宝物庫へ翠玉館玄関へ

『ボク達の絆』


 リビングの隅に作られた寝床でまどろんでいたボクは、ママさんの慌てた声で目を覚ました。ボク達の飼い主、舞ちゃんが高い熱を出しているらしい。ニュースで騒がれている「新型インフルエンザ」かもしれないって。新型インフルエンザって、何人もの子ども達が入院したり、最悪の場合命を落としてるって聞いた。舞ちゃんがそんなのにかかったなんて一大事だ! ボクは隣の寝床で眠ってる猫のミィを叩き起こす。
「何よぉ……。」
眠そうな顔で文句を言うミィにボクは舞ちゃんの事を告げる。
「大変じゃない! 何で早く言わないのよ!」
すぐに目を覚ましたミィはボクの鼻をぴしゃりと叩く。痛かったけどそんな事で文句言ってケンカしてる場合じゃない。舞ちゃんは3年前、近くの公園に捨てられてた子犬のボクと、生まれたばかりだったミィをこの家に連れて来てくれたんだ。とても冷たい雨が続いていて、ボクもミィも寒くて震えてた。舞ちゃんが見つけてくれなかったら、ボク達は凍えて死んじゃってたかもしれなかった。舞ちゃんはボク達の命の恩人なんだ。その舞ちゃんの命が危ない。今度はボク達が舞ちゃんを助けてあげるんだ。とはいえどうしたらいいんだろう。とりあえず舞ちゃんの所へ行こうと舞ちゃんの部屋へ向かったら、ママさんが慌てて走ってきた。
「ロイ、ミィ、今日は舞の具合悪いから近づいちゃダメよ。」
そんなぁ。舞ちゃんの傍にいないと何もしてあげられないよ。不満げに鳴くボク達をよそに、ママさんはどこかへ電話をしてる。「学校はお休みさせます」って言ってたから、舞ちゃんの通う小学校への電話だ。電話を切るとママさんは急いで舞ちゃんの部屋に入っていく。しばらくして、ママさんに支えられて舞ちゃんが部屋から出てきた。苦しそうな顔の舞ちゃんに、ボク達は胸が痛くなる。
「今からお医者さんに言ってくるから、お留守番してるのよ。」
そう言うとママさんは舞ちゃんを抱きかかえて車に乗せる。お医者さんは舞ちゃんを治してくれるかな。ボク達に何か出来ないかな。玄関で舞ちゃんを見送ると、ボク達は舞ちゃんの無事を必死に祈る。
……神様、舞ちゃんを助けて下さい……。
ボク達は目を閉じて寄り添い一心に祈った。

