――あなたの傍で探し物をしているおじいさんがいたら、もしかして……――
クリスマスが間近に迫ったある日の朝。神崎浩平は窓の外の柵に紙切れが引っかかっているのを見つけた。冷たい空気に身震いしながら手に取ると、そこには「サンタさん、ことしのクリスマスプレゼントには、おおきなくまさんのぬいぐるみをください。いい子にしています。」と子どもらしい大きな字で書かれてあった。名前とこの近所の住所まで書いてあり、クレヨンで首にリボンを巻いたくまのぬいぐるみのイラストも描かれている。
「何だ、こりゃ。」
まだサンタクロースを信じる子どもがいるのかと軽く驚きながらその手紙を眺める。自分には関係ないから捨ててしまおうと思ったが、小さな子どもが一生懸命描いたのであろう文字とくまのイラストを見ると捨てるに捨てられず、かといってどうしようという考えもなく、浩平は手紙を机の上に放り出してバイトに向かった。
それから数日後。バイトを終えコンビニに立ち寄り、雑誌とカップ麺やスナック菓子を買って歩いていると一人の老人がじっと自分を見つめているのに気が付いた。ちらっと視線をやるが知り合いではない。赤いセーターと黒いズボンを着た体格のいい老人で、浮浪者の類ではなさそうである。浩平が気にかけた事に気づいた老人は笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。
「お兄さん、すまんがちょっとお願いがあるんじゃが。」
何で俺に声をかけてくるんだ、他に人はたくさんいるじゃないかと内心悪態をつきながら、浩平は早口に答える。
「すみませんが急いでるんで。」
目を合わせないよう俯いて浩平は老人をかわそうとしたが、老人は浩平の視線の先に回りこんで人懐っこい笑みを浮かべる。
「この辺で落し物をしたのじゃ。一緒に探してくれんかのう?」
「落し物なら交番に行った方が早いです。」
「それがのう、何を落としたのか覚えておらんのじゃ。とっても大事な物だという事は覚えてるんじゃが、記憶を無くしてしまってのぅ。」
関わり合いになりたくないと、浩平はそれ以上口を利かず歩き出す。すると老人は浩平に追いすがっておいおいと泣き出した。
「最近の若いもんは冷たいのぉ。困ってる老人を助けてはくれんのか? お前さんなら助けてくれそうじゃと思ったのに。世間の風は冷たいのう。あれが見つからんと儂は寿命が縮まってしまうというのに……。」
周囲の冷たい視線を浴び浩平は溜め息をつく。見知らぬ老人に泣きつかれて困ってる青年を助けてくれる人もいないのか、本当に世間は冷たいなどと考えながら浩平は口を開いた。
「わかったよ、わかったからこんな所で大声出さないでくれ。」
「助けてくれるんじゃな。ありがとう、ありがとう。この恩は一生忘れんぞ。」
今泣いていたのがまるで嘘のように、老人は満面の笑みを浮かべ浩平の手を握る。大げさに喜び良かった良かったと呟く老人に溜め息をつきながら浩平は問い掛ける。
「で、その落とした何かってどういうもので、どこで落としたんです? 何にも覚えてないわけじゃないんでしょう?」
「ふむ……。儂らにとってとっても大事なものの一つなんじゃが……。うーむ。」
眉間に手を当てて俯き大仰な仕草で考え込んでいた老人は、何かを思い出したのかぽんっと手を叩く。
「うむ、そうじゃ!」
「何か思い出したんですか?」
早く解放されたい一心で聞いた浩平だったが、老人は浩平が手に提げているコンビニの袋に目をやった。
「腹が減っては脳が働かぬ。飯にしよう!」
「そんな悠長な事言ってていいのかよ。」
にこやかに言い放った老人にもはや敬語を使う気も失せて、浩平は今日何度目かの溜め息をついた。
「飯って言ったって、じいさん家どこなんだよ?」
「儂の家はここからずっとずっと遠い国じゃ。」
「はぁ? もしかして俺に奢らせる気?」
「ちゃんと礼はするから安心せい。お前さんの家はどこじゃ?」
「ここから20分位の所だけど。」
「おぉ、そうか、ちょうどいい! さぁさぁ、案内せい。」
強引な口ぶりとそれに似合わぬ無邪気な笑みに、何がちょうどいいのかと溜め息をつく気さえも失せ、浩平は老人と共に歩き出した。マンションの前に着きオートロックを解除する。「神崎」と書かれたポストをチェックして郵便物を取り出し浩平はエレベーターへ向かった。静かに上昇するエレベーターで老人は浩平に問い掛ける。
