方がないな。私は君と対等に話がしたいのだ。君は私が愛した人の弟なのだから。その上でやはり私を殺すというのなら、君にとって最良の環境を整えたいのだ。」
ラウニィアの殊勝な態度にエイウスは困惑する。罠かもしれない。だがそれならあえて飛び込むのも手なのではないか。何しろ自分は相手の事を何も知らないのだ。しばらく迷って、エイウスは頷いた。
こうして、吸血鬼と彼を仇と狙う少年の奇妙な同居生活が始まった。

 ミーレイはエイウスの8歳年上の姉である。エイウスが5歳の時に両親が揃って他界し、以来彼女はエイウスの母親代わりでもあった。それから10年が経った頃。姉弟の平穏な暮らしが変わり始める。ミーレイの様子がおかしいのだ。エイウスが話しかけてもうわの空だったり、妙に嬉しそうな笑みを終始浮かべている。帰宅が遅い日も増えた。周囲の大人達は「あの子は恋をしているのだろう」と言った。そしてエイウスに「そろそろ姉離れしなくてはいけない」とも。エイウスは不安になった。大事な姉が自分の傍から離れていくかもしれない。両親が他界してから、姉が自分にしてくれた事の半分も返せていないというのに。もしかしたら、不甲斐ない自分に姉は嫌気がさしてしまったのか。まだ子供の自分は姉の重荷になってしまっているのか。それとも、人の好い姉に悪い虫がついているのかもしれない。あぁきっとそうに違いないと考えエイウスは拳を握る。自分が姉を守らなくては。そうしてエイウスは出かけるミーレイのあとをそっとついていき行動を見守った。職場である花屋の仲間やお客、よく立ち寄る店の店員、すれ違い様に挨拶を交わした人。すべての人にミーレイは同じように笑顔を向け、楽しそうに会話をしている。この中の誰かが姉の特別な人なのか。尾行するエイウスに全く気が付かないのをいいことに、エイウスはほぼ毎日ミーレイのあとを追った。そんなある日の夕方、花屋を後にしたミーレイがいつもとは違う方向へ歩きだすのを見かけた。街の中心部から離れ、広大な森を有する草原へ向かう道を、ミーレイは軽い足取りで歩いていく。街から離れるにつれ建物は減り、身を隠す場所も無くなってしまう。尾行を続けるか思案するエイウスに気付くこと無く、ミーレイは街の大きな門を抜け、街道を草原に向かって歩いていく。門を抜ければそこは遮るもののない草原が広がっている。これ以上の尾行は無理だ。草原を貫く街道を行けば他の街に辿り着く。姉の恋人はこの街の人ではないのだろうか。門柱に身を潜めミーレイの背を見つめていたエイウスは、次の瞬間仰天する。ミーレイが街道を逸れ、森へ向かう細い道へ入って行ったのだ。こんな時間にどうして森なんかに行くのか。危ないから連れ戻さなくては。だが、足を踏み出したエイウスの目に更なる衝撃の光景が写る。森の方から歩いて来た長身の人影がミーレイに近付いた。ミーレイも人影に駆け寄り2人は固く抱き合っている。姉のそんな行動にショックを受けたが、それ以上に衝撃だったのは姉と抱き合う相手だった。黒いマントの裾が風に揺れている。この辺りでは見かけない白金髪。そして、エイウスの視線に気付きこちらを見つめた目が赤く煌めいていた。あれは、人間の目ではない。森に棲んでいるという吸血鬼ではないか! 
その夜、帰宅したミーレイを問い詰めると、ミーレイはあっさりと「彼は恋人で吸血鬼だ」と言った。
「あいつらにとって人間は獲物なんだ、姉さんは騙されてるんだよ! あいつらは人を惑わせる魔術を使うんだろ!」
血相を変えるエイウスにミーレイは穏やかに微笑む。
「差別や偏見は良くないわよ、エイウス。彼はそんな魔術を使ったりしない。」
出逢ったいきさつに始まり、花屋で飼っている猫の怪我を治してくれたのだとか、育成が難しく枯れかけていたバラの育て方を教えてくれたのだとか、私を大事にしてくれるのだとか、しきりに吸血鬼を擁護する姉は魔術にかかっているのだと思った。それからも寄り添って街の外を歩く2人の姿をたびたび目にした。姉を吸血鬼の魔の手から救わなくては、そう誓った数日後。帰宅するなり倒れたミーレイはそのまま帰らぬ人となった。エイウスの問いに医師は「失血死ではない」と断言したが、エイウスは吸血鬼に復讐を誓った。

