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『冬の精霊と吹雪の将軍』

「困った事になったねぇ……。」
人間の世界は冬から春へ移り変わろうとしているところで、精霊の里でも冬から春の精霊へ引き継ぎを始める時期です。しかし、いつまで経っても人間の世界には酷い吹雪が吹き荒れ、凍死する者が出るほどの事態になっていました。このままでは人間もその他の生命も凍えて死に絶えてしまいます。太陽神様の力すらも届かず、太陽の女神様が冬の精霊の長へ調査を命じたのでした。そして長は調査に向かわせた戦士からの報告に頭を抱えます。雪女郎と名乗る妖が、冬の里の精霊戦士を捕えて操り猛吹雪を起こしているというのです。調査に向かった戦士は操られている仲間を止めようとしましたが、幻惑の術にかけられていて、全く聞く耳を持ちません。雪女郎を攻撃しようとしても操られている仲間に阻まれ、太刀打ちできずに撤退してきてしまったという事でした。戦士の報告を聞いて長は記憶を辿ります。雪女郎、またの名を雪女と呼ばれる妖は、人間の恨みや悲しみから生まれたものですが、本来悪いものではありません。人間が雪女郎との約束を破ったり、悲しい目に遭わせたりしなければ、悪さをする事はないのです。悪い霊が人間を滅ぼそうとして雪女郎に取り憑き、精霊戦士を騙しているのだろうと長は考えました。
「長様、どうしたらよいのでしょう。」
「雪女郎を討つしかなかろうな。悪しき霊に取り憑かれ利用されているのだろう。」
「雪女郎は人間の怨念から生まれた妖なのであれば、恨みを晴らし救う事はできませんか?」
「妖になる程の時が経っているのなら、もう救う事は不可能だ。悪しき霊に取り憑かれているのであれば、討ってやるのが救いに繋がるであろう。」
「しかし、仲間が敵の手に落ちています。雪女郎を討とうとすれば必ず妨害するでしょう。同士討ちなどしたくはありません。」
戦士の悲しい顔に長は考えます。雪女郎に取り憑き、その怨念を利用して精霊を騙すなどとうてい許せる事ではありません。しかし人間の怨念が妖と化した雪女郎の力は強く、そこに悪い霊の力が加わっているのであれば、容易に倒せる敵ではないでしょう。しかも敵は精霊戦士を操り味方に付けています。里の戦士達に戦えと言うのは酷な事です。
「私が行こう。」
「長様!? それは危険です!」
長の言葉に戦士は思わず叫びました。冬の長は元戦士ですが、戦いから身を引いてかなりの年月が経っています。現役の戦士達が撤退してしまった強力な敵を相手に、長が戦いを挑むのは無謀な事に見えました。
「心配するでない、私とて元戦士。現役を引いたがまだまだ腕は鈍っておらんよ。」
「ですが、敵は強力です。長様の身にもしもの事があったら……!」
立ち上がり尚も叫ぶ戦士の目を見つめ、長は力強く微笑みます。
「案ずるな。お前達に剣技や戦いの心得を教えたのは私。この事態の責任は私にある。さぁ、行くぞ。出陣の準備を。」
太陽の女神様から頂いた剣を手に、長は勇ましく立ち上がりました。

 戦士達と共に長は雪女郎と戦士が吹雪を起こしている場所へ向かいました。そこはいくつもの山が連なる山脈のふもとで、山頂には真っ白な雪を冠のように乗せた山々がそびえ立つところでした。山から吹き下ろす冷たい北風が雪女郎の起こす吹雪と合わさり、数歩先も見えないほどの激しい吹雪に見舞われていました。冬の精霊は寒さに強いものですが、それでも身を裂くような吹雪の冷たさに長は顔をしかめます。
「これは酷いな。急いで雪女郎のもとへ行くぞ。」
