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『時の扉を開くまで』


「これで、大丈夫だ……。」
小さく呟いて、長谷川実は見守る開発チームの仲間を振り返った。タイムマシンの開発実験が行われている研究施設。長い時間と莫大な資金を費やして完成したタイムマシンに、開発責任者の長谷川自ら乗り込む所だった。大人一人がようやく乗り込める大きさのマシンと、緊張した長谷川を固唾を飲んで見つめる一同に、覚悟を決めた眼差しで静かに微笑んだ。
「では、行ってくる。」
ゆっくりとマシンに乗り込む長谷川に仲間達は次々と声をかける。
「気をつけて。」
「絶対上手く行きますよ!」
「早く戻ってきて下さいね。」
仲間達の言葉に頷き長谷川はマシンの扉をしっかりと閉める。計器類の確認をし、緊張に震える指で起動ボタンを押した。低く唸るような起動音を上げマシンが振動し始めた直後。

マシンは轟音を上げ爆発炎上した。

 タイムマシンの爆発事故から1年。開発チームの一員であり長谷川の恋人だった栗原美咲は、長谷川の遺志を継ぐようにして独自にタイムマシンの研究を進めていた。1年前の開発チームは解散し、仲間達はみなタイムマシン開発を諦めていた。だが栗原は諦めきれずタイムマシンの研究を続けていた。1年前の事故の日に戻って、長谷川を助けたいという一心だった。だが、一人での研究には限界があった。タイムマシンは理論上では開発可能である事がわかっている。しかし理論と現実の間には巨大な壁が立ち塞がっていた。
栗原の下に恩師の宮内教授から「見せたいものがある」と連絡があったのは、研究に行き詰まり意気消沈していた頃の事だった。あの日、栗原は論文を手に宮内の下を訪れており、事故に巻き込まれずに済んでいた。長谷川に栗原を自分の研究室へ呼ぶよう告げたのは宮内だという。複雑な想いを抱えながら栗原は宮内の研究室へ向かっていた。あの日に論文を持っていくのは自分でなくても良かったのではないか。自分も起動実験に立ち会えていたら長谷川を助けられたかもしれない。自分も命を落としていた可能性の方が遥かに高いが、そう思わずにはいられなかった。
「お久しぶりです、教授。」
宮内に会うのは事故以来初めての事である。宮内を恨むのは筋違いだとわかってはいたが、どうしても顔を合わせられなかった。座るよう進められ栗原は手近な椅子に腰を下ろす。
「長谷川君の事は残念だった。優秀な学者だったのにな。」
眉根を寄せ苦しそうな表情で首を振ると宮内は言葉を続ける。
「栗原君はタイムマシンの研究を続けているそうだね。」
「はい。理論上、実現可能な事はわかっていますから。」
「そう、理論上はね。」
「光速と同じスピードで移動できれば未来へ、光速を超えるスピードを出せれば過去へ行く事は可能です。」
小さく頷いて宮内は口を開く。
「しかし、現実には光速のスピードで移動する事は不可能だ。物質の移動速度が上がれば物質の質量も増す。光の速さで進む物質の質量は無限大になる計算だ。無限大の質量を持つ物質を光の速度で動かす事など不可能だ。」
「確かに今の技術では不可能です。でも不可能を可能にするのが科学なのではないですか。」
「だがその理論では仮にタイムマシンが成功したとしても、マシンが作られた時よりも過去へ行く事はできない。それに地球というのは自転しながら公転している。朝がきて夜になり、春から冬に季節が変わるのもこの運動のせいだ。時間というものは人間が作り出した概念に過ぎない。過去も未来も存在するが実在はしないものだ。概念でしかないものに、実体を持った人間が介入する事は果たして可能なのだろうか?」
言葉に詰まり栗原は俯く。
「それでも、諦めたくないんです。あの日へ行って実さんを助けたいんです。」
栗原の言葉に宮内は小さく息を吐いた。
「ふむ。今日は君とタイムマシンについて議論するために呼んだわけではない。」
宮内はゆっくり立ち上がると栗原について来るよう示す。廊下を進みながら宮内は淡々と語る。
「小説や映画に出てくるようなタイムマシンは不可能だと私は思っている。だがやり方次第で、タイムマシン自体は不可能ではない。」
「どういう事ですが?」
「説明するより見てもらう方が早いだろう。」
突き当たりの部屋の扉を開け栗原に中へ入るよう促した。部屋にはカプセルのような形をした機械が横たわっている。カプセルからは何本ものコードが延び壁際のコンピューターに繋げられていた。
「これは何ですか?」
「私の持論から開発したタイムマシンもどきだ。まだ試作段階だがね。」
首を傾げる栗原に宮内は言葉を続ける。
「過去も未来も概念でしかない。それを見るには自身の存在を概念化するしかないだろう。」
宮内はマシンに視線を移す。
「記録をデータ化して過去の世界を正確に再構築する。曖昧な人の記憶とは違う、正確無比で客観的なデータだけを集めたものだ。ただの記録映像と違うのは、自身の意識もデータ化して過去の世界を動き回れるという点だ。過去の事象に干渉する事はできないがね。犯罪捜査や事故の検証に役立てようと開発しているものなのだよ。」
「意識のデータ化?」
「そう。脳波や思考パターンなどを入力し、データベース上に擬似人格を作り上げる。搭乗者は自分の擬似人格を通して、データベース上に再現された過去の世界を見聞きする事が出来る。同様に、現在の状況から近い未来に起きる事をコンピューターに予測させ、仮の未来の世界を見る事も可能だ。」
栗原に視線を移し宮内は言葉を続ける。
「実は以前、長谷川君にこのマシンに搭乗してもらった事がある。」
「えっ?」
「あの時は仮の未来を見る実験だった。『近い未来の事で知りたい事はあるか?』と聞いたら、彼は『開発中のタイムマシンが成功するかどうか知りたい』と言った。」
息を呑む栗原を真っ直ぐに見つめ宮内は言葉を続ける。
「タイムマシンの開発状況や周囲の環境、開発に影響を与えそうな事象をすべて入力した。このマシンが長谷川君に何を見せたのかは話してくれなかったが、実験を終えて出てきた彼の表情は暗かった。そしてこんな事を言った。『念の為、タイムマシン起動実験の日には栗原君を研究所から遠ざけるよう計らってほしい』と。」
思いがけない宮内の言葉に栗原の顔が悲しげに歪む。
「そしてあの事故以来、私は当時の研究所のデータを集めた。炎上したマシンに搭載されていたカメラを無事に回収する事もできた。このマシンに乗れば、あの事故の日に行く事は可能だ。ただし、状況を見る事しか出来ない。あの日長谷川君が何を思って実験に臨んだのか、君は知っておく方がいいと思ってここへ来てもらったのだ。」
一旦言葉を切り、宮内は栗原をじっと見据えるとゆっくり口を開いた。
「君の想像通りのものを見る事になるだろう。そして目の前に見える長谷川君を助ける事はできない。辛い光景だがそれでも君が前に進む為に、見る価値はあると思う。」
「わかりました。マシンに乗せて下さい。」
カプセル型のマシンに栗原が横たわると、マシンは静かな起動音を立て栗原のデータを収集する。宮内はキーボードを打ちデータを確認すると、栗原の顔を覗き込んだ。
「君の擬似人格をデータベース上に構築した。心の準備はいいかい?」
「いつでも大丈夫です。」
栗原の力強い言葉に頷くと、宮内はマシンの扉を閉める。やがて栗原の目の前に1年前の実験の日の光景が広がった。タイムマシンに乗り込む長谷川、見守る仲間達。「これで、大丈夫だ……。」と呟く長谷川の表情は硬い。
「実さん。」
思わず呼びかけた栗原だったが、長谷川にその声は届くはずはない。仲間達の言葉を受けマシンの扉を閉めた長谷川は大きく息を吐き呟く。
「あの時に見た未来は少しだけ変わっている。だが本当に実験失敗は避けられないのか……?」
長谷川が震える指で起動スイッチを押した瞬間、マシンは轟音を上げて爆発炎上する。外から仲間達の悲鳴が聞こえた。マシンの扉はすでに炎に包まれている。爆発の衝撃で倒れた長谷川は壊れた計器に挟まれ動けずにいた。
「実さん!」
悲鳴のような叫びを上げて栗原は長谷川に駆け寄る。だが、差し出した手は虚しく空を切った。
「実さん! 逃げて!」
泣き叫ぶ栗原の耳に宮内の声が聞こえる。
「栗原君、落ち着くんだ。これは過去の記録だ。」
「わかってます! でも!」
炎の中、長谷川は苦しそうな顔をしながらも安堵の息をもらした。
「やっぱり実験は失敗か。だけど美咲を守れて良かった。未来は変えられた。」
顔を上げた長谷川と栗原の視線が合う。長谷川は一瞬はっとした表情を浮かべ、自嘲的に笑う。
「……幻か。」
「実さん、私はここにいるわ! 一緒に逃げましょう!」
叫ぶ栗原の声は長谷川には届かない。
「美咲、すまない……。」
勢いを増した炎が長谷川の姿を覆う。言葉にならない悲鳴を上げ栗原の意識は途絶えた。

