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『But,life goes on』



フェニックスは炎を纏った翼をはためかせふわりと上昇し、満身創痍の青年を見下ろす。
「ならば私と戦いこの尾羽を奪う事ができたら希望を授けよう。どうだ、戦うか?」
青年は傷だらけの身体で気力を振り絞ると無言で剣を構えた。


――不死鳥フェニックスの尾羽には死者を蘇らせる力があるという――
そんな伝説を信じ、サイオンはフェニックスが棲むと言われる炎の山を目指していた。
サイオンの妻リアンは突如発作を起こして倒れ、薬師の薬も神官の治癒魔法も甲斐なく彼女は死の旅路についた。あまりにも突然すぎるリアンの死に、サイオンはその事実を受け入れる事が出来なかった。リアンの葬儀を執り行った神官長のマリアに、旅に出ている間リアンの亡骸を保存してくれるように頼んだのだった。
「必ず君を生き返らせてみせるから、待っててくれ。」
聖堂でクリスタル製の棺に眠るリアンの額に手を当てサイオンは呟く。マリアは悲しげな表情でサイオンを見つめた。
「本当に行くのですか? 炎の山は多くの凶悪な魔物が棲んでいます。生きて帰れるかどうか……。それにフェニックスの話は伝説に過ぎないのかもしれませんよ。」
サイオンは静かに首を振る。
「リアンがいないのなら俺は生きている意味はないんです。生きて帰れなかったらリアンと共に死の国へ行く、それだけの事です。ただの伝説だったとしても、俺一人で生きていくより僅かな可能性に縋りたいんです。」
マリアはサイオンをじっと見据える。
「失われた命を取り戻すのは神の領域に踏み込む事。もし伝説が真実で、リアンを蘇らせる事が出来たとしても、あなたは大きな代償を払う事になるかもしれません。その覚悟はありますか?」
「リアンに生きていて欲しい。俺の願いはそれだけです。」
サイオンの真剣そのものの眼差しを受け、マリアは儀式用の杖を握り直した。
「わかりました。ではリアンの時を止め亡骸を生前のままに維持します。とは言え、永久に効果のある術ではありません。早く、無事に戻ってくるのですよ。」
「はい、ありがとうございます。」
マリアは杖を棺にかざし小さく呪文を詠唱する。杖から青白い光が溢れ棺ごとリアンを包み込むと静かに消えた。
サイオンは炎の山へ寝食も忘れひた進んだ。大陸の南の果てにある火山地帯。いたる所に溶岩が溢れ、常に鳴動している火山。それだけでなく、炎や熱を糧とする魔物の恰好の棲みかともなっており、とても人が足を踏み入れられるような場所ではない。また、道中でも魔物に襲われる事が度々あった。魔物の襲撃を退け火山地帯へ辿り着いた時には、サイオンの身体は既にぼろぼろになっていた。しかし、フェニックスがいると言われる山はこの火山地帯の最深部にある。気力を振り絞りサイオンは火山地帯の奥へと進んで行った。灼熱に包まれた火山は立っているだけで体力を奪っていく。更に、人気のないこの場所は魔物達もこれまでより凶暴化していた。傷を負った身体に鞭打ち、リアンを生き返らせたい一心で、襲い来る魔物を退け突き進む。ついにサイオンは最深部の山に到達した。火山の鳴動が激しくなる。サイオンは空を見上げた。そこにはまるでサイオンが来るのを待っていたかの様に、炎を纏った羽根を広げ巨大な赤い鳥が浮かんでいた。伝説として語られる不死鳥フェニックスの姿そのものだった。
「フェニックス……。やはり実在したのだ。」
これまで相手にしてきた魔物達とは比較にならない圧倒的な力を感じサイオンは立ち尽くす。フェニックスはサイオンを見下ろし厳かに口を開いた。
「人間よ、お前がここに来た理由は知っている。しかしそれは叶わぬ願い。自然の摂理を捻じ曲げる事は何者にも許されないのだ。諦めて帰るがよい。」
フェニックスの力を目の当たりにした事と、告げられた言葉にサイオンは呆然となる。
「フェニックスの尾羽は、死者を蘇らせる力があると聞いた。俺は、最愛の人を蘇らせたい一心でここまで来たんだ。どうか、その羽根を1本俺に譲って欲しい。」
「私の羽根にそのような力は無い。伝説はただの伝説にすぎない。」
サイオンは崩れ落ちるように膝をつく。
「そんな……。リアン、俺はリアンを生き返らせると約束したんだ! どうしてリアンが死ななくちゃならない!」
フェニックスを見上げサイオンは尚も叫ぶ。
「力の無い伝説なら何故存在するんだ? 奇跡が起きないなら、伝説が存在する意味は何だ!」
フェニックスはサイオンを見下ろしたままゆっくりと応える。
「伝説は作られたもの。私は人々の希望や願いによって存在する。そして私はただ希望のみを与えるもの。ふむ。お前の願いは真のものか?」
「当然だ! その為にここまで来たんだ!」
フェニックスは炎を纏った翼をはためかせふわりと上昇し、満身創痍のサイオンを見下ろす。
「ならば私と戦いこの尾羽を奪う事ができたら希望を授けよう。どうだ、戦うか?」
サイオンは傷だらけの身体で気力を振り絞ると無言で剣を構えた。
「来るがよい。」
フェニックスの言葉にサイオンは傷の痛みも忘れ一心に斬りかかっていく。傷を負っているとは思えないサイオンの剣だが、フェニックスは鮮やかな動きでかわしていく。フェニックスが羽ばたく度に炎と熱風が舞い上がりサイオンの身体を苛む。フェニックスの羽と爪がサイオンを捉え切りつけていく。灼熱に包まれ、朦朧とする意識の中でサイオンは必死にフェニックスを追い斬り込んでいく。まるで幻影を追っているかのように、サイオンの剣は虚しく空を斬る。どれ程の間戦っているのか、サイオンにはもうわからなくなっていた。リアンの名を呼びながらひたすらフェニックスを追い続ける。衰える気配の無いフェニックスの動きに対し、サイオンの動きは鈍っていく。剣筋が粗くなり冷静さを失ったサイオンにフェニックスは口を開く。
「どうした? そんな力では私の羽根を奪うなど到底無理だ。お前の願いはその程度か?」
サイオンはフェニックスを見据える。挑発するようにあからさまな隙を見せ近付いてきたフェニックスを剣で横薙ぎに払う。上へかわすフェニックスの動きを先読みし剣を突き上げた。それすらかわし、攻撃態勢に移ったフェニックスに一瞬の隙が生まれる。
「そこだぁ!!」
突き出されたサイオンの剣をフェニックスはかわす。だが、サイオンは既に次の動きに移っていた。身を翻しフェニックスの動いた先へ渾身の一撃を繰り出す。これがかわされたらもう終わりだと思った瞬間、サイオンの手に微かな手応えがあった。はらり、と火の粉を散らしフェニックスの尾羽がサイオンの元へ落ちてくる。必死に手を伸ばしサイオンはそれを掴む。だが、サイオンの手の中でそれは小さく燃え上がり消えた。
「消えた……。何てことだ。」
愕然とするサイオンにフェニックスは地上に降り立ちゆっくりと口を開く。
「私の羽根は身体から抜ければ燃え尽きて消えてしまう。だからそのような力は無いと言ったであろう。だが、お前は間違いなく私から羽根を奪った。約束通りお前に希望を授けよう。」
サイオンを見据えフェニックスは言葉を続ける。
「失われた命を戻す事は出来ない。だが、生まれようとする命が消えるのを止める事はできる。」
サイオンは意味が解らないといった顔でフェニックスを見上げる。
「どういう事だ?」
それには答えずフェニックスは羽を広げた。陽炎が立ち上りゆらゆらと辺りを包み込む。
「さぁ、お前の戻るべき場所へ戻るがいい。」
サイオンの意識はそこで途絶えた。