「お前さん、こんな上等な所に住んどるのか?」
その言葉に浩平は俯き老人から目を逸らす。
「ここは、兄貴が借りてる部屋だ。俺は居候させてもらってるだけ。今兄貴は仕事で海外にいるから、急な客があっても大丈夫。」
「ふむ……。お前さんも色々あるんじゃな。」
それ以上詮索されなかった事に安堵し浩平はエレベーターを降りた。
「まぁね。部屋はそこの突き当たりだよ。」
廊下の突き当たりのドアを開け浩平は老人を部屋に入れる。コンビニの袋をリビングの隅に置き、カップ麺を取り出す。
「俺、料理なんてできないからカップ麺だけど。」
「おぉ、構わんぞ。無理言って押しかけてるんじゃ。そんな文句は言わん。」
お湯が沸くのを待つ間、浩平は老人に問い掛ける。
「そういえば、じいさんの家は遠い国だって言ってたけど、じいさん外国人なの?」
「おぉ、そうとも。儂の故郷は北の寒い寒い国じゃ。」
「それにしちゃ日本語上手いな。絶対日本人だと思ったけど。」
老人は得意げな笑みを浮かべる。
「儂は世界中どこの国の言葉でも喋れるぞ。」
そしてとっておきの秘密を明かすとでも言いたげに人差し指を立ててウィンクする。
「実はな、儂はサンタクロースなのじゃ。」
「は?」
マンガだったら部屋中に吹雪が巻き起こっているであろう空気が流れた。キッチンのやかんが沸騰を知らせる音で浩平は我に返る。慌ててキッチンへ走りカップ麺を作りながら、浩平は呆れ顔で口を開く。
「じいさん、大丈夫か? 頭でも打ったのか? 記憶無くしたってのもそのせいなんじゃないの?」
「むぅ。失礼な。お前さん、信じておらんな。」
「当たり前だろ。この歳でサンタクロースなんて信じるかよ。」
大げさに溜め息をつき老人は首を振る。
「悲しいのぉ。そんな事を言われたら儂らの寿命は縮んでしまうというのに。」
2人分のカップ麺をトレイに乗せ、そっと運びながら浩平は口を開く。
「いい歳した大人はサンタさんなんて信じてないの。」
カップ麺をリビングのテーブルに乗せると携帯電話のタイマーを3分後にセットする。
「これ食ったらさっさと探し物始めようぜ。」
「何故信じないのじゃ。目の前に本物がいるというのに。」
「サンタクロースなんておとぎ話だろ。それともあれか、じいさんはどっかの国が認定したサンタクロース協会とかいうやつの会員なのか。」
老人はむきになって浩平を見据える。
「こうなったら何が何でも信じさせてやるまでじゃ。腹ごしらえが済んだら出かけるぞい。」
「探し物の心当たりがあるのか?」
「子ども達へ配るプレゼントを買いに行くのじゃ。」
タイマーを止めカップ麺に液体スープを注ぎながら浩平は不安げに老人を見遣る。
「じいさん、金持ってんの?」
「無論じゃ。サンタクロースも普段は一般の人達と一緒に働いているんじゃぞ。子ども達へのプレゼント代は自分達で稼ぐ、当たり前の事じゃよ。お金もおもちゃも湧いて出てくるわけじゃあるまい。」
「そりゃそうだけど。そもそもじいさんが本物のサンタクロースだって言う証拠はどこにあるんだよ。悪いけどどっからどう見ても普通のじいさんだぜ。とてもサンタのおじいさんになんか見えない。」
浩平の言葉に老人は困り顔で天井を見上げる。
「ふぅむ。トナカイとそりはクリスマス当日じゃないと呼べんしのぉ。サンタ装束も国に置いてあるしな。」
カップ麺をすすりながら浩平は溜め息をつく。
「わかったわかった。いいからさっさと用事と探し物済ませようぜ。」
「今お前さん、めんどくさい事に関わってしまったと思っておるな。」
「バレた?」
「目に見えるものしか信じられんとは、悲しい事じゃぞ。」
「そう言われてもね。それより、探し物はどうするんだよ。」
箸を止め老人は浩平の目をじっと見つめ答える。
「お前さんから、かすかにだが子ども達の願いを感じるんじゃよ。」
「何だよそれ? 言っとくけど俺には子どもなんていないし、知り合いにも小さな子どもなんていないぜ。」
「わかっておるよ。しかし確かにお前さんから感じるんじゃ。交番でも他の人間でもなく、お前さんに声をかけたのはそういう事じゃ。」
