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『聖火の守護者』
灯台の炎は聖なる灯火だと言われている。聖職者でもある灯台守が祈りを捧げると灯火は力を増して強く揺らめき、遥か遠くの海域まで照らし海を荒らす魔物を祓うのである。時折、その光の先に祈りを捧げるような人の姿がほのかに映し出されることがある。夜の海を遥か遠くまで照らす真っすぐな光の先、何もない海上に浮かびあがるその姿に、沿岸に住む人々は「海神様が降臨された」として、祈りと感謝を捧げるのだった。
新米灯台守のルネスも、手順にのっとり灯火に祈りを捧げる。祈りに応えるように灯火は強く揺らめき、聖なる光に照らされた海は穏やかに波打っている。闇と魔を払う祈りの言葉を呟きながら、ルネスは静かに灯火を見つめていた。
前任者から引き継ぎを終えた夕方。ルネスは最上階の灯室から暮れてゆく海を見つめていた。壁沿いに築かれたらせん階段を上った最上階に灯室が設えられている。塔の中層にある簡素な部屋が彼の生活の場だ。灯台守は受け持った灯台に居室を構えて暮らし、毎夜祈りを捧げて灯の力を強化し、海の安全を守るのが務めであった。祈りに強化された灯火は満月よりも明るく清らかで、その光を浴びた魔物は霧のように消え失せる。聖職者が守る灯台周囲の海からは魔物が消え安全に航海ができると、海辺で暮らす人々から感謝されていた。聖職者の中でも実際に魔物を祓い人々の暮らしを守れる灯台守は、ルネスが子供のころから憧れた職業であった。だが、現実は決して美しく尊いだけのものではない。聖職者の道を歩み、灯台守へ志願した後、ルネスは灯台守のもう一つの役目を知ることになる。海を荒らすのは魔物だけではない。商船や漁船、沿岸部の街や村を襲い略奪や陵辱、殺人を繰り返す海賊。月よりも明るく海を照らす灯台は、闇に乗じて悪事をはたらく海賊にとって憎むべき存在であった。灯台を襲撃する海賊の殲滅、それが灯台守のもう一つの任務である。そのための戦闘訓練も王国正規軍から受けたが、ルネスは苦悩していた。
「海賊なんぞ害虫だ、皆殺しにしろ。」
前任者はそう言い放つ冷徹な男だった。灯台を襲う海賊を殲滅し、その死体は残らず海に落とし穢された灯台を清掃、浄化するよう教わった。前任者も訓練を指揮した兵士長も、海賊を魔物と同等かそれ以下の存在として扱っている。海賊も人間では、というルネスの問いは甘いと一蹴された。港町で生まれ育ち、幼い頃から灯台の聖なる光の美しさと、魔物を祓う神秘性を目の当たりにしてきた。人々が灯台守に感謝し、灯火を聖火と呼ぶのをずっと聞いてきた。祈りという純粋な力で人々を守る聖なる灯台守、その手が実は血と罪を抱えているという事実は、ルネスに大きな衝撃を与えた。
「我々は海の秩序と善良なる人々の暮らしを守る者、そこに罪など無い。」
と前任者は言い放つ。兵士長も前任者の言葉に頷く。
「何も積極的に海賊討伐に出ろと言っているわけではない。襲ってくる輩は殺せと言っているだけだ。灯台守は誰でもなれるわけではない。もっと誇りを持て。」
海賊の残虐な行為は到底許せるものではない。海賊に家族を殺され、悲しみと憎しみに苛まれる人を何度も見た。灯台守になった以上、人々の暮らしを守ることに全力を尽くさねばならない。頭ではわかっている。だが、海賊を殺すことと魔物を祓うことは違うのではないか。魔物とは、夜の闇や深海の暗部から生じる混沌が具現化したものだと言われている。ただ暗闇から発生して人々の暮らしを脅かす厄災であり、そこに知性や欲望などはなく無差別に破壊をまき散らす存在だ。対して海賊は人の欲望そのもの。略奪、陵辱、殺人、それが悪であると完全に理解した上で興奮と快楽を求め行動する。祈りは通じず、その行動は死をもって封じるしかない。しかし、悪といえども同じ人間である海賊を殺すのは、彼らと同じ罪を犯すことではないのだろうか。人を殺すことへの本能的な恐怖はどうしたって沸き起こる。それでも、海辺で暮らす人々の生命と、人々を脅かす海賊の生命、どちらを重視すべきかと問われれば答えは明らかだ。灯台守として人々の暮らしを守るという責務が重くのしかかる。暮れる海を見つめ、震える拳を握る。