「食事の用意が出来ているぞ。」
「お前が用意したものなんか食えるかよ。」
居間の壁に寄りかかり、街で買ってきたパンをかじりながら睨みつけるエイウスに、ラウニィアは楽しそうに笑う。
「強情なところはミーレイとよく似ているな。」
「気安く姉さんの名を呼ぶな!」
「我々は恋人同士だったのだぞ。愛しい者の名を呼ぶのは自然な行為だ。」
「魔術でたぶらかしたくせに何言ってやがる。」
「まだ信じる気にはなれぬか。」
微かに悲し気なラウニィアの声に、騙されてはいけないと首をふる。この屋敷へ来てラウニィアを殺す機会を窺いながら、しかしエイウスは戸惑い始めていた。銀の杭を手に襲いかかっても、笑ってかわすだけで本気で対抗しようとしない。子供だと侮られているのだろうか。命を狙われているとわかっているにも関わらず、ラウニィアは甲斐甲斐しく自分の世話を焼く。エイウスに日当たりの良い部屋をあてがい、食事の支度や風呂の用意、衣類の洗濯までやろうとする。使いなさいと差し出された袋には着換えが詰め込まれていた。どれも自分のサイズにぴったりで、悔しい事にセンスも良い。洗濯など自分の事は自分でできると断ってからも、食料の調達は困難だろうと言って食事を用意し続ける。毒が入っているかもしれない。油断させるための罠かもしれない。そう警戒しているが、ある日出されたスープに懐かしい香りを感じた。姉がよく作ってくれた、エイウスの好きなスープと同じ香りだった。安いパンをかじっているエイウスが、スープに視線を向けていると気づいたラウニィアは嬉しそうに語り始める。
「気が付いたか? そのスープはミーレイが作り方を教えてくれたものだ。」
「姉さんが? 何でだよ?」
「恋人が料理を振る舞い、私がその作り方を教わるのはごく自然な事ではないか。」
そう言うと、「見せたいものがある」といってラウニィアは居間の本棚から革表紙の本を取り出した。ソファに腰を下ろし、訝し気に見つめるエイウスにラウニィアはそれを広げてみせる。それはアルバムだった。どのページもミーレイの写真で埋め尽くされている。
「これって……。」
「私が撮ったものだ。よく撮れているだろう。」
この部屋のソファでくつろいでいるものや、庭で花に水をやっているところ、キッチンでエプロンをつけ料理をしている姿、この屋敷で過ごすミーレイが写っていた。どの写真も幸せそうな笑みを浮かべてこちらを、つまりはカメラを構えるラウニィアを見つめている。
「人間の寿命は我々より遥かに短いからな。彼女と共に過ごした証を残したくて、頻繁に彼女の写真を撮った。私は写真には写らないから、揃って写真を撮る事が出来ないのを2人で残念がったものだ。」
吸血鬼の魔術にかかると意識を支配され、吸血鬼に隷属するようになるという。だが、写真の中のミーレイは生き生きとして、ラウニィアに支配されているようには到底見えなかった。認めたくないと首を振るエイウスにラウニィアは静かに語る。
「私はミーレイを吸血や隷属させる対象として見た事は一度も無い。私は彼女を愛していたし、穢してはならない存在だと感じていた。彼女も私を愛してくれていた。その証がこの写真だ。こんなに早く逝ってしまうとは思ってもみなかったがな……。」
アルバムをめくるエイウスの手が震える。こんな表情を浮かべるミーレイを見た事は無かった。いつも穏やかに微笑んでいた姉だったが、こんなにも幸せそうな笑みをエイウスに向けた事は無かった。
「こんな姉さんの顔、見た事無い……。」
