短編の間へ翠玉館玄関へ

『夏の精霊と太陽の女神』

「何だって!?」
夏の間、人間の世界を見守る精霊の戦士を率いる青年は、門番を務める精霊の報告に驚きの声を上げました。夏になると、人間達は涼を求めて怪談話をするようになります。夏の精霊達にとっては厄介な事態でした。怪談話に込められた怨念や、それを聞いた人間達の恐怖心に煽られて、地獄から悪い霊が地上へ出てこようとしてしまうのです。それを防ぐために、夏の精霊達は精霊の世界と人間の世界、そして地獄との境界にある門の守りを強化しています。しかしその日、戦士達の隙を突いて、地獄の門の結界が悪い霊達によって破られてしまったのです。悪い霊達が人間の世界へ飛び出して暴れまわり、地獄の炎は今にも人間の世界を焼き尽くそうとしているといいます。地獄を統治する冥神に状況を確認しようとしましたが、地獄でも混乱が起きているようでまったく連絡がつきません。地獄に落ちた悪い人間の霊を監視するのは冥神の役目です。しかし最近では地獄行きになる人間が多く、全てを監視するのは難しいようでした。冥神への連絡を諦めて青年が人間の世界の様子を見ると、異常な暑さで死者が出るほどの騒ぎになっています。悪い霊達が、地獄の炎を使って人間の世界を地獄に変え、自分達が支配しようと企んでいるのです。青年は表情を引き締めました。
「長に報告し早急に対策を取らなくては。」
長の屋敷へ青年と数名の戦士が訪れ事態を報告すると、長は厳しい表情で一同を見回しました。
「早急に人間の世界へ出た悪しき霊を全て捕え地獄に送り返し、封印をより強固なものにするのだ。」
「はい、直ちに。」
敬礼し出陣の指揮をとろうとした青年を長が呼び止めました。
「隊長にはもう一つ指示がある。他の者は先に任務に就くように。」
「はい。」
戦士達が屋敷を出ると、長は深いため息をついて青年を見据えました。
「近年、人間の世界では夏の気温が上昇し騒ぎになっているのは知っているな。調査によれば、それも地獄に堕ちた悪しき霊の仕業だという。しかしその事で、人間は太陽を恨めしく思い始めている。原因は他にあるというのに、太陽の恵みを忘れるとは嘆かわしい。」
大きく首を振り長は話を続けます。
「そうしてついに人間達の強い恨みが、太陽の神殿にも届いてしまったのだ。謂れのない恨みを受けて、太陽神様はひどくお怒りになられておる。」
太陽神はたいへん気性の激しい女神様です。青年の脳内にも、怒り狂う女神様の姿が浮かびました。長は困り果てた顔で青年に告げます。
「そこで、お前に太陽の神殿に行って今回の事態を説明し、太陽神様をなだめてきてほしいのだ。このままでは人間だけでなく、精霊の世界も闇に覆われてしまいかねん。」
太陽神は四季の移り変わりと共に、各四季の精霊の里にそれぞれ作られた太陽の神殿へ降り立ち、太陽の恵みを世界へ注ぐのが古くからの習わしになっていました。もしもそれが止まってしまったら、世界は暗闇に閉ざされて、あらゆる生命が死に絶えてしまいます。
「……わかりました。」
気が重くなるのを感じながら青年は頷きました。隊長を務めているとはいえ、一介の精霊にすぎない自分が、女神様をなだめられるとはとうてい思えません。しかし、いつも毅然としている長の困り果てた顔を見てしまっては、断る事などできませんでした。長の屋敷を出て太陽の神殿に向かいます。森の中をしばらく歩いて大きな石造りの神殿が見えてくると、女神様の怒りの叫びと、どうにかなだめようとする従者の声が神殿の外まで聞こえてきました。萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、青年は神殿の門をくぐります。門番に取り次いでもらって、青年は女神様のいる部屋へ案内されました。
「女神様、客人です。」
青年を案内した従者はそれだけ告げると、いそいそと持ち場に戻ってしまいました。
「夏の戦士か。何用じゃ?」
「人間の世界で起きている事態について、ご報告に参りました。」
「手短にせよ。わらわは機嫌が悪い。」
「はい。地獄の門の封印が破られ、悪しき霊が人間の世界へ降りてしまいました。地獄の炎を使って、人間の世界を地獄に変えようとしているようです。」
