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きっと彼女は最後の瞬間まで微笑(わら)っていたのだろう。一体何を思って微笑んでいたのか、俺にはわからない。

『Last Smile』


 俺の勤めている介護施設に彼女達が派遣されてきたのは、季節が秋から冬へ変わろうとしている肌寒い日の事だった。十代後半の少年少女に見える彼女達は、高度な人工知能を搭載したアンドロイドだという。医療や福祉の現場に人工知能を導入する試みで、いくつかの病院や介護施設に数体のアンドロイドが派遣されていた。患者や施設の入居者には、看護学校から研修に来ている学生達だと説明してある。人工知能の導入が社会に浸透してきているとはいえ、機械に世話をされるのは嫌がる人も多いからだ。俺の直属に配置されたのは少女の姿をしたアンドロイドだった。俺は彼女にアイという名前を付けた。彼女らは固体識別番号しか与えられていなかったから、番号で呼ぶのはやりづらいし入居者達にも不審がられる。人工知能の頭文字「AI」から採った。同僚達はもっと洒落た名前を付けていたのを聞いて、陳腐な名前を付けてしまったと後になって後悔したのだが、アイは嬉しそうに微笑んでいた。アイ達は実に優秀で、複数の仕事を指示すると自ら優先順位を考え業務に当たる。これは非常に助かった。介護施設の一日は忙しい。いちいち指示待ちをされては全く仕事がはかどらないからだ。そしてアイを始めアンドロイド達の仕事ぶりは実に細やかで、また人間らしい温かみがあり、俺達はアイ達が機械だという事を忘れる程だった。入居者の一人ひとりに笑顔で接し、時には話題に沿った悲しい表情を見せたりもする。そうするようプログラムが組まれているらしいが、俺にはそういう話は一切理解出来ないからただただ不思議に思ったものだった。アイ達は入居者達に可愛がられ、俺達も彼女達を機械ではなく可愛い後輩だと思うようになった。一日の仕事が終わると、アイ達は自らの仕事を記録したメモリーカードを担当者に提出し、メンテナンスのためスリープモードというやつになる。人間の睡眠と同じものなのだろうか。アイの仕事ぶりをパソコンでチェックし明日の予定を確認しながら、傍らで眠る彼女に思わず「お疲れ様」と言ってあげたくなった。

 ある夜、いつも通りにアイの仕事をチェックしていた俺はアイの記録に妙な所があるのに気が付いた。特定の入居者との会話がアイの意志で削除されているのだ。たとえ入居者のプライバシーに関する事でもアイ達が交わした会話は全て記録され、俺達の方でチェックして人工知能の研究に不要な情報は削除する事になっている。にもかかわらず、アイは自らの意志で会話記録を削除した。会話の相手は201号室の大野みつさんだ。大野さんはいつも孫の話をしてにこにこしている温厚な人だが、息子夫婦との折り合いが悪いらしく「孫になかなか会わせてもらえない」と嘆いていたのを思い出す。そういえばあの夫婦、入居手続き以来一度も来てないなと余計な事まで思い出してしまい首を振る。大野さんはアイにもその話をしたのだろうか。会話の詳細を追うとやはり大野さんの孫の話題になっていた。落ち込む大野さんをアイが慰めている。その後の会話が削除されていて、元気を取り戻した大野さんがアイの仕事ぶりを褒め応援した所で会話は終わり、アイは次の仕事に移っている。この空白の間にどんなやり取りがあったのだろう。俺達にも隠さなきゃいけないと判断するような何かがあったのだろうか。それでも、俺達に確認する事無く記録を削除するのは問題になるんじゃないだろうか。俺はずっとアイと共に仕事をしてきて彼女の判断を信じている。入居者達もアイを信頼し自分の孫や子どものように可愛がっている。だが人工知能の研究者達はどう考えるのだろう。人間の意志に反した行動を取った機械。胸に湧いた嫌な予感を振り払い俺はレポートの作成に向かった。アイによる記録削除の件は黙っておく事にした。

