『ご主人様の謀り事』

「はぁ……。」
烈火のごとく怒る女性をどうにか宥めてお帰り頂くと、私はため息をつかずにはいられませんでした。先ほどまで私が対応していた女性は、ご主人であるヴァルセラ様の恋人のひとりです。ヴァルセラ様には年齢性別、種族すら問わず数多くの恋人がいらっしゃいます。たいていの方はそんなヴァルセラ様を受け入れていらっしゃるのですが、稀に独占欲の強い方がいらっしゃり、トラブルに発展することがあります。そんな時、ヴァルセラ様は私に対応を押し付けどこかへ姿をくらましてしまうのです。色恋沙汰の怒りを無関係な私が浴びせられ、朝から精気を吸われたように疲れ果ててしまいました。気を取り直し、山積みの日常業務に戻らなくては。こんなことに時間を取られている場合ではないのです。玄関扉を施錠し、応接室のポットとティーカップをキッチンへ運ぼうとしていた時でした。メイドのアルラが私を探しに来ました。
「エストリーさん、ヴァルセラ様がお呼びです。」
今度は何ですか。お屋敷にいらっしゃるのなら、恋人のお怒りをご自身で宥めて頂きたいのですがね。
「私は手が離せないと伝えて下さい。」
「それが、『極めて重大な要件だ。何を差し置いても来い。』とのことで……。」
困り顔のアルラに私は今日何度目かのため息を吐きました。私のせいでアルラが叱責されてはいけません。
「わかりました。これ、片付けておいて下さい。」
ポットとティーカップをアルラに託し、私はもう回数を数えたくもないため息をつきながら、ヴァルセラ様のお部屋へ向かいました。

 私がヴァルセラ様にお仕えするようになってもう10年程になるでしょうか。当時、私は吸血鬼の襲撃に遭い、半吸血鬼となってさまよっていたのです。湧きあがる狂暴な吸血衝動を抑えながら、人間ではなくなってしまった自分が生きていて良いはずがないという想いと、それでも死にたくないという願いに苦悩していました。そんな私のところへ、ヴァルセラ様が現れたのです。「生きたいかい?」という問いに、私は夢中で頷きました。「ならば僕の下へ来たまえ。力の制御や吸血鬼としての生き方を教えてやろう。」そう言われ、やはり人間には戻れないのだと嘆きましたが、生きたいという願いに勝るものはありません。そうして私はヴァルセラ様の従者となりました。ヴァルセラ様は貴族種と呼ばれる吸血鬼で、祖先の誰かは人間なのだと仰いました。長い年月をかけて吸血衝動を制御し、吸血鬼としての能力を身に着けることができるのだとのだと。私はヴァルセラ様のお屋敷で従者として働きながら、吸血鬼として生きる術を学んでいるのです。ヴァルセラ様のおかげで吸血衝動は制御できるようになり、人間の血を吸わずとも生きられるようになりましたが、まだ私に特殊な力はありません。嫌な予感だけは高い的中率を誇りますが。ヴァルセラ様は自由奔放で好奇心旺盛、、また恋多き方です。種族を問わず多くの者と交流し、興味が湧いたことへ何でも首を突っ込み、トラブルを招くこともしょっちゅうです。何か問題が起きると私や他の従者へ解決を押し付け、ご自身は霧へ姿を変え行方をくらましてしまいます。とはいえ、ヴァルセラ様は私に生きる道を与え導いて下さる恩人です。トラブルを起こすといっても、罪を犯すようなことは決してありません。それに、トラブルをご自身で解決することなど造作ないでしょうに、私達に「後は頼んだ!」と無茶振りをするのは、私達を吸血鬼として導くために試しておられるのでしょう。えぇ、そうに違いありません、そう思いたい。
頭を振って脳内を占める嫌な予感を振り払い、ヴァルセラ様のお部屋をノックします。
「エストリーです。お呼びと伺いました。」
