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――誰かが呼んでいる。声がする。行かなくては。あれは、私の――

『亡国の騎士』

 仕えていた王国が革命に倒れ、王と王妃が処刑された。王家を断絶させようと、革命軍の戦士達は王女フォルセティアの行方を追っている。側近達も次々と処刑された。王立騎士団の若き隊長、ヴィシュムにも革命軍から手配書が出ている。彼は行方知れずのフォルセティアを探すべく、密かに国を抜け出した。守らねばならない王を、密かに想いを寄せていたフォルセティアを、守れなかった事を悔いながら彼は夜の闇をひた走る。顔を隠して街を抜け、森を駆け、河を渡り、どこをどう走り、どれ程の時間、どれ程の距離を走ったのか。いつしかヴィシュムは見知らぬ街の広場に立っていた。ここはどこなのだろう。国境を越えた直後に立ち寄った街で自暴自棄に酒を煽ったが、記憶を無くす程飲んだつもりはない。黄昏時の街を見回す。街灯に提げられた旗は王国のものではない。王国内の街では、王女や行方知れずの側近達を探す手配書がいたる所に貼られていたが、ここには一枚もなかった。一体ここはどこなのか、王国周辺の地図を思い浮かべるが、疲労と緊張で思考が動かない。ひとまず身体を休めようと歩きだす。とはいえ素性を知られるのは危険だ。できるだけ人目に付かない宿はあるだろうか。黄昏時にも関わらず街は人が行き交い賑わいを見せている。王国ではあり得なかった光景だ。王は夜間の外出を全面的に禁じ、国民の行動を厳しく制限した。王国の治安維持のためだという王の言葉を、ヴィシュムは信じていた。祭が開催されるのだろうか、街のいたる所に花や風船が飾られている。祭に乗じてか、路傍で物を売る者、歌に演奏や曲芸を披露し小銭を稼ぐ者も多くいる。なんと浮かれた街なのかとヴィシュムは顔をしかめた。王国ではこのような浮かれた祭が行われる事など無かった。戦士達の士気を高め、戦の勝利を祈願する厳粛で荘厳な儀式、祭とは本来そのようなものであるはずだ。人混みを避けて歩き、路地裏に小さな宿を見つける。ヴィシュムが扉をくぐると、受付にいた女性が驚きの声を上げた。今この街は、死者の国から帰ってくる死者を迎える祭の真っ最中だという。自分が死者の亡霊にでも見えたのか、無礼な従業員だとヴィシュムは再び顔をしかめる。部屋を取り階段を上がると、踊り場に佇む少女にヴィシュムは目を見開いた。少女はヴィシュムを見おろし微笑む。
「会えるんじゃないかって思っていたのよ。」
「姫!」
背中まであった美しい金の髪を耳の下でばっさりと切り落とし、粗末な麻のワンピースに身を包んでいたが、短くとも美しい髪に、澄んだ空色の瞳、小鳥を想わせる可憐な声、王女フォルセティアに間違いない。ヴィシュムは階段を駆け上がり少女の足元に跪く。
「姫、お守り出来ず申し訳ありません!」
「いいのよ。仕方の無い事だわ。」
「しかし姫を守る事は私の責務。私は騎士隊長でありながら王を、王妃を、姫を、簒奪者共の手から守れませんでした。」
唇を噛み俯くヴィシュムをフォルセティアは静かに見据える。
「彼らは、本当にただの簒奪者だったのかしら。」
「え?」
困惑するヴィシュムにフォルセティアは首を振った。
「何でもないわ。」
異国の街で王女を見つけた。これはきっと、王国を簒奪者共の手から取り戻す第一歩になるに違いないと、ヴィシュムは密かに歓喜した。