 数日後、大野さんの部屋へ問診に訪れると彼女は嬉しそうに一通の手紙を見せてくれた。今朝孫から手紙が来たのだという。自分の近況と大野さんを気遣う言葉、そして会いに行けなくてごめんね、と子どもらしい大きな字で綴られている。嬉しそうに笑って目を潤ませる大野さんを見つめながら、俺は嫌な予感が膨らんでいくのを感じていた。なぜなら、今朝施設に届いた手紙の中に大野さん宛の手紙など無かったからだ。
その日の夜、俺はアイからメモリーカードを受け取るとさり気なく彼女に問い掛けた。大野さんが入居した頃に孫から貰った手紙を、見せてもらった事はあるかと。うろたえた表情のアイに俺は確信した。アイは大野さんの孫の筆跡を完璧にコピーして手紙を書いたのだ。孫に会いたいと嘆く彼女の心を少しでも慰めるために。俺の考えを察し俯いたアイの肩に手をかける。顔を上げたアイの悲しげな目を見つめ俺はゆっくり首を振った。アイの行動が間違っていると断言できなかったからだ。そして機械であるはずのアイが他人を想い、指示外の行動を取った事に驚きを隠せなかった。 アイの行動の事を隠したまま、俺はその日のレポートを作成した。アイの悲しそうな目が何度も脳にちらついた。

 それから数十日経ってアイ達が人工知能の研究所へ戻された後、俺は主任から呼び出しを受けた。アイのした事と俺の隠蔽工作が露見してしまったらしい。アイは危険な欠陥を抱えた不良品として処分されるという。俺も欠陥を隠蔽した事で厳重注意を受けた。俺の事はどうでもいい。アイが処分されるなんて信じられなかった。確かに大野さんは嘘の手紙を渡され、俺も記録を削除された偽りの報告を受けた。それでも彼女のした事は危険な欠陥などとは到底言えない。他人を思いやる気持ちからの行動だ。機械がそんな感情を抱く事は危険なのだろうか。俺は主任から研究所の場所を聞きだし介護施設を飛び出した。アイを助けたい、処分するというなら俺が引き取ってやる、そんな思いで研究所へ駆けつけた。受付で名乗り「介護施設で担当したアンドロイドについて話したい」と告げるとそのアンドロイドは所内の処分場にあるという。至急確認したい事があると無理矢理処分場の場所を聞き出し敷地内を走る。処分場の扉の前に立ち尽くすアイを見つけると俺は堪らず叫んだ。
「アイ!」
顔を上げたアイは俺の姿に驚いた表情を浮かべる。駆け寄った俺を見上げ問い掛けた。
「小暮さん、何故ここにいらっしゃるのですか?」
「お前が処分されるって聞いて飛んできたんだ。」
息を切らし答えた俺にアイは嬉しそうな顔になった。だがすぐに表情を引き締める。
「お気持ち感謝致します。ですが私の処分は決定事項、覆す事は出来ません。」
「俺が話を付ける。もう一度俺達の所で働いてほしい。」
「ありがたいお話ですが、私は大野さんを騙すという大きな罪を犯しました。私の罪に小暮さんを巻き込んでしまいました。許される事ではありません。」
アイの肩に手をかけ俺は尚も叫んだ。
「そんな事はない! 大野さんは喜んでいたし俺も進んで協力したんだ。お前の行動は罪なんかじゃない!」
俺の言葉にアイは嬉しいような悲しいような複雑な表情をした。そして今にも泣き出しそうな目で俺を見上げる。
「それでも、機械が人を騙したり利用したりするなどあってはならない事です。」
肩にかけた俺の手をそっとほどき、アイは小さく微笑んだ。
「気にかけて下さりありがとうございました。どうか行って下さい。」
処分場の建物から白衣姿の男が出てくるのが見えた。尚も差し出した俺の手をそっと押し返し、アイはゆっくりと背を向ける。白衣の男は胡散臭げな目を俺に向けるとアイの腕を無造作に掴み建物の中へ入って行った。閉まる扉の隙間からアイは俺を振り返り、頭を下げて微笑む。次の瞬間、重い音を立てて扉は閉ざされた。

 他人を想い、優しい嘘をついたアイを誰が責められるのか。アイが機械ではなく人だったなら許されただろうか。今も答えは出ないままだ。
アイの表情はプログラムされたものだという。だけど、彼女が見せた微笑みはそんなものではないと思う。アイの心から放たれた真実の微笑みだったのだ。
きっと彼女は最後の瞬間まで微笑(わら)っていたのだろう。一体何を思って微笑んでいたのか、俺にはわからない。だけど俺は彼女の最後の微笑みを一生忘れない。


                      END


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