『愛より深く』

「これはどうしたものかな。」
夕刻。散歩に出たラクシュニアは、屋敷を包む森から街道へ出る道に、小さなかごが置かれているのに気が付いた。葡萄酒のボトルが2,3本詰められそうなラタンのかごの中で、麻の布に包まれた赤子が眠っている。ここは街から離れた森の傍だ。故意に置き去りにされたのだろうと推測すると、ラクシュニアはかごをそっとのぞき込む。
「ちょっと失礼。」
静かに声をかけ、そっと赤子の口元に指を這わせる。吸血鬼であれば赤子であっても牙があるが、その手ごたえはない。どうやら人間の赤子のようだ。
「お前はどうしたい?」
答えが返ってくるはずもないが、ラクシュニアは赤子を見下ろし問いかける。近隣の街の人間ならば、この森に吸血鬼の屋敷があることは知っているはずだ。それでもここに置いて行った真意は何なのだろう。親を探しだし親元へ帰らせるよりも、この不遇な子を自分の手で育てた方が良いのではないかと思った。
「我の下に来るか?」
やはり返事は無く穏やかな寝息だけが聞こえる。ラクシュニアはかごを大事に抱え屋敷へ戻った。
「カーラミル、いるか?」
「はい、今日はお早いですね。あら? そのかごはどうされたのですか?」
「森の入り口に置かれていたのだ。不憫に思って連れて来た。」
カーラミルはかごの中を覗きこみ驚きの声を上げた。
「人間の子ではないですか! 置き去りにするなんて、惨いことを……!」
声を震わせたカーラミルを見下ろしラクシュニアは告げる。
「お前さえよければ、この子を私の手で育ててみたい。力を貸してくれるか。」
「もちろんです! この子にとっても、非道な親の下で育つよりはるかに良いと思われます。」
深い怒りを滲ませるカーラミルに、ラクシュニアの胸は痛んだ。
「お前も人間だった頃は孤児であったな。」
「えぇ。ラクシュニア様に拾って頂けなければ、私は今頃のたれ死んでいたでしょう。」
「自分を捨てた親はやはり憎いか。」
「無論です。従者として召し上げて頂いてから長い時が経ちましたが、私を捨てた親への憎しみは決して消えません。」
「そうか……。」
怒りと悲しみとに肩を震わせたカーラミルを見据える。彼女の傷を癒すことは自分にはできないのだろうか。主となった自分に誠心誠意仕えてくれているが、死にたいと願っていたカーラミルを説き伏せ半吸血鬼にしたことは、彼女にとって救いとなってはいないのかと苦悩する。カーラミルが吸血鬼として生きるために導きながら、彼女の心の傷を癒したいと思うと同時に、従者ではなく妻として迎えたいと考え始めていた。だが、カーラミルが時折見せる深い悲しみと怒りを前に、「愛している」と告げることをためらってしまう。親に捨てられ、ラクシュニアに出逢うまで誰にも頼らず生きてきたという彼女は自分に価値を見出せず、愛を信じていない。カーラミルの抱えた悲しみへ踏み込んでいくのは、慎重にならなくてはいけない。
「子を育てるとなると、色々と用意するものがありそうだな。」
「えぇ。お任せ下さい。」
今それを考えても仕方がないと思考を切り変える。いそいそと必要なものを書き出すカーラミルを見つめ、この子を共に育てることで彼女の傷を癒す方法もわかってくるかもしれないと考えた。

