『Sinful』


 教会の傍に建つ、やや古びたレンガ作りのこの建物は、私達の教会が運営する施設です。病や事故、あるいは吸血鬼の襲撃で親を失った子や、親から虐待を受けていた子を保護し、養育しています。教会では単に「施設」と呼んでいますが、街の人々からは「孤児院」や「養護院」など様々に呼ばれているようです。私はこの施設の起ち上げ当初からの責任者で、保護を必要とする多くの子供達を救い育て、世に送り出してきました。子供達は、私や他の職員を家族として慕ってくれ、また子供達同士も同じような境遇におかれた悲しみを分かち合い、励まし合って生きています。里親が見つかったり、成人したりして施設を発って行く時、彼らは「ここに来られて良かった」と言ってくれます。その笑顔は、私の救いであり、赦しでもあるのです。いや、赦しというのはずいぶんと勝手な言い様ですね。無論、時に家族として時に教師として、私は子供達一人一人と真摯に向き合い、彼らの幸せを祈りその一助となるよう尽くしています。子供達の健やかな成長を促し彼らを守る事は、聖職者としての私の使命であり、また私自身の生きる喜びでもありました。しかし、何かを守ろうとする事は、時に弱みを作る事にもなり得るのです。嘆かわしい事に、そこへつけ込んでくる輩も存在します。そして何より許しがたい事に、私はそれに屈してしまったのです。
この施設は、教会に従事する私達の出資と、協賛事業者からの援助、街の人々からの寄付金などで運営されています。施設を起ち上げる時、様々な問題がありました。設立と運営の資金はその最大のもので、私達は資金繰りに奔走していました。孤独な子供達へ手を差し伸べる事の重要性をなかなか理解してもらえず、計画はとん挫しかけていました。そんな時、ある実業家が私達に接触してきたのです。テクシスソス商会という、交易で名を上げ始めていたカンパニーでした。商会長を務めるヘイムドル・テクシスソス氏は私達の活動を称賛し、ある条件と引き換えに永続的に施設への資金援助を行うと言ってきました。提示された金額は、子供達の養育と施設の運営を続けていくのに申し分ない額でした。この時、私はもっとこの商会について調査するべきだったのです。しかし、小さな街の教会は政財界へのつてなどありません。王宮はもとより領主や有力貴族の援助も得られず、途方に暮れていたところへ転がり込んできた話に、私は飛びついてしまったのです。ヘイムドルから提示された条件とは、定期的に子供達の血を採取し商会へ提供する事でした。採血を行う医師は商会から派遣し、この事は詮索も他言も無用というのが条件でした。いったい何のためにそんな事をするのか分からないまま、私は条件を受け入れ資金援助の契約をかわし、施設の運営に乗り出したのです。他の職員や子供達には「採血は健康管理のため」と説明しました。そうです、他の職員は何も知りません。悪いのは、私一人なのです。
施設の運営が軌道に乗り始めた頃、テクシスソス商会について悪い噂を聞きました。禁じられた薬や武器の密売を行っているのではないかというのです。施設がこの商会から援助を受けている事は街の人達にも知れています。この施設が、何よりここで生きる子供達が、悪い評判を受けるわけにはいきません。私はヘイムドルに面会を求め、噂について問い詰めました。火種の無い所に煙は立ちませんが、子供達のためにただの噂であってほしいと願っていました。しかし、私の願いは打ち砕かれたのです。彼は口元だけで笑い私を見据えました。
「君もそろそろ知っておいた方がいいだろう。君もこの取引に一枚噛んでいるのだから。」
「どういう事ですか?」
困惑する私に彼は恐るべき事実を口にしました。子供達から採取した血は、この街に暮らす吸血鬼達に販売しているのだと。
「何と恐ろしい事を!」
「おや、君は人間と吸血鬼の共存には反対かい? 聖職者たる者、生けとし生ける者をその生まれで差別するのは良くないな。」
「しかし、子供達の中には吸血鬼に親を襲われて亡くした子も大勢いるのですよ!?」
ヘイムドルは肩をすくめて笑いました。
「我々の活動はそのような子供をなくすためでもあるのだよ。我々が集めた血を彼らに売る事で、彼らは見境なく人間を襲わなくなる。人々は血に飢えた吸血鬼の襲撃に怯えずに済む、吸血鬼は合理的かつ平和的に飢えを満たし、我々の懐と君達の施設も潤う。誰も損をしないし傷ついてもいないではないか。」
「血を、生命の一部を、商売の道具にするなど倫理に反します!」
「ふむ。君の言う事にも一理ある。それは君の正義なのだね。だが君は我々が得た利益で子供達を養っているのだ。我々が手を引けば君達は困るだろう? 君の正義と目の前の現実、優先すべきはどちらなのか。考えるまでもないと思うがね。」
「しかし……!」
叫ぶものの言葉に詰まってしまいました。確かに商会からの援助は施設の大きな助けになっています。子供達を救うのに、想いや正義感だけでは現実に太刀打ちできません。拳を震わせる私に、ヘイムドルはそっと笑います。
「君はまだ若い。青臭い綺麗事だけでは、生きていけないのだと知るいい機会だろう。それにだ、我々の活動は子供らのためでもあるぞ。病に冒された血や栄養の不足した血では売り物にならないからね。これによって子供らの健康状態を知る事もできるのだ。我々を批判する理由はどこにもあるまい。」
反論する言葉が見つからず、震える私の肩に手をかけたヘイムドルは口角を上げ笑いました。
「君は私の要求を受け入れた。私は無理強いをした覚えはないよ。きちんと説明しなかった非は認めるがね。しかし君はそこを強く追及しなかった。故に、私と君の取引は公正なものだ。君が私を批判するのならば、それは君自身にも返るものだという事を忘れないでくれ。」

「おはようございます、クロノンス神父。」
「あっ、神父様だ! おはようございます!」
「おはようございます、みなさん。よく眠れましたか?」
私を笑顔で出迎えてくれる子供達は、しかし私の背後から現れた医師の姿に表情を曇らせます。
「神父様、今日って注射の日?」
「やだー! 注射痛いからきらいー!」
「みなさんの健康管理のためですよ。痛いのはほんの一瞬ですから、どうか辛抱して下さいね。」
渋々頷いた子供達の顔に、胸が痛みます。この子達の血が吸血鬼達を生かしている、私はいたいけな子供達を騙し、悪魔と結託してしまったのです。世の中に、人間と吸血鬼の共生を目指す動きがあるのは知っています。かつて、それぞれの王が交わした和睦の盟約の事も。しかし、吸血鬼の全てが人間との友好な関係を願っているわけではないでしょう。今も本能のままに人間を襲い吸血しているのが何よりの証です。そして人間も、そんな吸血鬼を利用して利益を得ている者がいます。知らなかったとはいえ、私もその一人です。いえ、知らなかったというのはただの言い訳に過ぎません。知る手段は、いくらでもあったのですから。ヘイムドルの言う通り、誰も損をしたり傷ついたりはしていないのでしょう。あれから私は、これは街の人々を、何よりこの子達を守るために、仕方のない事なのだと考えるようにしています。
しかし、それでも私は罪深い。


END


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