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『Duty achieved』


――北の遺跡には世界を覆せる力を持った古代文明の宝が眠っているらしい――
いつからか囁かれるようになった噂は冒険者の間に急速に広まって行った。大陸北部の山脈中腹で数年前に発見された小規模な古代文明の遺跡。そこでは今の技術を超える未知の力を秘めた財宝があるという話だった。各国の冒険者ギルドには学者達からの調査依頼が出されている。高額な報奨金付きの依頼には王宮からの依頼書まであった。各国の軍事力は現在均衡状態にある。古代文明の未知の力を取り入れられれば、均衡を崩し世界の覇権を手にする事が出来るであろうと誰もが考えた。だが、依頼を受けて遺跡に向かった者達は帰ってこないか、生還してもよほど恐ろしい目に遭ったらしく精神に異常をきたしているかのどちらかだった。辛うじて生還した冒険者達は怯えきった様子で「魔物」「呪い」と切れ切れに言葉を発するだけで、遺跡の詳細は全く掴めないのである。そしていつからか「呪われて滅びた古代文明の宝がある」「魔物が守るその宝は強力な力を持っている」などといった噂がまことしやかに囁かれるようになった。
遺跡の入り口の前に2人の冒険者が立っている。2人は辺りの様子を伺いながら苔と蔦に覆われた遺跡を見上げる。
「すげぇな。これって急に現れたんだろ? 空から落ちてきたんじゃねぇかって言ってる奴もいるんだ。」
軽装の男は入り口付近を調べている男に視線を移し言葉を続ける。
「なぁ、ホーク。ギルド通さないで来て良かったのか? ただの盗掘者とかにされたら嫌だぞ。」
男の言葉にホークは顔を上げた。
「心配ないさ、ラルフ。この山脈一帯はどの国家にも属さない地だ。そんな地にある遺跡の所有権は誰にも無い。第一に俺達は遺跡の噂の真相を知りたい、ただそれだけだろ。ギルドを通せば王宮や軍の下らない思惑に振り回される。文明の力だとか宝を利用する事に興味は無い、そんな事は他の連中に任せておけばいいんだ。俺達は俺達の知的好奇心を満たすために行動するのみだ。」
ホークは入り口の壁に目を戻すと興奮した調子で呟く。
「この材質は何なのだろう? 見た目は木のようだが触れた感じは金属、だがこんなに苔むしているにも関わらず壁は全く腐食していない。これを造ったのは一体どんな人々で、何の目的で造ったのだろう? 考えていても始まらないな。ラルフ、行こう。」
遺跡の中は所々に明かり取りの小さな丸い窓があり、薄暗いもののランタンを灯さなくとも歩いて行けるほどの明るさだった。慎重に2人は足を進めていく。生還した冒険者はほとんどが大怪我を負っている。罠があるのか、本当に魔物が潜んでいるのか、ともかく大怪我を負わせるような何かがある事は確かだ。だが、歩けども歩けども何も無い。いくつかに仕切られた部屋があるだけで、部屋はからっぽだった。遺跡に向かって消息を絶った冒険者の姿も無い。凄惨な光景を予想していた2人は首を傾げる。本当に何も無いのかと半ば諦め始めた2人の耳に、獣の声が聞こえたのは遺跡に入ってから数時間が経過した頃だった。
「何かいるぞ、気をつけろ!」
「グァオッ!」
ホークが囁いた瞬間、獣の咆哮が響く。目の前に飛び降りてきたのは見た事のない獣だった。獅子の身体に巨大な翼を生やし、額には長い角、口元には2本の太い牙、尾の先には赤々と炎が燃えている。敵意を剥き出しにし、低い唸り声を上げるその姿は2人の知るどの生物とも似ておらず、魔物としか呼びようがなかった。
「何だ、こいつ!?」
恐怖と困惑の入り混じった声を上げたラルフに獣は翼をはためかせ飛びかかる。
「ラルフッ!」
