短編の間へ /翠玉館玄関へ

『天国の見つけ方』


 今日はとってもいい天気。ボクは縁側に置いてある座布団の上に丸くなる。日当たりのいいここはボクのお気に入りの場所だ。季節はもうすぐ冬になろうとしてるけど、今日は陽射しがぽかぽかして温かい。縁側の陽だまりでうとうとしているボクの耳に、飼い主のおばあちゃんの声が聞こえる。
「クーや。そんな所で寝ていて寒くないかい?」
おばあちゃんはお盆に湯飲みを乗せて縁側へ歩いてきた。ボクは「寒くないよ。」って答える。
「にゃーん。」
するとおばあちゃんはボクの言いたい事がわかったみたいににっこり笑って頷く。
「そうねぇ、今日は小春日和だものねぇ。お天道様が気持ちいいねぇ。」
おばあちゃんはお盆をそっと置くと、ボクの隣に座布団を持ってきてゆっくり座った。美味しそうにお茶を飲みながらボクを見つめてにこにこしてる。おばあちゃんは、この近くに捨てられていた幼いボクを拾って育ててくれたんだ。黒猫のボクに「クー」って名前を付けてくれた(その時は「変な名前」って思っちゃったけど、今はとっても気に入ってる)、ボクの大事なおばあちゃん。ボクは座布団から立ち上がっておばあちゃんの膝に上る。おばあちゃんからはお線香の匂いがした。またお仏壇の前でおじいちゃんとお話してたのかな。おじいちゃんはボクがこの家に来たばかりの頃、交通事故に遭って天国に行っちゃったんだって。だからボクはおじいちゃんの事はよく知らない。でもお仏壇の前でおじいちゃんとお話してるおばあちゃんはとっても嬉しそうで、おじいちゃんの声はボクには聞こえないけど、確かにおばあちゃんはおじいちゃんと気持ちが繋がってるんだなぁって思える。おばあちゃんの話だと、おじいちゃんはお空の上にある天国って所で、おばあちゃんやボク、他の家族の皆を見守ってくれるんだって。だから淋しくないんだっておばあちゃんは言うけど、本当はどうなんだろう? おばあちゃんの息子って人(「孝彦くん」っておばあちゃんは呼んだ)は、ボクがここに来るより前に都会にマンションっていうのを買って、彩子さんっていうお嫁さんと2人の子ども達と一緒に都会に住んでる。この家に来るのは1年に1回のお正月の時くらいかな。それ以外は広いこの家にボクとおばあちゃんだけで暮らしてる。だからボクはあんまり外に行かないようにしてるんだ。おばあちゃんを一人ぼっちにしたくないからね。おばあちゃんの膝の上で丸くなったボクの背をくすくす笑いながらおばあちゃんは撫でてくれる。
「クーは甘えん坊さんだねぇ。」
「にゃあ。」
おばあちゃんが淋しくないように甘えてあげてるんだけどな。抗議の声を上げてみたけど、でもボクも甘えたいからまあいっか。おばあちゃんの手はとっても温かいんだけど、でもボクは最近気付いた事がある。おばあちゃんの手が、前よりも細く小さくなってるんだ。それはよくわからないけど何だかボクを不安にさせた。

