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『冬の将軍と春を待つ想い』

 ある年の冬の終わり頃のことです。雪女郎という妖が、冬の精霊戦士の青年を従えて猛吹雪を起こし、人間の世界が凍り付いてしまう危機に見舞われました。青年は冬の精霊でありながらなぜ妖に手を貸し、人間の世界を危険にさらしてしまったのでしょうか。冬の里の長は里の戦士達を率いて事態の解決に向かいました。そして、過ちを犯してしまった青年は冬の精霊の任務を解かれ、別の任務に就くことになったのです。

 それから数日後、冬の里にある太陽の神殿に太陽神様が長を呼び出しました。
「冬の長よ。お主、あの者を許したのか?」
厳しい顔つきで長を見据えているのは太陽神である女神様。人間の世界を守る役目の精霊が、人間の世界を危険にさらしたことにとても腹を立てていました。問いただされた長は神妙な顔で答えます。
「許したわけではございませぬ。冬の里での任から降ろし、もっと過酷な任務に就かせました。」
「それはとうに聞いておる。お主、ちと甘いのではないか。」
「そうかもしれませぬ。しかし、あれはあの者の優しさが引き起こしたこと、元来は実直で優しい青年です。それに己の過ちを深く悔いております。贖罪のためにも、今の任務が最適かと。」
女神様は眉をひそめます。
「優しさは弱さにも繋がる。また同じ過ちを繰り返すのではないか?」
「私はあの者を信じております。贖罪を懸命に果たそうとする姿を、見守ってやっては頂けませぬか。」
真剣な目で懇願する長に、女神様は「仕方がない」とため息をつきました。
「機会は一度だけじゃ。また同じことをしでかしたら、断罪では済まさぬぞ。」
「寛大なお言葉、感謝致しまする。」

