僕は人を殺した罪で追放される、らしい。
“らしい”というのは、僕には全く覚えがないからだ。
『Familiar』
死んでしまったのは友人、だと思っていた人物だった。彼、ディアルドと出会ったのは3年程前のこと。柔らかそうな金色の髪に赤味がかった茶色の瞳をした、いかにも温厚そうな青年だった。隣の家に引っ越してきたディアルドは、身体が弱くて成人しても引きこもりがちな僕を何かと気にかけ、親切にしてくれたのだ。5年前に事故で家族を亡くして以来、一人きりで生きてきた僕にとって、少し年上のディアルドは兄のような存在になった。互いの家に行き来するようになり、食事を共にするようになった。
「アンラニル、君はもっとしっかり食べないと。」
食の細い僕をディアルドはしきりに心配して、見たことのない果物やこの辺りでは珍しい生き物の肉や魚を持参し料理を振る舞ってくれた。引きこもって本を読むばかりだった僕の話を、楽しんで聴いてくれていた。僕が熱を出して寝込んでしまった時には、起き上がれるようになるまで傍にいて、水を飲ませてくれたり汗で濡れた服を着替えさせてくれたりして、心から心配してくれているのだと思っていた。何かしてもらうばかりで何も返せない僕に、ディアルドは「そんなことは気にしなくていい」と言ってくれた。僕は生涯の友人を得られたのだと思っていた。あの夜までは。忘れもしない、赤く不気味な月が浮かぶ夜だった。深夜に僕の部屋を訪れたディアルドは、今まで見せたことのない暗い笑みを浮かべていた。
「そろそろいい頃合いだろう。」
「何の話?」
「お前の血の話さ。100年に1人いるかいないかという極上の血だ。希少で未成熟な血を俺の手で育てるのも、貴重で興味深い体験だった。」
にやりと笑ったディアルドの口元に鋭い牙が見えた。あんなもの今まで無かったのに。
「ディアルド、その牙は、まさか……?」
「あぁ、俺は吸血鬼だ。俺の擬態は完璧だからな、気付かなくても無理はない。」
「君は吸血鬼で、僕の血が欲しいから、人間のふりをして僕に近付いたの? 優しくしてくれたのは、嘘だったの?」
「当たり前だろう。どうして俺が何の利益もなく人間に親切にしてやる必要がある?」
心底から呆れた表情で言い放たれて、僕の頭の中は真っ白になった。生涯の友人だと思っていた。家族をいっぺんに亡くして、病弱な身体を抱え孤独に生きていた僕に、彼は生きる希望をくれた。それが偽りだったと分かった僕の絶望を、理解してくれる人はいるだろうか。ディアルドが僕の腕を強く掴んだ。そこに今までの優しさは微塵も感じられなくて、抵抗する気力も湧かなかった。
「諦めがいいのは良いことだぞ、人間。」
僕を名前ですら呼んでくれないことで、彼が本気だと察した。吸血鬼に襲われた人間は出血多量で死ぬか、理性を失くした半吸血鬼になるかのどっちかだと聞いたことがある。騙されていたのだと分かって、死んでもいいし半吸血鬼になってしまってもいいやと、自棄と諦め半々の気分で目を閉じた。首筋に噛みつかれた痛みは覚えているけど、そこで僕の記憶は途絶えている。気が付いた時には朝になっていた。重くしびれる身体を無理やり起こし辺りを見回す。一晩中床に倒れ込んでいたようで節々が痛んだ。死んでいないということは、僕は半吸血鬼になってしまったんだろうと思った。だけど、すぐ傍に倒れているディアルドを見て異変に気付いた。苦しそうな表情を浮かべ彼は死んでいた。どうして僕が生きていてディアルドが死んでいるのか、皆目見当がつかなった。わけが分からないまま、街の役場へ「家で人が死んでいる」と連絡した。駆けつけた役人達にありのままを話したが、彼らは僕の話に眉をひそめた。僕とディアルド以外に誰もいない家で、彼だけが死んでいる。つまり、僕はどう見ても怪しい状況にあった。役人は僕に不審な目を向けながら「当分の間、我々に居場所を明らかにしておくように」と告げ、ディアルドの遺体を抱えて出て行った。
