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「私は、人間と吸血鬼の懸け橋になりたいのです。」
そう告げた彼女の瞳に、惹きこまれた。

『吸血鬼の花嫁』

 吸血鬼と人間との戦いは長きに渡り続いている。こんな事態を誰が予想しただろう。始まりは人間による決起だった。獲物でしかなかった人間が、吸血鬼を「化け物」と呼び討伐を始めたのだ。これに誇り高き吸血鬼は激怒した。各地で吸血鬼狩りが行われ、吸血鬼はそれに対抗し、やがて一族全てを巻き込む大戦争となった。そして能力で圧倒的に優位な吸血鬼を、徒党を組んだ人間が数と知恵で上回ろうとしている。群れる事を好まない吸血鬼の性質も、人間に付け入る隙を与えていた。人間を襲いその血を糧とする吸血鬼だが、殺戮を好むわけではない。生きるための捕食行為に過ぎないのだ。それを恐れ責めるならば、人間が動物を喰らう事も責められてしかるべきであろう。おとなしく捕食されていればいいものを。有力な吸血鬼がまた一人討たれたと聞いて、一族の長であるルドラペウスは嘆息を漏らす。長く終わりの見えない戦いに吸血鬼達も疲弊し始めていた。早く決着を付けなくては、そう考えていた矢先、ルドラペウスの元に人間の代表を名乗る者が現れ面会を申し入れてきた。持ち込まれた話にルドラペウスは憤りの声を上げる。
「和睦だと? 先に戦いを仕掛けてきたのはそちらだろう。今更何を言うのだ。」
ヘズーシュと名乗った青年は憂い顔で首を振った。
「おっしゃる通りではありますが、戦いを始めたのは先代の者達。時は流れ、もはや戦いを始めた者は生き残ってはおりません。このまま戦いを続けても双方にとってなんのメリットもない、そう考えたのです。」
ヘズーシュの言う事はもっともであるが、簡単に和睦を受け入れるわけにはいかない。
「そうは言っても、我々はお前達に謂れのない侮辱を受けたのだぞ。」
「それに対してもお詫びを申し上げたいのです。身を守る為とはいえ、自分達と違う存在を侮辱し排除しようなどと愚の極み。簡単にお許しいただけるとは思っておりません。」
ヘズーシュは振り返って背後に佇む少女へこちらに来るよう促す。白いローブをまとった少女をルドラペウスの前に立たせ、ヘズーシュは深々と頭を下げる。
「戦い続けてきた人間と吸血鬼の間に、友好を結ぶにはどうすればよいか。それには姻戚関係を築くのがよいのではないかと考えました。この娘をそちらに嫁入りさせる事で、和睦の道を開きたいと思っております。」
ルドラペウスは少女へ視線を移す。少し痩せた体躯、緩やかに波打つ白金髪が肩の辺りまで伸びている。歳は10代の半ばといったところか。凍った湖を思わせる薄青い瞳が、真っ直ぐにルドラペウスを見つめている。吸血鬼の審美眼からしても、美しいといえる少女だった。
「人質を差し出す、というのか?」
「そう考えて頂いても差し支えありません。」
「お前はそれで良いのか?」
少女に問うと、彼女はわずかに表情を緩ませて答えた。
「私は、人間と吸血鬼の懸け橋になりたいのです。」
「お前の名は何という?」
「セレネアと申します。」
恐れも蔑みもせず真っ直ぐに自分を見つめ返した瞳の清廉さに、ルドラペウスは惹きこまれた。己を犠牲にして他を救おうという精神に敬意を表した。無益な戦いを終わらせたかった。ルドラペウスはセレネアを妻に迎え入れると決め、戦いの終わりと人間との和睦を進める事を宣言した。際限なく続く戦いに疲れ、辟易していた吸血鬼達はこれを歓迎した。婚姻の儀の準備が進められる間、セレネアはルドラペウスの屋敷に滞在する事になった。一族をまとめるルドラペウスに付き従い、吸血鬼の生活を学ぶ。彼女は人間と吸血鬼の共存を、真摯に考えているように見えた。そのひたむきな姿にルドラペウスは勿論のこと、他の吸血鬼達も好感を抱いた。吸血鬼達も人間を理解しようと考えるようになり、共存への道は着実に進んでいるかに見えた。共に行動し考えを語り合う日々の中、控えめで聡明で美しいセレネアを、ルドラペウスは愛しく思い始めていた。
