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『楽園へ至る道』


 スラム街の裏通り、この街でもっとも治安の悪い通りを穏やかな笑みを浮かべた若い神父が1人歩いていた。手に提げたかごには果物がいくつか入っている。上機嫌で歩く彼を不穏な目つきで尾行する人影が2つあった。気付かれず見失わない一定の距離を保ちながら、ガラの悪い2人の男は神父を追う。辺りには物乞いをする者や、何をするでもなく道端に座り込む者、怪しい品物を売り付けようとする者達で溢れている。やがて神父が人気の無い路地へ入って行くと、男は神父の前に立ち塞がった。
「神父さんよぉ、ちょっとばかり話があるんだけど。」
にやにやと品の無い笑みを浮かべて話しかけてきた男に、神父は微笑を崩さず答える。
「何でしょうか?」
表情を変えない神父に僅かに苛立ちを浮かべ、男達は神父を壁際にじりじりと追い詰めながら話を続ける。
「教会で神父さんが飼ってるものを譲ってほしいんだよ。闇ルートで高く売れるんだぜ、あれ。」
「神父さんがあんなもん持ってちゃいかんだろ。だから俺達がもらってやるよ。」
頭1つ分ほど高い2人の男の顔を見比べながら、神父は静かに首を振った。
「何の事だかさっぱりわからないのですが。」
その言葉に、男達の顔から笑みが消える。鍛えたのか薬剤によるものか、衣服を破らんばかりに発達した筋肉を見せ付けるように身体を乗り出し、男は神父の肩に手をかけた。
「しらばっくれんじゃねぇよ!」
だが次の瞬間、悲鳴を上げたのは男の方だった。神父は瞬く間に男の腕を取り背後へ回り込むと、筋骨逞しい腕を軽い動作で捻り締め上げる。華奢な体格をした神父のどこに大柄な男を押さえ込む力があるのか、腕を捻られた男は脂汗を浮かべ身動き一つできずに情けない悲鳴を上げていた。男の肘から骨の軋むような音が聞こえ、もう一人の男の顔をも青ざめさせる。神父は男の耳元に口を寄せ静かに告げた。
「聖職者はひ弱だとでもお思いで? お引取り願えますかね。このまま腕を使い物にならなくさせる事もできるんですよ。」
男が震えながら頭を振り頷いたのを見て、神父は男の腕を離し地面に突き飛ばした。
「お、覚えてやがれ!」
使い古された捨て台詞を吐き2人は逃げ去っていく。やれやれと首を振り神父は落としたかごを拾い上げた。果物に付いた泥を払ってかごへ戻すと、何事もなかったかのように再び穏やかな笑みを浮かべ教会へ向かって歩き出した。
スラム街の外れに彼の暮らす教会がある。古びた教会を訪れる者は皆無に近く、雑草が伸び放題で建物は苔むしひびが入っている。神父は教会の門をくぐると、そのまま裏手にある小さな温室へ向かった。ビニールがあちこち破れていて温室としての機能は果たしていなかったが、周囲を囲む木々のお陰で辛うじて雨風を凌げている。温室の扉を開け神父は声をかけた。
「ただいま、皆さん。」
「お帰りなさい、神父様!」
「神父様、お腹すいたぁ。」
神父を出迎える声がいくつも降ってくる。それは文字通り、神父の頭上から降ってきていた。微笑みながら見上げた神父の視線の先、天井付近の木の枝や棚の上から駆けるような勢いで飛び降りてくる幼い子ども達。彼らの背中には白鳥のような翼や蝶のような羽が生えていた。馬の下半身を持つ者、猫や犬の耳と尻尾を生やしている者もいる。無論、これらは生まれつき彼らに備わっているものではない。彼らは違法な遺伝子改造や移植手術を施されたクローン体、裕福層の人間達の玩具として作られたクローン人間である。遺伝子改造も人間のクローン製造も、ましてや異なる生物の身体の一部を移植するなど法で厳重に禁じられている。だが、既存の娯楽に飽いた金持ち達がひっそりと作らせ、闇社会にその製造技術と売買ルートを広まらせたのである。法に保護されないクローン達の扱いは酷いものだった。見せ物として人目にさらされたり、闘技場で殺し合いをさせられたり暴力や陵辱を常に受けていた。そして違法クローンと闇組織を摘発し壊滅させようと役人達も躍起になっている。役人に見つかれば彼らは殺されてしまう。人として扱われず誰にも守ってもらえない、そんな彼らを神父は保護しこの温室に匿っているのである。どんな形であれ、生まれた命の重さに違いはないというのが神父の信念であった。子ども達1人1人に微笑み頭を撫で言葉をかける神父の目に、少年を抱きかかえ立ち尽くしているシスターの姿が映る。悲しげな彼女の顔にはっとして駆け寄ると、シスターは動かない少年の顔を神父に見えるようにし、涙を零しながら口を開いた。
「お昼過ぎに、温室の奥で倒れていたのを見つけました。申し訳ありません、私が来た時にはもう……。」
言葉にならないシスターに神父は静かに首を振った。
「メアリ、あなたが謝る必要はありません。辛い思いをさせてしまって、謝らなくてはいけないのは私の方です。」
メアリから少年の亡骸を受け取り神父は黙祷を捧げる。朝は元気いっぱいに手を振り出かける神父を見送ってくれたのに、今は少年の身体は冷たくこわばっていた。背中に植えつけられた虹色の羽は乾燥し、抱き上げた神父の腕からはらはらと散るように崩れ落ちていく。強引な遺伝子改造や移植手術をされた身体は長くは生きられない。他の子ども達もそれを薄々感じているのだろう。神父の周りに神妙な顔をして集まり、動かなくなった仲間をじっと見つめている。1人の少女が神父を見上げて泣き出しそうな顔で口を開いた。
「神父様、私もいつか死んじゃうの?」
「そうですね。皆さんも私もメアリも、いつか必ず死を迎えます。」
「怖いよ……。」
怯えた顔の少女の頭をなでながら、神父は言葉を選ぶようにゆっくりと話を続ける。
「生きている限り死は誰にでも平等に訪れます。死というのは、皆さんが人間として生きている事の何よりの証です。」
「神父様は死ぬのが怖くないの?」
涙を浮かべる少女に微笑みかけ神父は頷く。
「死ぬ事自体は恐ろしい事ではありませんよ。死を迎える時に後悔しないように、今を精一杯、誠実に生きる事が大切なのです。」
ふっと遠くを見るような目つきで神父は言葉を続ける。
「……生き続ける事の方が恐ろしい時もありますからね。」
消え入るような神父の言葉は子ども達の耳には入らず、メアリだけが悲しい眼差しで神父を見つめていた。