「あぁ、入ってくれ。重大な話があるんだ。」
「失礼します。」
膨らむ嫌な予感を抑え込みながらお部屋に入ると、ヴァルセラ様は卓にトランプを広げておられます。私に視線を移すと大仰な仕草で両腕を掲げ、満面の笑みを浮かべられました。
「やぁ、よくぞ来てくれた! お前の手助けが必要なんだ! さぁ、そこへ座ってくれ。」
向かいの椅子へかけるよう促され腰をおろし、ご自身がお呼びになったのでは、とツッコミたいのをこらえ用件を伺いました。
「重大なお話というのは?」
「僕がカジノに出資しているのは知ってるね? そこには裏カジノがあってね、滅多に開くことはないけど、そこでは生命と大金を賭けたスリリングな勝負が繰り広げられ」
「お断り申し上げます。」
失礼ながら、ヴァルセラ様のお話を遮り立ち上がりました。生命と大金をかけた勝負だなんて、なんという恐ろしいことに手を出しておられるのでしょう。どんなトラブルを起こされても、罪を犯すようなことはないと信じていたのに。
「まぁまぁ、話は最後まで聞きたまえよ。お前が想像しているような恐ろしい話ではないから。」
思わず拳を握った私に、ヴァルセラ様はにこやかな顔でひらひらと手を振り、座るよう促されます。笑みを浮かべたその視線に含まれた有無を言わせない強さに、私は逆らえず座り直しました。
「話を続けるよ。そこには『無敗の美丈夫』、『カードの神に愛されし者』、『王者の輝きを手にする者』なんて呼ばれるポーカーの強者がいる。まぁ、僕のことなのだけど。」
「はぁ……。」
思わず間の抜けた返事をしてしまいました。それ、ご自身が呼ばせていらっしゃるのでは?
「で、そんな僕に勝負を挑んできた者がいる。ギャンブルで莫大な借金を抱えてしまって、どうしても大金が必要らしい。勝負は一週間後だ。そこでちょっとイカサマをやるからお前に手伝ってほし」
「お断り申し上げます!」
さっきよりも声を張り上げ立ち上りました。生命を賭けたゲームを行うというだけでも恐ろしいのに、そんな場でイカサマだなんて何を考えていらっしゃるのか。そんな悪事に手を貸すわけにはまいりませんし、お止めしなくては。憤る私をよそに、ヴァルセラ様は呆れた声を上げられました。
「話は最後まで聞きたまえというのに。」
そしてふっと表情を引き締め、話を続けられます。
「裏カジノだのイカサマだのと物騒だけど、これは人助けなんだ。詳しいことはまだ言えないのだけど、お前の手助けが必要なんだ。頼む、手を貸してくれ。」
真剣な眼差しでそう言われ、頭まで下げられては断れません。しかしイカサマが人助けとはどういうことなのでしょう。
「もう少し詳しい事情を聞かせて頂きたいのですが。」
「そうか、手を貸してくれるか! ありがたい!」
断れない、とはいえまだ何とも申しておりませんが。座り直した私の手を取り、ヴァルセラ様は言葉を選ぶように話を続けられます。
「とはいえ、お前は嘘や演技は苦手だろう。バレては困るから計画の全容は話さないでおく。お前は当日、私の指示通りに動いてくれればいい。そんなに難しいことではないから安心してくれ。」
「そうであればイカサマ行為を行うということも黙っておいて頂きたいのですが。」
「正義感の強いお前にイカサマを阻止されては困るのだよ。」
「本当に、人助けなのですね?」
「無論だとも。僕は戯れ言は口にするが嘘を口にしたことはない。そうだろう?」
その自覚はお持ちでいらっしゃるようで。しかし確かにヴァルセラ様が嘘を吐いたり、他者を貶め傷つけたりしたことは一切ありません。そっとため息をついて私は頷きました。
「わかりました。そういうことであればお手伝いさせて頂きます。」
「ありがとう、助かるよ!」
