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 断頭台を前に王は悲し気に笑った。
「これでやっと終わらせられる。」

『王の決意』

「お前は逃げなさい。」
「嫌です、父様。私も一緒に!」
硬い表情で首を振るウィスタ王に、リジェーナ王女はすがりつく。
「どうして父様だけがおじい様やひいおじい様の罪を背負わされなくてはいけないのですか!」
憤るリジェーナを乳母のマーヤが宥めた。
「姫様、お父上の想いをどうかお汲み下さいまし。もう時間がございません。革命軍はすぐそこまで迫っております。お支度を。」
涙ぐむマーヤにリジェーナはうなだれ、鋏と着換えを手にしたマーヤに無言で身をゆだねた。リジェーナの艶やかな美しい金色の髪が、震えそうになるのを必死に抑えるマーヤの手で無残に切り落とされていく。瞬く間に街の少年のような面立ちになったリジェーナは、マーヤが用意した質素な白い衣服に着換え、泣くまいと固く唇を結んだまま城外の森へ繋がる隠し通路へと姿を消した。
「すまないな。」
目を伏せ詫びるウィスタにマーヤはことさら豪快に笑ってみせる。
「こういう事は私の役目でございますゆえ。」
「お前は、本当に私と来るのか? お前にも罪は無いのだぞ?」
「いやですよ。老い先短い私に新しい世など相応しくありません。」
気丈に笑うマーヤにウィスタは深々と頭を下げた。彼女はウィスタが幼い頃から彼の教育係も務め、母親代わりとして信頼を寄せた人物である。リジェーナの乳母も務めた彼女はこの城で唯一、心を許せる他人であった。
「私を正しく導いてくれた事に、感謝している。」
「あなた様がそういう方だからですよ。」
優しく微笑むマーヤにウィスタは穏やかな笑みを浮かべた。
「お前を追放しなかった事だけが父の正しい判断だな。」
「追放されたって私はしれっと戻って参りますとも。」
「心強いよ。」
城へ突入した革命軍の叫びと荒々しい足音が近付いてくる。ウィスタは表情を引き締めた。
「来たか。」
腰に帯びた剣に手をかけ、扉を見据える。扉を蹴破り、鎧を着こんだ男が飛び込んできた。
「王よ、これまでだ! 投降するならこの場で命は取らん。」
「どの道、お前達の望みは私の死なのだろう? 投降などと王家の恥。返り討ちにしてくれる。」
剣を抜きなだれ込んできた軍勢に対峙する。無論、本気で戦うつもりなどない。自分は、最後まで民衆に憎まれる暴君でなくてはならないのだ。

