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『Magic which fulfill love』


……初恋は叶わないって本当なのかしら……。
魔法使いの卵であるエミリーは、講義中にも関わらず一心に窓の外を見つめていた。エミリーの視線の先には、この学校の教師エドワード・レスターがいる。風を操る魔法使いで、琥珀色の髪をさらさらとなびかせながら呪文を唱える姿は女子生徒の憧れの的であった。また魔法使いとしての実力も高く、気さくな人柄で男子生徒からも人気の高い教師だった。校庭の一角で魔法の実践を行う講義をしているエドワードをエミリーはぽぉっと見つめている。教壇に立つ教師の怒りの視線にも気付かず、慌ててエミリーに注意を呼びかける周りの声にも気付かず、エミリーは実験用の薬草を無意識に次々とビーカーの中に放り込んでいた。エミリーのビーカーの液体がボコボコと泡立つ。
ボンッ!
大きな爆発音と煙がビーカーから上がり、煙を吸い込んだエミリーはけほけほと咳き込みながらビーカーに視線を移す。明らかに異常を起こしている自分のビーカーに驚き、そこでようやく教師の視線に気付く。
「ミス・バーネット。その薬草は危険なものだから実験には最新の注意を払うようにと言ったはずですが。」
「すみません、ダレル先生。」
しゅんとして立ち上がったエミリーに、ダレルは銀縁の眼鏡に手を当てきつい視線を向ける。
「貴女は私の講義を受ける気はあるのかしら?」
「はい、あります。」
「では、1学期から今日までの私の講義の内容を全て整理しレポートにして提出しなさい。今週中にです!」
「わかりました……。」
肩を落として腰を下ろすエミリーを同情の眼差しとからかいの笑いが包んだ。

 その日の放課後。図書室でノートと教科書を広げるエミリーはやはり上の空だった。寝ても冷めても頭に浮かぶのは、入学以来ずっと恋い慕っているエドワードの事。言葉を交わしたのは、入学式の時一度だけだ。講堂から教室へ向かっていて迷子になった所をエドワードが案内してくれたのだった。「すみません、すみません!」と何度も謝るエミリーに「校内は広いから毎年必ず迷子が出るんだよ。」と笑ったエドワードの優しい眼差しにエミリーの鼓動が高鳴ったのを覚えている。上級生だと思い所属クラスを探していたエドワードが、生徒ではなく教師だと知ったのはそれより少し後の事だ。端正な顔立ちに浮かぶ優しい眼差し、朗らかで気さくな人柄、若くして魔法学校の教職に就ける実力、思春期真っ只中の女子生徒達を惹きつけるには充分だった。休み時間にはいつも女子生徒がエドワードを取り囲んでいる。エミリーはいつも自分もその中に入りたいと思いつつ、遠くから見つめるだけで満足してしまう。校内ですれ違っても、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で挨拶し、真っ赤な顔で足早に立ち去ってしまうのである。生まれて初めての恋はエミリーを翻弄していた。話をしたいのに挨拶すら恥ずかしくてできない。エミリーのクラスを担当していないエドワードと自然に話をするにはどうしたらいいだろう、エドワードに話しかける勇気が欲しい、そんな事をぽぉっと考えていたエミリーは頭上から聞こえてきた声にビクリと肩を震わせる。
「ミス・バーネット!」
「はい! すみませんごめんなさい! レポートやってます!」
だが顔を上げたエミリーの目に映ったのは呆れたように笑う幼馴染のクラスメイト、スコットの姿だった。
「やっぱりポケーっとしてやがる。」
「なんだ……。脅かさないでよ。」
「呼んでも気付かないお前が悪い。」
広げられたノートに目を移しながらスコットはエミリーの向かいに座る。
「ダレルもひでぇよな。1学期からの講義全部なんてほぼ1年分じゃねぇか。今週中になんてまとめられるわけねぇって。」
手伝ってやるよ、と言って教科書を広げるスコットにエミリーはほっとした声をもらす。
「いいの? 助かったぁ。ありがとー。」
「全然進んでねぇじゃんか……。」
呆れながらペンを取るスコットに、エミリーも慌ててノートと教科書に意識を戻す。しばらく無言でペンを走らせていたエミリーは、教科書に載っているある魔法薬の名前に目を止めた。
「惚れ薬か……。」
「何か言ったか?」
ノートに目を向けたまま問い掛けたスコットにエミリーは呟く。
「惚れ薬って、どうやって作るんだろう?」
教科書には作る事を禁じられた薬として名前が載っているだけで、その製法は当然記されていない。
「それって禁断の魔法薬だろ。俺達のレベルで作れる薬じゃないし、何より作ったら罰せられるぞ。」
「うん……。」
「バカな事言ってねぇでさっさとレポート進めろって。」
スコットの言葉に頷きノートに視線を戻したエミリーだったが、頭の中は惚れ薬の作り方を知りたいという思いでいっぱいだった。