 古びた教会での質素で穏やかな暮らし。神父によって過酷な境遇から救われたクローンの子ども達は、始めは警戒心むき出しで常に怯えた表情を浮かべていたが、優しい神父とシスターメアリに接するにつれ徐々に心を開いていった。短い一生をせめて笑顔で終える事が出来ればというのが神父の願いだった。温室で暮らす子ども達は皆、神父とメアリを慕い年相応の無邪気さで幸福に暮らしていた。
だが、幸福な暮らしは長くは続かなかった。

 ある日の昼下がり。いつものように街へ買い物に出た神父は街外れから煙が立ち上っているのを目にした。教会のある方向からの煙に胸騒ぎを感じ駆け戻ると、温室も教会も炎に包まれていた。温室へ駆け込もうとした神父を阻んだのは政府の役人達だった。
「あんたがこの教会の責任者か?」
「そうですが、何か?」
「温室の違法クローンもあんたのものだな。」
「どこで手に入れたのか聞かせてもらおうか。」
「何ですって?」
高圧的な態度で役人達は神父の腕を掴む。
「闇ルートでしかあれは流通していないのだ。どこでどうやって手に入れたのか、役場でじっくり聞かせてもらおう。」
「全く、聖職者が違法クローンを飼っているなんて世も末だな。」
その言葉に神父の顔が険しく歪む。
「何だと……!」
掴まれた腕を振り払い神父は叫ぶ。
「私は彼らを飼ってなどいない。共に暮らしていたのだ!」
「はぁ? 戯言は役場でゆっくり聞いてやる。」
「さっさと来い。」
「何故温室に放火した! 子ども達はまだ中にいるのか!?」
神父の言葉に役人は呆れ顔で口を開いた。
「何を言っている。違法クローンは発見次第すぐに殺処分せよとの命令だ。」
「処分だと……? ふざけるな。彼らは人間だ。処分なんて扱いは許されない!」
業火に包まれた温室が崩れる音が響く。温室へ向かおうとした神父の腕を掴み役人は顔をしかめた。
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと来い。奴らは全部あの中に閉じ込めておいた。生きている奴なんていない。」
温室は轟音を上げ崩れ落ちた。火を放つ前に薬品が撒かれたのだろうか、崩れ落ちた温室は燃やすものが無くなっても尚、炎を上げ燃え続ける。轟音の中に、子ども達の悲鳴や絶望の声を聞いた気がして、神父は身体を震わせる。
「何て事を……!」
揺らめく炎。一面の赤。空を仰ぎ神父は絶叫した。
「神よ! あなたは、我々の存在すら許さないと仰るのか!」
司祭服が熱風にはためく。苦しげな呻き声を上げた神父は次の瞬間、獣めいた咆哮を上げた。ゆったりとした司祭服の背が膨らむ。再び神父が咆哮を上げると、司祭服を引き裂いて蝙蝠を思わせる大きな黒い羽が現れた。突然の事に呆然としていた役人は、赤く煌く神父の目を見て悲鳴を上げる。
「お前も違法クローンか!」
役人に向かって伸ばされた神父の腕には爬虫類のような鱗が見え、手には長く鋭い爪が生えていた。恐怖に顔を引きつらせ逃げ出した役人を神父の爪が捉える。
「神父様、いけません!」
教会が火事だと聞いて駆けつけたメアリの悲痛な声が響く。だが、その声はもう神父には届かなかった。怒りに満ちた獰猛な声を上げた神父の腕が、役人の胸を貫く。鋭い爪と硬い鱗を持つ腕に貫かれた役人は悲鳴を上げる暇も無く息絶えた。血に濡れた腕を振るい神父はもう1人の役人を追う。腰を抜かして座り込んだ役人の喉を、猛獣と化した神父の爪が切り裂いた。
「神父様!」