 それから更に数日が経ったある日のこと。冬の精霊の里に伝令の精霊が駆け込んで来ました。
「長様! 大変です! 悪しき霊どもが大軍を率いて、人間の世界に侵攻しようとしています!」
「間違いないのか?」
「はい、祭壇の水鏡が探知しました。」
「解った。悪霊どもは今どこにいる?」
「地上最北の地に近づいています。自ら生み出した鬼火を使って、極寒の地に暮らす人間たちを惑わそうとしているようです。」
「ふむ。ならば、あやつに討伐を命じるか。」
長は冬の里を出て最北の地を守るよう命じた精霊戦士の青年に伝令を出しました。青年の想いを太陽神様に見てもらい、信頼を取り戻すいい機会です。長からの伝令を聞いた青年は表情を引き締めます。
「了解した。直ちに出陣する。」
地上最北の地に拠点を構えた青年は、すぐに部隊へ集合をかけました。青年が率いる部隊は里で生まれた精霊ではなく、地上で自然に生まれた精霊です。精霊としての力や悪い霊と戦うための力は里で生まれた精霊よりもずっと弱く、数も多くありません。剣や鎧は里から譲り受けましたが、大軍を率いる悪い霊と戦うには圧倒的に不利な状況です。それでも青年は、心配そうな伝令の精霊に力強く微笑みました。
「そんな顔をしなくても大丈夫だ。お任せくださいと長様に伝えてくれ。」
「はい、ご武運をお祈りいたします。」
伝令の精霊を見送り、青年は集合した精霊達を見回します。地上で生まれたとはいえ、人間達の信仰心や自然への感謝から生まれた精霊です。人間の世界を守りたいという気持ちは、里で生まれた精霊と何ら変わりはありません。
「地上を焼き尽くそうとする悪しき霊共から人間の世界を守る。出陣だ!」
「はいっ!」
勇ましい精霊達の返事に頷き、青年は悪い霊の侵攻状況を確かめます。手のひらに乗せた氷の塊に、悪い霊の大軍がたくさんの鬼火を手にして進んでいるのが映りました。地上で一番北にあるこの辺りの地は春の訪れが一番遅く、人間達は厳しい冬に長い間耐えなくてはいけません。悪い霊はそこにつけこもうとしているのです。悪い霊達が手にした炎は一見、暖かそうに揺らめいています。その温もりに、雪の下で眠っていた生き物たちは春が来たのかと勘違いし目覚めようとしていました。そうした生き物達を見たら、人間達も春が来たと思い込み、雪や寒さに備え閉ざしていた門を開けてしまうかもしれません。悪い霊達は偽物の温もりで騙して門を開けさせ、怨念の炎で地上を焼き尽くそうとしているのです。
「あんな炎で人間達を惑わせられると思うなよ。」
青年は部隊を率いて悪い霊達の最前線へ向かいました。
「そこまでだ、悪霊共。まとめて冥界に送ってやる!」
「邪魔をするなぁ!」
大軍を率いていた悪い霊が耳障りな声で叫びます。悪い霊の軍は青年の部隊の十倍ほどの数で、その圧倒的な兵力差に精霊達は思わずひるんでしまいました。
「ど、どうしましょう、隊長!」
副隊長に任命した精霊が震えながら青年を見上げます。地上の精霊達が武器を手に戦うのは初めてのこと、無理もありません。それでも果敢に剣を構えた精霊達のことも守らなくてはと、青年は炎を操る悪い霊達を見てある作戦を思いつきました。
「臆するな。戦いながら北へ退け。私に考えがある。」
「了解しました!」
副隊長は青年の言葉を部隊の精霊達に伝えます。それに応え、精霊達は悪い霊達と剣を交えながら少しずつ北へと戦線を退いていきます。
「どうした? 我らを冥界送りにするのではなかったのかぁ?」
戦いながらも退いていく精霊達に、悪い霊達はバカにしたように笑いました。あからさまな隙を見せて挑発しながら、悪い霊達は進軍していきます。北へ北へと後退しながら、青年は部隊の精霊達を鼓舞して戦います。
「奴らの挑発に乗るな。最北の山まで誘い込め。」
「はい!」
人間達の村が点在する地域を通り過ぎ、更に北へと戦線を退いた頃から、悪い霊達の動きが目に見えて鈍ってきました。思った通りだと青年はひそかに勝利を確信します。かつて雪女郎に憑りついたのは、悪い霊自身は吹雪を扱えないからではないかと、燃え盛る炎を難なく扱う悪い霊達は、熱には強くても寒さには弱いのではないかと考えたのです。青年が率いる精霊達を弱いと見下した悪い霊達は、自分達が不利な状況へ追い込まれていることに気付きません。最北の地にそびえる山に近づいた時、青年は部隊に号令をかけました。
「反撃開始!」
「おぉー!」
青年の号令に応え、精霊達は隊列を整え悪い霊達に立ち向かいます。寒さの厳しい地で生まれた精霊達にとって、身を切るような冷たい風が吹く雪山は力の源です。対して悪い霊達は、今まで経験したことの無い凄まじい寒さに震え、思うように動けません。
「自然の力を舐めるなよ!」
青年は悪い霊達に向かって猛烈な吹雪を起こして叩きつけます。無数の氷が刃となって襲い掛かり、精霊達の攻撃と相まって悪い霊達の動きを封じこめます。かつて、哀れな雪女郎のためにと間違って振るってしまった力です。自分の過ちを償うために、人間達を守るために、ありったけの想いを乗せて吹雪を起こします。
「生命を惑わす炎を近づけさせはせん。」
「う、動けん……! 貴様、謀ったな!」
ようやく青年の思惑に気付いた悪い霊が叫びますが、寒さに震えるその声に最初の覇気は一切ありませんでした。悪い霊が弱っていることに気付いた精霊達は、対峙した時の怯えは消え失せ、吹雪をまといながら悪い霊に剣を振るいます。青年の指揮の下、邪悪な光と熱を放つ鬼火を瞬く間に消し去り、次々と悪い霊を斬り伏せ捕らえていきました。氷の檻に全ての悪い霊を捕らえると、青年は剣を納め部隊の精霊達を見回しました。
「初めての戦い、皆よくやってくれた。皆がいなければ勝てなかった。感謝する。」
「隊長の指揮があってのことです。それに、人間の村からも、わたし達を応援する声が聞こえたような気がします。」
「うむ、ありがたいことだな。ますます彼らのために励まなくては。」
青年がほっとして目を細めた時、伝令役の精霊が駆けつけて来ました。里の精霊達も、青年達の戦いを見守っていたのです。
「皆さん、お疲れ様でした。」
「こちらから報告に出向くべきところを、わざわざすまない。」
「いえ、皆さんお疲れでしょう。長様も里の皆も見守っていました。奴らは我々が責任を持って冥界に送ります。ゆっくりお休みください。」
青年達が戦っていた時、精霊の里では長の屋敷で皆が戦いを見守っていました。悪い霊の弱点を見抜き、効果的な作戦と的確な指揮で悪い霊を捕らえた青年に、精霊達は賞賛と安堵の声を上げました。伝令役の精霊に、彼らへの労いと捕らえた悪い霊達を引き受けるよう命ずると、長は太陽神様の神殿へ向かいます。門番に太陽神様への面会を願い出ると、門番はすぐに長を太陽神様のお部屋へ案内しました。長が一礼すると太陽神様はまっすぐに長を見据えます。
「あの者の戦いぶり、わらわもここから見ておった。お主の判断、間違っておらぬようだな。」
「ありがたきお言葉、感謝致します。」
「地上に直接出向かせたあの者は、お主らとはまた違った働きができるであろう。今後も一丸となって使命を務めるように。」
「重々、承知いたしております。」

 同じ頃。猛烈に吹雪く山を人間達は畏敬の念を込めて見つめていました。あの吹雪はきっと山の神様が悪いものと戦っていらっしゃるせいに違いないと、そして山の神様は気性が荒く、お力の加減が難しいのではないかと考えました。この地の厳しい寒さにも、きっと神々のお考えやお力添えがあってのことに違いないと。そうして誰からともなく、猛烈な吹雪を悪いものと戦う山の神様の一柱であるとして「冬将軍様」と呼ぶようになりました。
「あぁ、今年も冬将軍様が荒ぶっておいでだ。」
「どうぞ我々を悪しきものからお守り下さい。」

春を待つ人々の想いに、冬の精霊達は今も一丸となって応えています。






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