『贖罪と愛のための生』

「そこで何をしている?」
それは月の明るい日のことだった。深夜の散歩に出た森の中で、あろうことか首を吊ろうとしている若い男を見かけた。声をかけると、そいつは怯えと憤りを同時に浮かべて私を振り返る。その震えた口元に小さな牙が見えて同族かと考えたが、吸血鬼が首を吊ったところで死ぬことはない。吸血鬼になりたての元人間だろうか。吸血され後天的に吸血鬼となった者の精神的・肉体的苦痛は、生半可なものではない。人間でなくなったことに絶望し、死を選ぼうとする者は少なくない。だが何も私の敷地内で死のうとすることはないだろう。近付くとそいつは警戒心むき出しで私を睨んだ。
「ほっといてくれ!」
「私の森をこれ以上妙な名所にされては困る。」
世を儚んだのか何なのか知らないが、人里離れたこの森で生命を絶とうとする人間が後を絶たない。事切れる前に救助し、一部の記憶を消して森の外へ放り出しているが。私をじっと睨んだ男は、はっとした顔で叫ぶ。
「お前、吸血鬼か!?」
「あぁ、私はこの森に住む吸血鬼だ。」
私の言葉に男は憎悪を強く浮かべた顔で尚も叫んだ。
「お前らのせいで俺達の人生はめちゃくちゃだ!」
やはり後天的な半吸血鬼か。しかし私とこの男は初対面だ。他者の所業で私を憎まれても困る。
「同族に襲われたか。だがお前を襲った奴と私は無関係だ。不毛なことは止めておけ。それと、私の森を穢さないでくれないか。」
「だったら他へ行くさ。お前を殺してからな!」
急にそいつは私に体当たりし首に手をかけてきた。首を絞められても吸血鬼は死なないのだが。木に押し付けられ首を絞められながらも彼を観察する。半吸血鬼になって日が浅いようだ。深い絶望とやり場のない怒りの波動を感じる。吸血鬼の私を見て怒りを煽られたのだろう、ひどく興奮しており冷静に話ができる状態ではない。「俺達の人生はめちゃくちゃ」と言ったことから察するに、自身が吸血鬼になった以外にも何か不幸があったのだろう。とりあえず、気が済むまでやりたいようにやらせてみるか。生命を絶ちに来た人間と同様に記憶を消して放り出すか、吸血鬼としての生を導いてやるかは、落ち着いて話ができるようになってからでも遅くはあるまい。
「化け物め……!」
渾身の力をこめて締め上げても顔色一つ変えない私に焦れたのか、息を荒げらながら彼は手を放し罵った。死なないとはいえ、さすがに息苦しくなってきたのでありがたい。
「アンタも吸血鬼になったんだろう?」
「お前らと一緒にするな! 殺人鬼の化け物め!」
「吸血鬼も色々だ。一緒くたにされては困る。」
私を強く睨み彼は無言で背を向けた。歩き出すその背を呼び止める。
「どこへ行くんだ?」
「お前には関係ない。」
「死に場所を探すのか? それとも仇を見つけて殺すのか? どちらにせよ、私の話を聞いてからでも遅くはないんじゃないか? 吸血鬼がどうやったら死ぬのか、知らないんだろう?」
悔しそうに顔を歪め彼は私を振り返った。
「どうやったらお前らは、俺は、死ぬんだ?」
「立ち話もなんだから、私の屋敷で話そう。この辺りは狼や熊も出るんだ。私の力では対処しきれない。ここでつっ立って話をするのは危険だ。」
嘘だった。彼はどちらかと言えば復讐するよりも死にたがっているように思えた。だからとっさに嘘をついた。目の前で死のうとしている人間を放っておくほど私は非情ではない。私の嘘を信じたようで、彼は渋々頷いた。
「聞いてやる。案内しろ。」
彼を連れて屋敷に戻り、居間のソファへ座るよう促す。鍋に作り置いてあったスープを温め二人分のカップに注いだ。警戒しているようだったが、先にスープを飲んでみせ「私にアンタを殺す理由がないし、殺すならとっくにやってる」と言うと納得したようで、一息に飲み干した。よほどの疲れと空腹に苛まれているのかもしれない。
「さて、まずは自己紹介といこうか。私はミエリアナ。この森で暮らす貴族種吸血鬼だ。アンタは?」
