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『機械仕掛けの天使・番外編 −Silver Heart−』


バイトへ向かう秋人を送り出し、リンはパソコンの前に座る。消されているリンの記憶を探る為、リンと秋人は情報を集めていた。人工知能という項目一つ取っても、ネット上には膨大な数の情報が溢れている。何の取っ掛かりも無いまま、その中からリンに関係のありそうな内容を探し吟味していくのだが調査は一向に進んでいなかった。ただ一つわかった事は、リンのように人間と寸分違わぬ容姿を持ち、人間と同様の日常生活を送れる人工知能はまだ開発途上だという事だった。だがリンにはどうしても納得できなかった。そんなに凄い存在であるはずの自分が何故記憶を消され放り出されたのか。いくら考えても納得の行く答えは出てこない。リンは額に手をやり大きく首を振る。リンにはもう一つ悩みがあった。秋人の事である。自分の記憶についての思考を巡らせる時、それよりも先に浮かんでくるのは秋人の顔、秋人の声。リンの事を誰よりも心配し大事に想う存在。秋人の真剣にリンを想う一途な気持ちを感じた時、とても安心し嬉しく思った事にリンは戸惑っていた。感じるはずのない胸の高鳴りに困惑し、自分に何が起きているのかとその答えを探す。行き着いた答えは恋心だった。だが自分は機械である。感情などないはずだ。あるとしたらそれは作り物、知能と同じく人間に作られた紛い物だ。そこまで考えてリンは悲しげな顔でため息をついた。どんなに人間そっくりに作られていて人間と同じように生活が出来ても、自分の存在は作り物なのだと再認識する。秋人を想い胸が高鳴っても、それは与えられた知識による作り物の感情だとしかリンには考えられなかった。秋人の真摯な想いに、自分は作り物の感情でしか応える事が出来ない。それは秋人を裏切っているように思えてならなかった。自分は秋人の想いに応えてはいけないのだと、早く失われた記憶を取り戻し本来の任務を遂行しなくてはならないのだとリンは強く自分に言い聞かせた。

調査が進まず気落ちしている様子のリンを元気付けようと、秋人は所属するバンドのライブチケットとバックステージパスを用意した。練習スタジオにリンを連れて行った事はあったが、リンが来てからライブをやるのは初めてだった。照れ臭そうに頭をかきながら秋人はリンにチケットを差し出す。
「リン、今度俺達のワンマンライブやるんだ。見に来てくれないか? バックステージパスも用意したから、客席からじゃなく舞台袖から見れるよ。メンバーもリンを呼びたいって言ったら歓迎してくれたし。ずっと家にこもって調べ物してちゃ気が滅入るだろ。」
リンはチケットを受け取り微笑む。
「ありがとうございます、是非見に行かせて下さい。」
大事そうにチケットを両手で包み込むリンに秋人は満面の笑みを見せる。
「よぉし、最高のライブ見せてやるよ! 期待しててくれな。」
秋人の嬉しそうな様子にリンも微笑む。秋人はリンの気持ちが本物だという事を微塵も疑っていない。その事がリンには辛かった。その辛ささえも本物なのだろうかと苦悩する。だが、リンの微笑みに秋人が喜んでいるのは事実だ。そしてそんな秋人の様子に、考えるよりも先に嬉しいという感情が湧く。堂々巡りする思考の中で、それでもリンは今の生活が幸福だと感じていた。

ライブ当日。
リンは秋人に連れられライブハウスの小さなステージの隅にいた。メンバー達の邪魔にならぬよう気をつけながら、リンはリハーサルを見つめていた。チケットは完売し数時間後には200名程の観客で埋め尽くされるという。既にライブハウス周辺にはメンバーの入り待ちをする若い女性達が集まっている。「ほとんど透が目当てだけどな。」とボーカルの名を上げ秋人は笑った。やがてライブの幕が開く。オールスタンディングのライブハウスに溢れるような音と黄色い歓声が響く。
「透ー!」
「透くーん!」
悲鳴に近い歓声が飛び、ボーカルの透は呼び声に応え歌いながら観客へ手を差し延べる。秋人の声が透の歌に重なりハーモニーを奏でる。演奏と歓声の渦の中、リンの耳には秋人の声と演奏が一番はっきりと聞こえていた。舞台袖にいるリンのすぐ近くで秋人が演奏しているが、それだけではない。リンの意識が秋人の声だけを、秋人の奏でる音だけを拾おうとしている。キーボードを弾く横顔は情熱に溢れている。秋人は音楽をやるために生まれてきたのだとリンには思えた。そんな秋人を羨ましく、そして美しいと思った。
「秋人くーん!」
一心に秋人を見つめていたリンの耳に、観客の声が響いた。秋人の名を呼んだ女性の声にリンの胸が締めつけられるように痛む。突然湧いた悲しい感情にリンは困惑した。胸に手をあて秋人を見つめる。これはもしかしたら嫉妬なのだろうか。だがこの痛みさえ、知識上の作り物でしかないかもしれない。秋人は呼び声に応え笑顔で片手を挙げ歌う。その姿はステージ上の誰よりも輝いて見えた。ふるふるとリンは首を振る。なんて浅ましい感情を抱いているのだろう。バンドをやっている秋人に女性ファンがつくのは当たり前の事ではないか。リンを想う秋人の笑顔と、女性ファンの声援に応える秋人の笑顔がリンの脳裏で重なり胸の痛みが増していく。音楽に情熱を注ぐ秋人に、そんな感情を抱いた自分が悲しくなった。

ライブは大盛況で幕を閉じた。秋人はメンバーやスタッフ達とライブの成功を労い合うとリンの元へ駆け寄る。今にも泣き出しそうな顔をしたリンに秋人は心配げな顔をする。
「リン? そんな泣きそうな顔してどうしたんだ?」
リンは慌てて笑顔を浮かべる。
「いえ、秋人さんの演奏、素敵でした。」
リンの言葉と笑顔に秋人は相好を崩す。
「そっか? ありがとうな。リンが見てると思ったらいつもよりパワー湧いてきたんだ。」
秋人の言葉にリンは照れたような笑みを浮かべる。
「また、ライブに呼んで頂けますか?」
「もちろんだよ!」
嬉しそうな顔の秋人にリンは微笑む。自分のプログラムに何が起きているのかはわかりきっていた。この恋心はもう制御できない。だが自分は身体も心も作り物の機械であって、秋人の想いに応える事は許されない事だと思った。それは秋人の真摯な想いを踏み躙る事になると感じていた。せめて秋人が笑ってくれるように、秋人に心配げな顔や悲しい顔をさせないようにしようと決めたのだった。

リンが自分の心の存在を信じられるようになるのは、もう少し先の話である。そしてそれはこの幸福な生活の終わりと、揺るぎない秋人との絆をもたらすものとなるのであった。


                   END
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