ホークの投げたナイフが獣の腕に刺さる。だが獣は全く意に介さずラルフに襲い掛かる。獣の攻撃を辛うじて交わしたラルフだったが衣服の裾を破られ転倒する。獣の爪がラルフの目前まで迫った時だった。
「止めるんだ。どうやら彼らは違うみたいだよ。」
「グォン?」
振り上げていた腕を止め獣は声の主の方へ顔を向ける。獣の気を逸らそうとナイフを構えたホークと転倒し目を閉じていたラルフも顔を上げた。物陰から現れた声の主は手を挙げて獣を制する。獣は臨戦態勢を解き声の主の側に舞い降り頭を垂れた。その姿にラルフ達は唖然とする。年端の行かない華奢な少年が巨大な獣を制御しているのだ。事態が飲み込めずにいるラルフ達に少年はすまなそうな顔をする。
「すみません。怪我はない?」
困惑したままラルフは頷く。
「あ、あぁ。大丈夫だ。」
ほっとした息をもらす少年にホークが問い掛ける。
「君はこんな所で何をしているんだい?」
ホークに視線を移し少年は答える。
「僕はレン。ここで積荷を守っているんだ。」
「積荷? この遺跡は船か何かなのか?」
「そう、この船には僕の父が研究した錬金術の成果が積んであるんだよ。とても危険なものなんだ。全て廃棄しなければいけない。そのために城から逃げ出したんだ。でもエネルギーが尽きてここへ落ちた。ここはどこ? あなた方はどこの国の人?」
レンの話は2人をますます困惑させる。ホークはゆっくりと答えた。
「俺はホーク、こっちはラルフ。俺達は山脈の南にあるバルドザートに住んでる。それより錬金術って言ったね? 錬金術はもう何百年も前に廃れた学問でその名前以外何も残されていない謎の学問だ。なのにその成果が今ここにあると?」
「そうか、錬金術は何百年も前に廃れたんだね。父さん、計画は上手くいったみたいだよ。僕の役目ももうすぐ終わるね。」
感慨深げに一人呟くとレンはホークを見上げた。
「僕はあなた方のような人と出会えるのを待っていたんだ。」
ようやく立ち上がったラルフはぐしゃぐしゃと頭をかきながら少年を見下ろす。
「俺達には何が何だかさっぱりわかんねぇんだけど。レン、お前やこの生き物は何者で、ここには何があるんだ?」
レンはラルフを見上げ微笑んだ。
「うん、ちゃんと説明するよ。そして手助けしてほしいんだ。」
通路の奥を指差しレンは言葉を続ける。
「この奥に父が作り上げた数々の物がある。この獣もそうなんだ。合成魔獣って言ってね、力の無い僕に代わってここの物を奪おうとする人達を撃退してくれていたんだ。この獣も可哀想な奴でね、色んな生き物の命を混ぜこぜにして生まれてきたんだ。父は人間がやっちゃいけない神様の領域だって言ってた。こっちへ来て。」
奥へ向かって歩き出したレンの後を追いながら2人は困惑した顔を突き合わせた。レンの口からは理解を超えた単語ばかり出てくる。レンについていって大丈夫なのだろうかという不安もよぎった。だが無邪気なレンの口調には不思議と否とは言わせないものがある。レンは積荷を守っていると言った。この薄暗い遺跡に一人きりで、正体不明の獣と共に守っている物とは一体何なのか。何百年も前に廃れたはずの錬金術。危険なその成果を廃棄するため城から逃げてきたと言うレンの父。上手く行ったという彼の計画とは何なのか。2人の思考を破るようにレンの声が響く。
「ここだよ。」
扉を背にしてレンは2人を振り返る。
「僕の役目に巻き込んでしまって申し訳ないけど、僕だけじゃもう駄目なんだ。」
「頼むからもうちょっと順を追って説明してくれないか。」
混乱しきっているラルフの言葉にレンは困ったように首を傾げる。その様子にホークは考えをまとめながらゆっくり口を開いた。
「これは俺の仮説なんだけど、どうやら俺達とレンとは住んでいる世界が違い過ぎるみたいだ。世界と言うより時間、かな。レンは錬金術が最盛期を迎えた時代にいたんじゃないか? そしてその城から逃げる時に時間を越える技術でも使ったんじゃないかな?」