 翌日。祭を見物したいと言うフォルセティアに付き従い、ヴィシュムは共に街へ出る。王女の隣を歩くなど畏れ多い事だが、どこから簒奪者共が王女を狙うかわからない。今度こそ自分が王女を守らなくてはと、ヴィシュムは周囲を警戒しながら歩く。ヴィシュムの緊迫感をよそに、賑わう街を見回しフォルセティアは穏やかに目を細めた。
「いいわね、こういうお祭り。王国には無かったわね。」
「王は厳格な方でしたから。」
「そうかしら。軍事以外に割くお金を削りたかっただけよ。」
辛辣なフォルセティアの口調にヴィシュムは戸惑う。王は質実剛健を掲げ華美なものを嫌った。国の行事と言えば戦や軍事に纏わる事のみ。周辺諸国に負けない国を作り、大陸の覇権を得る為に必要な事だという王の言葉を、ヴィシュムは信じていた。
「王は国の事を考えていらしたのです。」
「貴方は何も解って無いのね。」
フォルセティアは大きく溜息を吐く。
「王国内は常に戒厳令が敷かれているようだった。戦ばかりの暮らしなんか誰が望むの? 皆穏やかに暮らしたいのに父はそれを許さなかった。理不尽な法に厳罰、重税に徴兵で国民を縛り上げ苦しめた。ただの暴君よ、あれは。」
フォルセティアは悲しげな目を街に向ける。
「皆の不満が高まっているのを感じていた。いつかあんな事になるだろうと思っていたのよ。この街の人達が王国の事を何と言っているか聞いた? 『侵略王国』『戦争国家』ですって。」
目を伏せフォルセティアは言葉を続ける。
「王家の人間のくせに、父を止められなかった私にも罪がある。」
「そんな事はありません! 暴力に訴える野蛮な連中など姫が相手にする必要は」
「暴力に訴えるのは父がずっとしてきた事よ。」
ヴィシュムの言葉を遮りフォルセティアは静かに彼を見据える。
「それに貴方の責務は国を守る事、父や私を守る事ではなかったのよ。」
フォルセティアの言葉はヴィシュムの胸を刺す。幾つもの戦で功績を挙げ、国を守る為に戦ってきた。それは、間違いだったのだろうか。返す言葉に詰まり、ヴィシュムは街を見つめる。駆け回る子供、談笑する人々。どれも王国では見かけなかったものだ。どこからともなく漂う料理の匂い、想い想いに歌う人、物売りの高らかな声。平穏で、活気に満ちた街。王が掲げた理想とは程遠い情景だった。
「死者が帰ってくるお祭りだと聞いたわ。死んだ後でも、帰って来たいと思える街、理想的ね。この中に、帰ってきている死者がいるのかもしれないわね。」
祭を楽しんでいるフォルセティアの言葉に、ヴィシュムの胸には嫌な予感が沸きあがる。まさか、姫は既に――。
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません。姫、これが、国の人々の望んでいた暮らし、なのでしょうか。」
「そうね。戦に強い国なんか誰も望んでいなかったのよ。周辺諸国よりも強い国になって、利があるのは父だけ。人々の暮らしは何も変わらない、それどころか苦しくなる一方よ。」
呆然とヴィシュムは街を見回す。王国民の暮らしとは、王国に尽くし王国の為に働く事ではないのか。こんな風に浮かれ騒ぐ事が、王国の為になるのか。強い国を作る事は王国民の為ではないのか。祭に賑わう街の中、思考に沈むヴィシュムは不意に不穏な視線を感じた。建物の陰からヴィシュムを睨む鎧姿の青年。あれは、つい最近の戦で自分が手にかけた敵国の将軍だ。頭が痛む。よくも、よくも。呪詛を吐き将軍はヴィシュムに剣を向ける。足がふらつく。剣を持つ手に力が入らない。目の前が暗くなる。姫を守らなくては――
「ちょっと! こんな所で剣なんか抜かないでよ!」
フォルセティアの叫びで我に帰る。将軍の姿は消えていた。
「急にどうしたのよ?」
「敵がいたのです。私が戦場で殺したはずの敵が。」
「誰もいないわよ。」
ヴィシュムが睨んでいた方を見つめフォルセティアは呟く。
「敵がいたのだとしたら、貴方の罪の意識が呼んだのじゃないかしら。」
「罪の意識、ですか?」
「そうよ。このお祭では、自分に縁の深い死者を呼べば会えるそうだから。」
フォルセティアは静かにヴィシュムを見上げる。
「貴方、本当は償いたかったんじゃないの?」
「償い……? 戦は、正しいものでは無かったのでしょうか。」
「正しい戦なんてどこにも存在しないわ。」
いつの間にか日が暮れ始めていた。
「少し疲れたわ。お祭りは明日も続くし、今日は宿に戻って休みましょう。」
フォルセティアの言葉に、ヴィシュムは混乱した思考を抱えたまま頷いた。宿に戻り床に就いても、思考は彷徨う。「貴方の責務は国を守る事だったのに。」フォルセティアの非難と失意が入り混じった声。国を守るとは王の命令に従い、王の理想を実現する事ではないのか。息子の仇父の仇兄の仇。よくも、よくも。四方八方から響く呪詛の声。敵を討つ、国を守る為の戦い。それは間違いだったというのか。頭が痛む。視界が霞む。手足が重い。