「やらなくちゃ。」
着任してからの数日間は何事もなく過ぎて行った。だが、最近海賊の動きが活発化してきている。海を照らす聖なる光に魔物が跡形もなく消えていく光景に紛れ、遠くの海から灯台に向けて砲撃を放つ海賊船の姿も見えた。襲撃を受けるのも時間の問題だろう。剣の手入れも鍛錬も続けている。灯台の構造も完璧に頭に入っている。海賊達は戦術など何も持たず、腕力と勢いだけで暴れている連中だという。一対多に特化した戦闘訓練を、本職の兵士から受けたのだ。冷静に、訓練通りに戦えば負けることはない。祈りが、言葉が、通じる相手ではないのだ。綺麗事だけでは、守れない。
ある満月の夜。祈りの準備をしていたルネスは、階下で異様な物音が響くのを聞いた。分厚い木の扉を破壊する音。野蛮そのものの叫び声。ついに来たかとルネスは立ち上がった。鉄製の螺旋階段を、足音を忍ばせ降りていく。灯り取りの窓から射す月明りと、壁の小さなランタンがほのかに辺りを照らす。聖火の光が上層から斜めに差し込み、複雑な影が石壁に舞っている。踊り場で足を止め、ルネスは低い声を上げた。
「こんな時間に何の御用ですか? ここは宿泊施設ではありませんよ。」
先頭の海賊が、使い古した短剣を舐めながら笑った。左の頬に新しい切り傷があり、目は爛々と興奮で輝いている。
「灯台守さんよぉ、俺達、ちょっとばかりあんたにお願いがあって来たんだ。俺らが仕事してる間だけでいいからよぉ、あの眩しすぎる灯台の灯を消してもらえねぇかなぁ?」
「お願いをしに来た態度には見えませんね。あなた方の『お仕事』とは?」
ルネスの問いに海賊達は嘲笑を上げる。
「そりゃ、船や街から金や女を頂くことよ!」
「それは仕事ではなく略奪というのでは?」
冷静さを保つため丁寧な口調で話し続けるが、それは海賊達の癇に障ったようだ。
「お高く止まってんじゃねぇぞ!」
ルネスに短剣を向け、先頭にいた海賊が欲望まみれのぎらついた目で嗤う。
「引きこもりの灯台守さんに教えてやるよ。この前、村で捕まえた女はな、泣きながら叫んでたぜ? 『海神様! お助け下さい!』ってよ。海神様なんぞ現れやしねぇ。たっぷり味わった後は俺のナイフで喉を掻き切ってやったが……あの絶望した顔、最高だったな。」
その言葉に、ルネスの胸の奥で何かが軋んだ。
「黙れ。」
ルネスは短く吐き捨て、訓練で叩き込まれた足捌きで一歩踏み込んだ。螺旋階段の狭さを利用し、壁を背に海賊を一人ずつ捌く位置を取る。最初の一人が突進してきた。剣を斜めに払い、海賊の腕を深く切り裂いた。血が壁に飛び散る。二撃目で喉を狙うが、海賊は咆哮しながら体当たりを仕掛けてきた。狭い階段で二人がもつれ合う。海賊の剣が肩をかすめる。その瞬間、後ろから別の海賊が短槍を突き出してきた。
「死ねぇ!」
ルネスは舌打ちしながら咄嗟に体を捻り、突き出された槍を石壁に叩きつけさせ逸らす。その反動で隙だらけになった海賊の首筋に剣を深く叩き込む。骨を断つ重い手応え。海賊の目が一瞬見開かれ、すぐに濁った。喉から血の噴水が上がり、男はゆらりと手すりを乗り越え頭から転落した。
「お次は?」
挑発するように呟くと、残る三人が同時に狭い踊り場に殺到しようとする。だが階段の狭さが仇となった。
「ご加護を。」
