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『彼がサンタになった理由(わけ)


 今年も無事に仕事を終え、サンタクロースは雪深い村の自宅に戻ってきた。小屋に連れて行ったトナカイを労い、彼は居間の暖炉に火を入れる。冷えた身体を温めながら静かにロッキングチェアを揺らす。プレゼントを受け取り喜ぶ子供達の顔を直接見られないのは残念だが、その喜びや幸福感は彼の心へ伝わってきた。プレゼントに喜ぶ子供を囲む家族、彼らの幸福の一端に自分がいる事は喜ばしい事だった。プレゼントに喜んでいた子供達が成長し、やがて自分の子供が喜ぶ姿を見つめている、繰り返されるそんな光景を微笑ましく思い返しながら、彼はふと疑問に思った。自分は、そんな風にクリスマスプレゼントを喜んだ事があっただろうか。自分の子供の喜ぶ姿を見つめていた事があっただろうか。自分はいつからサンタのおじいさんだったのだろう。生まれた時から既に自分はサンタクロースだっただろうか。違う気がする。遠い記憶を辿ると自分にもそんな世界があったような気がする。だが思い出せない。靄がかかったような記憶の奥、思い出す事を許さないかのようにどれほど深く思い返しても靄は晴れない。考え始めると気になって仕方が無かった。思わず立ち上がり部屋の中をうろうろと歩き回る。そして暖炉の炎に答えを求めるようにじっと見つめていると、ふいに背後から声が響いた。
「知りたいのですか?」
驚いて振り返ると、そこにはソリを先導していた赤い鼻を持つトナカイが佇んでいた。静かに自分を見上げる瞳に彼は困惑する。
「今お前が喋ったのか?」
トナカイは落ち着き払った態度で答える。
「ここには私とあなたしかいませんよ。それに私が人の言葉を喋った事は、現状大した問題ではありません。」
小さく首を振りながらトナカイは言葉を続けた。
「知りたいのでしょう? 自分の過去を。サンタクロースになる前の事を。」
困惑したままサンタクロースは頷く。
「知りたい。儂は生まれた時からサンタではなかったのだろう?」
「もちろんです。」
「なら、儂は何故サンタになったのだ? サンタになる前はどこで何をしていたのだ?」
「知りたいのならお教えしましょう。その後どうするかはあなた次第です。」
トナカイの鼻から赤い光が放たれサンタクロースを包むと彼は眠るように倒れこんだ。意識を無くした彼の前でトナカイは静かに呟く。
「知る事が幸福かどうかはあなたにしか解りません。」