 どれくらいの間そうしていたんだろう? 辺りは真っ白で何にも無くて、ボク達の少し先に、背の高い黒い服を着た人の後ろ姿が見えた。その人の前には舞ちゃんが横たわっているのが見える。ボク達は慌てて駆け寄った。
「あなたは誰ですか?」
「あたし達の舞ちゃんに何してるの!?」
黒い服の人はびっくりして振り返ると、足元のボク達に目をやった。
「あ、あぁ、私は神だ。この娘の容態を見に来た。」
ボク達の祈りが通じたんだ! ボクはその人の足にすがった。
「神様、舞ちゃんを助けて下さい!」
ボクの言葉に神様は重々しく口を開いた。
「うむ、そうしてやりたいのはやまやまだが、どうやらもう手遅れだ。」
「そんな!」
舞ちゃんが死んでしまう。そんなのは嫌だ! ボクは必死に叫んだ。
「神様、ボク何でもします! 舞ちゃんを助けて下さい!」
すると神様はボクを見下ろしたままゆっくりと口を開く。
「うむ、ならばお前の命をこの娘に捧げるのだ。そうすればこの娘は助かる。」
「ボクの命を?」
「そうだ。お前の命と引き換えにこの娘を助けるのだ。お前は死ぬ事になるが、この娘は生きられる。どうだ、出来るか?」
ボクの命を舞ちゃんにあげれば、舞ちゃんは死なずにすむ。ボクは迷わず頷いた。
「わかりました。ボクの命を舞ちゃんにあげて下さい。」
「ちょっと、ロイ! 本気なの!?」
ボクの言葉に今まで黙っていたミィが叫んだ。ボクはミィを振り返る。
「もちろん本気だよ。ボクの命を舞ちゃんにあげれば舞ちゃんは死なずにすむ。ボクがいなくなったらミィが舞ちゃんを支えてあげてね。」
「アンタ何言ってるのよ! そんな事しても舞ちゃんは悲しむだけだわ!」
「仕方ないよ。舞ちゃんを助けるにはこれしかないんだ。舞ちゃんが救ってくれた命、舞ちゃんのために使うんだ。」
ボクの言葉に小さく首を振るとミィが神様を見上げる。
「ねぇ、本当にその方法しか無いの?」
「無い。」
きっぱり言い放った神様にミィは疑わしげな目を向ける。ミィから目をそらし神様はボクを見下ろした。
「さぁ、覚悟はよいな。」
ボクは頷いて目を閉じた。ボクは舞ちゃんに会えなくなるけど、舞ちゃんが元気でいてくれるのがボクの何よりの幸せなんだ。神様が手を振り上げるのが気配でわかった。ボクはぎゅっときつく目を閉じる。あんまり痛くありませんように。そう願った瞬間、ボクの身体は柔らかい何かに突き飛ばされた。ぶぅん、と何かが空を切る音と、ミィの叫び声が聞こえた。
「ロイ、こいつが神様なんて嘘っぱちよ!」
何だって!? ミィの言葉に顔を上げると、ボクを突き飛ばしたミィは神様を見上げ睨みつけていた。
「本当の神様だったら、他の命を犠牲にして人を助けるなんて事しないはずだわ。それにこんな黒づくめで鎌を持った神様なんているわけない!」
ミィも黒づくめじゃないかってツッコミがちらっと浮かんだけど、それどころじゃない。ボクは神様を見上げる。ぎらりと光る鎌を持って神様はミィを見下ろしていた。
「ちっ、せっかく予定外の魂が手に入る所だったのに見破られたか。さすが黒猫、魔女の使いと言われるだけの事はある。」
鎌の先端をミィに向け神様、いや神様を名乗った人はにぃって笑った。その笑いは見ていて寒気がするものだった。
「俺は神だ。神は神でも死神だがな。」
死神! ボクは危うく騙される所だったんだ。
「見破った所でもう遅い。この娘の魂もお前達の魂も頂いていく。」
死神はまたにぃっと笑うとボク達に鎌を向ける。すでに戦う姿勢を取っているミィに駆け寄りボクも死神に牙を剥く。舞ちゃんが熱を出してるのはこいつのせいなんだ。舞ちゃんを連れて行かせたりしない。ボク達で舞ちゃんを死神から守るんだ! 振り下ろされる鎌をひらりとかわしミィが死神の顔に爪を立てる。ボクは死神の足元へ飛び掛かって噛み付いた。渾身の力を込めて飛び掛かるボク達を、死神はいとも簡単に振り払う。ミィが床に叩きつけられて、ボクは蹴飛ばされて転がった。
「犬猫ごときが俺に勝てるわけないだろう。」
嘲笑う死神にボク達は再び飛び掛かった。何度も何度も、投げられたり蹴られたりして身体中が痛くても、舞ちゃんを助けたい一心でボク達は戦った。ミィが頭から床に叩きつけられて、ふらふらしながらも立ち上がる。ボクもお腹を思いっ切り蹴られて、気を失いそうになったけど必死に立ち上がった。力の入らない足に鞭打って、ボク達は死神に立ち向かう。ボロボロになっていくボク達と対照的に、死神はかすり傷一つついていない。ゆらゆら揺れる視界、震えて力が入らない足。意識が朦朧としてくる。唇を歪めて死神は耳障りな笑い声を上げる。
