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『Elegy 〜風のリグレット〜』



人は死ぬとその肉体は土に還り魂は風に還り次の転生を待つ。それがこの世界の理であった。

王都から南へ下った所に「嘆きの森」と呼ばれる森がある。この森の側を通った人は口々に「あの森は後悔と悲しみの風が吹き荒れている」と言った。
時は数年前に遡る。

昔、昼でも薄暗く静かな風の吹いていたこの森は「賢者の森」と呼ばれていた。魔道師達の修業や研究の場となっていたのである。だが、いつしか山賊まがいの夜盗集団がはびこり、人々は森に寄り付かなくなった。そして森の風を変質させる事件が起きた。満月の明るい夜の事だった。
一人の青年が王都から南へ街道を下り家路を急いでいた。この日はいつもより帰りが遅くなっていた。村では婚約者が彼の帰りを待っていた。森の側を通りがかり村の灯りが見えてきた時、彼は見覚えのあるスカーフが木に引っかかって揺れているのを見つけた。
……これはエレンのスカーフ?何故こんな所に?
不審に思いスカーフを手にして森へ入り彼はそこで信じられない光景を見た。半裸で倒れている婚約者の姿、身体中に血と殴られた痕、胸に刺さったナイフ、恐怖に引き攣ったままの顔、何も映さない瞳、何があったのかは明らかだった。青白い月明かりの下でそれらは一層凄惨に映った。
「エレン……? エレン!!」
彼は婚約者に駆け寄り胸のナイフを抜いた。その瞬間、森を風が吹き抜けた。彼はそこに彼女の声を聞いた気がした。 ・・・ラディス、助けて・・・ と。
想いを地に残した魂は転生出来ず、永遠に悲しみを纏う風となって彷徨い続けるという。
……エレンもそうなってしまったのか?
エレンは帰りの遅いラディスを心配して様子を見に出て来てしまったようだった。そして夜盗に襲われた。
……もっと早く帰ってきていたら!!
結婚式を間近に控えていた。仮縫いの白いドレスを纏ったエレンの幸せそうな微笑が脳裏に浮かぶ。身寄りの無い孤独なラディスに生きる希望をくれたエレン。ラディスは足元のナイフを拾い上げた。柄に赤い逆十字が描かれた純銀製のナイフだった。この印は最近この辺りで高額賞金首リストに上がる夜盗集団のトレードマークだ。
「絶対に殺す。」
ラディスはエレンの服をきちんと着せその身体を土に還した。ナイフを握り締めた手の平から血が滴り落ちるのも気にせず、復讐を誓いいつまでも立ち尽くしていた。

その後、森で夜盗集団が襲撃され惨殺されるという事件が度々起こった。その日は決まって月の眩しい夜だった。そして悲しい風が吹いていた。
最愛のエレンを失ったラディスは王都の警備隊の職を辞め、森の中の小屋に住み着き復讐の機会を窺っていた。この辺りを縄張りにしているならきっとまたここに現われるだろうと考えての事だった。夜盗達は王都から離れた薄暗いこの森で旅人や行商人を襲い、戦利品自慢をしては酒盛りをする事が多かったのである。
ラディスは夜盗と見れば見境なく襲い掛かり何人もの夜盗達を手にかけた。しかし、その中に赤い逆十字を持つ者はいなかった。
……もうこの辺りからはいなくなってしまったのか?いや、近隣の街ではまだ奴らによる被害が絶えないと聞く。まだこの辺りにいるはずだ。関係ない連中まで手にかけている。今更止めるわけにはいかない。
村にも王都にも戻る気にはなれなかった。彼はあの日から、修羅になった。

何度目かの満月が廻ってきた。酒盛りをする夜盗達の声が聞こえ、ラディスは剣を手に静かに小屋を出た。夜盗を手にかける事にもう何も感じなかった。夜盗達は話に夢中で接近するラディスに全く気付いていない。聞こえてくる品のない言葉と笑い声に憎しみを募らせ近付いていく。散乱する夜盗達の荷物に目をやった。赤い逆十字の描かれたナイフが覗いていた。
「やっとみつけたぞ。」

怒号と鬨の声が止み辺りに静寂が戻った。何人もの人間が倒れている中で、息をしているのはラディスだけだった。しかし彼も致命傷を負っていた。月明かりは凄惨な光景を照らし出している。朦朧とする意識を総動員し、ラディスはエレンの身体を還した場所まで這っていく。
……エレン、仇は討ったぞ。共に行こう。血に染まった俺ももう転生は望めない。ずっといっしょに、かぜのままに・・・。
ラディスの意識は闇に落ちた。温かな風がラディスを包む。
……ごめんなさい、ラディス。苦しませてしまった・・・
風だけが彼に寄り添っていた。ラディスの身体を土に還してくれる者はいない。

それ以来、森には悲しみと後悔を纏う風が常に吹き荒れていた。やがて人々はこの森を「嘆きの森」と呼ぶようになった。
いつまでも、森の悲しい風が吹き止む事は無い。


                      END


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