「ほぉ。今年の夏が異常に暑いと言われておるのはそのせいか。」
女神様は怒りに顔を歪め青年を見据えました。
「何ゆえにわらわが人間から憎まれなくてはならんのじゃ!」
「我々の不手際です。申し訳ありません。即刻、悪しき霊達を地獄へ送り返し、門の封印を強化致します。」
青年は深々と頭を下げますが、女神様の怒りは収まりません。
「これまでの太陽の恩恵を忘れおって! 人間の世界など、いっそのこと地獄に変わってしまえばよいのじゃ!」
「何という事を仰るのですか!?」
女神様の言葉に青年は慌てます。
「確かに人間達が女神様を恨むのは筋違いです。しかし、人間達は地獄が本当に存在する事を知りません。」
「そんなのはわらわの知った事ではない! お主はさっさと地上に降りて騒動を解決せよ!」
「はい、直ちに!」
再び深々と頭を下げ、青年は大急ぎで太陽の神殿を後にします。怒り狂う女神様が泣きはらした目をしていた事に、青年は気付きました。女神様は、本当は人間を大切に想っているのです。大切な存在から、理不尽に恨まれてしまい傷ついているのでしょう。心にも無い事を言ってしまい、自分を責めているかもしれません。一刻も早く、悪しき霊を捕え地獄の門を閉ざさなくてはと、青年は急ぎます。先に人間の世界へ向かった戦士達と合流すると、青年は戦況を確認し表情を引き締めました。
「何も知らない人間達は太陽を恨んでしまっていて、太陽神様がひどくお怒りだ。一刻も早く騒動を鎮めなくてはならない。」
青年の言葉に、戦士の一人が不安そうな顔で青年を見上げました。
「もしかしたら、既に太陽神様はお力を注ぐ事を止めてしまわれたのかもしれません。」
「どういう事だ?」
「悪しき霊を捕えようと奮戦しているのですが、何かに力を奪われているようで、全く普段の動きができないのです。」
「まさか。」
驚く青年に他の戦士達も口々に言いました。
「鍛錬を怠ったつもりはありません。それなのに、悪霊に苦戦するなど、考えにくい事です。」
「我々は四季の精霊の中でも、特に太陽神様との結びつきが強いはずです。いかに地獄の炎が人間の世界に迫っているとはいえ、そのようなものに力を奪われる事はないと思います。」
「太陽の守りが失われてしまったのだとしたら、我々はどうしたら……。」
戦士達の悲愴な表情に、青年はどうにか彼らの士気を高めなくてはと考えを巡らせます。
「我々がすべき事は、人間から理不尽な恨みを受けてしまわれた太陽神様のお心を救う為に、そして地獄の熱波にさらされた人間の世界を元に戻す為に、騒動を鎮める事だ。太陽神様を試すような考えは捨てなくてはいけない。」
青年の言葉に、戦士達は背筋を正し頷きました。
「確かに、我らは人間の、そして太陽神様の為に在る。」
「我々が不甲斐ないゆえに起きた事態でした。」
戦士達の瞳に力が戻ったのを見て青年は安堵しました。
「早急に悪しき霊を捕えて地獄の門を再度封印し、人間達へ太陽の恵みを思い出させる事が我々の務め。心してかかれ!」
「はい!」
戦士達は一斉に力強く頷き散開していきます。青年も愛用の剣と呪符を手に、悪い霊を捕えに向かいました。良く晴れた街並みのあちこちで陽炎が揺らめき、人間には見えない邪悪な空気が辺りを覆っています。地獄の炎をまき散らす悪い霊の姿も見えました。行き交う人々は一様に疲れた顔をして、恨めし気に空を見つめています。青年は邪悪な空気の塊へ走り、地獄の炎をまとった悪い霊に飛びかかりました。
「そこまでだ!」
青年に気付いた悪い霊は、耳障りな声を発して青年に炎を放ちます。身の危険を感じた青年はとっさに身体を引き、剣で炎を防ごうとしました。精霊の剣は太陽神の加護が与えられ、通常の炎であれば簡単に消す事ができます。しかし、剣は炎の強大な力に耐えきれず、青年は熱波に弾き飛ばされてしまいました。倒れた青年めがけてさらに地獄の炎が襲いかかります。転がるようにして炎を避けると、青年は立ち上がり悪い霊を睨みます。元人間とはいえ、深い悪意によってもう人の形を保っていない霊体は、自在に形を変え巨大化したりばらばらになったりして、青年を翻弄します。