短編の間へ /翠玉館玄関へ

『Santa claus』


――あなたにとって、サンタクロースは誰ですか?――

西野由梨はランドセルを背負いため息をついた。帰りたくなくて図書室で本を読んでいたのだが、見回りに来た教師にもう閉めるから早く帰るようにと促されたのである。終業式を終えた昼下がりの校舎は静まり返り、由梨の寂しさを掻き立てる。明日から冬休み。そして今日はクリスマスイブだ。友達はクリスマスプレゼントの話で盛り上がっていた。サンタクロースの正体は父親なんだよと友達の一人に聞かされた時、自分の所へはサンタがやってこない理由がわかった。由梨の家は母子家庭である。由梨は父の事を知らない。一度だけ、母がたんすにしまっていた写真で見た事があるだけだ。母に父の事を聞こうとすると、決まって母は悲しみと不愉快さが同居したような表情を浮かべた。その顔に由梨は父の事は聞いてはいけない事なのだと幼心に感じたのだった。
母は朝から夜遅くまでずっと働いている。由梨と顔を合わせない日も頻繁にあった。憂鬱な気分でアパートの鍵を開ける。冷え切った部屋の明かりをつけ、棚からインスタントラーメンを取り出し茹で始めた。慣れた手つきで野菜を刻む。友達の家では今頃ケーキを焼いてもらっているのだろうか。それともプレゼントを買ってもらうために出かけているかもしれない。冬休みが明けたら、クリスマスプレゼントやお年玉の話で友達は盛り上がるのだろう。由梨には加われない話だ。友達も気を使ってか、由梨の前ではその話題を避けていた。染みだらけの天井を見上げ、一人ぼっちでラーメンを作っている事が悲しくなった。

昼食を食べ終え片付けを済ませると、由梨はせめてケーキだけでも用意しようと財布を手に立ち上がった。僅かなお小遣いを貯めていたのだ、こんな時こそ使わなくてはと、小さいものでいいからケーキを買ってきて、今夜は母が帰って来るのを待っていようと思った。鍵を閉めスーパーへ向かって歩き出す。夕暮れの迫る街はクリスマスのイルミネーションに彩られ輝いている。しばらく歩くうちに視線を感じ由梨は立ち止まり振り返った。いつもの駅前の風景。その中に自分をじっと見つめている人物がいた。ベージュのコートに身を包んだその男は、由梨に気付かれた事を悟るとゆっくりと近付いてきた。思わず身構えた由梨に男は視線を合わせてしゃがみ込むと、恐る恐るといった様子で微笑みかけた。
「由梨……だね?」
「え?」
知っている人だろうかと由梨は記憶を探る。白髪混じりの整えられた髪、温和そうな二重の目、筋の通った高い鼻、丁寧に揃えられた口ひげ、確かにどこかで見た事がある。男の目を見つめ返した時、由梨の脳裏に閃光が走った。母がたんすにしまっていた写真の父の姿が蘇る。生まれたばかりの由梨を抱いた母の隣で幸せそうに微笑んでいた父。写真より少し痩せているが、目の前の男は写真の父にそっくりだった。
「パパ……なの?」
由梨の言葉に安堵したように男は微笑んだ。
「そうだよ、由梨。大きくなったな。」
何があって父と母が離れて暮らしているのか、由梨には知りようもない。だが、自分にも父が確かにいるとわかった事が、自分に会いに来てくれた事が、単純に嬉しかった。淋しさに沈んでいた気持ちが温かくなるのを感じた。微かに震えている父の手を由梨はそっと握り、その胸に抱きつく。煙草と整髪料の匂いが由梨の鼻を掠めた。それはとても安心できる匂いだった。由梨をそっと抱きしめ男はほっとしたように呟く。
「元気そうだな。安心したよ。」
「うん、私もママも元気だよ。」
「そうか、良かった。」
由梨の手を握り男は由梨の目を見つめる。そして懐から小さな包みを取り出した。
「クリスマスプレゼントだ。ママにはまだ内緒にしてくれな。」
「開けてもいい?」
「あぁ、いいよ。」
嬉しそうに由梨は包みを開ける。出てきたのは小さなガラスビーズを散りばめたペンダントだった。
「うわぁ、キレイ! ありがとう、パパ。」
満面の笑みを浮かべた由梨を男は強く抱きしめる。
「いつか、きっと……。」
「えっ?」
顔を上げ首を傾げた由梨には応えず、男はそっと手を放し立ち上がった。
「そろそろ行かなくては。由梨、気をつけて帰るんだよ。」
「うん! ありがとう、パパ!」
叫んだ由梨に微笑んで手を振り男は駅へ向かって歩き出す。
「また、会えるよね、パパ……。」
握り締めていたペンダントをそっと包みに戻し大事にバッグにしまうと、由梨はケーキを買いに来た事を思い出し足早に歩き出した。

夜遅く帰宅した母を由梨は玄関まで出迎えた。
「あら? 由梨、まだ起きてたの?」
「うん、あのね、お小遣いでケーキ買ってきたの。ママと一緒に食べようと思って待ってたの。」
由梨の言葉に母は微笑む。
「そうなの? ありがとう。じゃ、すぐに食べましょう。」
「うん!」
由梨は思わず母に抱きついた。その瞬間、あれ? と思う。母の服から煙草と整髪料の匂いがしたからだ。今日会った父と同じ匂いだった。
「あらあら、どうしたのこの子ったら。」
上機嫌で笑いながら母は由梨の手を解き居間に向かう。由梨は台所へ駆けて行き冷蔵庫からケーキを取り出す。居間の隅に置かれた母の鞄から何かが覗いていて由梨の目を引いた。それは、父に貰ったペンダントと全く同じ包みだった。抱きしめられた時の父の言葉が蘇る。「いつか、きっと……。」と微かな声で父は言った。サンタクロースは確かにいるのだと微笑む。もしかしたら、家族3人で暮らせる日が来るのかもしれない。それはペンダントよりも輝く最高のクリスマスプレゼントだった。


             END
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