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『Flesh and blood』

 人魚の血肉を口にすれば不老不死になれるという。不老不死の実現は私の生涯をかけた研究だ。老いることも死ぬこともなくなれば、人間の本能的な恐怖が一つ取り除かれるのだ。王は永遠に君臨し、学者は永遠に研究に没頭できる。病や不慮の事故も恐れるものではなくなる。人魚を捕えて不老不死の薬を量産すれば、全人類が私に感謝するだろう。人魚など空想上の存在だと私の研究をバカにする輩も多くいたが、これを見れば奴らも私に頭を下げるに違いない。人魚の伝説、目撃情報、神話などに語られるその生態、あらゆる情報を元に調査し、ついに小さな島の洞窟で数体の人魚を見つけることができた。すぐに研究所へ持ち帰りたいが、どれも私の背丈と同じくらい、雄の個体は私より大きなものもいる。運ぶには船や水槽を手配しなくてはならないが、あいにく部下と連絡が取れない。逃げ出す様子はないから今は観察しておこう。薬を作る前に、できる限り生態を知る必要がある。まずは不老不死の力を秘めた血肉は上半身の人間部分なのか、下半身の魚部分なのかを見極めなくてはならない。人間部分であれば口にするのはさすがに抵抗があるが、屠殺し加工すれば人間形をしていたことはわからないだろう。全身であれば余さず利用できていいのだが。それに薬にするためには、加熱などしても効力を損なわないか調べる必要があるな。粉末にするか固形にするか、適切な加工法と保存方法も考えなくてはならない。毒性の有無も確かめなくては。これは研究所に戻って動物実験をすべきであろう。薬に使えないパーツが残ったらどうするか。食用としても利用できそうであれば、業者に売り払ってもいいな。不老不死を実現させた上に食糧難の問題解決にも貢献する、私の権威は確実に上がるに違いない。無論、その場合は人魚の肉であることを隠さなくてはならん。手柄を横取りされてはたまらないからな。研究所の地下であれば外部の人間には見つからないだろう。部下達にも厳重に口外禁止を言い渡しておかなくては。この人魚を研究所に運び込んだとして、この大きさと数だ、新たな水槽を設置せねば。それに薬を量産するには個体数を増やす必要もあるが、人魚はどうやって繁殖するのだろう。下半身は魚だからやはり産卵するのだろうか。しかし上半身は人間で、さっきから私を見てひそひそと話している様子から、言語による意思の疎通ができるようだ。しかめっ面をしているものや怯えた顔をしたものもいる。人間のような感情もあるとみていいだろう。装飾品を付けているものもいるから、ある程度の文明があるに違いない。だとすれば、哺乳類と同様の繁殖を行い、独自の社会を構築しているとも考えられる。もしかしたら、下半身の鱗の奥には人間のような生殖器が隠れていて、人間同様の性行為を行っている可能性もあり得なくはない。これは研究所に運んでからじっくり調べることにしよう。人魚が文明社会を築いているのであれば、もう少しこの周囲を調べれば、もっと多くの人魚が見つかるかもしれない。部下を連れてもっと綿密な調査をしてみよう。だがここが他国の領海であれば、調査や捕獲は厄介になるな。実を言うと、ここはどこなのかいまいちよく解らない。乗っていた小さな船は嵐で大破、私は板切れを掴んでこの島に流れ着いた。荷物は全て海の底。途方に暮れたが、気を取り直して島を探索し人魚を発見した次第だ。徒歩でも十数分で一周できる小さな島。人魚がいたのは入り江の洞窟の奥だ。嵐に遭った時にいた場所と潮の流れなどから一応の推測はできるのだが、果たしてその場所にこんな島があっただろうか。もしこの島が未知の島であれば、新たな島の発見者としてますます私の権威は高くなるだろう。まずはここから帰る方法を考えねば。洞窟を出ようと振り返ると、人魚の数が増えている。洞窟の入り口を塞ぎ、いつの間にか私を取り囲んでいる。
「うまく追い込めたね。」
「こいつ、どうする?」
「下衆なこと考えてるのが見え見えだよ。」
「逃がすわけにいかないね。」
入り口の方から体格のいい雄の人魚が、集まった人魚をかき分けて進んできた。私を睨んでいる。何だ、偉そうに。
「長、どうしましょう?」
「人間の間では我々の血肉を口にすれば、不老不死になれるという噂があるそうだ。」
「何ですかそれ。バカバカしい。」
「ならば、我々が人間の血肉を口にすれば、不老不死ではなくなるのか。調べてみるのもよいかもしれないな。」
「さすが長、いい案ですね!」 
「うまくいけば、永い生に苦しむ者を救えますね。」
「新鮮なうちに処理して、調査しましょう。」
人魚が私を包囲し近づいてくる。雄の人魚が私の首に手を伸ばす。おい、何をする……!


END


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