逡巡したのち彼はゆっくりと口を開いた。
「俺はホルガンド。森の南にある街で鍛冶屋をしていた。」
「アンタは吸血鬼になってから日が浅いようだな。襲われたのはいつ頃だ?」
ホルガンドは俯き肩を震わせた。話すのをためらっているというよりは、思い返すのも辛い事件だったのかもしれない。
「半年ほど前だ。始め、奴らの狙いは恋人のエイノスだった。彼女を庇って俺が吸血された。あいつらは、俺達を獲物だと言って笑いやがった。」
握った拳が震えている。吸血鬼と人間の全面戦争の時代はとっくに終わっているが、人間を下等な生物と見なし、捕食や狩りの対象とする輩はまだまだ存在する。人間側も同じような状況なのだろうが。ホルガンドは声を震わせながら話を続ける。
「俺を吸血して満足したようで、それきり奴らは現れなかった。その数日後、俺は異様な渇きと飢えに襲われた。どれほど水を飲んでも食事をとっても治まらなかった。話には聞いていたが、自分が吸血鬼になっちまったなんて信じたくなかった。その時、俺の傍にいたのは、エイノスだった。自分のせいで俺が吸血されたことをずっと気に病んでいたんだ。だけど俺は、エイノスから香る血の匂いに酔っちまった。彼女の首筋に噛みついて、その血を啜っていた。我に返った時、エイノスは真っ青な顔でぐったりとしていた。俺が正気に戻ったのを見て、しきりに『ごめんね』と繰り返しながら、死んでしまった。」
俯いたホルガンドは声を絞り出すように話し続けた。
「吸血鬼から守ったはずのエイノスを俺が殺してしまった。エイノスが謝る必要なんかないんだ。彼女は被害者なんだから。彼女を埋葬した後、俺達を襲った吸血鬼に復讐しようと考えていた。だけど、たびたび襲ってくる身体の渇きと血を吸いたい衝動に耐えるのが精一杯で、家を出ることもできなかった。俺は人の血を啜る化け物になっちまったんだと絶望した。このまま飲まず食わずでいれば衰弱して死ねるかもしれないと思ったんだが、ひと月何も口にしなかったのに死ねなかった。ならやっぱり復讐してやろうと奴らを探し回ったんだが、思ったより街にいる吸血鬼の数は多いし、太陽の光に弱いはずの吸血鬼が白昼堂々街を歩いてるのも見かけたし、俺も光を浴びても死ねない。どうすればいいのかわかならくなった。首を吊って、真似事でも自ら生命を絶とうとすれば、エイノスへ償いができるだろうかと考えてこの森へ入った。」
俯いて大きく首を振りホルガンドは肩を震わせた。元は人間だった吸血鬼なら、太陽の光も脅威ではないだろう。銀の杭で心臓を突くのが確実に吸血鬼を葬る方法だと言われている。心臓を鋭利な物で突かれれば人間でも死ぬだろうけど。人間との全面戦争が終結した頃に、銀の杭は不要な物として多くが処分されたり、指輪など他の物に作り変えられたりしてほとんど残っていないはずだが、歴史学者や物好きなコレクターをあたればもしかしたら手に入るかもしれない。杭が見つからなくとも、彼らを襲った奴が生まれついての吸血鬼なのか元は人間なのかにもよるが、復讐を果たす方法は皆無ではないだろう。だがそれよりも彼の発言が気になった。
「アンタが自ら生命を絶つことが償いになるのか? アンタの恋人は本当にそれを望むのか?」
私の言葉にホルガンドは勢いよく顔を上げ私を睨みつけた。
「お前に何がわかるってんだ! 俺は自分の手で恋人を殺した! お前らのせいで俺達の未来はめちゃくちゃにされたんだ!」
激昂するホルガンドを見据えて私は静かに言った。
「私は吸血鬼になった直後、家族をみな殺しにした。」
「なんだって?」
「両親と兄と妹、全部で4人だ。まぁ、殺した数を比較することに意味は無いがね。両親は私を人間に戻す方法を調べようと聖職者や学者、人間と親密な関係を築いている吸血鬼、たくさんの人を訪ね歩いてくれた。兄と妹は、両親の研究を助けながら、吸血鬼になった私に怯えることなく接してくれた。きっと人間に戻れると、家族も私自身も信じていた。」