目を覚ましたサイオンの視界に入ってきたのは見慣れた天井だった。ゆっくりと周囲を見回す。間違いなくそこはサイオンの家だ。ベッドの傍にはマリアが座っていた。サイオンが目を覚ました事に気付き、マリアは安堵の笑みを浮かべた。
「あぁ、良かった。気が付かれましたか。」
サイオンは混乱する。自分は確か火山でフェニックスと戦っていたはずだ。何故ここにいるのだろう。
「何故俺はここに? あれからどれくらい経つんですか? リアンはどうなったんです!?」
サイオンの言葉にマリアは怪訝な顔をする。
「あなたは今朝、自宅の前に倒れていたのですよ。怪我は無いようでしたし病魔の陰も見えませんでしたから、リアンを失った事で消耗しているのでしょう。つい一昨日の事ですからね。」
「一昨日……?」
サイオンは更に混乱する。リアンの時を止めフェニックスの元へ自分は旅立ったはずだ。夢でも見ていたのだろうか。混乱するサイオンをよそにマリアは明るい知らせがあると告げた。
「棺にリアンを眠らせた後、リアンの身体の内部から生命反応が見えました。新たな命がリアンに宿っていたのです。」
マリアの言葉を把握しかねているサイオンにマリアは微笑んだ。
「あなたとリアンの子ですよ。聖堂で大切に預かっています。」
思わず飛び起きたサイオンにマリアは微笑む。
「リアンの身体の中で、赤子は必死に生きようとしているのですね。生命の力とは素晴らしいものです。」
「子ども……俺とリアンの……。」
マリアは涙を浮かべて言葉を続ける。
「私は感動致しました。赤子はリアンを失って絶望しているあなたを救いたいのでしょうね。あなたも絶望している場合じゃありませんよ。これからはリアンの忘れ形見であるあの子の為に生きるのです。それはリアンの願いでもあるでしょう。」
サイオンの目にも涙が滲む。涙を拭った左手にふと微かな痛みを感じる。目を遣ると、小さな火傷の痕があった。確かに掴み取り、その手の中で燃えたフェニックスの尾羽の鮮やかな赤を思い出す。同時に、サイオンの脳裏にフェニックスの言葉が蘇る。
「生まれようとする命が消えるのを止める事は出来る」とフェニックスは言った。これは、フェニックスが起こした奇跡なのか。サイオンの両目からとめどなく涙が溢れた。


去り逝く者は希望を残し、残された者は希望を胸に生き続ける。


END


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