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『サンタクロースはいつでも歌う』


 クリスマスが過ぎた夜。サンタクロースは憂い顔で暖炉の傍のロッキングチェアに揺られていた。視線の先、テーブルの上には渡せなかったプレゼントの包みが置かれている。クリスマスイブに病院で亡くなった10歳の少年に渡すはずのものだった。たとえその日に亡くなる運命の子だったとしても、プレゼントを届けられないなんて事があってはならない。それなのになぜ間に合わなかったのだろう。自分の力が衰えているのだろうか。だとしたらなんと不甲斐ないのだ。幼くして消えゆく生命に、せめてもの希望や祝福をあげられないとは、サンタクロース失格だ。どうにかしてプレゼントを届ける術はないものか。考え込むサンタクロースをトナカイが外から呼ぶ声が聞こえた。窓を開けると、トナカイは飛びつきそうな勢いで声を上げる。
「サンタさんも気になっているのですね!」
「渡せなかったプレゼントか? 無論だとも。」
「実はちょっとひっかかる事があるんです。」
「ひっかかる事? 何かね?」
「あの夜、揺れるはずのないソリが何度も大きく揺れました。」
「確かに。荷物を落とさぬよう気を張らねばならなかったな。あんな事は未だかつて無かった。」
クリスマスの夜を思い返す。サンタクロースのソリは風の影響を受ける事はない。平坦でない地上ならともかく、ソリの走行を妨げるものなど何もない空で、ソリががたがたと揺れていたのだ。トナカイは鼻を赤く光らせ感情を昂らせる。
「街の病院に近付くにつれ揺れが大きくなりました。もしかしたら、死神の妨害に遭ったのではないかと考えています。」
「死神が? 何故そんな事を?」
「希望を失わせ、生への未練を断ち切るためではないかと思います。」
揺れるはずがないソリの異常な揺れ、間に合わなかったプレゼント。おそらくトナカイの推測は正しいだろう。サンタクロースは嘆息をもらす。
「幼き生命になんと酷な事を……。トナカイよ。あの夜に戻る事はできないだろうか。きちんとプレゼントを届け、彼の魂に祝福を送りたい。」
もしかしたら、希望を取り戻した少年が死の運命を覆せるかもしれない、そんな事を思いながらサンタクロースは窓から身を乗り出し問いかける。
「はい、私とサンタさんの力を合わせれば不可能ではありません。ただ……。」
サンタクロースの想いを察したのだろう、トナカイは悲し気に目を伏せた。
「私達にできるのは時間を遡り、彼に渡せなかったプレゼントを渡す事だけです。彼の病を治したり、死の運命を変えたりする事はできません。」
一瞬落胆したが、サンタクロースは力強く頷いた。
「そうか。しかしそれでもやる価値はおおいにあるだろう。トナカイよ、力を貸してくれ、」
「はい、行きましょう。」
トナカイの鼻から放たれた赤い光が、サンタクロースとトナカイを包む。眩しさに目を閉じたサンタクロースがしばらくして目を開けると、目の前を自分とトナカイがソリを走らせている所だった。がたがたと大きく揺れるソリの上で、必死に荷物を落とさぬよう押さえる自分の姿が見える。少年がいる病院の近くだった。ソリを走らせ、サンタクロースは眉間にしわを寄せる。
「やはりあの揺れは尋常ではないな。」
プレゼントを配り走るソリを視界に捉え、周囲に目を配る。あの時に妨害する者の存在に気がついていたらと悔やみながら、サンタクロースとトナカイは死神の姿を探す。ソリが病院に到着する前に見つけなくてはならない。
「む? あれは!?」
病院の周りを囲む木々の陰、夜の闇に紛れるように身を隠しながら、サンタクロースのソリを見据えている者がいた。黒いフード付きのローブを纏った細い長身の影は、死の気配を放っている。死神に間違いない。サンタクロースがステッキで示した先へトナカイは赤い光を放った。
「げっ、お前らなんでここに!?」
頭を覆っていた黒いフードを脱ぎ、死神は驚きに目を見開いた。空を行くソリと目の前に現れたサンタクロース達を交互に見遣ると、大仰な仕草で肩をすくめた。
「もしかしてバレた? それでわざわざ時間を遡って俺を止めに来たってか?」
「その通りだ。我々の仕事の邪魔をするでない。」
「なんでバレたんだ。プレゼントなんかもらって『死にたくない』ってゴネられちゃ困るんだがなぁ。」
フードを目深に被り直し、死神は目を細めてサンタクロースを見据える。自分の仕事を邪魔されては困ると、その目に憤りが浮かんでいた。ソリから降りてサンタクロースは首を振る。
「死への恐怖や運命の理不尽さを振り払い、希望と祝福をもたらすのが我々の任務。別にお前さんの仕事を邪魔するつもりはない。」
サンタクロースの言葉に、死神は再び大仰に肩をすくめてみせる。
「どうせすぐ死ぬんだ。そんなの無意味だろ?」
「そんな事は無い。さぁ、そこを退け!」
「嫌だね!」
口角を上げ笑うと死神はサンタクロースを突き飛ばした。よろめいたサンタクロースに駆け寄りトナカイは死神を睨む。
「お前! サンタさんに何をする!」
「うるせぇ! 年寄りは引っ込んでろ!」
ステッキを死神に向けサンタクロースは得意げな笑みを浮かべる。
