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Will you be Santa Claus?


 12月のある日。街の大きな病院にある木に腰掛けて男はリストに目を落としながら呟く。
「ここは相変わらず多いねぇ。」
黒いフードを被り直しリストにある名前と日時を確認する。彼が手にしているのは、今月死亡する者達のうち地獄行きが決定している者のリストだった。彼は死神である。死者の魂をリストに沿って地獄へ導くのが彼の仕事だ。長いリストにチェックを入れていると強い視線を感じた。顔を上げると、木の近くにある病室から1人の少女がじっとこちらを見つめている。視線が合うと少女は部屋の窓を開けて声をかけてきた。
「ねぇ、おじさん。もしかしてサンタさん?」
「はぁ!?」
「サンタさん、クリスマス前に下調べに来たの?」
きらきらと目を輝かせながら話しかけてきた少女。その頬はこけていて顔色も悪い。窓枠にかけられた手も枯れ枝のように細かった。こんな黒づくめのサンタがいるかと突っ込みたかったが、自分の姿が彼女に見えている事に気付くと考えを巡らせる。死期が近いから死神の姿が見えるのだろう。歳は10歳になるかならないかといったところだ。ベッドの枕元に「古田亜紀」と書かれた名札が下がっているのが見えた。リストに目をやるが該当する名前は無い。とすると天使が持っている天国行き死者のリストに載っているかもしれない。死神はほくそ笑む。地獄へ行くのは悪人に限った事ではない。心を絶望や憎悪に染めた者も地獄行きになる。そして、天国行きが決まっている者を地獄行きに変える事が出来れば死神に報酬が出る。単調な仕事に退屈していたところだ。俺にもクリスマスプレゼントってやつがあってもいいだろう。こんな幼さで死ぬ事を呪い絶望させられれば、子供でも地獄へ連れて行く事は充分に可能だ。念のため天使が持っているリストを確認しよう。きらきらした目で死神をサンタクロースだと思い込んで話しているのは滑稽だ。せいぜい、イメージ通りの優しげな老人を演じてやろうと死神は微笑を浮かべる。
「あぁ、そうだよ。プレゼントと子供達の家を間違えないように調べに来たんだ。私の姿を見た事は誰にも言っちゃ駄目だぞ。サンタの仕事は秘密の仕事なんだ。」
「わかった、誰にも言わないよ!」
満面の笑みを浮かべた亜紀に頷いてみせると死神は立ち上がった。
「では、亜紀ちゃん、クリスマスまでいい子にしているのだよ。時々様子を見に来るからな。」
「うん、ちゃんといい子にしてるからまた来てね!」
大きく手を振る亜紀に背を向け飛び立つと、死神は同じ地域を受け持っている天使を探し出し呼び止めた。
「何ですかこの忙しい時に。」
天使は死神に掴まれた袖を軽く払うと不機嫌な顔で振り返る。
「お前の持ってるリスト見せてくれ。」
「あ、ちょっと!」
天使の返事を待たず手からリストを奪い取る。12月25日の欄に古田亜紀の名を見つけると満足げに頷いた。
「何をするんですか。」
リストを奪い返すと天使は死神を睨む。
「別に罰せられるわけじゃねぇだろ。ちょちょいとリスト書き換えりゃ済む事だ。」
「無茶言わないで下さい。ただでさえ天国行きの人間が減って上層部はぴりぴりしてるんですから。」
「そっちは大変そうだなぁ。」
「そう思うなら余計な事はしないで下さいよ。」
「あんまりカッカしてるとイケメンが台無しだぜ?」
「俗な人間の感覚でものを言うのはやめて下さい!」
肩を怒らせ立ち去る天使の背に死神はやれやれと首を振った。
「人間があいつを見たらがっかりするだろうな。」

