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『封印の狂想曲(カプリチオ)


 今から500年前。どこからとも無く王国に現れた魔女は、王に取り入り国に厄災をもたらそうとした。臣下達の働きによりその企みは阻止され魔女は処刑が決まったが、首を斬り落としても心臓を貫いても、猛毒を飲ませても魔女は死ぬ事は無かった。仕方なく北の塔に幽閉し、塔の周辺一帯に魔封じの呪を施し魔女を封印する事に決めた。そして代々、王が王位を継承する際に塔を訪れ、封印を強化し災いを退ける祈りを捧げる儀式を行うのが慣例となった。
 そして現在。アイザック王はある問題に頭を悩ませていた。第一王子ジャックの事である。しょっちゅう城を抜け出しては城下町の女性を口説いたり、酒場やカジノといったいかがわしい場所へ出入りして遊び惚けている。城下では「放蕩王子」などという風評が立っているようだ。成人まであとわずか、そろそろ王位継承者としての自覚をもって行動してもらいたいものだが、そう説教すると決まって「ならば王位など弟が継げばいい。」と言い放つのだった。
今日もジャック王子を探して城中の者が駆け回っている。陽が暮れる頃、酒場へ入ろうとしていたジャックを城へ連れ戻したという報告を聞くと、アイザックはくたびれた顔でため息をついた。その日の夜、ジャックを自室へ呼びつけアイザックは無駄と知りつつも説教を試みる。
「ジャックよ、なぜ許可無く城下へ出たりするのだ。酒など城でも飲めるであろう。」
問い詰められたジャックは大仰に手を振り答える。
「視察ですよ、父上。王家の人間たるもの庶民の生活を知らねばなりません。庶民の本音を聞くには酒場が一番です。庶民の味を知り庶民の心を知る、それを政道に活かそうとしているのですよ。これも勉強です。」
「心にも無い事を言いおって。口だけは達者だな。」
呆れ顔でため息をつきアイザックは言葉を続けた。
「城下では「放蕩王子」などと噂されておる。庶民達の中にはお前が王になる事を不安に思う者も多い。一度落ちた評判を取り戻すのは大変に難しい事なのだぞ。」
「えぇ、わかっていますとも。ですから私はそんな無駄な事をするつもりはありません。」
「ジャック!」
「王位ならば、評判の良いロバートが継げば良いでしょう。あいつは勉強熱心だし庶民の事もよく考えている。私はあいつの為に視察へ出ているのです。」
アイザックはもう我慢ならんとジャックを睨み据え言い放った。
「明日の朝、お前は北の塔へ行き王位継承の儀式を行ってくるのだ。もう手筈は整えてある。」
「そんな横暴な! 私はまだ成人しておりません。」
「儀式を行ったからといってすぐに王にならなきゃいかんわけではない。成人前に儀式を済ませた王も数多くいる。儀式を行うのはお前の性根を入れ替えるためだ。」
「代々の王は私のような者が多かったのですか?」
「ジャック! その減らず口をどうにかせよ! ともかく、明日の朝、北の森へ出発するのだ。城下にはもうお前が儀式に出るという触れを出してある。「臆病者」などという評判を立てたくはないであろう? 逃げるでないぞ。」
ジャックはやれやれと首を振るとため息混じりに答えた。
「わかりましたよ。では私は明日に備えて早目に休む事にします。」
仰々しい仕草で一礼し退室するジャックの背を見つめ、アイザックは今日最後のため息をついた。
翌朝。簡易武装した馬車が城の前に止まっている。アイザックはジャックを振り返り小さな袋を渡した。
「手順はわかっておるな? 塔を見回り異常が無い事を確認したら、祈りを捧げた後この中の聖布を塔の前の鉄門に結びつけてくるのだ。」
「わかっていますよ、もう何べん聞かせれば気が済むのですか。」
「本当にわかっているのか?」
「大丈夫ですよ、少しは私を信用して下さい。」
お前だから信用ならんのだと小さく呟くと、アイザックは背後に控えていた兵士長のルイスに声をかける。
「ジャックを頼んだぞ。まぁ、何事も無いとは思うが。」
「お任せ下さい。」