長を先頭に戦士達は吹雪の山を進みました。辺り一面雪で真っ白ですが、針葉樹がいくつもそびえ、視界を遮る吹雪と相まって、美しいとは言いがたい暗い景色になってしまっています。雪女郎はこの山の奥に居座り、辺りを冷たく白い闇で覆っているのです。吹き荒れる風の中、微かに雪女郎の笑い声が聞こえてきました。この世の全てを憎み、凍りついて死に絶えてしまえと笑う声。本来の雪女郎は、憎い者だけを祟って泣いているものです。悪い霊に取り憑かれ、自我を失っているのでしょう。取り憑かれた雪女郎も救ってやらなくてはと、長は灰色の空を見据えます。山を奥へ奥へと登り進むと、白い着物姿の女性が腰まである黒髪を吹雪に舞わせ、宙に浮いているのが見えました。狂ったように笑いながら吹雪を起こしていた雪女郎は、精霊達に気付き怒りに目を見開きます。
「我の邪魔をするでない! 戦士、何をしている! こやつらを始末せよ!」
甲高い声で叫び精霊の戦士を呼びつけます。駆け参じた戦士は雪女郎の足元に跪きました。
「お任せください。」
戦士は剣を抜きすぐさま斬りかかってきます。長達も剣を抜き構えました。しかし戦士は仲間を斬りたくないと防戦一方です。仕方がないと、長は同行の戦士達をいったん下がらせました。長に気付き、雪女郎に操られている戦士は一瞬たじろぎます。
「長様がなぜこんな所に?」
戦士を見据え長は剣を向けました。
「愚か者を討つためだ。」
「彼女の事ですか……?」
戦士は声を震わせ長を見つめます。
「長様といえども、彼女を討つなんてさせません。彼女は、憐れな境遇に置かれているのです。救って差し上げなくては。」
ため息を吐き長は戦士を睨みます。
「お前は我々の勤めを忘れたか。」
「人間など、守る価値はありません!」
「馬鹿が。惑わされおって。」
戦士が振り上げた剣を長は難なくかわします。
「勘違いするでない。我々の務めは冬の寒さに耐え春を待つ生命全てを守る事だ。」
戦士は首を振り尚も長に斬りかかります。
「彼女は、人間に裏切られ騙され、悲しみの果てにあのような姿になってしまったのです。人間がいなくなれば、彼女のような悲しい存在もなくなります。彼女の復讐を助ける事は、春を待つ生命の為でもあるのです!」
「この吹雪のせいでどれだけの生命が失われたかわかっているか? 本来の雪女郎は自分と無関係なものにまで刃を向けたりはしない。お前のしている事は、悪しき霊による凶行の手助けなのだぞ。」
「彼女は悪しき霊なんかではありません!」
長の言葉に戦士は憤りの声をあげました。戦士の視線を受け止め長は毅然と言い放ちます。
「無関係で無防備なものにまで刃を向けるのであればそれは復讐ではない。生命を守る務めを忘れ、凶行に手を貸すお前を私は許さない。」
睨み合う長と戦士に、苛立った雪女郎の声が響きます。
「ええい、何をしておる! 早く邪魔者を始末せよ! 我が復讐を果たすのだ!」
「……邪魔をするなら、斬る。」
低く呟き戦士は長に斬りかかりました。その目は先ほどよりも濁った色になっています。雪女郎の声が、戦士にかけられた術を強化しているのでしょう。受け止められた剣に尚も力を込める戦士に、長は表情を引き締めます。騙され操られているとはいえ、戦士は本物の雪女郎の悲しみに触れ、救いたいと思ってしまったのでしょう。そこを悪い霊につけこまれたのだろうと考えました。長は引かせた戦士達に雪女郎の気を引くよう命じます。
「長様、仲間を斬るのはどうかご容赦を……。」
「わかっておる。奴の正体を暴き、惑わされた馬鹿者の目を覚まさせる。」
「はい!」
安堵した戦士達は一斉に雪女郎に斬りかかりました。山の麓へ向けていた吹雪を戦士達に向け、雪女郎は唇を歪め笑います。
「邪魔はさせん!」
無数の氷が刃となって戦士達に襲いかかりました。剣で氷の刃を防ぎながら、戦士達は果敢に斬りかかっていきます。
「人間なぞ滅ぼしてくれる! 世界は我らのものだ!」