 目を覚ました栗原は宮内の研究室のソファに横たわっていた。涙と冷たい汗にまみれた顔を拭いゆっくりと辺りを見回す。
「気が付いたか。」
宮内が心配そうに見つめているのに気付き栗原は慌てて身体を起こす。
「すみません。ご迷惑おかけしました。」
「君が謝る事はない。」
ほっとした表情で首を振った宮内に栗原は問い掛ける。
「あのマシンで見た過去は、本当にただのデータなのですか?」
「もちろん。データ化した意識とはいえ、光速を超えて過去へ行く事は出来ない。電波そのものは光速を超えられるが、電波に乗せた情報まで光速を超える事は無い。」
宮内の言葉を聞きながら、栗原は見てきた記録を思い返す。過去のデータの中で、長谷川は確かに自分を見つめ驚いた表情をした。もしかしたら、自分は本当の過去へ行っていたのではないかという希望が湧き上がる。
「教授、今日はありがとうございました。」
宮内の目を見据え栗原は言葉を続ける。
「私、タイムマシンの研究を続けます。さっき、記録の中の実さんは今の私の姿を見たんです。次こそ本物の過去へ行って実さんを助け出してみせます。」
宮内は栗原を見つめ返す。愛する人を失い、彼を救う術を求めて暗く彷徨っていた栗原の瞳は希望を取り戻しつつあった。辛い記録だが見せて良かったと宮内は思う。長谷川は少しだけ未来を変えた。長谷川が自分を守るために研究所から遠ざけたのだと知った栗原は、今度は自分が長谷川を救うのだと誓う。閉ざされた時の扉を開くまで――


                 END


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