「どうした? おしまいか?」
あんなに痛いミィの爪や猫パンチが全然効かないなんて、大きくなってきたボクの牙が全然効かないなんて。ダメだ、ここでボク達が倒れたら、舞ちゃんはこいつに連れて行かれちゃう。神様、本当の神様、ボク達に舞ちゃんを助ける力を下さい。こいつをやっつける力を下さい。ミィがまた床に叩きつけられる。ふらふらしながら立ち上がるけど、前足を震わせてミィはそのままがくんと床に倒れた。
「ミィ!」
ボクも足に力が入らないけど必死にミィに駆け寄る。ミィは頭を上げてボクを見ると顔をしかめた。
「バカ、あたしの事はいいから、早くあいつをやっつけなさいよ!」
「でも……。」
「でもじゃないわよ! 舞ちゃんを、あいつに連れて行かれてもいいの!?」
そんなのダメだ。でも倒れたミィも放っておけないよ。ボクがそう言うとミィは苦しそうな顔のまま笑った。
「あたしは、もう戦えないフリして、あいつの油断を誘ってるだけよ。」
苦しそうな息をしながらミィは言葉を続ける。
「だから、アンタはあいつの気を引きつけて!」
ボクとミィは犬と猫だけど、小さな頃から一緒に育ってきた兄妹同然だ。戦えないフリしてるだけだなんて嘘だってわかったけど、ミィの気持ちを感じてボクは力の入らない足を踏ん張ると死神の方を見る。あいつは鎌を手に、横たわって動かない舞ちゃんに近付いていた。
「やめろぉおぉー!!」
ボクは死神目掛けて走る。ミィの分までボクが戦う、舞ちゃんもミィもボクが守るんだ。渾身の力を込めて、ボクは死神の背中に蹴りを喰らわせる。だけど死神はただムッとした顔で振り返ると、ボクのお腹を力一杯蹴り飛ばした。死神の硬い靴が食い込んで、ボクは息が出来なくなる。そのままボクの身体はミィの傍まで吹っ飛ばされた。鎌を持ち直すと死神はニヤッと笑う。
「この娘が済んだら次はお前達だ。心配しなくとも全員まとめて黄泉の国へ送ってやる。」
ボクは死神を睨もうとした。だけど身体中痛くて息が苦しくて前がよく見えない。ミィが何か叫んでるみたいだけど、すぐ近くにいるはずなのによく聞こえない。ボク達、舞ちゃんを助けたいんだよ。ボク達の命を救ってくれた舞ちゃんを、今度はボク達が救わなきゃいけないんだ。神様、お願いです。ボク達に舞ちゃんを助ける力を下さい。
「神様……。」
薄れそうな意識でボクは、ボク達は必死に願った。死神が鎌を持ち直して舞ちゃんにまた近付く。死神はいるのに、人を助けてくれる神様はいないんだろうか?
「神様!」
ボクとミィが声の限りに叫んだ時、ボク達の前に何か光る物が現れた。じっと見ると長い剣だってわかった。この剣、舞ちゃんのカバンについてるキーホルダーと同じだ。舞ちゃんの大好きなアニメの主人公が持ってるやつ。同時にボク達を温かい光が包んで、身体中の痛みが軽くなっていった。ボクは身体を起こして立ち上がる。するとボクの視線はいつもより高い所にあった。死神と同じくらいの高さだ。それにボクの前足は人間の手になっていた。あぁ、神様がやっとボク達の願いを聞き届けてくれたんだ。これならあいつをやっつけられる! ボクは喜んで剣を掴んだけどそれはぴくりとも動かない。焦って剣を引っ張るボクの後ろから別の手が伸びてきた。
「バカね、これはあたし達が一緒に使うのよ。」
振り返ると見た事のない女の子が立っている。いや、黒い髪に付いているリボンはミィの首に付けてあるリボンと同じだ。
「ミィ?」
「ほら、ぼさっとしてないで行くわよ!」
ミィが剣を握るとそれはいっそう強く光ってボク達の手に吸い付いてくる。寄り添って1本の剣を握って走り、ボク達は死神に斬りかかった。舞ちゃんを連れ去ろうとした怒りと、散々痛い思いをさせられた怒りをめいっぱい剣に込める。
「喰らえぇえぇー!!」
ボク達の叫びに死神が振り返る。その瞬間、死神の胸にボク達の剣が深く突き刺さった。
「何だ、この光は……!」
苦しそうな声を上げて死神は顔を歪める。
「き、貴様ら……。」
何か言いかけたけど言葉にならずに、死神はそのまま倒れた。砂みたいに死神の身体が崩れていく。同時にボク達が握っていた剣も消えた。慌てて舞ちゃんに駆け寄ろうとしたボクの後ろでミィが転ぶ。
「あっ、ミィ!」
ミィを支えようとしたボクも転んで倒れた。ボク達を包んでいた光が舞ちゃんの事も包むのが見えて、そこでボクの意識は途切れた。

