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『この日何の日気になる日』


「ただいまぁ……ん? 何だこれ?」
仕事から帰った雅人は、壁にかかったカレンダーに新たな丸印が付けられているのに気付いた。ハートマークも添えられている事から、同棲中の恋人・聡美との何らかの記念日なのだろうとわかる。
「またか……。この日は何の日だっけ?」
溜息をつき雅人は思考を巡らせる。女性は記念日を大事にするものだというが、聡美のそれは度を越えているように思う。先日も、「同棲すると決めた記念日」を忘れていてひどく怒られたばかりだった。雅人としても大事な日を軽んじるつもりは無いが、「同棲を始めた日」を祝えばそれで充分だと思っていた。だが聡美によれば、雅人がそういう決意を固めた日というのも記念すべき大事な日なのだと言う。やれやれとカレンダーを見据え雅人は記憶を辿る。同棲を始めたのは来月の今頃だ。カレンダーをめくると、既にその日にも丸印とハートマークが書かれていた。聡美の誕生日は冬だから違う。雅人が聡美に告白したのも、初めてデートしたのも冬だった。
「他に何があったっけ……。」
直接聞いたりしたらまた怒らせてしまうだろう。だけどそんなにいくつも覚え切れないぞ、とぶつぶつ言いながらも懸命に記憶を辿る雅人に、聡美がキッチンから声をかけた。
「お帰りなさい。ごめんね、今手が放せなくて。」
はっと我に帰り、構わないよと応えてキッチンへ行くと、エプロン姿の聡美が料理を作っている。その幸せそうな横顔に雅人の表情も緩んだ。この笑顔を、怒らせたり泣かせたりして曇らせたくはない。さりげなく聞き出すしかないかと、そしてつくづく自分はこの笑顔に弱いなと感じたのだった。食事をしながらどうやって聞き出そうかと考え雅人は口を開く。
「旨いなこれ。」
「本当? 良かったぁ。初めて作るから不安だったんだ。」
心底嬉しそうに笑う聡美に雅人は頷く。
「うん、旨いよ。聡美は料理上手だよな。」
「おだてても何も出ないよぉ。」
「初めて聡美の手料理食べたのっていつだったっけ?」
「付き合い始めて最初のクリスマスだよ。ケーキとサラダとローストチキン作ってあげたよね。」
即答できる辺りさすがだと思う。そうだったなと頷きながらも、これは違ったかと内心落胆した。それを悟られないように雅人は早口に言葉を続ける。
「あれも旨かったな。作るの大変だったんじゃないか?」
「そうだね、でも雅人君の喜ぶ顔見たかったから。」
照れくさそうに笑う聡美に雅人の鼓動が高鳴る。そんな聡美を喜ばせたくて雅人も仕事に励み頑張ってきたから、聡美の気持ちはよくわかるし嬉しかった。結局、そのまま今年のクリスマスの予定にまで話が及んでしまい、聞き出す事が出来ないまま一日を終えてしまった。昔の事、これからの事、自分と過ごす日々の事を幸せそうに語る聡美に愛しさが増す。そして、愛しい恋人が大事にしている日が何なのか、全く見当がつかない自分に歯痒さを覚えていた。

 その後も上手く聞き出せないまま、ついに当日になってしまった。仕方ない、素直に謝ろうと決め、職場近くのケーキ屋で聡美の好きなケーキを買って家に向かう。
「ただいま。」
何と言って謝ろうかと頭を悩ませながらドアを開けた雅人は、思いがけない事態に見舞われた。
「お帰りなさい。はい、これ。」
雅人の目の前に小さな花束が差し出される。
「誕生日おめでとう、雅人君。」
「えっ?」
困惑顔の雅人に聡美は呆れたように笑う。
「やだなぁ、雅人君。自分の誕生日忘れちゃったの?」
今日は自分の誕生日だったのだとようやく気付いた雅人は苦笑混じりに首を振った。
「最近仕事が忙しかったからすっかり忘れてたよ。」
「じゃあそのケーキは?」
きょとんとする聡美に雅人は笑う。
「あぁ、今日は店が開いてる時間に帰れたから寄ってきた。」
本当の事は言わないでおこうと、嬉しそうにケーキの箱を受けとった聡美を見つめ思う。
「今日は誕生日祝いにご馳走作ったからね。」
「ありがとう。楽しみだよ。」
いそいそとキッチンへ向かう聡美にそう告げると、雅人は渡された花束を眺めた。
「花貰って喜ぶ男は少ないぞ。」
でも自分はその少数派だなと雅人は微笑んだ。


これからもたくさんの記念日が増えていくのだろう。それも悪くない。
2人の間に記念すべき事がそれだけたくさんあるのは、幸せの証なのだから。


                     END


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