どうしてこの方はこうもやっかいごとを持ち込まれるのでしょう。
「何か言ったかい?」
「いいえ、何でもありません。」
「では、一週間後に。よろしく頼むよ。」

 そうして一週間後。私はヴァルセラ様に付き従いカジノを訪れました。ドアマンが恭しく頭を下げ扉を開けてくれます。煌びやかなシャンデリアの下、タキシードやドレスに身を包んだ人々が、従者を伴って和やかにカードやルーレットに興じています。バーカウンターやグランドピアノも据えられた上品な雰囲気で、ギャンブルに溺れ借金を抱えるような人間が出入りする場所には到底見えません。
「そんなに硬い顔しないで、今日は楽しんでくれ。さぁ、こっちだよ。」
初めて来るカジノとこれから行われることに緊張している私を、ヴァルセラ様は笑顔で手招きされます。楽しめるわけがないでしょうと嘆きつつ、後について奥の扉を抜けると、廊下の突き当りに豪奢な扉が見えました。
「あの部屋が裏カジノだ。挑戦者はもう来ているようだね。僕らはあっちの扉から入ろう。」
廊下を右へ曲がり、ソファとローテーブルが置かれた応接室のような部屋に入ると、ソファに腰かけていた人物が立ち上がりました。ヴァルセラ様より頭ひとつ高く、目つきの鋭い人間の若い男性です。パリッと仕立てた白いシャツの下には鍛え上げた肉体が伺えます。
「ヴァルセラ様、お待ちしていました。」
「やぁ、支配人。今日はよろしく頼むよ。」
この上品なカジノといえど、運営するには彼のような屈強な人物が必要なのでしょうか。ますます怖くなってしまいました。支配人と握手をかわし、ヴァルセラ様は楽しそうな笑みを浮かべられます。
「時間だね。じゃあ、始めようか。」
支配人が奥の扉から挑戦者の待つ部屋へ向かうと、ヴァルセラ様は声を潜め私を手招きされます。
「私が指示したら水とワインを持ってきてくれ。グラスとトレイはそこの棚、水とワインのボトルはそっちで冷やしてある。じゃ、行こうか。」
そう告げてウィンクをされると、ヴァルセラ様は霧に姿を変え扉の隙間から隣の部屋へ入って行かれました。挑戦者を驚かせる演出なのでしょうか。後に続いて部屋に入ると、分厚いカーテンが下がった薄明るい部屋の中央、卓の左側の椅子に挑戦者が落ち着かない様子で座っています。痩せた壮年の男性でした。ヴァルセラ様はまだ姿を現しません。扉のそばに立ち部屋を見回すと、挑戦者の背後の壁際にガラの悪い中肉中背の男性が二名座って、挑戦者を睨みつけています。この男達に挑戦者は借金をしているのでしょう。奥の壁際にあるテーブルに山積みされた札束が置かれています。支配人が卓のそばに立ちルールの説明を始めました。よく通る低く美しい声で、まるでオペラ歌手のようです。勝負は1セット限り、カジノが用意した賞金をそのまま賭け金として利用し、ゲームから降りることは禁止。手札の強さで勝敗を決し、挑戦者が勝てば賞金は彼のもの、ヴァルセラ様が勝てば挑戦者の生命がヴァルセラ様のものになる、ということでした。はて、ヴァルセラ様が勝っても何の利も無いように思えるのですが、いったいどういうことなのでしょう。支配人が芝居がかった仕草で右手を掲げヴァルセラ様の名を呼ぶと、挑戦者の向かいの椅子に突如霧が湧いて渦を巻き、一瞬でヴァルセラ様が姿を現されました。小さく悲鳴を上げた挑戦者に、ヴァルセラ様は牙を見せつけるように口角を上げ笑みを浮かべられます。
「マーディム君、だったね? 今日は楽しもうではないか。」
震えるマーディム氏に満足そうな笑みを浮かべられ、ヴァルセラ様が卓上のカードを手にされました。
「ディーラーは僕が務める。一対一の勝負だ。不正が無いよう、支配人と私の執事、そちらのお二人に立会ってもらう。では始めよう。」