翌日、役人から連絡があった。調査の結果、ディアルドの死因は毒物の大量摂取だと判明した。だが彼に自殺の動機は見当たらないこと、彼が死んだ時一緒にいたのは僕だけだったことから、僕が彼を殺したのだろうと言われた。冗談じゃない。裏切られて殺されそうになったのは僕の方なんだ。ディアルドは実は吸血鬼で、僕は襲われて殺されるところだったのだと何度も説明した。噛みつかれて気を失った後のことは覚えていない、目が覚めたら彼は死んでいたのであって、僕が殺したんじゃないのだと必死に主張した。けれどディアルドの擬態は本当に完璧だったようで、どんなに調べても彼に吸血鬼の特徴は見当たらないという。そして、あの夜確かに噛みつかれたはずの首には、かすり傷すらなかった。わけがわからなかった。誰も僕の話を信じてくれなかった。それから僕は数日間、役場の地下室に拘束された。ディアルドの死因や僕の身辺を詳しく調査し、処遇を決めるという。ディアルドの死因など僕にはもうどうでもよかった。彼に襲われてから何日か経つが、僕は生きているし吸血鬼化する兆候も今のところ見られない。僕の身に何が起きているのか、それだけが気がかりだった。その後役人から聞かされた話は、懸念を抱える僕を失意の底へ突き落すものだった。ディアルドの遺体から見つかった毒物は未知のもので、彼の家からも僕の家からも同じ毒物は見つからなかったという。彼が毒物を用意して自殺する理由も、僕が彼を殺す動機も見当たらない。だがそれでも、彼が吸血鬼で僕を襲おうとしたという証拠も何一つ無いという。僕と彼しかいない家で彼だけが死んでいたのは事実であり、この事実を見過ごすことはできないと。よって、僕を殺人の疑いがある危険人物とみなし、全財産を没収した上で街から追放すると告げられた。状況証拠だけで僕を断罪しようというのだ。呆れた話だが、僕の無実を証明することが難しいのは確かで、何の力も無い僕は役人の判断を受け入れるしかなかった。多くの場合殺人は死罪だが、それを免れただけましだと思うしかない。いくつかの書類にサインをし、そのまま街を出た。彼と同じ時を過ごし、彼が死んでいたあの家に、戻ろうとは思えなかった。
居場所も財産も何もかもを失くした僕は、途方に暮れながら街道を歩いた。誰とも関わりを持ちたくなかったし、何より吸血鬼に襲われても何ともない自分が怖かった。もしかしたら、これからゆっくりと吸血鬼になっていくのかもしれない。だとしたら尚更、他人と関わるわけにはいかない。ならどこか誰もいない森か山に入って、ひっそりと死んでしまおうと思った。吸血鬼になってしまったのだとしても、何も口にしなければ飢えて死ぬだろう。この街道を北へ向かえば樹海がある。吸血鬼の屋敷があるという噂だが、本当に吸血鬼がいるなら今度こそ襲われて死ねるかもしれないし、何もなくても飢え死にだ。そう考えると少しだけ気が楽になって、北へ向かって歩いた。僕の吸血鬼化がゆっくりと進んでいるのだとしたら、早く人里から離れなくていけない。昼夜を問わず歩き続ける。疲労が僕の寿命を縮めてくれるよう願いながら。数日間ほとんど休まず歩き続けて、ようやく樹海に辿り着いた。街道は樹海を右手に見ながら西へ続いているけれど、迷わず街道を逸れ樹海に足を踏み入れた。振り向けば街道が見える範囲は陽の光が届いていたけれど、奥へ進むにつれてそれも届かなくなった。密生した樹々が空を覆い隠し、太陽を遠い世界のものにしている。僕の末路に相応しい。獣道すらない森の中をやみくもに歩く。どっちから来たのかもよく解らなくなった所で足を止めた。ゆっくりと辺りを見回す。鬱蒼と樹々が生い茂って空はほとんど見えない。葉の隙間から辛うじて光が届いてぼんやりと周りが見えるから、夜ではないのだろう。