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『罪と罰と嘘』


 アンディは震える足で教会の門をくぐった。ミサでいつも訪れる静かで穏やかな雰囲気の教会が、今日はいつもと違って見える。穏やかな笑みを浮かべている聖母像が、今は憤りを浮かべているように幼いアンディを威圧する。神父が礼拝堂にいる事を聞いたアンディはこわばった表情で神父の下を訪れた。
「神父様。」
震える声でアンディが呼びかけると、壮年の神父は穏やかな微笑を浮かべ振り返った。
「おや、こんにちは。どうされましたか?」
アンディは何か言いたそうにしながらも周りを気にしている。礼拝堂には他のシスターや信徒達が何か語り合っていた。人がいる所では出来ない相談事なのだろうと察した神父はアンディを人気の無い中庭へ連れ出す。
「何か困り事ですか? ひどく怯えているようですね。」
神父の穏やかで真っ直ぐな眼差しを受け、アンディは震える声で話し始めた。
「僕、人を殺してしまったんです。」

 アンディの暮らす村は王都から遠く離れた地域にある。王家の監視の目が届かないのをいい事に、地域一帯を治める領主は規定以上の重税を課して私腹を肥やし、権力と暴力で村人達を支配し苦しめていた。税が払えなかった者には暴行を加え、また年頃の娘を税と引き換えにして自分の屋敷に連れ去る事も度々あった。身分や権力、暴力といった力による恐怖で支配された村人達は、領主を憎みながらも逆らう気力を失っていた。狩猟を趣味とする領主に逆らえば、自分が猟銃の餌食になるのが目に見えていたからでもある。猟銃を抱えて村を闊歩し、「領主様に逆らうなら村から出て行け!」と顔を歪めて笑いながら叫ぶ領主の姿は、村人達の恐怖と怒りの対象となっていた。領主の存在は長い間村に暗く思い影を落としている。こうした大人達の領主への果たせない恨みつらみを聞いて育ったアンディも、領主の横暴ぶりを前に幼いながらも強く領主を憎んでいた。
ある日。アンディの姉ジェニファーが、泣きながら領主の屋敷から出てくるのを目撃したアンディは激しい怒りを覚えた。人目を避けるようにして走り去ったジェニファーに、あいつに何をされたのかなどとは聞けなかった。あいつを懲らしめてやれ、そんな激情に駆られアンディは物陰に隠れ領主の屋敷を睨みつける。やがて領主が肩に猟銃のケースを提げ屋敷から出てくるのが見えた。森の方へ向かう領主の後をアンディは気づかれないように追いかける。村の近くの広大な森は近隣のハンター達の狩場となっていた。どうやって領主を懲らしめてやろうかという考えは無い。ただ大事な姉を傷つけた奴を、父達を苦しめ村に暗い影を落とす奴を許せなかった。領主は森に入ると適当な広さのある場所に猟銃のケースを下ろし、罠の準備に取り掛かっていた。離れた所に身を潜めアンディが様子を伺っていると、しばらくして領主は幾つかの罠を手に森の奥へと向かっていく。そのまま置き去りにされた銃を目にし、アンディは立ち上がった。あの銃を使えなくしてやれ、そう考え領主の姿が見えなくなるのを待ってアンディは銃のケースに近付いた。銃を取り出してみる。鈍い光を放つ長い銃身は、子どものアンディにはずっしりと重かった。領主という強い権力を持った上に、こんなもので皆を言いなりにさせているのか、姉もこれを向けられ言う事を聞かされたのか、そう思うと怒りが増した。銃を眺めながらどうすれば使えなくできるのかと考える。先端に物を詰めて塞いでしまおうと閃き、手近な小石を拾って銃口に詰め始めた時、領主の怒声が響いた。
「このガキ! そこで何してやがる!」
はっとして立ち上がるとアンディは抱えていた銃を投げ置き一目散に走り出す。領主の怒鳴り声が聞こえアンディは身を屈めながら村の方へ向かって走った。捕まったら何をされるかわからない、殺されるかもしれない。大人達に何も出来ないのに、子どもの自分があいつを懲らしめてやろうだなんて無茶だったんだろうか。それでも、何もせずにはいられなかった。
恐怖と怒りに震えながら走るアンディの背後で、銃声が響いた。