「お前さん知らんのか? クリスマスは年寄りが活躍する日だ。若造こそ引っ込んでおれ。」
「ほざけ!」
向けられたステッキを払い退け死神は叫ぶ。毎日毎日多くの人間が死ぬ、その魂を迷いなく黄泉の国へ導くのが死神の仕事だ。子供の魂を連れて行くのは忍びないとは思う。だが仕方のない事だ。いちいち情を寄せていては仕事にならない。死をすんなり受け入れ、黄泉の国へ行ってくれなくては困るのだ。死にゆく者へ最後の希望など不要。死神は空を行くソリを睨む。
「邪魔するならソリごと落としてやる!」
「そんな事はさせん!」
鎌を上空のソリへ向け掲げる死神にサンタクロースはステッキを振りかざす。トナカイの体当たりをくらいよろめいた死神の手元へ、サンタクロースがステッキを振り下ろす。鎌でステッキを受け止め、死神は口を歪め笑う。
「たった1人にプレゼントを渡しそびれたってだけで、わざわざ過去へ戻って来るとは酔狂だな。」
「子供を失望させるなどサンタクロース失格だからな。」
「どうせすぐ死ぬ奴なんだから関係ないだろう。」
「そんなわけにはいかんのだよ。」
迫り合って睨みながら、サンタクロースは言葉を続ける。
「死に瀕した子だからこそ、希望や祝福が必要なのだ。お前さんの仕事の邪魔はせんと言っておろうが。」
「うるせぇ!」
ステッキを跳ね除け死神は鎌をサンタクロースに向ける。
「世界中から愛されてるあんたらには分からんだろう。俺の仕事こそ必要な事なのに、恐れられ忌み嫌われる。生は希望、死は絶望、俺を絶望の象徴にしたのは誰だ? 生に希望を与えようとするあんた達だろう!」
憤る死神は頭上に現れたサンタクロースのソリへ向かって大きく鎌を振るう。
「落ちろ!」
「やめないか!」
サンタクロースは鎌を叩き落とそうとステッキを振り下ろす。トナカイが死神の動きを封じようと体当たりする。鎌から生じた黒い炎が上空のソリへ向かって放たれる。
「あぁっ!」
死神ともつれ合って倒れたトナカイが悲痛な声を上げて空を見た。黒い炎はソリをかすめて遥か上空へ飛んでいく。その瞬間、大きく揺れたソリからプレゼントが1つ落ちる。駆け寄ろうとしたサンタクロースの視界の端に、ふいに小さな人影が現れた。思わず足を止めサンタクロースは息を飲む。
「あの子だ。」
祈りを込めて見つめるサンタクロースの前で、ソリから落ちたプレゼントは現れた少年のもとへ吸い寄せられるように軌道を変え、奇妙にゆっくりと落ちて来る。
「なんだ、ありゃ。」
身体を起こし呆然と呟いた死神の視線の先、現れた少年の両手にプレゼントはふわりと収まった。プレゼントを大事そうに抱え少年は微笑む。自分を見つめるサンタクロース達に気付いた少年は、サンタクロースに深々とお辞儀をすると死神に視線を移した。微笑を浮かべ佇んでいる少年に死神は戸惑う。彼の死の時刻だった。
「行ってもいいのか?」
頷いた少年に死神は尚も問いかける。
「本当にいいんだな? 行ったらもう戻れないぞ。そいつで遊ぶ事もできないんだぞ。」
死神を見上げる少年の目は澄んでいて、死への恐怖や絶望は見当たらなかった。唖然とする死神にサンタクロースは微笑む。
「お前さんの邪魔はせんと言ったろう。早く連れて行ってあげなさい。」
「あんたはそれでいいのか? 本当にただプレゼントを渡すためだけに来たのか? こいつを生きながらえさせるために来たんじゃないのか?」
混乱する死神に、サンタクロースは微笑を浮かべたまま小さく首を振った。
「そうしてやりたいのはやまやまだが、我々の仕事は悲しみや絶望を祓い希望や祝福を与える事。死の運命を変える事などできんよ。」
「そうか……。」
少年に視線を移す。サンタクロースを妨害したあの夜も、彼は死を受け入れていた。あの夜と違うのは、プレゼントを大事に抱え幸せそうな笑みを浮かべている事。この少年が死ぬ運命を変えられないというのに、わざわざ戻ってきたサンタクロースの想いが少しだけ分かった気がする。
「なんか、いろいろと悪かったな。」
ぼそぼそと謝罪の言葉を口にした死神にサンタクロースは微笑む。
「いや、我々こそお前さん達の仕事を誤解しておった。すまなかったな。辛い役目を引き受けている事に、感謝する。」
トナカイと共に深々と頭を下げたサンタクロースに、死神は小さく笑って首を振った。
「希望の象徴でいなきゃいけないあんたも大変だな。」
「全くだ。」
死神は少年に手を差し出し、つとめて優しく声をかけた。
「じゃあ、行くか。」
死の運命を前にした子供に、希望を与える事など本当にできるのか。遠ざかって行く少年と死神の背を見送りながら、沈む気持ちを奮い立たせるべく自分の両頬を叩く。サンタのおじいさんが泣くわけにはいかないのだ。
「さて、我々も戻るとするか。」
「はい。」
トナカイの赤い光に包まれながら、こみあげる嗚咽を歌に変え、サンタクロースはつとめて明るくクリスマスソングを歌う。少なくともあの少年は、プレゼントを喜んでくれた。自分のしている事は、意味のある事なのだ。

クリスマスが過ぎても、サンタクロースはいつでも歌う。
悲しみを温かく包み込むように。


END

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