愕然とするエイウスにラウニィアは言葉を選ぶようにゆっくりと答える。
「家族に見せる笑みと恋人に見せる笑みとは、種類が違うのだろう。」
ラウニィアの言葉は届かなかったのか、エイウスは呆然と呟く。
「俺は、姉さんの重荷だったんだ……。」
「なぜそうなる?」
「俺の前でこんな幸せそうに笑った事は無かった。いつも笑顔だったけど、誰にでも同じように笑いかけてた。」
両親が他界した時、ミーレイは13歳だった。まだ子供だったミーレイは、それでも8歳下の弟の母親代わりにならなくてはと思ったのだろう。周囲の人々の助けを借りながら、ミーレイはエイウスの母親代わりを立派に勤め上げていた。それから10年が経つ。あの時の姉の歳を越えたエイウスだが、自分はまだまだ子供だと思っていた。ミーレイの手が、愛情が、自分には必要だった。だがそれは、もう成人した彼女にとって重荷だったのかもしれない。そこへラウニィアと出逢った。自分を母親の役目から解放し、恋人として見てくれる存在と。
「姉さんは、俺よりもあんたを選んだんだ。」
震える声で漏れた言葉をラウニィアは即座に否定した。
「そんな事は無い。彼女はお前の事をとても大事に想っていた。強くて優しい自慢の弟だとよく話していたぞ。だからこそ私はお前と話してみたいと思っていたのだ。」
「姉さんをたぶらかしたお前に何がわかるんだよ!」
困ったようにため息を吐くと、ラウニィアは表情を引き締めた。
「お前をここに住まわせたのはなぜだと思っている? 彼女の痕跡はその写真だけじゃない。この屋敷には彼女の想いが残されている。」
立ち上がりこれまで見せた事の無い険しい顔でエイウスを見下ろす。
「お子様なお前にもう少しだけヒントをやろう。お前に用意した服、どうしてサイズがぴったりなのかわかるか? お前が好きなスープのレシピを彼女が私に教えたのはなぜだと思う?」
憤るラウニィアの瞳に涙が滲んでいた。
「悲劇の主人公ぶりたいのはわからないでもないが、よく考えるんだな。その上でやはり私を許せないと思うならかかって来い。今度は本気で受けて立つ。」
荒々しく足音を立ててラウニィアは部屋を出て行った。残されたエイウスの胸にラウニィアの言葉が響く。深呼吸をひとつし、落ち着きを取り戻したエイウスは居間を見回す。冷めてしまったスープの器が置かれたままだった。そこに、姉の想いを確かに感じる。恋をしていても、エイウスを第一に考えてくれていた。彼女のそんな想いも丸ごとラウニィアは受け止め愛した。自分のひねくれた子供っぽさが情けなくなった。
「ごめんなさい……。」
少しだけ泣いた後、ラウニィアの部屋を訪れた。銀の杭は、ゴミ箱に放り込んだ。

 数日後。エイウスはラウニィアの屋敷で暮らしている。何があっても弟をひとりきりにしないようにとミーレイがはからってくれたのだ。それを無下にする事はできなかった。しかしそれでも。
「誤解してたのは謝るけど、俺はあんたを義兄だとは認めてないからな!」
「厳しいな。もしかしたらお父上よりも手ごわいかもしれん。」
「あったりまえだろ!」
家族に見せる笑みと恋人に見せる笑みは確かに違う。だがどちらも愛情だ。種類の違う愛情に対し、その名前や重みを比較する行為に意味は無いのだと思えた。
ミーレイが2人を見たら、「仲良くなってくれて良かった」と笑うに違いない。


                   END

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