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――ねぇ、知ってる? 流れ星って、神様が地上の様子を見るために天の扉を開けた時に落ちて来るんだって――

『願い事は3回』


「ばあちゃん、見舞いにきたよ〜!」
ノックもせずに元気良く病室へ駆け込んだ航は、次の瞬間ベッドにいる人物を見て硬直する。自分と同い年位の少女が驚いた顔でこちらを見つめていた。
「ご、ごめんなさい! 部屋間違えた!」
慌てて部屋を出ようとする航を少女は呼び止める。
「ねぇ、待って! あなた、"わたる"って名前じゃない?」
見ず知らずの少女に名前を呼ばれ航は戸惑う。
「う、うん。そうだけど……?」
「やっぱり。声ですぐわかった。秋月さんの部屋は隣だよ。よく「航! 病院では静かにしなさい!」って叱られてるでしょ。」
そう言って注意する母さんの声もデカイんだよな、などと思い赤面しながら航は少女を見つめる。
「うるさくしてごめん。」
「ううん、そんな事ないよ。楽しそうでいいなって思ってたの。」
少女は嬉しそうに言葉を続ける。
「秋月おばあちゃんとは身体の調子がいい時によくラウンジでお話するの。航君の事たくさん話してくれてね、いい子だよって言ってた。私と同い年だって聞いて会ってみたいなって思ってたの。」
「そうなんだ。」
思いもよらない事を言われどぎまぎする航の目を少女はじっと見つめる。
「ねぇ、秋月おばあちゃんのお見舞いのついででいいから、私にも会いに来てくれる?」
赤い顔で頷いた航に少女も頬を染め「ありがとう」と微笑んだ。

これが、航と志保との出会いだった。

 その日から、航は学校が終わるとランドセルを背負ったまま、祖母の文代の見舞いを口実に病院へ通うようになった。文代は航と志保が仲良くなった事を知ると嬉しそうだった。文代の話によると、志保は文代よりも長い間入院しているらしい。学校にもほとんど行けず同世代の友達もいないようだった。体調のいい時に、陽当たりのいいラウンジで見舞いに来た家族や他の入院患者と話をするのを数少ない楽しみにしているのだと、そして「あの子は生きる事を諦めてしまっているみたい」という文代の悲しげな言葉を聞いた時、航の胸は痛んだ。うるさいと叱られるほどの自分の元気を志保に分けてあげたいと思う。そう言うと文代は大きく頷いた。
「そうね、志保ちゃんといっぱいお話して航ちゃんの元気を分けてあげてね。」
「そんな事できるの?」
「もちろんよ。航ちゃんの元気が志保ちゃんの心を元気にするの。心が元気になれば身体も元気になってくるのよ。」
「そっか。じゃあ行って来る!」
駆け出て行った航の背を見送り文代は小さく呟いた。
「あんないい子が私より先に天国へ行くなんて、そんな事あっちゃいけないよ。」
航が病室を訪れると志保は満面の笑みを浮かべた。志保は航が話す学校での事や流行りのマンガやゲームの話を喜び、航は志保が読んだ本の話を面白がって聞いた。活字など一切読まない航だったが、志保が語る本の話は学校で聞くよりもずっと面白く、志保の影響でマンガ本以外の本も読むようにもなった。志保と過ごす時間は友人達と過ごすよりも楽しくて、志保の体調が良い時には面会時間ぎりぎりまで2人で過ごしていた。ある日、航が志保の病室へ向かうと志保はベッドから窓の外をじっと見上げていた。
「何を見てるの?」
航も窓の側に立ち外へ目をやる。窓のすぐ側には冬になってすっかり葉を落とした大きな木があり、その向こうにどんよりとした空が広がっている。雲の切れ間から微かに太陽の光が射し、うっすらとした光の帯を地上へ落としていた。航に視線を移し志保は静かに口を開いた。
「あんなに曇った空から光が射してきてるの。まるで天国からの光みたい。」
「天国なんて本当にあるの?」
「うん、きっとあるよ。天国には私のおじいちゃんとおばあちゃんがいるの。私が生まれる前に天国へ行っちゃったから、私が行ったらきっと喜ぶだろうな。」
天国へ行くという事は死ぬ事だと、小学生の航にもわかっていた。航は思わず志保の腕を掴む。
「でも志保ちゃんが天国へ行っちゃったら、志保ちゃんの親もうちのばあちゃんも、オレも寂しくなるじゃん。そんなのイヤだ。」
志保の言葉、そして同級生の誰よりも細い志保の腕に、航はますます悲しくなって腕を掴む手に力がこもる。そんな航に志保は小さく首を振って答えた。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで凄く嬉しいよ。」
志保の目を見つめ返し航は言葉に詰まった。大人びていて、笑っているのにどこか醒めた目。文代の「あの子は生きる事を諦めてしまっている」という言葉が、航の心に実感として浸透していく。どうしたら、志保は生きたいと思ってくれるんだろう。考えを巡らせながら航は必死に言葉を選ぶ。
「ばあちゃんが言ってたぞ。「世の中には順番ってものがある」って。ばあちゃんより先に志保ちゃんが天国なんか行くのは間違ってるよ。」
航の言葉に志保は俯き小さく笑う。
「神様がそう決めちゃったんだから、間違いじゃないよ。」
「神様だって間違えるかもしれないじゃんか!」
「そうかなぁ。」
「そうだよ!」
航は志保の担当医に会った時の言葉を思い出す。「君と会うようになって志保ちゃんは体調のいい時が増えたよ。以前より少しずつ体力もついてきているから手術が受けられるかもしれない。」と医師は言っていた。だが物心ついた頃から「二十歳まで生きられるかどうか」と言われていた志保は、自分は近い内に死ぬ運命なんだと思い込んでいる。航は必死に言葉を続けた。
「そうだ、もしそう神様が決めちゃったんだったら、運命を変えて下さいってお願いすればいい。」
「運命なんて変わらないと思うよ。」
「やってみなきゃわかんないだろ! ばあちゃんから聞いたんだけどさ、流れ星に願い事3回言えば願いが叶うんだって。やってみようよ。」
航の言葉に志保はすぅっと目を細めて航を見遣る。
「航君、流れ星見た事あるの?」
「いや、無いけど……。」
「流れ星ってね、ほんの一瞬なんだよ。3回も願い事なんか言えないよ。」
目を逸らし俯いた志保に航は思わず声を張り上げる。
「だからやってみなきゃわかんないって言ってるだろ! オレも一緒に願うからそんな簡単に諦めるなよ!」
航の言葉に志保はキッと顔を上げた。
「君に何が分かるの!? 毎日学校に通える健康な航君にはずっと病気で入院してる私の気持ちなんか分からないよ!」
言葉に詰まり航は俯く。志保の辛さはわかっているつもりだった。それでも志保に笑っていてほしい、生きていてほしい。そう強く思っているのに、伝わらない気持ちがもどかしい。傷ついた表情の航に志保ははっとして口を押さえた。
「ごめんなさい……。」
「いや、オレの方こそ無神経な事言ってごめん。」
航は無理矢理に笑顔を浮かべる。
「また来るよ。」
志保の返事を聞く前に航は早足で病室を後にした。