不正が無いようなどと、どの口が仰るのか。小刻みに震えるマーディム氏が憐れになってきました。カードが配られ、マーディム氏が震える手でカードを取ります。ヴァルセラ様は優雅な手つきで自分のカードを手にし、満足そうな笑みを浮かべられました。いったい何を考えていらっしゃるのか、私は何をすればいいのか。両者とも一回目のカード交換を終え、ヴァルセラ様は相変わらず満足そうな笑みを浮かべていらっしゃいます。対してマーディム氏は血の気の引いた顔で手札を見つめていました。その手は相変わらず震えています。
「緊張しているようだね。お水でもどうだい? エストリー、彼に水を。僕はワインをもらおうか。」
「かしこまりました。」
いよいよ私の出番です。が、いったい何をなさるおつもりなのか見当がつきません。一礼して部屋を辞し、棚から取り出したグラスにそれぞれ水とワインを注ぎます。上品なカジノに相応しい高価なグラスに、磨き上げられた純銀のトレイ。お屋敷にもある見慣れた品ですが、それでも緊迫したこの雰囲気に私の手も震えてしまいました。零してしまわぬよう細心の注意を払って扉を開け、お二人の邪魔にならぬところにグラスを置きます。
「どうぞ。」
「あ、あぁ。」
「ありがとう、エストリー。おかわりが必要かもしれないから、そのまま彼のそばに控えていてくれ。」
「かしこまりました。」
冷えた水を一息に飲み干し悩むマーディム氏の邪魔にならぬよう、トレイを抱え数歩下がって控えました。ヴァルセラ様は「それでいい」というように頷いていらっしゃいます。震えるマーディム氏が憐れで、思わず彼の手札に視線をやりました。Aが三枚と8が二枚のフルハウスです。悪くない手ですが、これでヴァルセラ様に勝つには難しいのではないでしょうか。
「熟考しているね。生命がかかっているから無理もない。時間はたっぷりあるから、おおいに考えてくれたまえ。お水のおかわりはいかがかな?」
「い、いや、結構。」
震える声で答えたマーディム氏は、二枚の8を捨て新たに二枚のカードを手にします。一枚は9、もう一枚はA! 思わず私まで興奮してしまいそうになり、慌てて気持ちを落ち着けます。マーディム氏のポーカーハンドはAのフォーカードになりました。かなりの強運の持ち主です。しかしヴァルセラ様は『王者の輝きを手にする者』、すなわち最強のハンドであるロイヤルストレートフラッシュを揃える豪運の持ち主、そして先ほどから浮かべていらっしゃる余裕の笑み。ヴァルセラ様は二回目のカード交換はなさらないようです。いったいどうなってしまうのでしょう。私はヴァルセラ様がこんな理不尽に人の生命を奪うところなど見たくありません。
「では、僕からショーダウンといこう。私のハンドは……。」
ヴァルセラ様は扇形に広げたカードをもったいぶった仕草で軽く掲げ、ゆっくりと卓に広げられました。
「Kのフォーカードだ。王者は王を呼び寄せるのだね。さて、マーディム君、君の番だ。」
マーディム氏は震える手でカードを広げました。今は恐怖や緊張ではなく、驚きで震えているようです。
「俺は、Aの、フォーカードだ。」
「ほぉ、素晴らしい! おめでとう、マーディム君。君の勝利だ。」
ヴァルセラ様は優雅に笑って立ち上がられ、呆然としているマーディム氏の手を握られます。私もほっとしました。ヴァルセラ様が理不尽に人間の生命を奪うなど、受け入れられません。
「これで君は解放された。降りることのできない命懸けのゲームからも、背負ってしまった借金からも。支配人、彼に賞金を。まぁ、すぐにそこの彼らのものになってしまうけれど。」
「かしこまりました。」
