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『Self sacrifice』

   魔法使いを捕えるには力が弱まる新月の夜が最適、そんな噂が人間達の間に広まり、魔法を自分達のものにしようとする人間達に多くの魔法使いが捕えられた。力が戻る満月までに魔法の力を抽出しなくてはと、捕えられた魔法使いは全て殺された。魔力は人間のものにはなり得ないのにと、捕えられた魔法使いグローテはため息を吐く。力が弱まっている今、大勢の人間を相手に戦う事も逃げる事も出来なかった。自分も殺されるのだろうと、柱に縛られ拘束された部屋でぼんやりと思う。諦観と共に格子の嵌った窓を見上げていると、ふいに聞き慣れた鳥の羽音が響いた。格子の隙間から使い魔のコウモリが飛び込んで来るのを目にし驚きの声を上げる。
「お前、どうやってここに?」
「闇夜こそ俺らの世界。人間なんぞの見張りを掻い潜るなど造作もない。」
そんな事より、とコウモリは主の目を見据えた。
「グローテ、今すぐ俺を食え。俺は代々の魔法使いに仕えて魔力を蓄えてきた使い魔だ。俺を食えば新月でも力を取り戻せる。」
思わぬ使い魔の言葉にグローテは目を見開いた。
「そんな事は出来ない。お前を食い殺してまで助かろうとは思わない。」
「奴らはあんたを殺す気だ、人間なんかの手にかかって死にたくないだろ。早く俺を食え。」
「お前は新しい主を探せばいいじゃないか。何故そこまでして私を助ける?」
顔を背け頑なに拒むグローテにコウモリは詰め寄る。
「今の主はあんただ。俺はあんたを守り助ける義務がある。」
苛立った口調で告げると、コウモリは爪で自らの喉を裂きグローテの頭上に飛び上がる。滴る血をグローテの口元に落としながら叫んだ。
「俺はあんたを失いたくないんだ! 使い魔が主を気に入るなんて余程の事だぞ、分かってんのか!?」
唇に落ちたコウモリの血が弱っていたグローテの力を呼び起こす。飢餓感を満たすその感覚に抗いグローテは頭を振った。だが意志に反して身体は魔力を秘めた使い魔の血肉を求める。噛みつかれ「それでいい」と泣くコウモリにグローテも泣き、ごめんと繰り返しながらコウモリの血肉を口にした。力を取り戻したグローテは縛めを解き、口元から伝い落ちる血に混じった涙も拭う。それから湧きあがる力の赴くままに自分を捕らえた人間達を引き裂き、夜が開けるまでその場で泣いていた。
 翌朝、コウモリの翼が卓の上に残っていた。翼を手にグローテは立ち上がる。
「きっとお前を蘇らせてやる。」
死んだものを蘇らせる事は魔法でも不可能だ。死者蘇生は邪術と呼ばれる禁忌の術、成功率は極めて低く、上手く行っても待っているのは術者の破滅である。蘇らせる事が出来ても自分が死んでしまうのでは意味が無い。だが、命懸けで助けてくれた者をそのままにして自分だけ生きて行く事など考えられなかった。それに自分もあの使い魔を気に入っていたのだ。こんな形で別れたくなどない。自宅に帰り着くとグローテは書庫にこもって調べ物をしながら考え続ける。あれは単なる食事ではない、使い魔の血肉を喰らい魔力を自分に取り込む術だ。自分の身体に使い魔の生命と力は宿っている。ならば残された翼にそれを還元する事ができるはずだ。本来、魔法使いの力は新月には発揮できない。それが可能なのは決して自然な状態ではないのだ。これを元の状態に戻すのだから、自然の摂理に反する事にはならないだろう。参考になりそうな文献を片っ端から読み漁りメモを取る。通常、魔力を取り込む術は寿命を終える魔法使いが使い魔に対して行うものだ。一度取り込み融合した魔力を再度分離したという前例は無い。魔力と同時に生命も取り込ませる術だ、前例などあるはずもないだろう。だが、やらなくてはならない。メモをまとめると中庭に出る。コウモリの翼を中心に治癒術と還元術を組み合わせた魔法陣を描くと、ナイフで腕を切りつけた。流れ出した血を翼に注ぎ術を開始する。自分の中に息づいている使い魔の魔力と生命を返してやるのだ。あいつは死んだわけではない。何日かかってでも、取り戻して見せる。その日からグローテは寝食も忘れ使い魔の翼に血と魔力を注ぎ続けた。変化を見せない翼に、血だけでは足りないのだろうと指先をナイフで削ぎ肉を翼に与える。
「戻って来い。主の命令だぞ。」
力なく呟きながら知識を総動員し、治癒術、還元術と思いつく限りの術を行使する。失血と疲労で朦朧とする意識を必死に保ち黒い翼を見つめた。正式な準備もしないままに喰らわれるのはどれ程苦痛だっただろうか。自分がこの程度で根を上げるわけにはいかない。その場から動かず一心に術を行使する。どれ程の日数をそうして過ごしたのか解らなくなり始めた頃、グローテはふいに自分の頬にあたる草の感触にハッと目を覚ます。いつの間に意識を失っていたのだろう。慌てて身体を起こす。術が途切れてしまっては意味が無い。
「ようやくお目覚めか?」
聞き慣れた声に、かすんだ目をこらす。目の前の魔法陣にコウモリの姿は無い。幻聴か。使い魔の行為に報いる事が出来なかったばかりか、都合のいい幻聴まで聞くなんて。
「どこ見てるんだよ。傷なら治しといてやったぞ。」
何度も切りつけた腕、削ぎ落とした指先は、何事もなかったかのように傷一つない。
「いつまでぼぉーっとしてるんだよ?」
魔法陣に黒い翼は無い。背後から聞こえる声にゆっくりと振り返る。
「俺なんかのために、バカだな。」
呆れた声に滲む優しい響きにグローテは勢いよく立ち上がる。
「バカはどっちだ。」
頭上を舞うコウモリの身体を強く掴み引き寄せる。
「もう勝手な事、するなよ。」
何も言わず、コウモリはグローテの頬を伝う涙を翼でそっと拭った。


                END


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