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『私と引越しと人形』


 春は新しい始まりの季節だ。私の新しい生活も、もうすぐ始まろうとしている。
 引越しのために私の部屋にある物をダンボールに詰めるという憂鬱な作業をついに開始した私は、溜まりに溜まった雑誌や押入れから出てくる懐かしい品々の誘惑に耐えながら日々体力仕事に励んでいる。
 といっても、荷物自体はそれほど多いわけではない。捨てるものが多いのだ。なんとなく取っておいてしまった物や古すぎる思い出の品の数々を、それぞれ取捨選択していく。残す物は後で整理し、捨てる物はゴミ袋へ。どんどん発掘されては分類されていく品々に、しかし私はそれほど感傷的になるでもなく、機械的に分けていっていた。
 そんな中で、最も長く手を止めて見入ってしまった物は、古い本の類でも卒業アルバムでもなく。
 一体の、古い人形だった。

 それは、布製の女の子だった。両目は黒いボタン、口は赤い糸の縫い目で表現されている。赤いチェックのワンピースは本体と一緒になっていて、着せ替えはできない。そのワンピースも本体も、あちこちほつれて汚れている。黄色い毛糸の髪ももうぼろぼろになっていたが、人形は相変わらず笑っていた。
 確か、三歳くらいのときに買ってもらったのを覚えている。誕生日だったかクリスマスだったか、それとも他の機会に買ってもらったのかは覚えていない。しかし、幼稚園に通っていた歳だったにも関わらず、家の中ではずっと抱いて歩いていたのは今でもよく覚えている。確か、名前は『ゆうちゃん』だった。どこから沸いてきたのかは、もう覚えていない。自分の名前ではないし、友達の名前でもなければ親戚にもそれらしい名前を持つ人はいない。見ていたアニメのキャラクターでもなかった気がする。当時の私は一体どこから『ゆうちゃん』という名前を持ってきたのだろうか。考えたら少しおかしくなった。
 あの頃のように『ゆうちゃん』を抱きしめてみる。どこへ行くにも一緒だった『ゆうちゃん』、両腕で一生懸命抱きしめていた『ゆうちゃん』が、とても小さく思えた。
 公園に遊びに行くときも連れて行った。コンクリート製のベンチに座らせて、砂遊びやごっこ遊びをずっと見守らせていた。たまにひっくり返って地面に落ちていたりもした。たまたま通りかかった男の子にからかわれて泣いたのも、ずっと前のことだ。……あの頃の友達の中には、もう会わなくなった子も多い。元気にしているだろうか。
 人形の目が取れたときは、本気で泣いた。母親に泣きついたらすぐに直してくれた。あの時は母が神様か何かに見えた。
 外出のときも、この人形だけは必ず連れて行った。車の中でもずっと抱きしめていたし、レストランでは自分の隣に座らせていた。最初は膝の上に座らせていたが、両親に説得されて渋々妥協した。そういえば、何故か『ゆうちゃん』に何かを食べさせようとしたことは無かったような気がする。
 どこへ行くにも一緒だった。同じ場所で、同じものを見て過ごしてきた。それが変わったのは、いつからだっただろうか。

「あんた何してるの?」
 急にかけられた声に、私の心臓は口から飛び出さんばかりに跳ね上がった。一体いつからそこにいたのか、母が部屋を覗き込んでいた。子どもに返ったように人形を抱きしめる私を、怪訝な目で見ている。
 私が言葉に迷っているうちに、母は私の腕の中の人形を見つけたようだった。
「なにそれ?」
「……ゆうちゃん」
 言ってから、顔が真っ赤になったような気がした。三歳の時のように呼んだだけなのに、それがとても恥ずかしいことのように思える。
「ああ、あんたが大好きだったやつね。捨てるの?」
 聞かれて、私は一気に現実に引き戻されたような気分になった。人生の最序盤から、二十年近い時を超えて今に戻ってきてしまったかのような。
 母は体の向きを変えながら、
「もう捨てちゃっていいんじゃない? 古いし」
 それだけ言って、どこかへ行ってしまった。おそらく居間に戻るのだろう。少しくらい手伝ってくれてもいいのに。
(……どうしようかなー)
 捨ててしまったほうがいいのだ。もう『ゆうちゃん』を抱きしめて連れ歩くことはない。もう、おもちゃの類は場所をとる荷物なのだ。狭い新居には、持っていけない。
 けれど私には、『ゆうちゃん』をすぐにゴミ袋に入れることもできなかった。もう必要ないものだと頭では分かっていても、これだけは捨ててはいけないもののような気がした。これを捨てたら、思い出まで捨ててしまうことになるような、そんな気がしたのだ。
 そうして考えているうちに夜は更けてゆき、作業はそれ以上進まなかった。

 捨てるものと、残すもの。私は『ゆうちゃん』を抱えていた頃の思い出を、残しておきたいと思っていた。けれど、実際私は『ゆうちゃん』を見つけるまでずっと忘れていた。なら、この思い出はいらないものだったのだろうか?
 違う、と思いたかった。楽しかった思い出は、全部大切なものだった。忘れていたからその程度だ、などということはないはずだ。現に、『ゆうちゃん』を手に取ることで思い出せたのだから。
 私はそれを、大切にしたかった。

 引越しの当日。段ボール箱の中には『ゆうちゃん』が入っている。母には散々捨てろと言われたが、やはりゴミ袋に放りこむことはできなかった。
 狭い新居に『ゆうちゃん』と、思い出と二人暮らし。しばらくは寂しくなさそうだ。私はそう思いながら、一足先に実家を後にするトラックと『ゆうちゃん』を見送った。


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