剣を振るい、悪い霊を捕える呪符を飛ばしますが、剣は虚しく空を切り、呪符はひらひらと力を無くして手の中に戻ってきていまいました。地獄の炎が生み出す熱波が圧し掛かるように青年の体力を奪い、立っているだけで呼吸が苦しくなり、視界がかすんでいきます。炎の攻撃をかわすのに精いっぱいで、悪い霊を捕えるどころではありません。他の戦士の様子を伺うと、やはり熱波に体力を奪われ苦戦しているようでした。荒い息をしながら必死に剣を構えます。悪い霊達は青年達をあざ笑うようにするりと攻撃をかわし、炎をまき散らしています。戦士が数人、倒れて動けなくなってしまっているのが青年の視界の端に映りました。このままではみんなやられてしまいます。熱風が青年を襲い吹き飛ばされました。「太陽神様、ご加護を」と思わず空を見上げた青年の耳に、力強い声が響きました。
「加勢するぞ、精霊!」
声のした方へ視線を移すと、冥神の部下である鬼の戦士達が大勢駆けつけてくるところでした。
「元はと言えばこちらの不手際なのに、遅くなってすまない。」
隊長を務める鬼の手を借りて立ち上がると、青年は安堵の笑みを浮かべます。
「みなさんがいれば、悪しき霊など敵ではありません。」
「任せとけ。こいつがあれば地獄の炎も消し去れる。こいつを持ち出すのに手間取ってな。」
鬼が背中に背負っている大きな葉のような団扇に青年は視線を移しました。
「それは?」
「こいつは地獄の植物を加工した団扇だ。こいつで地獄の炎を操れる。見てな。」
鬼が大きな団扇を構え勢いよく振り下ろすと、青年達を襲っていた炎が瞬く間に風にあおられ消えていきました。突然の事に慌てる悪霊達に、鬼は高らかに笑います。
「お前ら如きが地獄の炎を扱おうなんざ百万年早い!」
炎が消え青年達の体力を奪っていた熱波も消え去り、青年達は力が湧いてくるのを感じました。
「よし、みんな、行くぞ! 悪しき霊を捕えよ!」
「はい!」
青年の号令に戦士達は一斉に力強い声を上げ、鬼の戦士達と共に悪い霊を捕えに駆け出しました。力を妨げる炎が消え、戦士達は逃げ惑う霊を次々と捕えます。全ての悪い霊を捕えた事を確認し、鬼の隊長が青年に頭を下げました。
「こちらの不手際で起きた騒動の解決に助力頂き、感謝する。」
「我々の力不足も一因です。二度とこのような事が起きぬように、互いに務めて参りましょう。」
「あぁ。太陽神様にも詫びを伝えておいてくれないか。我々はあちらへは行けないから。」
「えぇ。冥神様にもよろしくお伝え下さい。」
では、と軽く一礼し、戦士達はそれぞれの世界へ戻って行きました。人間の世界に撒かれた地獄の炎は完全に消え、戦士達はすぐに門の封印の強化にかかります。長に報告すると青年は太陽の神殿へ向かいました。女神様のお怒りが解けている事を願います。
「報告、しかと受け取った。ご苦労であった。」
「二度とこのような事が起きぬよう、勤めに励む所存にございます。」
深々と頭を下げる青年に女神様は問いかけました。
「時に、そなたらはわらわが勤めを放棄したのではないかと思っておったそうだな?」
怒りは解けていないのでしょうか。青年は頭を下げたまま口を開きます。
「とんでもございません。我々が任務を遂行できたのも、不手際を起こしたにも関わらず太陽神様がご加護を下さったお陰です。」
青年の言葉に、女神様は呆れた声を出しました。
「そなたらは何か思い違いをしているようだな。」
「思い違い、とは?」
戸惑いながら顔を上げると女神様は小さく首を振りました。
「太陽の守りは既にそなたらに備わっておる。わらわはその象徴じゃ。今回の騒動を無事解決できたのは、そなたら自身の力によるもの。もっと誇りを持つがよい。」
「ありがたきお言葉、感謝致します。これからも一層、勤めに励んで参ります。」
「ならば長居せずさっさと帰るがよいぞ。人間は忘れる生き物じゃ。まだ夏は終わらぬからな、しっかり見守るがよい。」
「はっ。」
女神様の言葉を胸に里へ戻り、人間の世界の様子を伺うと、異常な暑さは和らぎ人々が海へ山へと夏を謳歌し始めたところでした。
「人間は忘れる生き物、か。」
数日前までの異常な暑さなど忘れすっかり夏を楽しむ人間達に、女神様が仰る通りだと青年は苦笑しました。





短編の間へ