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この世界は窮屈だ。
早く大人になって、矛盾だらけで窮屈なこの世界から、抜け出したいと思っていた。

『世界を開く鍵』


 自室のドアを閉め、麻紀は溜息をつきながら制服のブレザーをベッドに放り投げた。本棚の上に置かれた鳥篭から、インコのピピが麻紀を迎えるようにさえずる。
「ただいま。ピピ。」
憂鬱な表情を崩さないまま、麻紀は本棚の傍にある椅子に座り、ピピの鳥篭を眺める。やがてゆっくりと立ち上がり、麻紀は鳥篭を手に取った。
「篭の鳥か……。窮屈だよね、羽があるのにこんな所に入れられて。」
溜息をつきながら麻紀は椅子に座り、机の上に鳥篭を置いた。机に突っ伏して顔を上げ、篭の中のピピを見つめる。
「私も同じ。大人が作った篭に入れられて、自由を奪われてる。」
再び麻紀が溜め息をつき机に突っ伏した時、すぐ近くから声がした。
「ちょっとぉ、一緒にしないでもらえる?」
「え?」
驚いて辺りを見回す。部屋には麻紀以外誰もいない。篭の中のピピを除いては。
「ピピ? まさかね。」
疲れているのかもしれないと首を振った時、麻紀の耳に再び声が響く。
「他に誰がいるのよ。」
インコは九官鳥やオウムのように喋る鳥ではなかったはずだ。まして、人まねではなく自分の意思で喋る鳥などいるはずがない。麻紀は篭の中で羽をばたつかせるピピを唖然として見つめる。
「ピピが喋った? 夢でも見てるのかな……。」
「そう思いたければそう思ってていいわ。」
呆れたように呟きピピは羽をばたつかせる。
「それよりも、あなたは自由を奪われてるって言ったわね。あたしと同じだって。」
これは夢だと思う事にし、麻紀は頷く。
「そうよ。羽があるのに狭い篭に入れられてる。自由に羽ばたけない。ピピも窮屈でしょ。」
「そんな事ないわ。あたしはいつだって自由よ。」
意外なピピの言葉に麻紀は小さく首を振る。
「ピピを篭に入れて飼ってる私が言うのもなんだけど、こんな狭い篭に入れられて窮屈なんじゃないの? 外に出て、空を飛びたいとは思わないの?」
わかってないわねぇ、と呟きピピは麻紀を見上げる。
「出ようと思えばいつだって出られるわよ。そうしないのは、あたしが自由だから。」
「どういう事?」
「ここにいれば外敵に襲われる事も無い、食事にもあり付ける。篭の中は綺麗にしてもらってるし病気になる危険も少ない、こんなに安全で快適な所を出るメリットは特にないわ。外へ出る方が不自由と危険でいっぱいよ。」
ここからが大事、と言ってピピは言葉を続ける。
「あなただって自由よ。不自由だと感じるのは、篭の中の安全さに甘んじたまま自由になろうとするからよ。」
「でも私は篭から出してなんてもらえないよ。」
「出ようとしない言い訳なんじゃないの?」
ピピの言葉に黙ってしまった麻紀に、ピピは苛立たしげに羽をばたつかせる。
「このまま行けばどうなるか、見せてあげる。自由の意味もね。」
ピピが一際大きく羽を震わせると、麻紀の部屋は一変しどこかの小さなオフィスの事務所らしい光景が広がった。雑多に散らかった事務所で、スーツを着た女性が硬い表情で上司らしい男の傍に立っているのを、ピピと麻紀は見下ろしている。
「これは数年後のあなたの姿。中途半端な想いを抱えたまま大学を出て小さな出版社に就職、雑用ばかりの日々を数年過ごしてようやく記事を書かせてもらえるようになった頃ね。」
男は麻紀の原稿を読んで首を振っている。
「困るんだよね、こういう過激な事を書かれると。」
「でも取材して得た事実です。この企業が不正に関わって人々を苦しめているのは間違いありません。」
「そうなんだろうけどさ、この企業を叩いたらうちは間違いなく潰される。こんな事して何になるの?」
「事実を伝える事がメディアの在り方ではないのですか。力に媚びるなんて間違ってます!」
「この人達を救う為にうちの会社潰すつもり? 君にここの全社員の生活面倒見れるの? 自己満足な正義感振り翳すんならよそでやってくれよ。そもそもうちにそんな影響力は無いしね。君はもっと大人になった方がいい。」
言論の自由やメディアの使命を主張する未来の麻紀からピピへ視線を移し、麻紀は呆然と呟く。
「何よ、これ。今よりずっと不自由じゃない。これが私の未来? 大人になるってこんな事なの?」
「あなたが自由の意味をわからないまま行けばこうなるわ。」
いつの間にか未来の光景は消え、麻紀はいつもの部屋にいた。
「篭の中に居れば安全だわ。生活には困らないでしょう。それでも篭から出て自由になりたいのなら、自分の言動全てにその責任を負わなきゃいけない。自分の自由だけ主張して他人の自由を侵害するなんて論外だしね。自由って簡単に言うけど、世界にいるのはあなた一人じゃないって事。」
ピピは麻紀を見上げ言葉を続ける。
「それにあなたがあたしを篭で守ってくれるのは、あたしを大事に想ってくれてるからでしょう? 大人達があなたを篭に入れたがるのも、あなたを大事に想うから。同じ事よ。愛に守られた篭の中もまたあなたの世界。そこから出るなら、それなりの覚悟が必要よ。でも覚悟を持って篭を出る事は、あなたを愛する人達に対する裏切りにはならない。大人になるってそういう事なんじゃない? それさえわかっていれば、世界はいつでも外へ開かれてる。あなたは自分で自分の可能性を閉ざしてるだけよ。」
麻紀はそっと頷く。
「確かに私は、今まで両親に守られて何不自由なく生きてきた。でもやりたい事が出来てこの篭が煩わしくなって、その事にちょっと罪悪感を感じてたの。篭から出る事も怖い。でも、外へ出て自分の力を試したいよ。」
麻紀を励ますようにピピは羽を大きく広げた。
「その覚悟を伝えるのは大変だと思うけど、あなたの想いが本物ならきっとわかってもらえるわよ。篭を無理矢理壊す必要はないわ。あなたの心にある鍵を使えばいいだけ。」
「うん、ありがとう。やりたい事があるって話してみるよ。」
満足そうに首を振りピピは羽の手入れを始めた。
 鍵を開ける音が響き麻紀ははっと顔を上げる。どうやら眠っていたらしい。留守にしていた母親が帰って来たようだった。ピピとの会話はやっぱり夢だったのか? 麻紀はピピの篭を元の場所に戻し頷きかけると、部屋を出て階下の母親の元へ向かう。ピピはもう言葉を発さなかったが、麻紀の後姿を励ますように羽をばたつかせた。
―世界を開く鍵は、自分の中にある―
外には穏やかな夕焼けが広がっていた。


                   END


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