戦いながら戦士達は雪女郎の言葉に違和感を持ちました。雪女郎は単体で行動する妖です。自分を『我ら』と言うのは、やはり悪い霊が取り憑いているに違いないと、戦士達は気を引き締めます。悲しみに暮れる雪女郎を利用し仲間を騙した奴を、許すわけにはいきません。長が仲間を救ってくれると信じ、戦士達は氷の刃を跳ね除け四方八方から雪女郎に斬りかかっていきます。氷の刃で一度に多くを攻撃できても、戦士達の間断ない攻撃に雪女郎は苛立ち始めました。一番の邪魔者となる長の存在を忘れ、戦士達に向かいます。長は操られている戦士の攻撃を受け止めながら、少しずつ雪女郎へ近づいて行きます。吹雪と戦士の剣をかいくぐり、雪女郎の意識が自分から逸れるのを待ちました。雪女郎が長に背を向けた隙を逃さず、剣を空へ向けて掲げます。
「太陽神様! ご加護を!」
長が叫んだ瞬間、分厚く空を覆っていた雲がわずかに晴れ、太陽の光が射しました。ひとすじの強い光が、長の掲げた剣に吸い込まれていきます。長を攻撃しようとした戦士は、その光に撃たれたように動きを止めました。
「私は、何を……?」
呆然と呟く戦士に安堵の笑みを一瞬浮かべ、長は高く飛び上がって雪女郎の背に光る剣を突き立てました。
「馬鹿な、なぜ太陽が……!?」
太陽の熱と光に苦悶の声を上げた雪女郎の背から、真っ黒い霧のようなものが飛び出しました。雪女郎は力を無くしがくりと崩れ落ちます。
「うおあぁぁ! 熱いっ、熱いっ! おのれ!」
黒い霧が人のような形になり長の前で暴れます。それを無言で睨み据え、長は剣を霧に向けて振り下ろしました。耳障りな悲鳴を上げながら黒い霧は散り消えていき、それと同時に猛烈な吹雪も収まっていきます。剣はすうぅっと光を弱め、光の帯となって空へ戻って行きました。その瞬間、長は剣を地面に突き立て、剣へ身体を預けるように倒れ込みました。
「長様!」
戦士達が駆け寄り長を支えます。太陽神様の力を直に剣へ宿して振るうのには、多くの体力と精神力が必要なのです。
「大丈夫だ。皆、大儀であった。」
長の周りに集まった戦士達の前に、操られていた戦士が歩み寄ります。悪い霊の呪縛が解け、自分のしていた事を思い出した戦士は長の前に跪きました。
「長様、申し訳ありませんでした。」
長は厳しい顔で戦士を見据えます。
「見るがいい。お前の行動のせいで失われた多くの生命を。」
長が示した先、大きなつららの表面に、麓の村や周囲の様子が映し出されました。凍死した村人達、餌が無くなり餓死した家畜や山の生き物達、湿った重たい雪に埋もれ潰れた小屋や木々。吹雪の爪跡がいたる所に見られます。
「詫びて済む事でないのはわかっております。いかなる処分も謹んでお受けします。」
その時、地面に額を付け深々と頭を下げる戦士を庇うように、雪女郎がふわりと舞い降りました。悪い霊から解放された雪女郎は、悲し気な微笑を浮かべながら戦士の背を労るようにそっと撫で、長達を見回すと戦士の隣に座って深々と頭をさげました。そのまま光の粒となって、散るように雪女郎は消えてしまいました。光の粒はしばらく戦士達の周りを漂って、まるで花が舞い散るような光景を見せた後、静かに消えていきました。長は深い息を吐いて、頭を下げる戦士を見据えます。
「お前は守るべきものをいくつも傷付けた。これらは取り返しのつかない事である。お前に、冬の精霊を名乗る資格は無い。」
長の厳しい声に、戦士達は苦しそうな顔を見合わせます。
「しかし、お前の優しさが招いた事態でもある。お前は、あの妖を悲しみから救いたかったのだろう?」
「お役目を無視した身勝手な振る舞いでした。」
長はやれやれと小さくため息を吐きます。
「お前には、遊撃部隊を率いて、北の地で春を待ち眠る生命を守る役目に任ずる。」
「……寛大な処置、感謝致します。誠心誠意、務めさせて頂きます。」
ほっとした戦士達の声に、長は小さく微笑みました。太陽神様の恩恵が届きにくい冬。他者を想う優しさが、温もりを生み出せるようにと、長は願いました。

遊撃部隊を率いた戦士が、冬将軍と呼ばれ恐れられつつも、冬の風物詩となるのはもう少し先のお話です。




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