「気のせいじゃないか? 俺には心当たりは全くないぜ。」
やれやれと首を振り、浩平は早々に食べ終えたカップ麺を片付けながら言葉を続ける。
「仮にじいさんが本物のサンタさんだったとして、俺と会う前どこで何してたか、順を追って思い出してみればいいんじゃないか?」
儂は本物だと言っておるのにとぶつぶつ言いながら老人は口を開く。
「今日はこのエリアの子ども達へプレゼントを買うために来たんじゃ。」
「じゃぁ、そのプレゼントはまだ買っていない、と。だったらその購入資金は?」
老人はポケットを探りながらぶつぶつと呟く。
「デパートに向かっていたら無くし物に気が付いて動転してな、慌てていたら転んでしまったんじゃよ。その後、何を無くしたんだったか思い出せんのじゃ。歯がゆいのぉ。」
悔しげに呟きながらポケットからクレジットカードを取り出した。
「おお、あったぞい。昔は現金を持ち歩いていたんじゃが、便利な世の中になったもんじゃ。」
カードで買い物をするサンタクロースを想像し浩平は思わず笑ってしまう。ますます目の前の老人がサンタクロースだなんて思えなくなってしまった。
「むむ、お前さん、ますます信じられんとか思っておるな。」
笑ってごまかし浩平は言葉を続ける。
「じゃぁ、どこの誰が何を欲しがってるってわかるのか?」
「もちろんじゃ。これがそのリストと、子ども達からの心のこもった手紙じゃ。」
老人は大きく頷きながらポケットから紙の束を取り出す。子ども達の名前と住所、欲しい物の一覧がずらりと並んだ大きな紙と、大小様々な便箋を広げてみせた。便箋にはひらがなばかりの大きな文字が並び、それぞれに欲しい物とメッセージが書かれている。浩平はそれにちらりと目をやり考える。これと同じようなものをごく最近、目にした気がする。
「そのリストの人数と手紙の数、合ってる?」
はっとした顔で老人は手紙の数を数え始める。やがてぴしゃりと額を叩くと大きく首を振った。
「そうじゃ、この付近の女の子からの手紙を無くしてしまったんじゃ。それに気づいて気が動転して転んで、次の瞬間記憶が飛んでしまったんじゃ。子ども達からの手紙を無くしてしまった上にそれを思い出せなかったとは、儂はサンタクロース失格じゃ……。」
肩を落とし嘆く老人をよそに、女の子からサンタクロースへ宛てた手紙と聞いて今度は浩平がはっとする。あっ、と叫ぶと隣の寝室へ駆けて行き、机の上に置いてあった手紙を手に戻って来る。
「もしかして、これじゃないか?」
浩平の手にした手紙に目を通し、老人は顔を輝かせる。
「おぉ、これじゃよ! やっぱりお前さんが持っておったんじゃな。」
大事そうに手紙をしまう老人に、何でわかったんだろうと考えつつも別の疑問が湧いて浩平は首を傾げる。
「なぁ、そのリストがあるんだったら、手紙が無くてもその子の家と欲しい物はわかるんじゃないのか?」
ちっちっち、と人差し指を立てて振ると老人は浩平を見つめる。
「わかっておらんな。これには子ども達の心が込められているんじゃよ。サンタクロースを信じる純粋な子ども達の心が。」
「ふーん。で、俺がそれを持っているのを感じたからじいさんは俺に声をかけたって事?」
「そういう事じゃ。儂が本物のサンタクロースだと信じる気になったじゃろ?」
うーん、と複雑な表情になる浩平に老人は微笑む。
「お前さん、どうしてこの手紙捨てなかったんじゃ? サンタクロースなんぞ信じていないのなら、捨ててしまってもおかしくあるまい。」
戸惑い顔で浩平は答える。
「何だか捨てちゃ悪いような気がしたんだ。俺が持ってても何の役にも立てないけど、一生懸命書いたんだろうなって思ったら、捨てるに捨てられなかったんだよ。」
浩平の言葉に満足そうに笑うと、老人はよっこらしょっと立ち上がる。
「さぁ、買い物に行くぞい。」
「えぇ? 俺も!?」
「お前さん、さっき『用事と探し物済ませよう』って言ったじゃろ。探し物は済んだが用事は済んでおらんぞ。」
にんまりと笑う老人に浩平はやけになって立ち上がる。
「わかったよ! こうなったらとことん付き合ってやるよ。」
デパートに着いた2人はおもちゃ売り場を巡る。たくさんの荷物を持たされ、周囲の視線が自分に集まっているのを感じて浩平は嘆く。