 気が付くと彼は小さなアパートの一室にいた。目の前には小さな布団が敷いてあり、小学校低学年位の男の子が眠っている。これは何だろうと訝しむ彼の前で男の子が目を覚ました。勢いよく飛び起きて、枕元を見回す。そこには何も無かった。期待に満ちていた眼差しがみるみる泣き出しそうに歪む。ゆっくりと布団を出ると男の子は部屋の奥に向かった。
「ママ、サンタさんは?」
部屋の奥は台所になっていて、調理をする音に混じって苛立ちを含んだ女性の声が聞こえた。
「あんたが悪い子だから来なかったのよ。」
「僕悪い子じゃないもん!! 知ってるよ、サンタさんはママなんでしょ。ママがプレゼント買うの嫌だったんでしょ!」
「うるさい! 泣けば済むと思って、嫌らしい!」
彼の目の前で母親は泣き出した子供の頬を引っ叩いた。何も叩く事は無いだろうと彼が男の子へ手を差し伸べた瞬間、赤い光が射して親子の姿は消えた。そうか、あれは自分の子供時代だったのだ。おぼろげながら思い出す。物心ついた頃には母親しかいなかった事、玩具やケーキなど一度も買ってもらえなかった事、今のようにしょっちゅう叩かれて罵られていた事を。
赤い光が消え景色が変わる。大学の門の前で、怒る若い女性に頭を下げる若い男性の姿が見えた。
「クリスマスにデートドタキャンとか信じられない!」
「ごめん、急にバイトが入って断れなくて……。」
周囲の視線を集めながらひたすら謝っているのは、おそらく自分の若い頃なのだろう。謝り続ける男性に女性は尚も声を荒げる。
「どうして断れないのよ! 充は私とバイトとどっちが大事なの!」
その言葉に男性は顔を上げる。その目には怒りが浮かんでいた。
「俺のバイトは遥香と違って生活が懸かってるんだよ!」
「わかったわよ、もういい!」
背を向け足早に歩き出した遥香を追わず充は彼女と逆方向へ歩き出す。思い出した。大学進学を機に家を出て一人暮らしを始めた事。親からの仕送りは無く、バイトを掛け持ちして学費と生活を捻り出していた事。同じゼミで知り合った遥香と付き合い始めて最初のクリスマスに、今の喧嘩でそれっきり終わってしまった事。生活にも気持ちにもゆとりがなかった。友人も少なく、ただ大学とバイト先と自宅を行き来するだけの日々だった。クリスマスに浮かれる友人達が羨ましくなかったといえば嘘になるだろう。あの時遥香を追いかけていれば、少しは何かが違っていたかもしれない。だが、今更どうしようもない事だ。
何だかクリスマスには碌な思い出が無い、そう嘆いた時再び赤い光が射した。今度はどんな碌でもない記憶を見るのだろう。見た所で何になるだろう。妙な疑問など持たず、サンタ稼業を続けていれば良かったのに。そう後悔し始めた時、赤い光は消えた。
「父さんの嘘つき!」
目の前に立った少年に突然怒鳴られて驚いていると背後から疲れた声がした。
「仕方がないだろう、仕事なんだ。」
振り返るとコートを脱ぎながら疲れた顔で少年を見つめる男の顔があった。さっき見た学生時代の自分を少し老けさせた男は、尚も詰め寄る息子を疲れた顔で宥める。
「映画ぐらいもう一人で行けるだろ。来年は中学生なんだから。」
「そういう問題じゃないんだよ!」
言い合う父と息子を宥める別の声が聞こえた。
「将人、お父さんは疲れてるんだからそんなに責めないであげて。充さん、本当に少しでも時間は取れないの?」
「あぁ、悪いけど無理だ。」
「そう。今年は家族でクリスマスを過ごせると思ってたけど、残念ね。」
寂しそうな表情を見せたのは学生時代の彼女とは別の女性だ。そうだ、大学を卒業して小さな企業に就職した。社内恋愛をして目の前の彼女、洋子と結婚し息子が生まれた。一見幸せな家庭に見える。だがここでもクリスマスには怒りや悲しみが溢れている。宥める洋子の手を振り払い将人は充に詰め寄る。
「いっつも仕事仕事って言って約束破るじゃんか!」
「将人、止めなさい。」
「出来ない約束ならするなよ!」
「うるさいな、俺はお前達の為に働いてるんだろうが!」
充の怒鳴り声に将人は立ち尽くす。そういえば、息子を怒鳴ったのはこれが初めてだったかと、過去の光景を見つめながら充は思い返す。過去の充は再びコートを羽織ると玄関に向かって歩き出す。
「充さん、どこへ行くの?」
「タバコ買ってくるだけだよ。」
洋子の声にうっとおしげに答えると充はドアの外へ姿を消した。こんなはずじゃなかったのに。多忙な日々の中、家族と過ごせるクリスマスを自分も楽しみにしていたのは確かだ。先延ばしに出来ない仕事が舞い込んで、また息子との約束を破る事になって胸を痛めていたのに、謝るよりも先に怒鳴りつけてしまった。それで頭を冷やそうとタバコを買いに出たのだ。この後どうしたのだっけ。考えても思い出せない。過去の充がコンビニに入っていくのを見つめている。カートン買いしたタバコが入った袋を下げ外へ出た充は、出入り口でサンタの衣装を着た店員の女の子に声を掛けられている。ご家族にクリスマスケーキはいかがですかと言われたのだ。屈託のない彼女の口調と笑顔、そして寒い中で薄っぺらなサンタの衣装にもめげずに働く彼女に気を許して息子を怒らせた事を話してしまい、なら尚更ケーキ買って行ってあげて下さいと言われて小さなケーキを買ったのだ。これで少しは将人に許してもらえるだろうか。寂しそうな洋子にも。思い返せば毎年クリスマスもゴールデンウィークも仕事で、家族と過ごした時間はほぼ無かった。将人は来年中学生になる。中学生にもなれば、親と過ごしたがる事も無くなるだろう。そう思って、今年こそはと休みをもぎ取った。将人が観たいと言っていた映画を皆で観に行き、クリスマスプレゼントを将人と洋子に買って食事をして、そんなささやかで平凡だが幸せなクリスマスになるだろうと思っていたのに、どうしてこんな事になるのだろう。そんな事を考えながら大通りを歩いていた。俯き加減で考え事に没頭して歩く充は周りの状況が見えていなかった。充の進む先の信号は、赤だった。クラクションが響き、ヘッドライトが充を照らし出した瞬間、衝撃――