 翌日。沈んだ気分で授業を聞いていた航だったが、理科の授業で担任教師が口にした「流星群」という言葉に航の目は輝いた。もうじきふたご座流星群が見られるのだという。流星群は一度にたくさんの流れ星が見られる現象だと聞き、志保に見せてやりたいと思った。授業の後、担任にふたご座流星群について質問攻めにした航は、最も流星の活動が活発になる日の夜、秘かに家を抜け出し病院へ向かった。面会時間はとっくに過ぎ、門はしっかりと閉ざされ静まり返っている。門の柵を掴んで必死でよじ登り敷地内へ下りると、航は志保の部屋の下へ向かった。志保の部屋の窓から見える大きな木を見つけ駆け寄ると、寒さにかじかんだ手にはぁっと息を吹きかけ木を登り始めた。志保の部屋の窓の側まで登ると、太い枝の上に腰を落ち着け、落ちないように気をつけながら窓に手を伸ばす。何度かコツコツと窓を叩いていると、カーテンが揺れ志保が顔を覗かせた。
「航君? こんな時間にそんな所で何してるの!?」
驚いた志保が窓を開け叫んだ時、星が一つ空を流れていった。それを合図にしたかのように、いくつもの星が次々と空を流れていく。
「見て、ふたご座流星群って言うんだって。たくさんの流れ星が見られるんだ。あんなにたくさん星が流れてるなら、3回どころか何度だって願い事を言える。」
志保が窓から身を乗り出すといくつもの星が流れては消えていく。志保は「綺麗……」と呟き言葉を続けた。
「ねぇ、知ってる? 流れ星って、神様が地上の様子を見るために天の扉を開けた時に落ちて来るんだって。」
そう言った志保の瞳ににじんだ涙を見て、航は空に向かって叫んだ。
「神様、お願いです! 志保を連れて行かないで! オレ何でもするから! 親や先生のいう事ちゃんと聞くし、勉強もちゃんとやる! だから志保をそっちへ連れて行かないでくれ!」
どこかから「うるさいぞ!」と怒鳴り声が聞こえたがお構い無しに航は叫び続けた。
「オレ、志保が好きなんだ! もっと志保と話したい、もっと一緒にいたいんだ! お願いだから志保を連れて行かないでくれ!」
「航君……。」
志保の目から涙が零れる。流星を見上げ叫ぶ航の目にも涙がにじんでいた。

 1年後――
深夜の公園を2つの小さな人影が寄り添って歩いている。公園にはふたご座流星群を見に来た人達が寒さに震えながら佇んでいた。
「今年も2人で見られて良かった。」
あの後、航は深夜に家を抜け出した事と病院に忍び込んだ事でこっぴどく叱られた。そして、志保は手術を受ける事になった。それから1年が経った現在、志保は定期的に通院しながらも日常生活を送っている。
嬉しそうに微笑んだ志保に航も頬を赤らめ頷く。志保は手に息を吐きかけながら言葉を続けた。
「あの時ね、寒い夜中に航君が来てくれて、綺麗な流れ星見せてくれて凄く嬉しかった。こんなにたくさんの流れ星なら願い事3回言えなくても、きっと神様に願いが届くって思ったの。」
それにね、と志保は温めた手を航の手にそっと絡める。
「私を連れて行かないでって言ってくれたのが本当に本当に嬉しかったの。だから、「私やっぱりまだ生きたいです」ってあの時お願いしたんだ。」
手を繋がれ更に赤面しながら航は答える。
「だから言ったろ。諦めるなって。」
「うん、ありがとう、航君。」
寄り添って見詰め合う2人に背後から声が響く。
「航! 志保ちゃん! 流れ星よー!」
家族ぐるみの付き合いになった志保と航の両親も、志保を救い2人を結んだ流星群を見に一緒に来ていた。
「母さん、声デカイって。」
内心、空気読めよと眉間に皺を寄せた航は、志保のくすくすと笑う声につられて笑い空を見上げる。

いくつもの流星が空を走る。
願い事は3回。それは、強く思えば願いは叶うという事――


             END


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