 それから何日か経ったある日。ボクはおばあちゃんが中々布団から起きてこない事に気が付いた。いつもならボクよりずっと早く起きてご飯を作ってお洗濯してお掃除して、せっせと動き回ってるのに、今日はもうすぐお日さまがてっぺんに上る頃になってもまだ起きて来ない。ボクのお皿もからっぽだ。最初は「たまにはゆっくり寝たいのかな?」って思ってたけど、さすがに心配になってきて(お腹もすいたし)おばあちゃんの寝室へ行ってみた。まだ雨戸がきっちり閉まってる。ボクは布団に横になってるおばあちゃんを呼んでみた。
「にゃーん?」
よっぽど深く眠ってるのか、ボクが呼んでも前足で軽く突っついてもおばあちゃんは目を覚まさない。今までこんな事無かったのに、どうしちゃったんだろう?
「にゃー!」
もっと大きな声で「おばあちゃん!」って呼んだ時、玄関の方から足音が聞こえた。この足音は確か、おばあちゃんによく野菜を届けてくれる近所の八百屋のおじさんだ。鍵はいつもかかってないから、おじさんは野菜がいっぱい入った段ボール箱を抱え引き戸を開けて入って来る。ボクはおばあちゃんが起きない事を伝えるべく玄関へ走った。
「よぉ、にゃんこ。花江さんは留守かい?」
違うよぉ! お昼過ぎてもまだ眠ってるんだ、どんなに起こしても起きないんだよ、どうしよう? ボクを見て笑いかけるおじさんにボクは必死で状況を伝える。おじさんはボクの言葉は理解できなかったみたいだけど、まくし立てるボクの様子に何かあったんだって事はわかってくれた。
「どうした? 花江さんに何かあったのか!?」
おじさんは段ボール箱を放り投げてサンダルを脱ぎ捨てると奥の部屋へ走っていく。ボクも急いで後を追った。
「花江さん? 花江さん!?」
おじさんは悲鳴のような声を上げた後、しばらくおばあちゃんの側で俯いてた。それからよろよろと立ち上がってどこかへ電話をかけ始める。ねぇ、電話してる場合じゃないよ、おばあちゃんを起こしてあげてよ。ずっと寝てたらおばあちゃんお腹すいて倒れちゃうよ。ボクもお腹すいたよ。足元で必死に叫ぶボクをおじさんは抱き上げてぐしゃぐしゃっと乱暴に頭を撫でる。抗議しようとしたけど、ボクを見つめるおじさんの目に涙が浮かんでるのを見て、どうしていいかわかんなくなっちゃった。しばらくしてたくさんの人が家にきてボクはほったらかしにされる。お腹すいたなぁ。おばあちゃんはまだ起きないのかな。どこか身体が痛くて起きられないのかな。しばらく経って車の音が聞こえて外に目をやると、孝彦くん達の姿が見えた。お正月にはまだ早いのにどうして皆来たんだろう? 静かだった家にたくさんの人がいっぺんにやってきて急に騒がしくなる。でもその騒がしさは全然楽しいものじゃないんだ。皆悲しそうな顔をしてる。ねぇ、おばあちゃんは大丈夫なの? 何でこんなたくさん人が集まってきたの? 何が何だかわからずにいるボクを、孝彦くんが抱き上げる。おばあちゃんによく似た目は涙で赤くなってた。どうして泣いてるの?
「クー、お前にもわかるのか?」
何が?
「お袋は自分がいなくなった後のお前の事心配してた。俺達のマンションはペット禁止だから駄目だけど、ちゃんとお前の新しい家探してやるから。淋しいのはちょっとの間だけさ。」
言い聞かせるようにいう孝彦くんの言葉の意味はボクにはわかんなかった。それからまたたくさんの人が出入りして何だか皆忙しそうで、しょうがないからボクは自分で棚に飛び付いて上にあったキャットフードの箱を床に落とす。カリカリしたエサを食べながら、おばあちゃんが焼いてくれたお魚が食べたいなぁって思った。

 何日か経ってこの家にようやく静かな日々が戻ってきたけど、その頃おばあちゃんの姿はどこにも無かった。寝室にも台所にもお風呂にも、庭にも家の前の道路にも、どこにもおばあちゃんはいない。おばあちゃん、どこにいるの?
「クー、おいで。」
おばあちゃんを探して歩き回るボクを孝彦くんが抱き上げる。邪魔しないでよぉ。
「お袋は今頃、天国で親父と一緒にクーや俺達の事見守ってくれてるから、淋しくないだろ?」
孝彦くんの言う「お袋」はおばあちゃんの事だ。「親父」っておじいちゃんの事。じゃあ、おばあちゃんはおじいちゃんに会いに行っちゃったの? どうしてボクに黙って行っちゃったの? ボクよりおじいちゃんの方が大事だったの? 孝彦くんの手を離れてボクは悲しい気持ちで庭に出た。天国ってどうやって行くんだろう? 空の上にあるって事は、空を飛ぶ乗り物に乗るのかな? よし、おばあちゃんを迎えに行こう。淋しがらないでって、ボクはちゃんとずっと側にいるからって、伝えなくっちゃって思った。誰か天国への行き方知らないかな。そうだ! ボクは前に散歩中に会ったおじいさん猫の事を思い出した。他の猫から「長老」って呼ばれてて、この町で一番長生きで一番の物知り猫なんだっておばあちゃんが言ってた。長老なら天国の行き方も知ってるかもしれない。ボクは居ても立ってもいられず垣根を飛び越えた。長老はいつも町の公園にいる。雀を追いかける時よりも早くボクは一生懸命に走った。公園に近付くと道路が広くなって、人間や車も多くなってくる。ぶつからないように気をつけながら公園に入ると、花壇の側で長老はお昼寝してた。挨拶すると「んー。」って小さく唸って長老は顔を上げる。ボクに視線を合わせると、ボクが誰かを思い出そうとして長老は目を細めた。
「う〜んと、お主は……あー……その首輪は……。おぉ、思い出したぞい。よくここでゲートボールっつう、遊びをしてる人間達の、家の子じゃな。確か、花江という名の人間に、連れられて何度かここへ、来ておったな。」
そうです、って頷いてボクは聞いてみる。
「天国ってどうやって行くのか、知ってますか?」
「ふむ……天国か。」
「はい、ボクのおばあちゃんがおじいちゃんに会いに天国へ行ったまま中々帰って来ないんです。だから迎えに行ってあげようと思って。」
ボクの話を聞いて長老は何だか難しい事を考えるような顔をした。長老にもわかんないのかな。
「ふむ、天国はのぅ、とてもとても、遠くにあるのじゃ。」
「どんなに遠くてもボク大丈夫だよ!」
「しかしまた、天国は近くにある、とも言える。」
うーん? 何それ意味がわかんないよ。考え込むボクに長老はふぉっふぉって笑う。
「お主にはまだ、天国よりも先に、行くべき場所があるのではと、儂は思うぞい。」
うーん。やっぱりよくわかんない。それってどこなんだろう。おばあちゃんと関係ある場所かな。悩むボクに長老はまたふぉっふぉって笑った。
「よぉく目を開け、耳を開き、考え感じるのじゃ。天国とは想いが集う場所。生きている者にとって、天国とは感じる場所じゃ。さぁ、お主の行くべき場所へ、行くがよい。時間は待ってはくれぬからのぉ。」
そう言って長老はまたすやすやと眠りに落ちちゃった。「行くがよい」って、どこへ行けばいいんだろう。遠くにあるけど近くにある天国って、一体何なんだろう? 感じる場所ってどういう事? 長老の言葉はわかんない事だらけで、ボクは途方に暮れながら公園を出る。公園の側には大きな川が流れていて、道路の向こうには鉄で出来た大きな橋が架かってる。ふと橋の上を見るとおばあちゃんらしき人が立ってるのが見えた。こっちに歩いて来てるから、帰ってくる所なのかも。あの橋の向こうに天国があるのかな。迎えに来てあげて良かった。ボクは安心して橋に向かって走り出す。
「おばあちゃん!」
その時、車の大きな音がした。「あっ!」っと思った時にはもう目の前まで大きな車が迫ってた。足がすくんで動かない。耳をつんざくような大きな音と、何かがぶつかってくる感触がして、ボクはぎゅうっと目を閉じた。