恭しく一礼し、ヴァルセラ様の後ろに控えていた支配人が、奥のテーブルに積まれた札束を手際よく皮の鞄に詰めていきます。
「おめでとう、マーディム君。僕に勝利したことを誇りに思ってくれたまえ。」
支配人が賞金を詰めた鞄をマーディム氏に差し出します。しかし、震えながら受け取ったマーディム氏の手から、後ろで見ていた男達が鞄を乱暴に奪いとりました。
「ご苦労さん、こいつは預かっていくぜ。」
「待ちたまえよ。」
中身をざっと改め立ち去ろうとした男達を、ヴァルセラ様が呼び止められました。今まで聞いたことのない低い声には、深い憤りが現れていました。
「そのお金は確かに君らのものだ。マーディム君はそのために勝負に挑んだのだからね。遠慮なく持って行くといい。だが……。」
すぅっと目を細めヴァルセラ様は男達を睨み据えられます。
「ちょっと調べさせてもらったよ。君らは困っている人にお金を貸すことを生業にしている、そのこと自体は問題ない。だが、どうやら君らは不当な利子をつけたり取り立ての際に暴力を振るったりと、法を犯す非道な行為をしているらしいじゃないか。」
「何だと!?」
「と、とんでもねぇ言いがかりだ!」
男達は震えながらもヴァルセラ様に詰め寄ります。ヴァルセラ様にあんな睨み方をされても歯向かうとは、どうなっても知りませんよ。
「証拠は揃ってるんだよ。困るんだよねぇ、僕の愛する街の秩序を乱されては。それに、“そういう生業”をするなら“それなりの道理”を通してもらわなくては。ねぇ、支配人?」
ヴァルセラ様が支配人に視線を移すと、低い凄みを湛えた声で彼は男達に詰め寄ります。
「貴様ら、誰の許可を得て商売してる? この街は我々の縄張りだ。荒そうってんなら覚悟はできてるんだろうな?」
ヴァルセラ様も男達に詰め寄り、牙を見せつけながら仰います。
「即刻この街から立ち去るか、僕の手で意思を持たない半吸血鬼になるか、彼の手で冷たい海の底に行くか、選ぶんだね。」
「ひぃ〜!」
吸血鬼と強面の支配人に詰め寄られ、情けない悲鳴を上げて男達は部屋を飛び出して行きました。鞄はしっかりと抱えていきましたが。
「あ、ありがとうございました!」
マーディム氏が震え声で深々と頭を下げました。ヴァルセラ様はひらひらと手を振り彼に頭を上げさせました。
「礼には及ばないよ。まぁ、これに懲りたならギャンブルなんてやめて真っ当に働くんだね。その方が娘さんのためだ。」
支配人も穏やかな声で言葉を続けます。
「ギャンブルはプレイヤーが儲かるようにはできていません。紳士淑女の遊びであり、一夜の夢です。夢は必ず覚める。」
「はい、今後は真面目に働きます。出して頂いたお金は一生かけてもお返し致します。」
「いいんだよ。あれはルールに則り獲得したギャンブルの賞金、支配人の言う夢だ。君は夢から覚めた、夢は忘れて現実を生きてくれ。」
「ありがとうございます。この度は本当にお世話になりました!」
再び深々と頭を下げ、マーディム氏はカジノを後にしました。無事に終わって良かったですが、私はいったい何をさせられたのでしょう。イカサマとは何だったのでしょうか。
「どうした? お前まで呆けた顔をして。」
カジノの支配人の前でイカサマの話をするわけにはいかないと、私は首を振りました。
「いえ、何でもありません。」
「そうかい? エイビック、君もご苦労だった。協力、感謝する。」
ヴァルセラ様が支配人をエイビックと呼び手を差し出されると、その手を握り返し彼は微笑みました。
「お役に立てて良かったです。何かあればいつでも呼んで下さい。」
「迫真の演技だったよ。君はきっと大成する。僕が保証するよ。」
「ありがとうございます!」