敬礼したルイスに頷きアイザックはジャックを馬車に乗るよう促す。ジャックが乗り込むと後からルイスも乗り込んだ。ルイスが御者に合図を送ると馬車はゆっくりと北へ向かい走り出した。揺れる馬車の中でジャックはルイスに問い掛ける。
「なぁ、500年前の魔女の伝説って本当なのか?」
ジャックは散々聞かされた魔女の伝説を思い返す。王国に厄災をもたらそうとした不死身の魔女。北の塔に魔女を封じ代々の王が封印を強化する事で王国の安泰が維持されているという話に、ジャックは疑問を抱いていた。厄災とは具体的に何だったのか? なぜ、封印する必要があったのか。処刑が出来ないのであれば追放すればよいのではないかと考える。一体500年前に何があったのだろう。問い掛けられたルイスは背筋を伸ばしたまま答える。
「私の父が20年程前にアイザック王の儀式の際お供を致しましたが、確かに塔の中に魔女がいたそうです。約500年も鎖に繋がれ幽閉されているのに、生きていた事にたいそう驚き怯えておりました。何とも禍々しい気配を放っていたそうで、「こいつは封じておかねばならない」と強く感じたと聞いております。」
「そりゃ500年も閉じ込められてちゃ歪むよなぁ。」
同情的な口調で呟いたジャックにルイスは首を振る。
「恐れながらジャック様、魔女なんかに同情されてはなりませんよ。」
「そう言うけどさ、魔女って本当に悪者なのか? 厄災をもたらしたって具体的に何をしたんだよ? どこを調べてもわからないんだよな。」
「古い記録ですからね。戦などで消失したものもあるでしょうし。」
「父上は「儀式なんて形だけのものだ」なんて言うしさ。そうやって流していく事で損なわれていくものってあるんじゃないか?」
何とも言えないといった顔をするルイスにジャックは苦笑する。
「お前にこんな事グチってもしょうがないか。ま、魔女に会ってみれば何かわかるかな。」
「ジャック様、あまり無茶な事はなさいませんように。」
「話をするくらい大丈夫だろう? 俺は真実を知りたいんだ。」
「知ってどうなさるのです?」
「伝説がそのまま真実なら、俺は儀式を済ませて戻るだけさ。そうでないなら、何かできる事はないか考える。」
「ジャック様、くれぐれも無茶は……。」
心配げなルイスにジャックはひらひらと手を振った。
「わかってるよ。でも俺は納得出来ない事があるままで事態を進めたくないんだよ。」
馬車の前方に針葉樹に囲まれた塔が見えてくる。苔むした古い石造りの塔は陰鬱な雰囲気を漂わせていた。馬車は針葉樹林の中をしばらく進み、やがて大きな門の前で止まる。門には代々の王が儀式を済ませた事を示す聖布がいくつも結び付けられていた。聖布を作った神官によれば、この聖布にも封印強化と王国守護の呪がかけられているらしい。塔を取り囲む高い石塀には、ジャックには読めない古代文字で呪文らしきものが刻まれている。ルイスが馬車を降りジャックも後に続いた。ルイスが門の鍵を開け塔への道を歩いていく。塔の扉を開けるとルイスはジャックを振り返った。
「この最上階に魔女を封じた部屋があるそうです。」
「よし、行こう。」
塔には小さな明り取り用の窓が開けられているだけで薄暗く、埃やカビのにおいがかすかに漂っている。ランタンに火を灯しジャックは塔の階段を上り始めた。薄暗い中、段差の不均一な石段を上るのはひどく神経を使う。いつもの軽口を叩く事も無くジャックは黙々と階段を上った。辺りを警戒しながらルイスが後に続く。2人の足音だけが響き、無言のまま階段を上る2人が息を切らし始めた頃、ようやく塔の最上階に辿り着いた。外の石塀に刻まれていたのと同じような呪文が床から壁、天井にまで刻まれている。扉を開けると比較的広い部屋の中央に、石を組み上げて増設したらしい不自然な造りの部屋があった。分厚い木の扉に手をかけたジャックに「この部屋の扉は古代呪文で閉ざされているようです」とルイスが言うとジャックは落胆した顔で呟く。
「何だ、それじゃ話は出来ないのか。」
とりあえず様子を伺おうとジャックはランタンをかざし、監視用に作られた小窓から部屋を覗き込む。石壁に両手を鎖で繋がれ俯く人影が見えた。