十数日後、ルドラペウスの屋敷で婚姻の儀は盛大に行われる。歴史的な瞬間に、吸血鬼も人間も歓喜に沸いた。永遠の誓いを交わした二人を祝福し、宴は夜更けまで続く。ルドラペウスが先に床に就いても、宴はまだ続いていた。中庭から響く宴の喧騒を遠くに聞きながら、ルドラペウスはうつらうつらと浅い眠りに就いていた。どれほどの間そうしていたのか、ふいに胸騒ぎを感じ神経を研ぎ澄ます。宴の喧騒は消えていた。さすがにもう皆眠ったのかとも思ったが、かすかに漂う異臭に顔をしかめる。香草の臭いだ。吸血鬼が苦手とするもの。ハンカチで口元を覆い廊下へ出る。何の音もしない不自然なまでの静寂に不吉な予感を抱き、警戒しながら廊下を進む。宴会場となっていた中庭へ出て、ルドラペウスは驚愕した。地面に突き刺さる幾つもの銀の杭が月明かりを反射させている。黒いマントやコートが杭で地面に縫い止められているのが見えた。抵抗する間も無かったのか、中庭は整然としていて乱闘の後は見られない。嘆きの声を上げながら惨劇の跡を確かめていく。ふいに背後に殺気を感じ飛び退くと、銀の杭を手にしたセレネアが立っていた。大勢の人間が駆け寄りルドラペウスを取り囲む。
「あなたで最後よ。」
静かに告げたセレネアの瞳にルドラペウスは激昂した。人間と吸血鬼の架け橋になりたいと、澄んだ瞳で微笑んだセレネア。あれは偽りだったという事か。
「人間ごときが私を謀るとは……!」
月が瞬く間に陰り、夜空を黒雲が覆う。稲妻が空を走り雷鳴が轟いた。
「なぜ我々が人間ごときに劣勢でいてやったか教えてやろう。」
無数の稲妻が落ち、ルドラペウスを取り囲んだ人間達を一瞬で焼き尽くした。悲鳴を上げる間もなく絶命した人々を、セレネアは無表情で見下ろしている。
「餌を絶滅させてしまっては我々も困るからだ。」
「そうでしょうね。」
無表情のまま頷くセレネアにルドラペウスは笑う。自分を欺くに相応しい気概の持ち主だ。
「お前の目的は何だ?」
「私の目的はあなたを騙し、吸血鬼達を油断させて殲滅する事よ。」
「そうではない。お前は何が望みだと聞いている。」
「別に何も。」
「そうか。」
黒雲は吸血鬼の領地を越え世界中に広がった。ルドラペウスの起こした嵐と雷が地上を襲う。息を整えルドラペウスはセレネアを見据えた。
「お前は目的を果たし、私は同胞の復讐を果たした。地上で生き残っているのは我々二人だけだ。」
無言で見つめ返すセレネアに表情の変化は見られない。
「私を騙したお前に憤りを感じているが、同時に私を騙せる聡明なお前を失うのも惜しいと思っている。」
冷たく強い雨と風が二人を打ち付ける。
「お前に望みがないのであれば、このまま婚姻の契約を続行するが良いな?」
無言で頷くセレネアの手を取る。騙された憤りと、人間達の真意を見抜けなかった自分に対する怒り。そして目的を果たしても、ルドラペウスの本気の怒りを目の当たりにしても表情一つ変えないセレネアへ強い興味を抱いた。この複雑な愛がお前に解るだろうかと、ルドラペウスは独りごちながら雨に冷えたセレネアの手を引いた。


              END

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