 即位式を迎えた日まで、ウィスタは王国の現状を何も知らなかった。マーヤの下で帝王学や歴史を学んできたが、父の施政については聞かされていなかった。「あなた様は良き王となって下さい」とだけ言われていた。父亡き後、即位式で民衆の前に姿を見せた時の彼らの反応は生涯忘れられない。怒り憎しみ恨みつらみ、そして恐怖。溜まりに溜まったそれらをしかし発する事無く、民衆は無言でウィスタを見上げていた。後にマーヤから「王家に逆らったり批判した者は全て殺された」と聞き、目の前が真っ暗になったものだった。父は一体王として何をしていたのだと。それから王国の収支の記録、裁判の記録、ありとあらゆる記録を読みウィスタは気が遠くなりそうだった。支出は街の整備や民衆の生活に必要なものは一切なく、王宮の私的な支出ばかり。そのために民衆へ重税が課されている。税が納められない者からは住居まで奪い、刑罰と称して炭鉱の発掘など危険な重労働に従事させていた。貧窮した民衆が暴動を起こせば王国正規軍が総出で鎮圧し、暴動に関わった者を全て処刑していた。自分のこれまでの暮らしは民衆の苦しみの上にあったのだと知り、父への憤りが沸いてくる。マーヤはなぜ教えてくれなかったのか。だが幼少時からこれを見ていては、こんな事を普通だと思って育っただろう。おそらくマーヤの判断は正しかったのだ。父達が荒らしてきた王国を変えるのだと決意した。
それからウィスタは寝る間も惜しんで奔走する。税を軽減し、街を見回って街道や橋の整備を指示した。学問を支援し積極的に出資した。民衆の思想や行動を縛る法を全て廃した。自分の衣服や食事、調度品は最低限のものにした。だが、何年経ってもウィスタが指示した整備は進まず、街は彼が即位した頃と何ら変わる事は無かった。どれほど行動しても民衆の憎悪と畏怖の視線は変わらない。その原因は王宮内にあったのだとようやく気づいた時には、更に数年の時が経っていた。長らく王家に仕えてきた大臣達は、暴君の下で甘い汁を啜っていた者達である。まだ若いウィスタの思いが彼らに届く事は無かった。彼らはウィスタが指示した整備を行わず、勝手に税を課しては私腹を肥やした。廃止された法を民衆に知らせず、王家の名の下に横暴な行動を繰り返し、ウィスタの思いが民衆へ届くのを妨害していたのだ。長く王家に仕えてきた彼らを、ウィスタひとりの権限で免職にする事は不可能だった。妻となった王妃さえも、ウィスタの思いを理解しなかった。贅沢ができると政略結婚を承諾した彼女だったが、ウィスタの倹約ぶりに「話が違う」と憤り、リジェーナが生まれると同時に後宮へ籠るようになった。何をしているのかと調べると、街から見目麗しい少年をさらって侍らせ、自分の相手をさせていると分かった。誰もが自分の欲望のままに生きている。王宮内で唯一の味方は、政治的な力を持たない乳母のマーヤだけ。こんな事が続けば王国は駄目になってしまう。そう嘆いた時、ふと閃いた。それはこの状況に相応しい考えだと、ウィスタはこらえ切れずに笑いだした。
「民衆の為に王国が存在し続ける必要などひとつも無いではないか。」
その日から、ウィスタは変わった。否、変わったように見せかけた。先代までの王と同じように悪法を敷き重税を課した。民衆を挑発し暴動を起こさせた。そして王国正規軍の下級兵士を理由なく解雇し、彼らを利用して正規軍の立派な武具を密かに街へ流した。街にはそれまで以上に王家への憎悪が満ちていた。ウィスタの本意を、マーヤと成長したリジェーナだけが知っていた。ウィスタは民衆の手で王国を終わらせる気なのだと。
そしてマーヤは密かに涙する。まもなく本懐を遂げる事ができるのだと。それは長い長い年月をかけた彼女の決意だった。ウィスタも知らないマーヤの出生と真意。彼女は、先々代の王の側室が生んだ子だった。ウィスタの父の異母姉にあたる。マーヤが生まれた後、母親は流行病にかかり他界し、彼女は王宮でひとり生きて行かねばならなくなった。父親である当時の王はマーヤに「城に置いてやるだけありがたいと思え」と言い放ち、王の娘であるにも関わらず母親が側室だからと女官として扱われた。また彼女の母親の事も流行病にかかったという事実を嫌悪し、埋葬すらさせずに城から近い川へ彼女の亡骸を遺棄したという。自身の出自と父親の仕打ちを知り、マーヤは復讐を決意した。それから数十年が経ち、ウィスタが生まれる。乳母としての知識や素養を身につけたマーヤはウィスタの乳母として仕え教育係に就く事に成功した。ウィスタを悪政から引き離し、何も見せず聞かせず「あなた様は良き王になって下さい」とだけ繰り返す。そうして憎まれているとは夢にも思わないウィスタを、民衆の前に引き出す。その後は彼女の思惑通りだった。何も知らずに自分を慕うウィスタに胸が痛んだ事を除けば。

 そして革命は成った。ウィスタを始め王妃も大臣達も捕えられ即座に処刑が決まる。断頭台を前にウィスタは悲し気に笑った。
「これでやっと終わらせられる。」
ウィスタの小さな呟きと笑いに革命軍リーダーの男はウィスタを睨む。
「何がおかしい。さっさと行け!」
「この無礼者め!」
ウィスタの言葉に民衆は怒りを募らせ、断頭台の刃が彼の首に落ちた時、民衆は歓喜の声を上げ涙した。王宮の人間とはいえ身分の低かったマーヤだけが解放されたが、翌日彼女は密かにウィスタの後を追った。その後も憤る民衆は「王族は皆殺しにせよ」と行方不明のリジェーナ王女を探し続ける。街は革命の成就に沸いた。
王国を想い悪を貫いたウィスタ王の決意を、知る者は無かった。


               END

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