わけがわからず二人を見つめていると、ヴァルセラ様はいたずらが成功した子どものように楽しそうな笑みを浮かべられました。
「あぁ、彼は友人のエイビック、役者の卵だよ。本当の支配人は年配のご婦人さ。」
「どういうことですか?」
「エイビックも仕掛け人なんだよ。まぁ、立ち話もなんだし、あっちで座って種明かしをしようじゃないか。ワインのおかわりを頼むよ。エイビック、君も飲むかい?」
「いただきます。」
隣りの部屋に移り、上機嫌なヴァルセラ様からようやくこの件の全貌を伺うことができました。ことの始まりはヴァルセラ様が恋人の一人から、「父親がギャンブルにはまり、悪質な金貸し業者から多額の借金をしているから助けてほしい」という相談を受けたことだったようです。そして同じ頃にカジノ支配人のご婦人からも「カジノをはじめ街をタチの悪い連中がうろついている」という相談も受けていたそうで、二つの相談事を同時に解決するためにこの芝居を計画した、ということでした。
「愛しい人たちのため、ひと肌脱いだってわけさ。」
「私に協力させたイカサマとは何だったのですか?」
私の問いにヴァルセラ様はにっこり笑って、テーブルの隅に置かれたトレイを指差されました。
「なぁに、簡単なことだよ。そのトレイを持ったお前をマーディム君の後ろに立たせる。トレイに映った彼の手札を見て、後はちょっとした手品で彼にAを渡したのさ。私の手元にKが4枚揃ってしまった時には焦ったけどね。やはり王者は王を呼び寄せてしまうのだな。でも最初にフルハウスでAが揃っていたのは彼の強運さ。」
「では最初からわざと負けるおつもりだったのですか?」
「当たり前だろう。彼の生命をもらってもどうしようもない。そもそも裏カジノなんてここには存在しないよ。僕がポーカーに強いのは事実だけどね。で、裏稼業に君臨するカジノ支配人と恐ろしい吸血鬼の出資者を演出して、カジノは彼の居場所じゃないって気づいてもらうのと、悪質な連中を街から追い払う、一手で二つの悩み事を解決したってわけさ。」
「そういうことなら、最初から全て話してくださればよろしいではないですか。」
やっと全てがわかり、全身から力が抜けていくようでした。寿命が縮んだ、私の緊張を返してほしい、そんな嘆きにヴァルセラ様は心底から楽しそうな笑みを浮かべられました。
「緊張しているお前が面白く、いや、可愛らしくてな。」
優雅にグラスを傾けそう仰るヴァルセラ様の笑みに眩暈がしました。
「苦労されているようですね。」
「全くです。」
こそっと囁くエイビック氏に頷きながらも、私は安堵していました。
「誰も傷つくことがなくて、良かったです。」
「何を言っているんだ。僕が誰かを貶めて傷つけたことがあったかい?」
そして私にもワインを勧めて下さりながら仰いました。
「エストリー、お前のそういうまっすぐな所が僕は好きなんだ。今日はご苦労だったね。お前も飲むといい。」
確かに私達従者はヴァルセラ様の思いつきや無茶ぶりに苦労していますが、それを不快に感じている者はおりません。私達への信頼を確かに感じるからです。好奇心旺盛で自由奔放でいらっしゃいますが、ご自身の愛するもの全てを心から大切になさるお方だからこそ、多くのご友人や恋人達に慕われるのでしょう。無論、私達従者も。ヴァルセラ様の謀り事は私の寿命を縮めかねませんが、間違いなく他者を愛し救おうとするものなのです。あの日、ヴァルセラ様に従い生きると決めた私の判断は間違っていませんでした。私もまた、愛される者の一人なのですから。


END


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