鳥や獣の声はおろか、風の音さえ聞こえない。歩き疲れた僕の荒い息遣いが響くだけだ。この辺りでいいか。もう歩き疲れたし、ここまで来れば誰にも見つからないだろう。太い木の根元に腰を下ろす。湿った草の感触と古い木肌に身体を預け目を閉じた。このまま森へ溶けて、樹々の微かな養分になれればいい。だけど、最期になるはずの願いは叶わなかった。目が覚めると木目の天井が視界に入った。ここはどこだ? 僕の家じゃないのは確かだ。ゆっくりと起き上がる。寝かされているベッドは広くてふかふかしている。着ているものも街を出た時から着ていたものではなく、見慣れない肌触りのいい寝間着だった。部屋の明かりは消えていて、窓の分厚いカーテンはきっちりと閉ざされている。薄暗い部屋だったが、壁際の暖炉が静かに燃えていて、それが光源になっていたのだとわかった。ベッドとその脇に小さなテーブル、暖炉以外に調度品は見当たらない。ベッドから下りてカーテンを少しだけ開ける。森の中の開けた場所にこの家は建っているようだ。この部屋は二階にあるらしく、少し欠けた月が浮かんでいるのがはっきりと見えるけど、正確な時間はわからない。外はどこまでも森が広がっていて、他の家らしき明かりは見当たらなかった。疲れた頭で考える。ここは誰かの家で、樹海で倒れ込んでいた僕をこの家の人が連れて来たのだろう。何のために? あの街の役人や近所の人達でないのは確かだ。僕の全財産を没収して街から追放することで裁きは終わっているはず。これ以上何かするとは思えない。なら、誰が何のために人殺しかもしれない僕を家に連れて来たのだろう。
「目が覚めたようだな。」
ふいに扉が開いて男の声がした。振り返ると、戸口に長身の男が立っている。
「丸三日間眠り込んでいたから心配したが、立ち上がれるなら良かった。」
男が手にした燭台から壁のランプに火を移すと、男の顔がはっきりと見えた。肩に届く黒い髪に白い肌、切れ長の瞳は冷たそうな感じがする。この人がこの家の主なんだろうか。僕を家に連れて来てどうするつもりなんだろう。
「そう怯えた顔をしないでくれ、アンラニル。私は君に危害を加える気は全くない。むしろ君に詫びなくてはならないのだから。」
彼はそう言いながらゆっくりと僕に近付いてきた。その口元に牙が見えて身構える。
「私の名はイドゥア。上位の貴族種である吸血鬼だ。危険思想を持つ吸血鬼を討伐する任に就いているのだが、間に合わず君を辛い目に遭わせてしまった。」
「どうして僕の名前を? 僕とディアルドのことを、知っているのですか?」
イドゥアと名乗った吸血鬼は、窓際に立つ僕の傍に来て深々と頭を下げた。
「私はディアルドを討つべく長年追っていた。ようやく奴の痕跡をあの街で見つけたのだが、奴は直後に死亡し、君が奴を殺した疑いで街を追放されたと聞いた。私がもっと早く奴を討っていれば君をこんな目に遭わせずに済んだのに、本当に申し訳ない。」
「ディアルドは、やっぱり吸血鬼だったんですね。なら、彼に襲われたのにどうして僕は生きていて、吸血鬼にもならないんでしょうか。」
目の前の吸血鬼を信じたわけじゃないけれど、僕の知りたいことを彼は知っているかもしれない。顔を上げたイドゥアに「疲れているだろう」と座るように促され、素直にベッドに腰を下ろす。少し離れて座ったイドゥアを見上げた。
「街の役人から話を聞いて思い至ったことがあって、君の許可を得ずに申し訳ないが、君の血を採取して調べさせてもらった。君の血には、吸血鬼に対して毒となる成分が多量に含まれている。吸血鬼なら嗅ぎ取れる甘い香りを放って惹きつけ、吸血させて生命を奪うものだ。」
「僕の血が、毒?」
「うむ。あくまでも吸血鬼に対してだけで、人間や他の生き物には作用しない。恐らく先天的なものだと思われるが、詳しいことはまだ分からん。」
「ならやっぱり僕が彼を殺したことになるんですね。」