 数日後。レポート提出を終えたにも関わらず、エミリーは図書室に入り浸っていた。目的はもちろん、惚れ薬の作り方を調べる事である。だが、生徒が利用する図書室に禁断の薬の製法が載った本などあるはずはない。隅々まで図書室を調べたエミリーは、ふと教師のみが利用を許されている閉架図書室の存在を思い出した。あそこにならあるかもしれない。だが、どんな理由があろうと生徒は閉架図書室を利用できない規則になっている。それだけ危険な内容の書物があるという事だ。何とかして閉架図書室に入る方法はないだろうかと考える。閉架図書室は校長室の奥にあり、入るには校長室を通らなくてはならない。そして閉架図書室を管理しているのはダレルである。校長とダレルの目をかいくぐって侵入し、あるのかどうかもわからない惚れ薬の製法を探すのは至難の業だ。エミリーは閉架図書室への侵入計画を練り始める。挨拶すら恥ずかしくてできないような自分が、エドワードの心を射止めるにはもうそれしか方法がないと思いつめていた。
やがて、校長とダレルが揃って不在になる日を突き止めたエミリーはその日の放課後、人目を避けながら校長室に向かった。普段来る事のない校長室の荘厳な扉は、後ろめたい思いを抱えたエミリーを威圧する。大丈夫、今日は誰もいない、今日を逃したらもうダメかもしれないんだからと震える自分を叱咤する。誰も来ない事を確かめエミリーは大きく息をつき、扉に手をかける。扉はロックされておらず、拍子抜けな程あっさり扉は開いた。部屋には誰もいない。息を潜めながらエミリーは奥の扉へ近付く。開けられるかどうかわからない、開いても侵入者への罠があるかもしれない、震える手を扉へ伸ばす。一瞬、ピリッと電撃が走ったような痛みを感じた気がしたが、扉はエミリーを受け入れるようにゆっくりと開いた。壁に等間隔でランタンが灯されているものの中は薄暗く、恐る恐る足を踏み入れると、古い本特有のにおいとひんやりした空気に包まれる。暗さに目が慣れ、エミリーはゆっくりと棚の間を歩く。エミリーには読めない古代文字で書かれた本や、自ら内容を更新していく本、書かれた内容について議論し合う本など、初めて目にする不思議な本達はエミリーの好奇心を刺激する。ここの蔵書全てを読んでみたい衝動にかられながら、エミリーは禁断の魔法薬について記された本を探す。
「これかな?」
フラスコに液体の入った絵の描かれた本を見つけ手に取る。それほど古い物ではないようで、難解な表現が多いものの読めなくはなさそうである。赤い字で「禁持出し」と書かれていたが、エミリーはその本を抱え扉へ戻っていく。扉に手をかけた時、背後から声が響いた。
「そこにいるのは誰です!」
ダレルの声だった。エミリーは肩をすくめ硬直する。ゆっくりと振り返ると腕組をしてダレルが立っていた。
「ミス・バーネット。ここで何をしているのですか?」
ダレルはいつここへ入ってきたのだろう。近付いてくるダレルに思わずエミリーは後退りする。扉がゆっくり開いてエミリーの身体は校長室に入っていた。エミリーの手にした本に目をやり、ダレルはエミリーの目を見据える。
「その本は魔力で人の心を操る術が書かれた物です。それをどうするつもりですか?」
「あ、あの……。」
言葉に詰まるエミリーの手からそっと本を取り上げ、ダレルは本を開いて見せた。エミリーの目の前で、書かれていた文字も図も瞬く間に消えていく。
「消えちゃった……。」
「そうです。ここにある本は持ち出すと読めなくなるようになっているのです。内容を書き写しても同様です。ここが厳重な警備をされていない理由がわかりましたか?」
「はい……。」
とはいえ、立ち入り禁止の場所に侵入し持ち出しを禁じられている本を持ち出したのは事実であり、ダレルに見つかった以上、レポート提出どころの罰では済まされないだろうとエミリーは肩を震わせた。
「ミス・バーネット。」
「は、はい。」
叱責されるだろうと思っていたエミリーはゆっくりと顔を上げる。ダレルの声は穏やかだった。
「魔力で人の心を得て、貴女は満足ですか?」
どこか悲しげなダレルの眼差しにエミリーは大きく首を振る。
「よく、考えなさい。今回は大目にみます。さぁ、もう行きなさい。」
「はい。すみませんでした。」
深々と頭を下げエミリーは校長室を後にする。扉の閉まる音を聞きダレルはそっと呟く。
「魔法使いたる者、道を誤ってはいけませんよ。」