 車の音がどこかから聞こえる。しばらくして玄関の鍵を開ける音が響いた。
「ロイ、ミィ! あんた達こんな所で寝てちゃダメじゃない。」
ママさんの声が聞こえてボクははっと顔を上げる。舞ちゃんは、ミィは大丈夫なの? 死神は本当にいなくなった? きょろきょろと周りを見回すボクにママさんは呆れた声を出す。
「寝ぼけてるわね? ほら、ミィも起きて。あんた達まで具合悪くなったら大変。」
ごにょごにょと何か言いながらミィが顔を上げた。ボクとミィは顔を見合わせる。あれは夢だったんだろうか? そう思ったボクの視線の先に何か光る物が落ちていた。舞ちゃんのカバンについているキーホルダーだった。ミィと一緒に握って死神をやっつけた剣だ。ボクとミィと、そして舞ちゃんの絆の証だ。ボクはそれを拾って舞ちゃんに渡してあげた。ママさんに支えられて立ってる舞ちゃんはまだだるそうな顔をしてたけど、ボク達の姿を見てにっこりと笑ってくれた。もう大丈夫、舞ちゃんはボク達が守ったんだ。ママさんに支えられて部屋に戻る舞ちゃんを見送ると、ボクはリビングへ行こうとしたミィを呼び止める。
「ミィ。」
「何よ?」
「ボクを助けてくれて、ありがとう。」
死神に騙されて死んじゃう所だったボクをミィが助けてくれたんだ。この恩返しもいつかちゃんとしないとね。ミィは照れたようにそっぽを向いた。
「フ、フン。アンタはあたしがいなきゃホントにダメなんだから。」
ちらっとだけこっちを見ると、ミィはすごく小さな声でこう付け加えた。
「でも、あたしが倒れた後も戦うアンタ、ちょっとだけかっこ良かったわよ。」
「えっ?」
意外なミィの言葉にボクは聞き間違いかと首を傾げる。
「な、何でもないわよ!」
怒ったように言うとミィはリビングに駆けていく。慌ててボクもリビングに向かった。

 数日後。すっかり元気になった舞ちゃんはボク達を抱っこして、あの日に見た夢の話をしてくれた。真っ黒な姿の知らないおじさんに遠くへ連れて行かれそうになった所を、ロイとミィがおじさんをやっつけて助けてくれたんだよって、舞ちゃんは嬉しそうに言った。うん、ボク達舞ちゃんを連れて行こうとするやつと戦ったんだよ。すっごく強いやつだったけど、舞ちゃんが大好きだから、一生懸命戦ったんだ。神様も味方してくれたんだよ。代わる代わるあの時の事をボク達は話す。言葉は通じなくても、この気持ちはきっと伝わってる。その証拠に、舞ちゃんはボク達をぎゅって抱きしめる。
「ありがとう。」
うん、ボク達の方こそありがとう。舞ちゃんと会えた事にいっぱい感謝してる。ボクとミィと舞ちゃんの絆は、誰であろうと切り離す事は出来ないんだ。

冬の柔らかい日差しが入って来るリビングで、ボク達はいつまでもじゃれ合っていた。


                END


宝物庫へ