 いつの間にかボクは、花がたくさん咲いてる野原を歩いてた。顔を上げると川が横切ってるのが見える。橋は見当たらなくて、小さなボートが浮かんでる。あれ? ボクはどうしてこんなとこにいるんだろう? 車とぶつかりそうになったんじゃなかったっけ? おばあちゃんは? よく見ると川の向こうにおばあちゃんが立ってるのが見えてボクは走り出す。でも川の側まで来た時、おばあちゃんはボクに気付いてすごく怖い顔をしたんだ。ボクが花びんや掛け軸にいたずらしようとした時とは全然違う、本当に本気の怖い顔だった。どうしてそんな顔するの? 迎えに来たんだよ。早くお家へ帰ろうよ。ボクが呼ぶとおばあちゃんはとっても悲しそうな顔をして首を横に振ったんだ。おばあちゃん、どうしたの? おじいちゃんには会えた? 早く帰ろうよ。いくら呼んでもおばあちゃんは泣きそうな目をしたままじっと動かない。ボクはじれったくなって橋を探して辺りを見回す。でも真っ直ぐな川のどこにも橋は見えなかった。ボートの側に行ってみたけど、誰もいない。川は凄いスピードで流れててとても泳いで渡る事はできなさそうだ。今何とかするから待っててねって言った時、何か凄い力で後ろから引っ張られた。何するんだよ、邪魔しないでよ! 橋は無いしボートは誰もいないし、あれじゃおばあちゃんこっちに来れないよ。振り向いて邪魔する誰かを睨もうとしたけど、ぎゅっと身体中を掴まれたみたいにぴくりとも動かせなくなった。どんどん後ろへ引っ張られて、おばあちゃんの姿があっという間に遠く小さくなってく。やめてよ、おばあちゃんを置いて行けないよ。嫌だよ! おばあちゃん! おばあちゃんが淋しそうに、でも安心したように微笑むのが見えた気がした。

「あっ、あなた、クーが目を開けたわ!」
「本当か! あぁ、良かった。心配させるなよ。」
ボクが目を開けると、心配そうにボクを覗き込む孝彦くんと彩子さんの顔があった。
「お義母さんに会いたかったのかしら。」
「そうかもな。クー、お前はお袋の忘れ形見なんだから。命を粗末にしちゃ駄目だぞ。」
そう言ってボクの背中を撫でる孝彦くんの温かくて強い力は、何だかあの川でボクを引っ張った何かに似てる気がしたんだ。そして公園で聞いた長老の言葉の意味が、何となくだけどわかったような気がした。

 それからまた何日か経って、ボクは新しい家に移る事になった。ボクが車に轢かれそうになった時、飛び出して助けてくれた男の人が孝彦くんから話を聞いて、ボクを引き取りたいって言ってくれたらしい。幸い、その男の人(高橋さんっていうんだって)も車を運転してた人も周りにいた人も、誰も大きな怪我はしなかったんだって。「お義母さんが皆を守って下さったのね。」って彩子さんが言った。うん、きっとそうだ。新しい家は、おばあちゃんの家からそんなに遠くはない所だった。おばあちゃんの家ほど広くないけど、日当たりのいいお家だ。ボクが使ってたお布団やお皿やおもちゃも全部持ってきてもらった。おばあちゃんと暮らした家は、無くなっちゃうみたい。でも淋しくないよ。おばあちゃんと暮らした思い出は、ちゃんとボクの心の中にあるから。おばあちゃん、ボク高橋さんと仲良くするよ。おばあちゃんがボクも高橋さんも守ってくれたんだもんね。
「クー、ご飯だよ。」
高橋さんの声が聞こえて、ボクは「今行くよー。」って返事した。
「にゃーん。」
夕方の風に混じって、ほっとしたように笑うおばあちゃんの声が聞こえた気がした。


                    END

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