「子を育てるというのは重労働なのだな。」
「そうですね。この子は自力ではまだ生きられませんから。」
数か月後。泣き続けた赤子をようやく眠らせラクシュニアは笑う。赤子は男の子であるとわかり、セローシュと名付けられた。初めての体験にラクシュニアもカーラミルもおおいに戸惑う。何を望み泣き声をあげているのか、共に考え対応する。セローシュが機嫌よく笑ったり穏やかな寝顔を見せたりすることは、ふたりにとって充足の瞬間だった。また吸血鬼が人間の子を育てるのは難しいだろうかと心配していたが、セローシュは何の問題もなく健やかに育っている。寿命の長い吸血鬼と比べると、人間の子の成長ははるかに早いようだとラクシュニアは感じる。つい先日四つん這いで動き回るようになったかと思えば、しばらく経つと壁につかまり伝い歩きをし始めている。ラクシュニアが人間の孤児を保護し育てていると知った旧知の吸血鬼が興味を示し手助けに来ては、ラクシュニアとカーラミルを「まるで夫婦だ」と冷やかした。「畏れ多い」と首を振るカーラミルにラクシュニアは密かに嘆く。自分の愛を信じ受け入れるには、彼女の傷は深い。子を育てる経験を通じても、ふたりの間柄は主人と従者から変わらずにいる。夫婦として振る舞おうとすることを、カーラミルは頑なに拒んでいた。ラクシュニアを嫌っているのではないのはわかる。自分に愛される価値は無いと思い込んでいるのだろう。だがやがて、セローシュが言葉を覚え始めると、カーラミルを慌てさせる事態が起きた。
「パパ、ママー!」
「わ、私はママではなくラクシュニア様の従者です!」
「『従者』の意味はまだわからぬだろう。そのままで良いのではないか?」
「そんなわけにはまいりません! 今の内にきちんと教えておかなくては。」
大きく首を振って叫んだカーラミルに、ラクシュニアは溜め息をつく。
「お前は物事を深刻に捕えすぎる。もう少し柔軟な思考を持つといい。」
「そう仰られても……。」
「マァマー。」
よちよちと歩きセローシュがカーラミルの服の裾を引く。カーラミルは身をかがめ、セローシュを抱き上げ微笑む。そんなカーラミルの姿に、ラクシュニアは満足げな笑みを浮かべた。
「うむ。絵画にして飾りたいほど美しいな。画家を雇って描かせてみるか。」
「突然何を仰るんですか。」
困った顔で見つめるカーラミルにラクシュニアは優しく笑う。
「私の言葉は常に真実だ。お前は美しい。」
「親にも捨てられるような私が美しいはずありません。」
カーラミルの腕の中で嬉しそうに笑うセローシュの頬をなで、ラクシュニアは言葉を続ける。
「幼子の笑顔もまた真実だ。ほら、お前に抱かれてこんなにも嬉しそうにしているではないか。お前の心が、魂が、美しい証だ。」
これはいい機会だとラクシュニアはカーラミルを見据える。
「お前は、セローシュを大事に想っているのだろう? セローシュもお前を必要とし、愛している。私も、同じだ。」
戸惑った視線を向けるカーラミルにラクシュニアは続ける。
「私はお前の美しさや優しさ、一途さを愛しく思っている。従者としてそばに居てもらうだけでは足りないのだ。お前が奪われてしまったものを、補ってあまりあるほどに与えてやりたいと思っている。」
戸惑いながらも頬を染めたカーラミルの目を見つめラクシュニアは告げる。
「私の妻になってほしい。」
「わ、私は……。」
「無理にとは言わん。これは主としての命ではない。ひとりの男としての求愛だ。」
腕の中で機嫌よく笑うセローシュと、真摯な眼差しを向けるラクシュニアを、カーラミルは迷うように交互に見つめる。その目を潤ませカーラミルはラクシュニアを見上げた。
「私で、良いのですか? 後悔しませんか? また捨てられたら、私はもう……。」
消え入りそうな声を震わせるカーラミルをそっと抱きしめた。
「後悔などするわけなかろう。」
潤んだカーラミルの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。それをそっと拭い、ラクシュニアはカーラミルの顔を覗き込む。
「返事を聞かせてくれないか。」
頬を染めながら、ラクシュニアを真っ直ぐに見つめカーラミルは頷いた。
「ラクシュニア様の求愛、謹んでお受け致します。」
「ありがとう。愛より深くお前を包み、守っていくと誓う。」
ふたりの間でセローシュが嬉しそうな笑い声を上げ、小さな両手をぱちぱちと叩く。
「ほら、我らの天使も祝福してくれているぞ。」
「吸血鬼でも、天使の祝福を受けられるのですか?」
少しだけ笑って自分を見つめるカーラミルに、ラクシュニアは胸を張って答えた。
「無論だとも。種族の違いも育った環境も、愛の前には無力だ。」
ふたりはカーラミルに抱かれたセローシュを見つめる。この子は自分達が新たな道を踏み出せるよう導くために遣わされた天使だと、そしてこれからも共に守っていかねばならない我が子なのだと、ふたりは想いを新たに見つめ合った。


END


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