ルネスは一瞬だけ聖火に向かって祈りを唱え、炎の力をわずかに呼び寄せた。灯室からの光が強くなり、海賊たちの視界を眩ませる。その隙に、一番前にいた巨漢の膝を狙って剣を横薙ぎに払った。膝の骨が砕ける嫌な音が響き、巨漢が悲鳴を上げて前のめりになる。ルネスは容赦なく剣を振り下ろした。鎖骨から胸の中央まで、深々と刃がめり込む。巨漢の肺が破れ、血混じりの泡を吐きながら崩れ落ちる。もはや断末魔の呻きすら出せなかった。最後の二人は、初めて恐怖の色を浮かべた。
「化け物か……お前は!」
「化け物はあんたらだ。」
ルネスは低く呟きながら、血で滑る階段を一歩上がった。一人は必死に短剣を振り回すが、訓練された動きの前では幼子の戯れに等しい。ルネスは剣を突き刺し、腹部を貫通させた後、刃を横に引き抜いた。臓物が零れ落ちる音と臭いが、狭い石の空間に充満する。男は両手で腹を押さえながら、階段を数段滑り落ち動かなくなった。残る最後の一人は、すでに戦意を喪失していた。ルネスは血の滴る剣を構えたまま、ゆっくりと近づく。海賊は震える手でナイフを構えるが、目には恐怖が満ちている。
「頼む、助けてくれ……。」
「あなた方に殺された人々も、同じように命乞いをしたのでしょう? あなたはそれを聞き入れましたか?」
ルネスは静かに剣を振り上げ、腰を抜かした男の首の付け根に全力で叩き込んだ。椎骨が断裂する鈍い音。首が不自然な角度に曲がり、海賊は壁に凭れかかったまま、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。その瞳から光が消えるまで、わずか数秒だった。ルネスは剣を石壁に突き立てて支えにし、荒い息を吐いた。手が、微かに震えていた。床や壁に散った赤い血が、人を殺した事実を突きつける。斜めに射してくる聖火の光が、血溜まりを赤黒く照らしていた。
「片付けなくちゃ……。」
冷静に、淡々とやるべきことをやるのだと自分に言い聞かせる。物置から丈夫な布を数枚取り出し、聖火が照らす海賊の死体をその上に転がす。布を引きずって死体を運び、螺旋階段と最下層に倒れた死体も同様に回収する。一旦外に出ると、倉庫から荷車を運び出し死体を全て乗せた。崖まで荷車を押し、冷たく揺らめく海へ死体を落とす。魔物が現れ始めているのだろう、強い波が打ち付けている。急がなくては。
「うっ……ぐぅっ……。」
血と臓物の臭いに耐えきれず、海に向かって吐いた。罪悪感に手足の震えが止まらない。風の音の中に前任者の声が聞こえた気がした。
「こんな奴らでも海の生き物の糧になれるんだから、ちっとは役に立つだろう。」
ルネスは荒い息を吐きながら首を振る。自分はそこまで割り切れない。月が陰り、風がいっそう強くなった。震える足を叱咤し立ち上がる。自分の感情の処理は後回しだ。灯台内に戻り、壁や床に飛び散った海賊の血や臓物を教わった手順通りに洗い流し、穢れた空間を祈りで浄化する。心を無にするよう努め、最上階の灯室へ向かう。聖火に一礼し、ルネスは手順にのっとり灯火に祈りを捧げる。祈りに応えるように灯火は強く揺らめき、聖なる光に照らされた海は穏やかに波打っている。闇と魔を払う祈りの言葉を呟きながら、ルネスは静かに灯火を見つめていた。ルネスは目を閉じ胸の前で手を組んだ。
「僕は、たった今海賊を数名この手で殺しました。これからも、灯台守である限り僕は海賊を殺し続けるでしょう。いずれ僕も裁きを受けるその日まで、それでもここで人々を守り続けます。」
陰っていた月が光を取り戻す。夜の海を遥か遠くまで照らすその光の先に、祈りを捧げるような人の姿がほのかに映し出されている。沿岸部に住む人々は「海神様が降臨された」と沸き立ち、感謝と祈りを捧げた。
灯台守の孤独な決意と贖罪を、誰も知らない。
END
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