「……っ!!」
言葉にならない声を発し跳ね起きる。赤い鼻のトナカイが静かに充を見つめていた。暖炉の火が爆ぜる音がして、充は我に返るとトナカイを見つめ返す。
「俺は、死んだのか? それで、妻や息子を悲しませた罪滅ぼしに、サンタをしているのか?」
充の問いにトナカイはゆっくりと首を振った。
「いいえ、あなたはまだ死んではいませんし、サンタクロースの仕事は罪滅ぼしではありません。」
サンタクロースを罪人のように言わないで下さいと苦笑しながら付け加えると、トナカイは言葉を続ける。
「クリスマスを悲しい想いで過ごした人、こんなはずじゃなかったと後悔しながら過ごした人、そんな人々へ、過ごせるはずだった幸せなクリスマスを体験させてあげたいと、本物のサンタクロースは願ったのです。サンタクロースの仕事は、奪われてしまったクリスマスの幸福を体験するにはうってつけなのです。プレゼントを囲む人々を包む幸福が、自分のものとして感じられるのですから。」
「けど、それって疑似体験に過ぎないじゃないか。いいように仕事手伝わされてるだけにも聞こえるけど。」
「えぇ。ですからずっと続けられるわけではありません。いずれ自分の本当の姿を思い出し、自分の幸せを掴みに行かなくてはならないのです。」
トナカイは充の顔を覗き込む。
「そこで選択の時です。このまま今見た事を忘れて幸せなサンタクロースの仕事を続けるか、戻って自分の幸せを掴みに行くか。」
「俺が事故に遭ってから、どのくらい経つんだ?」
「まだ半日程ですよ。」
「何だって? 俺は毎年お前と一緒にプレゼントを配りに行ってただろう?」
小さく笑ってトナカイは答える。
「人間の時間とサンタクロースの時間は同じ流れではありません。私達は過去へも未来へも自在にプレゼントを配りに行けるんですよ。」
あなたのように手伝ってもらえる条件に合う人がいつでもいるわけじゃありませんしね、と胸の内だけでトナカイは呟く。トナカイの秘密の呟きなど露知らず、充は顔を上げた。クリスマスには碌な思い出が無い。だけど。
「俺は、戻るよ。家族の所へ。家族と俺自身の幸せの為に。」
トナカイは大きく頷いた。
「わかりました。では、あなたを待つ人の所へお送りしましょう。」
再びトナカイの鼻が赤く輝き放たれた光が充を包む。自宅だと思っていた雪深い家の居間が、暖炉の爆ぜる音が、遠くなっていく。
「メリークリスマス。」
トナカイの優しい声が聞こえた気がした。そして、家族が自分を呼ぶ声がする。


傷を負い悲しみを抱えたままで行くよりも、これから手に入るかもしれない幸せの為に、この両手は空けて行こう。


                   END

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