「あれが魔女か……。」
ジャックの声が聞こえたのか、人影は顔を上げた。痩せ衰えていたが目には暗く強い力が宿っている。魔女の視線を受けジャックはゆっくりと口を開いた。
「君が伝説の魔女か。けっこう美人じゃないか。」
ジャックの言葉に魔女は唇を歪めて笑う。
「あたしに話しかけてきたのはアンタが初めてだ。伝説ねぇ。なるほどそんなにも時が経っているのか。で、今度の王はアンタかい? ずいぶん若い王様だね。この国は大丈夫なのか?」
口を慎めと叫んだルイスを制してジャックは魔女に問い掛ける。
「まだ俺が王になると決まったわけじゃない。俺は伝説の真相を知りたいんだ。」
「ジャック様!? 何を仰るのです!」
慌てるルイスを尻目にジャックは窓に顔を寄せ言葉を続ける。
「教えてほしい。君は一体なぜこんな所に閉じ込められているんだ? 君が王国に厄災をもたらしたというのは本当なのか?」
「厄災ね……。あたしが愚かだっただけさ。」
「どういう事だ?」
「アンタには関係のない事だよ。さっさと封印を強化して城に戻ったらどうだい。」
「俺はそんな事をしに来たんじゃない。500年前に何があったのか知りたいんだ。」
「知ってどうなる。全ては終わった事だ。」
「なぁ、やっぱり伝説は偽りなんだろう? 俺は君を助けたいんだ。君はおそらく無実……」
「うるさいんだよ! アンタに話す必要なんかない。」
ジャックを睨みつけ魔女はうっとうしげに首を振る。再び俯いた魔女にジャックは声をかける。
「また来るよ。俺は必ず真相を見つけて君をここから救い出す。」
「ジャック様!」
さぁ行きましょうと促すルイスに軽い返事を返しながら、ジャックは魔女を振り返った。自分を睨みつけた強い眼差しの奥に悲しい光を見た気がしたのは気のせいだろうか。「あたしが愚かだっただけ」と魔女は言った。気の遠くなるほど長い間幽閉され、王家の人間を憎んでいてもおかしくないだろうに、自嘲し悲しい目をする魔女の姿はジャックを惹き付けた。一体何があったのか、何が何でも真相を突き止めようと秘かに誓いながらジャックは再び石段を降りて行った。ジャックの足音が遠ざかるのを聞きながら魔女は呟く。
「そっくりだ……あいつに。おまけにジャックだって? ふん……馬鹿げてる。」

 城へ戻ったジャックはその日から書庫に篭り古い文献を読み漁り始めた。500年前の真相を記したものはないだろうかと目を凝らす。書庫に篭もるジャックに、アイザックを始め城の人々は「王位継承の儀式を済ませようやく心を入れ替えたか」と安堵の笑みを浮かべていたが、弟のロバートは昼夜を問わず篭もり続けるジャックの様子に不安を抱いていた。ジャックは膨大な数の蔵書の中から、国内で起きた事件事故の記録帳、王家の人々の手紙や日記、様々な記録を探し出し読み漁ったが、魔女の伝説の真相に繋がるものは見つからない。落胆しながらも文献漁りを続けていたある日、書庫にロバートがやってきた。読み終えた歴史書を戻しに来たのだという。疲れた様子であちこちの文献を読み漁るジャックに、ロバートは心配げに声をかけた。
「兄上、先日から何をそんなに熱心に探しているのです?」
文献から顔を上げ目頭を指で揉みながらジャックは大きく息をつく。
「500年前の魔女の伝説について調べているんだ。あの伝説は本当に正しいのか?」
「塔で何かあったのですか?」
首を傾げるロバートに、ジャックは以前から感じていた疑問を口にするときつく拳を握った。
「もし伝説に間違いがあるなら王家は、俺達は無実の人を長い間幽閉している事になる。」
ジャックの疑問を聞きロバートは頷く。
「言われてみれば確かに腑に落ちないですね。でも500年も前の事をどうやって間違いだったと証明するつもりですか?」
「当時の記録が残ってないか探してるんだ。誰か1人でもいい、真相を記してる人間がいるんじゃないかと思ってさ。」
ジャックの言葉にロバートは考えを巡らせながら口を開く。
「例えば、兄上が僕を邪魔に思って城から追放しようと企んだとします。」
ロバートの言葉にジャックは困惑する。