「いや、君を襲ったのは奴の意思だ。奴は君を騙していたのだから自業自得、君に罪はない。」
そうは言っても、僕の血は毒で、そのせいでディアルドを死なせたのには違いない。
「僕って、気味の悪い存在ですね。」
「何故そうなる?」
「ディアルドは僕の血を希少なものだと言っていました。毒だとは気づかなかったようですが、こんな血を持ってる人間なんて他にいないのでしょう? いい匂いで惹き寄せて襲わせて逆に殺すなんて、気味が悪いし恐ろしい。」
ふむ、と呟いてイドゥアは何か考え込んでいる。イドゥアも僕の血の匂いを嗅ぎつけたのだろうか。吸血鬼には毒だと分かって、さぞ落胆しているだろう。
「そう悪く考える必要はあるまい。君は全てを奪われて放り出されここまで歩いてきたのだ、身も心も疲れているだろう。ゆっくり休むといい。この屋敷は私の拠点の一つだ。陽当たりは少々悪いが部屋はいくらでもあるし、調度品も必要な物は揃っている。食料も保存の効くものなら置いてあるから好きに食べるといい。吸血鬼といえど、人間の血だけで生きているわけではないからな。」
イドゥアはそっと笑うと「出かけてくるから好きに過ごしてくれ」と言って部屋を後にした。見知らぬ家で好きに過ごせと言われてもと困惑しつつも、疲れていたのでベッドに横になる。僕の血は毒で、吸血鬼を惹き寄せ襲わせて殺すなんて、僕は人間じゃないのかもしれない。そんな僕をイドゥアはどうするつもりなのだろう。ディアルドを討とうとしていたという話は本当だろうか。もしかしたら、本当に探していたのは僕のことなのかもしれない。吸血鬼にとって危険な存在の僕を、捕えようとしていたと考える方が自然なんじゃないか。だったら、それでいいや。どうせ死ぬつもりで森に入ったのだから。
いつの間にか眠っていたらしい。少しだけ陽の光が射してきて目が覚めた。立ち上がって部屋を出てみる。高い天井に長い廊下。いくつも並んだ扉はきれいな装飾がされている。僕が寝かされていた部屋は二階の角だった。廊下を歩いて階段を降りてみる。イドゥアは戻っているんだろうか。一階に降り物音がする部屋へ行ってみると、そこは厨房でイドゥアが鍋で何かを煮込んでいるところだった。香草のいい匂いがしている。覗き込んだ僕に気付きイドゥアが振り返る。
「目が覚めたか。体調はどうだ? 今温かい食事を用意するから、隣のダイニングで待っていてくれ。」
頷いてダイニングに向かう。僕の住んでいた家がまるごと収まるんじゃないかというくらい広い。カーテンの隙間からうっすらと陽が射していた。中央に大きなテーブルがあり、それを囲むように並んだ椅子に腰を下ろす。広すぎて落ち着かない。しばらく待っているとイドゥアが木製のワゴンを押しながら現れた。サラダに具だくさんなスープ、まるごと焼かれた魚、一口大にカットされた見慣れない果物を、イドゥアが高級レストランよろしく一つ一つ解説しながら並べていく。
「食欲があるかわからぬが、好きなだけ食べてくれ。」
並べられた料理はどれもいい匂いがしている。料理は得意なのだと笑うイドゥアだが、なぜ彼がここまでしてくれるのだろう。僕をこの屋敷に置いてどうするつもりなのだろう。
「それから、欲しいものや必要なものがあれば調達してくるから、遠慮せずに言ってくれ。この屋敷で暮らすのもいいがここは便が悪いからな、どこか他の街で新しい暮らしを始めたいのなら、顔が利く役所があるから手配しよう。」
イドゥアにそんなことをする利は無いはずだ。一体何が目的なんだろう。
「イドゥア、あなたも僕の血が目当てなんですか?」
僕の問いに、向かいに座って食事を始めようとしていたイドゥアは笑いながら首を振った。
「私にとって君の血は毒だ。そうと分かっていながら吸血するほど私は愚かではない。」
「ならどうして吸血鬼が僕を助けて親切にしてくれるんです? 何のメリットもないじゃないですか。」