「何か俺がじいさんにねだっておもちゃ買ってもらってるみたいに見えないか?」
「つまらん事を気にするでないぞ。」
ほっほっと笑う老人に怒る気力も失せた浩平はぽつりと呟いた。
「そういえば、おもちゃ売り場なんて来るの何年ぶりだろ。」
浩平のもらした呟きを聞いた老人は何気なく問い掛ける。
「お前さん、さっき自分をいい歳した大人だなんて言っておったがいくつなんじゃ?」
「21だけど。」
「お兄さんの所に居候してると言っておったな。」
小さく頷いて浩平は老人を見つめる。今日会ったばかりの、しかも自分をサンタクロースだなんて言い出す奇妙な老人だが、偉ぶった所の無い茶目っ気さえ感じる言動に好感を抱いていた。ちょっと一休みしようと声をかけ、壁際に置かれたソファに腰を下ろす。この人になら、自分の気持ちを話してもいいと思えた。ゆっくり言葉を選びながら浩平は話し始める。
「3年前に、上京して働いてる兄貴の部屋へ転がり込んだんだ。家は凄い田舎でさ、畑以外ほとんど何も無くて、畑仕事手伝わされて遊ぶ事も出来なくてうんざりしてたんだ。東京での一人暮らしに憧れて、親父と喧嘩したのもあって家を飛び出して、兄貴の所へ押しかけたんだ。兄貴は『好きにすればいい』って言ってくれてるけど、いつまでも居候してちゃいけないとは思ってる。けど……。」
老人は口を挟まずじっと浩平の話を聞いている。その穏やかで真っ直ぐな目に安堵し、浩平は話を続けた。
「東京に出てきて、自分の食い扶持は稼がなきゃってバイト見つけて働いて、でもそれだけなんだ。兄貴は自分の夢を持って東京へ出てきたけど、俺はそうじゃない。ただ、逃げ出して来たんだ。」
浩平はフロアを行き交う人混みに目を向ける。おもちゃ売り場には小さな子どもを連れた家族連れが多い。幸せそうな家族達を何気なく目で追いながら、浩平は言葉を続ける。
「東京へ出てきてから一度も親には連絡してないんだ。兄貴を通じて俺がここにいる事は伝わってるみたいだけど、兄貴が俺の事を親にどう言ってるのかとか、親が俺の事どう思ってるのかは知らない。知りたくないって言うより知るのが怖いんだ。18歳のガキがいっぱしの口利いて家飛び出して、東京へ来たものの目標とかやりたい事とか何にもなくて、3年もだらだらとそのまま過ごして来ちゃって、今更親に顔合わせらんないよな。」
じっと浩平を見つめ、話を聞いていた老人はそっと微笑んで口を開いた。
「サンタクロースが聞き届けるのは、子ども達のお願いだけじゃないんじゃよ。プレゼントを貰って喜ぶ子ども達の笑顔と、子ども達を愛する家族の笑顔、クリスマスに集まった家族の団欒、そういう温かい幸せなものを届け守るのが儂らの役目じゃ。」
老人に視線を移した浩平は戸惑いがちに口を開く。
「でも俺はそれを捨てて来ちゃったんだ。」
浩平の視線を受け止め老人は言葉を続ける。
「捨ててしまったものはまた拾えばいい。家族の絆はそう簡単に切れるものではないからのう。」
「俺に、拾う資格はあるのか? 自分の我が儘で捨てたものだぞ。」
悲しげな目をした浩平に老人は微笑んで頷いた。
「もちろんじゃ。お前さんは子どものサンタクロース宛の手紙を捨てたりしなかった。そういう優しく温かい心をお前さんは持っておる。お前さんはこの子と家族の笑顔を守ったも同じじゃよ。お前さんは、家族の温もりをちゃんと知っておる。」
「でも……。」
「すぐには難しいかの。まぁ、故郷へ帰るか東京に残るか、それはお前さんが決める事じゃ。ただ、傍にいても離れていても、家族の心ってやつは繋がっているもんじゃよ。」
「そういうもんなのか?」
不安げな浩平の言葉に老人は大きく頷いて立ち上がる。
「そういうもんじゃよ。取り返しのつかない事なんて世の中にありはしないんじゃ。さぁ、休憩は終わりじゃぞ。まだまだ買うものはたくさんあるぞい。」
しょうがない、最後まで付き合うかと浩平も荷物を抱え立ち上がる。この荷物は、たくさんの家族の幸せに繋がっていて、自分はその手伝いをしているんだと思うと足取りも心も軽くなった。この老人は本当にサンタクロースなのかもしれないと少しだけ思った。
全ての買い物を終え部屋に戻ると、老人は嬉しそうに微笑んだ。
「手伝わせてすまんかったのう。助かったぞい。」
「いいっていいって。」