「おいおい、俺はそんな事微塵も思ってないぞ。」
困惑するジャックにロバートは微笑む。
「えぇ、もちろんわかっています。例えばの話ですよ。兄上が僕を邪魔に思って追放しようとする、そして何人かの臣下を味方につけて企みを成功させたとします。」
「うん、それで?」
「僕に無実の罪を着せて追放したとしましょう。その後、秘密を知る臣下達には当然口止めしますよね。」
「あぁ、なるほど。そういう事か。」
ロバートの言わんとする事を察しジャックは頷く。
「味方になった奴にはきつく口止めし、不審がって嗅ぎ回ろうとする奴は妨害するか追放する。城内で本当の事を記録できる奴なんかいないって事か。」
「そういう事です。」
無駄足かぁと嘆くジャックにロバートは言葉を続ける。
「例え話を続ければ、もし僕を追放した後兄上に良心の呵責があって、秘かに罪を告白したいと思ったら、どうしますか?」
「そうだなぁ……。日記に残すか、神殿で懺悔するか……城に記録を残しておけないとすればそっちか。」
「そうですね。当時の王がそうしてくれていればいいのですが。」
「賭けてみるか。ありがとうな、ロバート。やっぱり俺なんかよりお前が王になるべきだ。」
「え?」
真摯な眼差しを向けられ今度はロバートが困惑する。
「俺は塔に封印された魔女を助けたい。恐らく彼女は無実の罪で幽閉されてるんだと思う。俺は彼女を救出して国を出る。お前に一番苦労をかける事になるのが心苦しいけど、父上を支えて立派な王になってくれ。」
「兄上、何を言い出すのです。」
「俺はあの時の彼女の目が忘れられないんだ。」
ロバートはジャックの目を静かに見つめる。
「その人に、惚れたのですね。」
「あぁ。何としてでも助けてやりたい。」
しばらく黙ってジャックの目を見据えていたロバートは小さく微笑んだ。
「兄上は昔から言い出したら聞かない人でしたからね。止めても無駄なのでしょう。恋をしているのなら尚更です。」
ロバートは表情を引き締め言葉を続ける。
「兄上が教えてくれた事を忘れず、僕は良き王になります。後の事は心配しないで、兄上の信念を貫いて下さい。」
「ありがとう、ロバート。お前には感謝してもし切れない。」

 数日後。ジャックは一人で塔を訪れていた。あの日塔の中に落し物をしたと嘘をつき塔の鍵を持ち出してきている。塔の扉を開け、あの時と同じようにランタンを手に階段を上る。もう片方の手にはある人物、500年前の当時の王の手記を入れた袋を提げていた。先日、王家所縁の神殿を訪れ、部外秘とされていた当時の王の手記を無理矢理見せてもらったジャックは驚きを隠せなかった。
500年前に自分と同じ名前の王が魔女グロリアと恋に落ちた。グロリアを城へ招いたジャック王は、彼女を妃にすると宣言したが周囲に猛反対されたという。駆け落ちも辞さない覚悟であったがある日、王は原因不明の病に倒れてしまう。グロリアは王の病を治す薬を調合したが、その薬を毒見と称して奪い飲んだ臣下の1人が倒れ、グロリアは王の暗殺未遂で捕らえられ即座に処刑が決まった。だが、臣下が飲んだ薬はすり返られたものだったのだ。全ては王とグロリアを引き裂こうとした臣下達の計略であったのだが、王はそれを知らないまま、グロリアが自分を殺そうとしたと思い込んでしまったらしい。王が全てを知ったのは、グロリアが幽閉された後の事。何度も彼女を救い出そうと試みたが上手く行かず、王は臣下の言葉を信じグロリアを疑った事を深く悔いていた。隣国の王女との縁談が進められ、後に王子と王女が生まれても彼らを心から愛する事が出来ず、生涯グロリアを想い彼女を信じなかった自分を責め続けていたという。国を思って行動した臣下達を責める事は出来ないと、悪いのは愛する人を疑った自分なのだと、そしてこの罪は自分1人が背負う事、いつか誰かがこの秘密は知らぬまま、グロリアを救い出してくれる事を心から願うという言葉で締められていた。ジャックは手記を読みながら自分の事のように涙を流していた。愛し合ったはずの相手に疑われ、幽閉されたグロリアの絶望は計り知れない。死ねない身体を呪わしく思ったのではないかと考えると胸が痛む。