手にしたスプーンを置いてイドゥアは困ったような顔をする。
「吸血鬼に騙されたのだから無理もないが、困っている者に手を差し伸べることに、いちいち理由が必要か? それに最初にも言ったが、君が受けた仕打ちは私に責がある。どうしても理由が必要なら、君を助けることは私の償いだ、と言えば納得してくれるか?」
「あなたが本当にディアルドを討とうとしていたのか、僕には確かめる術が無いです。」
ふむ、と呟いてしばらく考え込み、言葉を探すようにイドゥアは口を開いた。
「君は古代に、我々の始祖と当時の人間の王とが結んだ盟約の話を知っているか?」
「詳しい経緯は知りませんが、共存を目指そうと和睦を結んだと聞きました。」
「その通り。だがどれほど時が流れても、吸血鬼には人間を捕食の対象や下等な生き物と見做す奴は絶えないし、人間にも吸血鬼を排除すべき恐ろしい存在と考える者が常にいる。始祖の願いであった完全なる共存を果たすことが、全吸血鬼の使命であると私は考えている。」
僕をまっすぐに見つめてイドゥアは話し続ける。
「それに私は貴族種の吸血鬼であって純血ではない。貴族種とは半吸血鬼が吸血衝動や力のコントロールを覚え、吸血鬼としての能力を完璧に習得したものだ。つまり私のルーツを辿れば人間がいる。人間がいなければ私は存在し得ない。私はそのことに感謝しているし、完全なる共存は可能であると示すのが、貴族種たる私の存在意義なのだ。それを妨害する吸血鬼は、同族であっても許しがたい。ディアルドは人間を下等な生き物と見做す連中の中でも極めて残虐で、多くの人間が奴の犠牲になっている。同胞達の間でも真っ先に討伐すべしとされていた奴だ。人間に擬態し潜伏していた奴を見つけられず、君を危険な目に遭わせたのは私の責任だ。」
テーブルに両手をついてイドゥアは深々と頭を下げた。
「私の償いを受け入れるかどうかはアンラニル、君の自由だ。だが、どうか償わせてほしい。」
微かに震えたイドゥアの声。嘘を言っている態度ではなかった。それに、僕の名前をちゃんと呼んでくれた。僕を騙して襲った吸血鬼。僕を信じてくれなかった街の人達。全てを失って死ぬつもりで入った森で、僕を救おうとしてくれる吸血鬼。もう一度、誰かを信じてみてもいいかもしれない。
「わかりました。イドゥア、僕を助けて下さい。」
「うむ。全身全霊で力になることを誓う。」
「ありがとうございます。」
僕はイドゥアの屋敷で暮らすことを選んだ。街への便は悪いけど、もともと引きこもりがちだった僕にはさしたる問題じゃない。それに、もしも誰かが僕の血のことを知ったら、それが吸血鬼なら僕を殺そうとするだろうし、人間なら吸血鬼の殲滅を狙う過激派に悪用されてしまうだろう。僕がイドゥアの傍にいることは、吸血鬼達を守ることにも繋がると思う。イドゥアとの生活はとても楽しい。吸血鬼の暮らしぶりは僕の知らないことばかりで、誤解していたことも多いのだと気付かされた。イドゥアも「人間のことをより深く知れた」と喜んでいる。イドゥアが僕に親切にしてくれるのは責任感からで、その背景が分かっているから信頼できる。もちろん、彼の誠実さも。僕も自分の血からイドゥアを守る義務があるし、僕らの関係は対等なものだ。イドゥアにそう言うと「そんなに深刻に考えなくていい」と言ってくれるけれど、その表情は嬉しそうだ。
討伐の任務に出かけるイドゥアが無事に帰ってくるとほっとする。「おかえり」「ただいま」そんな他愛のないやりとりが、こんなにも温かく嬉しいものだったというのを、僕は長らく忘れていた。たくさんのものを失って、それでも得られたイドゥアとの暮らし。この温もりを守って、僕は生きている。
END
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