「うん。僕の父さんは優秀な錬金術師だった。鉄や亜鉛から金を作り出すだけだった錬金術を、もっと大きなものにしたんだ。金属以外のものから金を作り出したり、永遠に腐食しない金属を作ったり、毒でしかなかった物から薬を作り出したり、他にも色々。錬金術をもっと人々の役に立つものにしようとしてきたんだ。だけど、城の命令で錬金術を研究するようになってからは、武器になるものばかり作らされるようになった。母と僕を人質に取って城は父に強力な武器や毒をたくさん作らせたんだ。」
言葉を切りレンは唇を噛みしめ俯いた。誇りだった優秀な父親が、自分のせいで武器開発をしなければならなくなった事が悔しくて悲しくてたまらなかった。その表情にラルフ達は胸を締め付けられる。幼い少年にこんな表情をさせるその城の人間達に憤りを感じた。
「ある日父は僕達を城から奪い返してこの船を作ったんだ。何年ぶりかに父さんに会えた時は本当に嬉しかったな。そして開発した武器や悪用されると危険な物、錬金術の全てを積み込んで城を脱出したんだ。錬金術を後世に残さないためにね。」
「そうか。それじゃレンの父親はどうしたんだよ? ここにはいないのか?」
ラルフの言葉にレンは表情を曇らせる。
「城は父が逃げ出した時のために、父と母の身体に爆弾を埋め込んでいたんだ。父自身が作らされたものだよ。城を離れて何日か経った頃、僕の目の前でそれは2ついっぺんに爆発したんだ。時限装置が仕掛けてあったみたい。」
「すまん……。」
「ううん、城を出なくてもいずれそれは使われただろうと思う。」
レンはラルフ達を見上げ小さく微笑んだ。
「それでね、父さんはこの積荷の処分を僕に託したんだ。この部屋の奥に船の自爆装置がある。積荷ごとこの船も爆破するんだ。でも僕には届かないし触れられないんだ。だから信頼できる人が現われるのをずっとずっと待ってた。」
親を目の前で亡くしたった一人で父の遺志を果たそうとしているレンにラルフ達はすっかり心を打たれていた。自分達も孤児だったから、レンの孤独さを自分の事の様に感じる。数奇な運命を背負い、薄暗い船の中一人きりで信頼出来る人間を待つ事はどれほどレンの心に傷を残しただろう。ラルフもホークも力強い笑みを浮かべた。自爆装置を作動させ船を出たら、レンを自分達の養子にして立派な冒険者に育てあげようかなどと考え始めていた。
「任せとけって。」
「古代技術の爆破、俺達に相応しい任務じゃないか。」
2人の笑みにレンは安心したような笑みを浮かべる。
「ありがとう。」
ゆっくりとレンは扉に手を伸ばす。中の部屋に置かれた多数の木箱や樽には正体不明の金色に輝く液体や爆弾などが詰め込まれている。その中で、宙に浮いている水晶の様な物に2人は目を止めた。
「浮いてる……。」
「これは何なんだ?」
「これは反重力物質なんだって。どういう仕組みなのか僕にはよくわかんないけど、父さんは空を飛びたいっていう憧れからこれを創ったんだ。でも城の人達はこれで空を飛ぶ船を造って空から毒や爆弾をばら撒くって話をしてたみたい。そんなの嫌だよ。だからこれはあっちゃいけないんだ。」
レンの父親は創造力とロマンを持ち合わせた人物だったのだろうとラルフ達は思う。ロマンを持ち情熱を注いで作り上げた物が、人を殺めるために使われようとしているのを知った彼のショックは大きかっただろうと、そして錬金術を封じようと決めた彼の心は深い悲しみに満ちていただろうと思うと2人はいたたまれない気持ちになった。彼の計画は成功し錬金術は今の世にはない。だが、技術が発達するにつれて同じ過ちを犯す輩はきっと現れるだろうと感じた。現にこの遺跡にある力を軍事利用しようという動きがある。なんとしてもこの船を爆破し、彼の思いを無駄にしてはならないと2人は拳を握りしめた。部屋の突き当たりでレンは頭上を指差し2人を振り返った。