更にジャックは神官の1人から信じ難い話を聞かされた。彼は魔女を封印している古代文字に興味を持ち独自に調べたらしいのだが、石塀に刻まれた呪文は魔女の力を封じるものではなく、魔女から力を奪い術者へ吸収させるものだという。当時の臣下の中に、愛し合う2人を引き裂いたばかりか、グロリアの力を奪い取っていた者がいたのだと思うとジャックははらわたが煮えくり返るような憤りを感じた。現在、呪文を通して集められたその力は、封印を施した術者の子孫がそうとは知らずに吸収しているのだという。グロリアも恐らく当時の臣下達の計略など何も知らないままだろう。事件の真相を伝えジャック王の懺悔を聞かせたい、そして無実のグロリアを幽閉し続けてきた代々の王の罪を償いたいと、彼女を塔から救い出し共に生きていきたいと思った。最上階に辿り着くと扉を開けグロリアがいる部屋に近付く。足音を聞いたグロリアはふっと顔を上げた。
「またアンタか。こんな所へ2度も来るなんて物好きだね。」
「君を助けたいんだよ、グロリア。」
名前を呼ばれたグロリアは驚きに目を見開く。
「何であたしの名前を!?」
「500年前に何があったのか調べたんだ。当時の王の手記が見つかった。」
「そんなもの今更……。どうせあたしに裏切られたとでも書いてあるんだろう? だからあたしを憎んで閉じ込めたんだと。」
静かに首を振りジャックは手記を読み上げる。臣下達の計略で薬はすり返られていたのだと、ジャック王が生涯グロリアを想い疑った事を悔いていたと聞くと、グロリアの瞳から涙が零れ落ちた。
「今更、そんな事……。だったらどうしてあの時信じてくれなかった!」
グロリアは泣きながら壁に拳を叩きつける。手首に繋がれた鎖がじゃらじゃらと乾いた音を立てた。手記を読み終えるとジャックは窓に顔を寄せ叫ぶ。
「グロリア! 俺は君を救う為に来た。無実の君を幽閉し続けた償いをさせてほしい。」
「その顔であたしの名を呼ぶな!」
「俺と一緒に来てほしい、グロリア。俺は君が好きなんだ。」
「人の話を聞いているのか!?」
叫ぶグロリアの脳裏に、ジャック王の言葉が蘇る。永い時を生きる魔女と、魔女の半分の時間も生きられない人間。取り残されるのは辛いと言ったグロリアに「私が先に死んでも、何度でも生まれ変わって君の側にいる。幸運にもまた人に生まれる事が出来たら、また君を愛する。」と告げたジャック王。そして今、目の前で愛を告げたのは彼と瓜二つで同じ名を持つジャック王子。グロリアは混乱して大きく首を振った。戸惑うグロリアにジャックは言葉を続ける。
「俺はジャック王の代わりにはなれない。俺を愛してほしいなんておこがましい事は言わない。塔から出てこの国を離れたら君は自由だ。だから今だけは俺と一緒に来てほしい。」
グロリアは嗚咽を漏らしながら呟く。
「だめだ、あたしがここから出たらこの国は滅びる。」
「どういう事だ?」
「閉じ込められる時に王宮の神官が言ったよ。ここから出たら封じたあたしの魔力が暴走して国を滅ぼすんだと。あたしは正真正銘、厄災の魔女なんだよ。あいつが治めてた国だ、何年経ったとしてもあたしのせいで滅ぼしたくなんかない。」
グロリアの言葉にジャックは思考を巡らせる。それはグロリアに自力で脱出させないための作り話だと悟る。だが失意の彼女はその話を信じ、捨て切れないジャック王への想いと共にここに封じられている事を選んだのだ。そんな悲壮な決意を貫き続けてきたグロリアに自分の魔力がどうなっているのかを伝えてしまったら、彼女は更に絶望してしまうだろう。この国を、人間全てを憎んでしまうかもしれない。そんな事はさせたくなかったが、グロリアをこのままにしておいていいはずがない。ジャックは胸を張って笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、この国は滅びない。」
「何を根拠にそんな事を。それにアンタはこの国の王になるんだろ? 継承の儀式も済ませたんだ。そんな奴があたしとどこへ行こうって言うんだい? アンタは国を捨てるのか? 無責任な王に捨てられた人達はどうすればいい? あいつが大事にしていた国を捨てるなんてあたしは許さないよ。」