再びメアリが叫ぶと、神父はゆっくりとメアリに視線を向ける。そして咆哮を上げメアリ目掛けて走った。まっすぐに神父を見つめるメアリに、攻撃を加えようとした神父の腕が止まる。やがて悲しげな声を上げ神父はその場に倒れるように座り込んだ。爪と鱗が皮膚の下に消え、瞳が赤から茶色へ戻り理性の光が宿る。黒い翼は小さく畳まれ、涙を流しながら神父はメアリを見つめ返した。降り出した雨が炎を鎮めていく。何も言えず震える神父をメアリは静かに抱きしめた。
「神父様、ごめんなさい。」
「何故、あなたが謝るのです。」
「私がもっと早く着いていたら、放火される事はなかったでしょう。あの子達しかいなかったから、あの人達は……。」
肩を震わせ神父はメアリの言葉を遮る。
「いいえ、私がもっと慎重に彼らを匿うべきだったのです。私があの子達を死なせたも同然。私と出会わなければ、こんな無残な死に方をせずに済んだかもしれないのに。」
神父の言葉にメアリは大きく首を振った。
「そんな事はありません! ここへ来て、あの子達は幸せそうでした。神父様も皆の笑顔を見たでしょう。神父様は、皆を救う力を持っています。あの子達は『ここは楽園だ』っていつも言っていました。」
「しかし結局私は皆を死なせてしまった! 私は、思い上がっていただけなのです。違法改造されたクローンの私が大人になったのは同じ境遇の仲間を救うためだなどと、救世主にでもなったつもりでいたのです。」
十数年前に、彼は闘技場の最強生物として作られた。来る日も来る日も、見せ物にされ仲間を手にかける日々。命令に逆らえば酷い拷問を受けた。そんな毎日に嫌気がさし、闘技場の支配人と見張り番を襲って脱走してきたのである。放浪の果てに廃墟と化していたこの教会に辿り着き、手にかけた仲間への償いと同じ境遇の仲間を救おうと、いつかクローン達も人間と対等に暮らせるように願いながら生きてきた。
「神父様……。」
メアリの言葉に彼は自嘲する。
「私は神父なんかじゃありません。たまたま見つけた住処が教会だっただけ、司祭服が背中の羽を隠すのに都合のいい作りをしているから着ていただけなんです。私の手は血に染まっています。クローンの製造が禁じられているからと言って、生まれたクローン本人に罪はありません。だけど私は違う。命令に逆らう事を許されず多くの仲間を手にかけた。贖罪のつもりで匿った子ども達も死なせてしまった。そして今怒りに任せて人を殺した。誰も私を許さないでしょう。」
悲しげなその言葉にメアリは神父の手をそっと握った。
「たとえ神様が許さないと仰っても、私が許します。」
涙を堪えメアリは真っ直ぐに神父の目を見据える。奇跡的に業火を逃れた花びらが、風に乗って神父の手のひらに舞い落ちてくる。雨に濡れた花びらを握り神父はそっと目を閉じた。脳裏に浮かんできたのは、温室で暮らす子ども達の笑顔と無邪気な笑い声。メアリに支えられ神父はゆっくりと立ち上がった。降り注ぐ雨に包まれた温室の焼け跡をじっと見つめる。ここで過ごした日々が、あの子達にとって幸福なものであった事を願った。
「いきましょう、神父様。」
「メアリ、私はまだ……。」
言葉に詰まった神父の言いたい事を察しメアリは微笑んだ。
「当たり前ではないですか。」


楽園へ至る道を全ての者へ開くために、神父はメアリと共に歩き出す。


                      END


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