 翌日。校内の掲示板に人だかりができていた。集まっている女子達は皆一様に悲しい顔をしている。
「どうしたの?」
エミリーが声をかけると一人が泣きそうな顔で掲示板を指差す。
「レスター先生、結婚しちゃうんだって。」
「えっ!?」
エミリーは人垣を掻き分けて掲示板に貼られた学内新聞に近付く。生徒が運営する新聞部が発行しているものだ。トップを飾る記事は、幸せそうな笑みを浮かべたエドワードと学校の保険医、フランシスの写真と2人の結婚を知らせる記事だった。秘かに交際していた2人だったが、先日新聞部の生徒がデート現場を目撃しインタビュー攻めにされたらしく、その時に結婚を決意したと記されていた。2人の交際は10年になるらしい。
「そんな……。」
エミリーがエドワードに出会うよりずっとずっと前から、エドワードには心に決めた人がいたのだ。そんな事も知らずに恋焦がれ、惚れ薬まで作ろうとしていた自分が悲しくなる。何も手につかないくらい、エドワードの事が好きだった。見つめているだけでも幸せだったのに。初めての恋が、突然こんな形で終わりを迎えるなんて思いもしなかった。エミリーの胸はショックで締め付けられるように痛む。
「あ、レスター先生!」
誰かの声に皆いっせいに振り返る。校長と話しながら歩いているエドワードの姿があった。エミリーの脳裏に昨日のダレルの言葉が蘇る。「よく、考えなさい。」大好きなエドワードに、今何て声をかければいいだろう。瞬時に思考を巡らせるとエミリーは人だかりを掻き分け前に出て叫ぶ。
「レスター先生! 結婚おめでとうございます!」
エミリーに呼応し集まっていた生徒達も口々に叫ぶ。
「幸せになって下さい!」
「おめでとうー!」
「結婚した先生も好きだよ!」
エミリー達の叫びにエドワードは笑顔で手を振った。
「ありがとう!」
エドワードの姿が校舎内に消えても、エミリー達はそれぞれの想いを叫ぶ。皆の顔から次第に悲しみは消えていった。

その日の昼休み。弁当に手をつけず呆けたように校庭のベンチに座っていたエミリーに、購買部の袋を提げたスコットが近付いてきた。
「やっぱり呆けてやがる。」
溜め息をついたエミリーの頭をスコットはくしゃくしゃと撫でる。
「お前よくやったな。かっこよかったぞ。」
乱された髪を整えながらエミリーは首を傾げる。
「何の事?」
「レスターに「結婚おめでとう!」って言ったじゃん。あれでレスターに惚れてた女子達皆吹っ切れたみたいだぜ。一時はフランシスが憎いって言ってた奴もけっこういたんだ。でもお前のおめでとうって叫びでそんな事言う奴は誰もいなくなった。」
「そうなんだ。」
ただただ、大好きなエドワードの幸せを願っただけだった。自分の思いが、皆の意識を変えたなどとは思ってもいなかったエミリーは他人事のように呟く。何故スコットがそんな事を言いに来たのかも掴めずきょとんとした眼差しを向けた。エミリーの視線にスコットはポリポリと頬を掻く。
「まぁ、お前が失恋したって事は、俺に道が開けるかもしれないって事だ。」
「え?」
困惑しぽかんと開いたエミリーの口に、スコットは袋から取り出したマシュマロを放り込む。
「んー!?」
慌てるエミリーに照れたように笑い「ちゃんと飯食えよー。」と言い残すとスコットは足早に去っていく。エミリーの口の中でマシュマロは甘くふわりと溶けていった。


                     END


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