落ち着きを取り戻しつつあるグロリアに安堵しながら、ジャックは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「俺には優秀な弟がいる。俺がいなくなってもロバートが国を守っていくさ。あいつは俺を慕ってくれてるけど、どこかで俺を疎ましく思ってるのがわかる。でもそういう自分を責めて苦悩してる。」
苦しそうな顔をしたジャックにグロリアは何も言えなくなった。黙ってしまったグロリアにジャックは言葉を続ける。
「兄の俺がいる限りロバートは王にはなれない。でも父上や臣下達も利発なロバートの方に期待してるし、あいつもそれに応えようと頑張ってる。俺は引っ込んだ方がいいって事。」
「それで弟を引き立てようと放蕩王子を演じてたのか。」
「何でそんな事知ってるんだ!?」
驚くジャックにグロリアはふっと笑う。
「町の噂くらいは鳥達から教えてもらっている。」
「そうなのか。鳥の言葉がわかるっていいな。」
グロリアの小さな笑みに笑い返すとジャックは表情を引き締める。
「だから、俺が君を連れ出してこの国を出てもたいした問題は無い。まぁ、ちょっと混乱はするだろうけど、そんなものはすぐに収まるさ。」
「けどあたしが塔を出たらこの国は……。」
「優秀な我が弟が何とかしてくれるから大丈夫。」
「無責任な奴だな。」
呆れ顔で言うグロリアにジャックは笑う。
「俺がそうしておけばロバートの良さが際立つのさ。それにあいつは俺がしようとしてる事も、500年前の真相も知ってるから、何があっても対処してくれる。さぁ、何も問題は無い。グロリア、君は自由になるんだ。」
「その扉は古代魔法で閉ざされてる。どうやってここを開けるつもりだ? アンタは魔法なんて使えないだろう?」
グロリアの言葉にジャックは得意げな笑みを浮かべる。
「その方法も調査済みさ。尖塔にある水晶を破壊すればいい。そうすれば封印の力は解けて君の魔力も戻る。」
「ここが地上からどれだけ離れてるのかわかってるのか? 足場の不安定な屋根の上で物を壊すなんて無茶だ。落ちたら終わりだぞ。何より魔法を物理的に解くなんて危険だ。」
「おっ、心配してくれるの? その気持ちがあれば俺は何だって出来る!」
「バカか。ここでアンタに死なれたら夢見が悪いから勘弁してくれってだけの話だ。」
「そんなヘマはしない。ちゃっちゃと済ませてすぐに戻るから待っててくれ。」
意気揚々と部屋を出て行くジャックにグロリアはため息をつく。同じ名前、そっくりな顔、だけど別人だ。ジャック王はもうとっくに世を去っている。ジャック王の言葉が再び頭をよぎったが生まれ変わりだなんて馬鹿げてると思う。けれど彼のそういうロマンを好む所は嫌いではなかったなどと想いを巡らせる。ジャック王子も似たような雰囲気を放っていた。いや、彼はジャック王の子孫なのだから似ているのは特に不思議な事ではない。グロリアは混乱する思考を振り払うように首を振り天井を見上げる。この部屋の真上に封印魔法の中心である水晶が備え付けられているのを感じていた。常に自分の力がそこへ吸い込まれているような感覚がある。見飽きた薄暗い天井を眺めながら、グロリアの思考は屋根に向かったジャックに引き寄せられていた。これまでここを訪れた王子達とは雰囲気も価値観もまるで違う。厄災の魔女と呼ばれる自分を恐れもせず話しかけ、そしてあれ以来誰も気にも留めなかった事件の真相を明らかにし、強引に自分をここから連れ出そうとしているジャック。その強引さはどこか心地良く懐かしくさえあった。本当に大丈夫だろうかと心配げにグロリアは天井を見上げる。早く戻って来い、そう念じていると、グロリアはふと鎖に繋がれた腕が軽くなったのを感じた。魔力が身体に湧いてくる懐かしい感覚が蘇る。封印魔法が解け始めているようだ。強固だった鎖は500年の経過を顕わにしあるべき姿を取り戻す。錆びてボロボロになった鎖はグロリアが強く手を引くとあっけなく崩れた。腕に付いた錆を払い意識を屋根に向けると、脳裏に短剣で大きな水晶を砕いているジャックの姿が浮かぶ。グロリアは軽くなった腕を天井へ向けた。湧いてきた魔力を屋根に向け送る。ジャックの短剣が淡い光を放ち始めた。ジャックがそれに気付くと光は徐々に力を増す。光の正体を悟ったジャックは笑みを浮かべながら、軽くなった剣を一層の力を込めて振るう。水晶に大きな亀裂が入り、稲妻のような音を響かせついに水晶は砕け散った。