 狩に出かけた領主が銃の暴発事故で死亡したというニュースは瞬く間に広まった。
大人達は沈痛な表情を浮かべながらも、これでまともな暮らしができるようになるだろうと安堵のため息を漏らした。領主に跡継ぎはいなかったため、王都から新しい領主が任命されるとの事だった。近隣の街にある教会で領主の葬儀が行われたが、誰も彼の死を悼むものはいなかった。

「僕が銃に石を詰めたから、あいつは死んじゃったんです。」
震えながら話し終え、俯いたアンディに神父は微笑んだ。
「怖かったでしょうに、よく告白してくれました。」
神父はアンディの頭をなで言葉を続けた。
「あの領主の評判は悪かった。悪い行いの報いは必ず天が与えます。」
領主の悪行と、彼の葬儀の様子を思い出し神父は首を振った。誰にも悼まれない死もまた報いだとその時神父は感じたものだった。穏やかな口調の神父にアンディは顔を上げる。
「そんなの待ってられなかった。だけど、ちょっと懲らしめてやりたかっただけなんです。死んじゃうなんて、僕はあいつよりもっと大きな罪を……。」
泣き出したアンディに「気持ちはわかりますよ」、と言い神父はアンディを目を見据える。
「しかし、人が人を罰するのはとても難しいのです。罪と罰のバランスは、人にはなかなか正しく計かれるものではありません。」
震えるアンディの手をそっと握り神父は口を開く。
「自分のした事を後悔していますか?」
神父の言葉に、アンディは考えながらゆっくりと答える。
「皆を苦しめて姉さんを傷つけたあいつの事は、絶対に許せません。だけど死んでしまってもいいとは思ってないです。あいつが皆をどれほど苦しめたのかを知って、謝らせたかったんです。死んでしまったら、自分が罰せられてる事もわからないままで、そんなんじゃ駄目なんです。僕はあいつの罰を受ける権利を奪っちゃった、罰を受ける為には生きてなきゃいけないのに。それは許されない事ですよね。」
アンディの言葉にゆっくり頷き神父は言葉を続ける。
「そうですね。報いを受け償う義務と権利はどんな悪人にでもあります。そして苦しめられた人達にも償ってもらう権利があります。」
「僕は、どうしたら……。」
泣きながら呟くアンディの目を真っ直ぐに見つめ神父は口を開いた。
「それがわかっているから今まで苦しんでいたのでしょう。あなたが石を詰めたという猟銃は、銃身が長いものだったのですね?」
頷いたアンディに神父は優しく微笑む。
「王都から来た役人に聞いた話ですが、領主が発砲し暴発した銃は猟銃のサイドアーム、予備として携帯していた小さな銃なのです。普段の手入れが悪かったようですね。」
「それって……。」
「はい、あなたが石を詰めた銃はその後発砲した形跡はなかったそうです。ですから、彼が死んだのは彼の行いの報いを天が与えたにすぎません。」
「本当に? 僕のせいじゃないんですか?」
「そうですよ。あなたのせいではありませんから安心なさい。」
微笑んで神父は言葉を続ける。
「あなたのその気持ちは、憎い相手ではなく、大事な人に向けてあげて下さい。」
「はい、ありがとうございます……!」

 安堵の表情で何度も頭を下げ、教会を後にしたアンディを見送り神父は呟く。
「償いをする資格もない悪というのも存在します。そして、天はそんな悪を必ずしも罰するわけではありません。けれど、まだあなたはそれを知る時期ではないでしょう。」
聖職者にそぐわない冷たく硬い存在を胸元に感じながら、神父は悲しげな顔で天を仰いだ。
「私の罪と嘘も、決して正しいとは言えないのでしょうね……。天に成り済ます私もいずれ罰せられるのでしょう。」
それでも、と彼は天を見据える。
「私がやらなければ、死んでいたのはあの子だ。そんな事があっていいはずがない。」
自分があの場に居合わせたのも何かの導きなのだろうと、神父は胸に手をあてじっと天を仰ぎ続けていた。


                     END


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