「あそこにあるスイッチを入れてレバーを引くと、船は自爆モードに入って制御出来なくなるんだ。レバーを引いてから爆発まで10分。あの通気ダクトを抜ければ確実に10分以内に船を脱出出来る。ダクトは1本道になってるから迷う心配はないよ。」
レバーはラルフが背伸びしてようやく届きそうな高さにあった。腕まくりしてラルフはレンを見下ろす。
「よーし、待ってろよ。」
ラルフがスイッチへ手を伸ばしている間にホークは天井の通気ダクトへの足場を確保した。ダクトを塞ぐ網を外し先にダクトへ上りラルフを待つ。ラルフがレバーを引くと船が振動を始めた。
「よし、急ぐぞ、レン!」
ラルフはレンへ手を差し出す。だが、レンは悲しげに笑う。
「手伝ってくれてありがとう。早く行って。僕は行けないから。」
「何でだよ!? もうお前がここに残る理由は無いだろ? 外へ出て、新しい人生始めるんだ!」
「ラルフ、レン、早く来い!」
ラルフとホークの叫びにレンは首を振った。
「僕は行けないんだよ。」
「あぁ、もう! じれってぇなぁ。早く来いってば!」
ラルフはレンの手を掴もうとした。だが、その手は虚しく空を切る。
「え?」
信じられないものを見るような目でラルフは自分の手とレンの手を見つめる。レンは確かにそこにいる。会話を交わしている。それにこの部屋の扉を開けたのはレンのはずだ。なのにこの現象は何だ。困惑するラルフをレンは悲しげな眼差しで見上げた。
「ホークさんの仮説に1つだけ間違いがあるんだ。父さんは時間を越える術までは持っていないよ。この船は何百年もの間空のずっとずっと上にいただけ。そして不老不死の薬も開発していない。だから、僕の身体は何百年も前に死んでいるんだ。父さん達より少し後の事だよ。言ったでしょ? 『届かないし"触れられない"』って。この部屋の扉は自動的に開くんだよ。」
レンは精一杯笑うとラルフとホークを見上げる。
「あなた方に会えて良かった。僕の役目に巻き込んじゃってごめんなさい。本当にありがとう。さぁ、早く行って下さい。」
「レン、お前、本当に……?」
「ラルフ! 早く来い! 死にたいのか!」
淋しげに微笑むレンにラルフは叫ぶ。
「俺達も、お前に会えて良かった。お前の事は忘れないぜ、レン!」
船の振動が激しくなる。ラルフはダクトに向かって走る。ラルフをダクトへ引き上げながらホークはレンに叫ぶ。
「また会おうな!」
「ありがとう! ホークさん、ラルフさん!」
狭い通気ダクトを這い出口へ向かいながらラルフ達は後ろを何度も振り返る。連れて来てやりたかった。力の犠牲になって生き、幼い生涯を終えながらも自分の役目を果たすために幽体になってまで船に残り続けたレン。地上に落ちてしまった船を自分達が訪れ、レンの役目を終わらせられた事が少しでも彼の救いになればいいと願った。
外の光が見える。ダクトから飛び降り2人は船から離れた。やがて山脈全体を振るわせるような轟音と共に船は炎に包まれた。夕闇の迫る中、燃え上がる船を2人はじっと見つめていた。

原因不明の爆発と共に消えた遺跡の噂は町中を騒がせているが、時間が経つにつれ忘れ去られていくだろう。世界は常に新しい驚きに満ちている。だが、自分達だけはあの船を忘れないとラルフ達は誓う。そして各国に何らかの思惑があるものの、概ね平和な今があるのはレン達親子のお陰なのだとラルフ達は知っている。馴染みの酒場で酒を酌み交わしながら2人は夜空を見上げた。満天の星の煌きは、レンの最後の微笑みによく似ていた。


                  END
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