 翌日も二人で祭に賑わう街を歩いた。フォルセティアは何をするでもなく、祭を楽しむ人々を見つめている。一日中街を見て回り、夕刻に時計塔が建つ広場に辿り着くと、フォルセティアは感慨深げに広場を見回した。
「ここに来られて良かった。私は間違ってなかった。父は私の考えなんて聞く耳持たなかったけど。」
フォルセティアは寂しげな笑みを浮かべてヴィシュムを見据える。
「貴方とも話が出来て良かった。本当はもっと早く話せれば良かったのだけど。」
ふいに強い風が吹いた。
「もっと話したい事は沢山あったのだけど、もう時間が無いわね。貴方は、もう帰らなくちゃいけないもの。」
「帰る?」
困惑するヴィシュムにフォルセティアは小さく息を吐いた。
「貴方、やっぱり自分が死んだ事解ってないのね。」
フォルセティアは目を伏せ言葉を続けた。
「ここへ来た時の事、覚えてる?」
問われて思い返す。革命軍に捕まる前に城を出た。王女を見つけなくてはと必死だった。あちこちから王家への呪詛が聞こえる。何故、こんな事に。国境を越えた街で途方に暮れた。これからどうしたら。場末の酒場に入り自暴自棄に酒を煽る。酔って酒場を出ると殺気を感じた。振り返った瞬間、衝撃。痛む頭。動かぬ手足。そして気が付くとこの街にいた。
「私は、あの時……。」
「思い出した?」
頭を振りながらヴィシュムは問い返す。
「姫は、どうやってここに?」
フォルセティアは悲しげに笑ってヴィシュムを見据えた。
「私は、革命軍のリーダーが密かに逃がしてくれたのよ。『貴女は生きるべきだ』って言われたの。」
空を見つめフォルセティアは言葉を続ける。
「王女でありながら、過ちを犯す王を止められなかった。父の施政のせいで多くの人が死んでしまったし、多くの人を苦しめた。その罪を背負って私は生きなきゃいけない。王女でも何でもない、一人の人間として。」
フォルセティアは表情を引き締める。
「その決意を聞いて欲しかった。貴方も革命軍に狙われていると知って、この街で死者が帰って来るっていうお祭りを知って、貴方に会いたいと願ったの。」
ヴィシュムに視線を移しフォルセティアは続ける。
「貴方なら、父や他の側近と違って私の話を聞いてくれると思ったから。そしてこのお祭りの夜に貴方は現れた。貴方はやっぱり亡くなったんだと確信したのは悲しかったけどね。」
フォルセティアは微笑む。
「私に何が出来るかなんて解らないけど、私は生きる。」
「姫が生きていて下さって何よりです。」
ヴィシュムはようやくそれだけを口にした。王を盲信し、何も解っていなかった自分が情けない。そして解った所で自分はもう死んでいるのだ。償いを許されない程、自分の罪は重かったのだろう。肩を震わせるヴィシュムをフォルセティアは見据える。
「あの国で私は一人ぼっちだったけれど、これからは本当に一人で生きなきゃいけない。これは私の罪と罰だから。私の決意を聞いた貴方には、私を見守る義務があるわよ。」
「無論です。死の国に在っても姫を見守っております。」
「ありがとう。心強いわ。」
フォルセティアが微笑む。再び強い風が吹いた。身体が浮き上がるような、どこかへ吸い寄せられるような感覚に包まれる。遠くなる街とフォルセティアの姿を見つめながら、ヴィシュムは思う。お礼を言わねばならないのは自分の方だと。自分の罪深さに気付かせてくれた。姫がこの街で自分を呼んでくれなければ、理不尽な怒りと困惑を抱えたまま、亡者となっていただろう。自分の意識は消えてしまうかもしれないが、それでも姫の生きる道を見守るのだと誓う。それが、罪深い自分に出来る精一杯の贖罪だ。道を分かたれた姫と自分に、最後の時間をくれた異国の祭に感謝しながら、ヴィシュムは目を閉じた。


END

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