凝り固まった肩をほぐしながら笑う浩平に老人は問い掛ける。
「どうじゃ、儂がサンタクロースだと信じる気になったかの?」
「うーん、ちょっとだけ。」
浩平の言葉に苦笑を浮かべ老人は呟く。
「まぁ、クリスマス当日になればわかる事じゃ。」
心地良い疲労に眠気が加わって浩平は伸びをしながら口を開く。
「俺はもう寝るよ。」
「おぉ、今日は本当に助かったぞ。礼は必ずするから楽しみにしておれ。」
軽く手を振って老人の言葉に応えると浩平は寝室に入りベッドに倒れ込んだ。そういえば、クリスマスまであの荷物ここに置きっぱなのか? それは困るな。そんな事をぼんやりと考えながら浩平は眠りに落ちた。
翌朝。老人の姿も、玄関に置いておいた荷物の山も跡形もなく消えていた。あれは夢だったんだろうかと首を傾げるが、未だに残る肩凝りが昨日の出来事は夢ではないと告げている。一体どうやってあのたくさんの荷物を夜のうちに運び出したんだろうと考え込んだが、答えが出るはずも無い。もやもやした疑問を抱えながら浩平は身支度を始めた。
クリスマスの朝。いつもの時間に目を覚ました浩平はリビングからいい匂いがしてくるのに気づいた。首を傾げながらリビングに行くと、テーブルの上には焼き魚と炊き立てのご飯、湯気を立てる味噌汁に漬物が並んでいた。3年間目にしていない、母が毎朝作っていた朝食と同じだった。母がひっそりとやってきて作っていったんだろうかと考えたが、キッチンには料理をした形跡はなく、浩平が昨夜食べたインスタント食品の袋がそのまま置いてある。綺麗好きな母なら、たとえ家を出た息子のキッチンとはいえゴミをそのままにはしておかないだろうと思えた。なら一体誰がこれを作ったのだろう。兄はまだ海外から帰って来ないし、そもそも兄も料理は出来ない。首を傾げながら恐る恐る味噌汁に口をつける。
「旨い……。」
家を飛び出すまでの18年間、食べ続けてきた母親の味。何故これがここにあるのかという疑問は吹き飛び、浩平は夢中で朝食を平らげる。
「ごちそうさま。」
誰もいないリビングで、思わずそう口にした自分に苦笑する。そして、再びここに母の朝食があるのは何故なのかと考え始めた浩平の目に、リボンがかけられた袋が置いてあるのが目に入る。
「まさか……。」
見覚えのあるそれに浩平はそっと手を伸ばす。袋はすっかり色褪せていたが、故郷にある小さなスポーツ用品店の袋だとわかる。リボンをほどき中身を取り出す。入っていたのは古びたグローブだった。汗と泥と埃の染み込んでいる使いこまれたこのグローブは、浩平が小学校に上がった時、父がクリスマスに贈ってくれたものだった。その日父と初めてキャッチボールをして、嬉しくて寝る時もグローブを枕元に置いていたのを覚えている。それから地域のリトルリーグに入り、中学を卒業するまで続けていた野球を辞めてしまったのはどうしてだっただろう。もう子どもじゃないと、父や母の干渉を疎ましく思い始めたのはその頃だったか。家の物置にしまい込んだはずのグローブが、何故今ここにあるのか。毎日美味しい食事を作ってくれて、自分を育ててくれた母を、厳しかったけど、毎日早朝から遅くまで畑仕事をして家族を守ってきた父を、どうして疎ましいなんて思ってしまったのだろう。懐かしさと寂しさに涙が滲んだその時、浩平の脳裏にサンタクロースを名乗った老人の温かな眼差しが蘇る。あぁ、そうか。じいさん、これがあの時のお礼なんだね。あんたは本当にサンタクロースだったんだ。「取り返しのつかない事なんて世の中にない」と彼は言った。浩平は涙を零しながら呟く。
「本当に何かを無くしていたのは俺の方だったんだ。」
しばらく静かに泣き続けた浩平は、やがて決意を固めて立ち上がると、携帯電話を手に取り実家の電話番号を押す。懐かしい声が聞こえ再び涙が出そうになるのを必死にこらえる。
「あ……、もしもし? お袋? 浩平です。」
「浩平? 浩平なの!? あなた何やってるの!」
怒りと喜びと安堵と、様々な感情が入り混じった母の声が聞こえ、浩平は涙を零し携帯電話を握り締めた。
「お、やっと儂がサンタクロースだと信じてくれたようじゃな。」
プレゼントを配り終えたサンタクロースは、電話をかける浩平を見届けると安堵の表情で北の国へ帰って行った。
END
短編の間へ