 数日後の夜、死神は再び亜紀の病院を訪れた。わずかに開いたカーテンの隙間から様子を窺う。ベッドで本を読んでいた亜紀は死神に気付くとパッと顔を上げ駆け寄って窓を開けた。
「サンタさん、来てくれたの?」
「うむ、亜紀ちゃんの事が心配になったのだ。他の子供達は皆元気に外で笑っているのに、こんな所で亜紀ちゃんだけ寝ているのはかわいそうでね。」
嬉しそうだった亜紀の表情に翳りが見える。いいぞ、と内心ガッツポーズを取りながら死神は沈痛な表情を浮かべる。
「クリスマスもここで過ごすのかい?」
死神の言葉に亜紀は視線を落とした。
「この間の検査の結果が良ければ少しだけおうちに帰れるみたいだけど、わかんない。」
小さな声で告げて亜紀は死神を見上げる。泣くまいと結ばれた唇が震えていた。
「サンタさん。もしおうちに帰れなくても、ちゃんとプレゼント届けに来てくれる?」
「もちろんだとも。亜紀ちゃんがどこにいても、間違いなくプレゼントを届けに来るぞ。」
「うん、約束だよ。」
辛い境遇で、希望を得た後に与えられる絶望は極上のプレゼントになるだろう。そんな事を考えながら死神は亜紀を見下ろした。笑おうと震える唇と潤んだ目が見上げている。白く細い手が、黒装束の上から死神の手を縋るようにそっと掴む。はっとする死神をよそに亜紀は細い声で呟いた。
「約束、したからね。」
「うむ。もう遅いから今夜は休みなさい。」
「うん、おやすみなさい。サンタさん。」
窓を閉め静かにカーテンを閉めた亜紀の横顔がちらりと見える。淋しげなその表情に死神は足を止めた。約束したと言ったのにあの表情は何だ? 亜紀に掴まれた手が温かくなって死神は混乱する。人間の手から熱が伝わるはずが無い。見上げてきた亜紀の顔を思い出す。泣き出しそうなくせに笑おうと唇を震わせたのは何故だ。自分の手を掴んだのは何故だ。どうしてこんな黒づくめで不審極まりない輩を亜紀はサンタと呼び信用するのか。いや、もしかしたら亜紀は自分の正体に気付いたのか。だとしたら、亜紀の「約束」とは何だ。連れて行かないでくれと言いたかったのだろうか。ならば約束を果たしてやりたい、掴まれた手を見つめているとそう思えてならなかった。
彼が人間の死の運命を変えるには2つの方法がある。1つはその者の死の瞬間に別の人間を死なせリストを書き換える事だ。その為には、リスト通りの行き先の人間を前もって探しておかなくてはならない。亜紀の場合は天国行きの者である。先日天使が言っていた通り、最近天国行きの人間は減っている。忙しいこの時期に、そんな稀な人間を探すのは時間が足りない。もう1つは死の瞬間に自分の命を分け与える事だ。死者のリストから名を消す代わりに自分の命を分け与える。だが死神や天使といえど不死ではない。下手をすれば自分自身が消滅してしまう。それに亜紀の名が載っているのは死神のものではなく天使のリストだ。成功率はさらに下がる。死神は天使に経緯を話し相談を持ちかけた。
「それでその子を救いたいと? 酔狂ですね。」
「何とでも言え。」
「あなたの命を分け与えるのであれば上も文句は無いでしょう。で、私にどうしろと言うんです? そんな危険な事に手は貸せませんよ。」
「そんな事まで頼まねぇよ。上手くいくように祈っててくれ。それと、失敗したらあの子を間違いなく天国へ送ってほしい。」
「それはもちろんですが、どういう風の吹き回しですか。まさか、人間に惚れたとでも?」
「バカ言うな、そんなんじゃねぇよ。ただ、天国行きの人間の手って温かいなって。まだ子供だし生きさせてやりたくなった、それだけだ。じゃ、頼んだぞ。」
早口で告げると死神はそそくさと立ち去った。天使は怪訝な顔をする。自分は天国行きの人間を大勢送り届けてきたが、人間の手が温かいと感じた事など無かったからだ。
「全く、酔狂ですねぇ。」

 クリスマスイブの夜。死神は天使と共に亜紀の病室に降り立った。枕元に立つと亜紀はうっすらと目を開ける。
「サンタさん、来てくれたの?」
「あぁ、約束したからな。」
「うん。プレゼントは?」
「それは明日の朝のお楽しみだ。」
静かに会話を交わす死神の背を天使がつつく。
「あまり時間はありませんよ。」
「わかってる。」
死神はそっと亜紀の頭を撫でた。
「おやすみ、亜紀ちゃん。メリークリスマス。」
「おやすみなさい。……ありがとう。」
ゆっくりと目を閉じた亜紀の額に手を沿え、死神は自分の生命力を注ぎ祈る。身体がどこかへ吸い込まれるようで、力が抜け立っていられなくなる。死神が人間を死の運命から救うなんて笑い話にもなりゃしない。こんな事は最初で最後だろう。だからどうか奇跡を――。

 どれくらいの時間が経ったのか、気が付くと死神は病室の外にある木に背を預け倒れこんでいた。傍らには天使が座っている。勢いよく起き上がり死神は天使の肩を掴んだ。
「あの子はどうなった!?」
天使はそっと亜紀の病室を指差した。ベッドに起き上がり両親らしい大人と談笑する亜紀の姿が見えた。
「本来なら今日の明け方、容態が急変し私が迎えに行く予定でした。」
「そっか、助かったんだな。」
耳を済ませると亜紀達の会話が聞こえる。サンタクロースは本当にいるんだと力説する亜紀。その目は相変わらずきらきらと煌いている。亜紀がふと窓の外へ視線を向けた。だが、死の運命から免れた彼女にはもう死神の姿は見えない。その事に少し淋しさを感じて死神は苦笑する。そんな彼に天使は訝しげな表情を浮かべた。
「まさか本当にあの子供に惚れたんじゃ……。」
「そんなんじゃねぇってば。」
大きく首を振る死神に天使は呆れ顔で口を開く。
「クリスマスに死神が人間を救うなんて前代未聞ですよ。あなた、サンタクロースに転職したらいかがですか?」
「冗談じゃねぇ。こんなくたびれる事これっきりだ。」
さぁ仕事に戻るぞと呟き死神は立ち上がる。こんな奇跡が起きたのはクリスマスだからなのか。らしくない行為だったと思うが、不思議と気分は良かった。


舞い始めた雪が、奇跡を祝うように街を純白に包んでいく。


                         END


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