「よっしゃ! 初めての共同作業だ!」
「やっぱりあいつバカだ。」
ジャックの歓喜に満ちた叫びを聞いたグロリアが呆れ顔で小さく呟いた時、ジャックの足元が水晶を破壊した衝撃を受け崩れ落ちた。
「うわっ!」
慌てて体勢を立て直そうとしたジャックの足は何も無い空間へ踏み出される。更に焦るジャックはたたらを踏んで空中に舞った。
「ジャック!?」
転落するジャックの姿を脳裏に見たグロリアは即座に立ち上がる。幽閉されていた部屋の扉を蹴破るとジャックが落ちていく方向へ走り窓からありったけの力を放った。
「ジャック!」
グロリアが叫ぶと落ちて行くジャックの周囲に風が巻き起こった。地上から吹き上げる風に支えられるようにしてジャックの身体はゆっくりと降りていく。ほっと安堵の息を吐きグロリアは塔を駆け下りた。塔の入り口の少し先にジャックの身体が横たわっている。動かないジャックにグロリアは青ざめた顔で駆け寄った。確かにジャックの身体を支えていた感覚はあったはずなのに、まだ魔力を取り戻したばかりでコントロールし切れなかったのだろうか。
「ジャック? ジャック!?」
不安げな声で叫ぶグロリアに、ジャックはぱっちりと目を開け満面の笑みを浮かべるとグロリアの手を握った。
「やっと名前呼んでもらえた。そんなに心配してくれたんだ。嬉しいよ。」
「お前……騙したな!」
「助けてくれてありがとう、グロリア。」
怒りの言葉をぶつけようとしたグロリアは急に真剣な眼差しを向けられ戸惑う。
「だ、だって言っただろ? ここでアンタに死なれちゃ夢見が悪いって。」
「俺は死なない。君への償いも何も済んでないのに死ねないさ。」
「償いだなんて……。別にアンタが悪いわけじゃないだろう。」
「それじゃ俺の気が済まないんだ。」
グロリアの手を両手で包むとジャックは真っ直ぐにグロリアを見つめる。
「グロリア、君はもう自由だ。出来れば、俺と一緒にこの国を出てほしい。」
「アンタはそれでいいのか? 国を、地位を、故郷を捨ててもいいのか?」
戸惑うグロリアの言葉にジャックはきっぱりと頷く。
「あぁ、構わない。グロリア、君がいる所が俺の故郷、やっとみつけた俺の帰る場所だ。」
「バカ。恥ずかしい事をさらっと言うな。」
赤面したグロリアの顔をジャックは覗き込む。
「ジャック王との思い出の地を離れるのは嫌か?」
「それはもう、遥か昔に終わった事だ。どっちかと言ったら、ここは辛い思い出の方が多い。」
「なら決まりだ! 馬も調達してある。さぁ、行こう。」
ジャックに手を引かれグロリアは門を出る。500年ぶりの外の世界が温かいと感じたのは、手を引くこの男のせいだろうか。らしくない考えにグロリアは苦笑する。すっかりジャックの言動に毒されているようだが、それも悪くない気がしていた。馬に跨ったジャックはグロリアを馬上に引き上げて楽しげに口を開く。
「さて、どこへ行こうか?」
「何だ、決めていなかったのか?」
「まぁ、いいか。風の向くまま気の向くままに。俺達を縛るものは何も無い! 自由で機知に飛んだ旅の始まりだ!」
「アンタやっぱりバカだろ。」
グロリアは呆れ顔で首を振る。やっぱりジャック王とはよく似ているが別人だ。あいつもロマンチストだったがこんなお調子者のバカじゃなかった。けどこのバカと共に行くのも悪くないとグロリアは思う。いずれ死が二人を別つとしても、今度のそれは悲しいものにはならない予感がしていた。


                END


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