「人間に戻る方法は、わかったのか?」
「いや、誰に聞いても何を調べてもそんな方法は見つからなかった。日に日に強くなる吸血衝動に私自身が一番怯えていた。このままではいつか家族を襲って殺してしまうと。だけど家を出て家族と離れようとした私をみなが止めた。きっと人間に戻してあげるから心配しないでと、私が吸血鬼になってしまっても自分達は家族だと言ってくれた。私はみなの言葉に甘えてしまったんだ。一刻も早く一人になるべきだったのに。あの夜、最初に襲ったのは妹だ。吸血衝動に襲われて苦しくて、獣のような叫び声を上げてしまった。その時初めて妹は私を『怖い』と言った。それで抑えていた全てが切れてしまったんだ。噛みつかれた妹の悲鳴を聞いて兄と両親が部屋に駆けこんできた。驚いて私を止めようとした母にも噛みついて血を吸った。次は私から母を引き離そうとした兄を、最後に凶暴化した私を抱き止めようとした父を。やっと我に返った時には、みな首から血を流してぐったりと倒れ込んでいた。妹を抱き上げると、『お姉ちゃん、怖いなんて言ってごめんなさい』って私の頬をなでてくれた。その手がゆっくり落ちてそれきり動かなくなった。母に駆け寄ると、我に返った私に安心したように笑って『絶対に人間に戻してあげるからね』と言って頭をなでてくれた。その手が床に落ちてそれきり動かなくなった。苦しそうに身体を起こした兄は、私に近付いて手を握ってくれて『何があってもお前は俺の妹だ』って言ってくれた。その手から力が抜けて床に倒れ込んで動かなくなった。父は仰向けに倒れたまま私を手招きすると、『守ってやれなくてごめんな』って涙を零した。私が謝ると『お前は謝らなくていい。何もしてやれなかった私達がいけないのだから』と私の背を撫でてくれた。『お前が生きていてくれたら私達は幸せだ』って言って微笑んで、そのまま動かなくなった。私は現実を受け止めきれなくて、しばらくぼんやりとしていた。そうして何日も泣いたり自分も死のうとして首を掻き切ったりした。人間が自殺する方法じゃ私は死ねないのだとようやく気づいて、何日もほったらかしてしまった家族の遺体を綺麗にして、庭に墓を作った。それから家を出てあちこち彷徨って、空き家になっていたこの屋敷を見つけて住み着いた。」
「お前も、元は人間だったのか?」
戸惑い顔のホルガンドに頷く。
「あぁ、もう遠い昔のことだがね。さっきも言った通り、私は貴族種の吸血鬼だ。後天的に吸血鬼になった人間で、長い時間をかけて吸血衝動をコントロールできるようになり、変化や魅了といった吸血鬼特有の力を身に着けた者を、生まれついての吸血鬼と区別して貴族種と呼ぶ。どうして貴族なんて大層な呼び名がついたのかは知らないが。」
言葉が出ない様子のホルガンドを見つめ語る。
「吸血鬼になっても、そんな私に襲われても、家族は私を最期まで愛してくれた。私に生きてくれ、生きていていいのだと言ってくれた。その言葉に従って生きることが、私の手で生命を奪ってしまった家族への贖罪になるんだと考えている。アンタの恋人も、アンタに生きていてほしいと願っているんじゃないだろうか。アンタ達の人生を狂わせた奴に復讐するかどうかは、アンタの思うようにすればいい。だけど、自ら生命を絶つのは、アンタの恋人に想いに反することだと思う。」
「俺が生きることが、エイノスへの償いになるのか?」
「逆の立場だったら、アンタは恋人の死を望むのか?」
「そんなわけないだろう!」
大きく首を振ったホルガンドに頷く。その目に涙がにじんでいるが、少なくとも絶望の色は薄れてたように思った。
愛した人のためにも、どんな運命を迎えたとしても自分の生命を否定してはいけないと思う。そして何より、愛する人の生命を自らの手で奪うような悲しい事態が、これから誰の身にも起きないでほしいと願った。


END


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