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『月光遊戯』

〜第1話〜


「追いかけっこは終わりだ悪党め!」
怪盗を廊下に追い詰めた警部に、怪盗は顔の上半分を覆う白い仮面に手をあて優雅に笑う。
「私が逃げられないとでもお思いで?」
そう言いながら怪盗は後ろ手に窓を開けると、いきり立つ警部の背後に立っている探偵に視線を送った。
「愛しい探偵殿。暫くお会いできませんが、私めを忘れないで下さいね。」
恭しくシルクハットを取り頭を下げると、怪盗は手にしたシルクハットを大きく振った。桜色の紙吹雪が廊下に舞い上がる。思わず顔を覆った警部達に怪盗は一礼する。
「では、失礼。」
黒い外套を翻し怪盗は外へ消えた。
「バカな! ここは5階だぞ!」
「追え!」
数分後、慌てて外を駆けまわる警部達を怪盗は屋上から見下ろしていた。
「やってますね。御苦労様です。」
軽く敬礼してみせながら、フック付きワイヤーを巻き戻すとベルトのバックルにしまい込む。胸ポケットから奪った獲物を取り出し月明かりにかざした。精緻な細工の施されたダイアモンドのネックレス。このビルディングの所有者である富豪のものだった。ずしりと重たいネックレスを見つめ目を細める。複雑にカッティングされた大きなダイヤの周りを小さな真珠のビジューが囲っている。幾重にも編み込まれた鎖は純金だろう。かつて異国で王族の為に作られた品だという。
「美しいですね。成金が手にしていい品ではありません。」
「悪党が手にしていい品でもないがな。」
ふいに聞こえた声に怪盗はゆっくりと振り返ると、声の主を見つめ笑みを浮かべた。
「やはり貴方の目はごまかせませんね。」
「それで逃げおおせたつもりか?」
「いいえ、貴方をお待ちしていたのです。」
「俺を?」
「えぇ。是非ともお聞きしたいことがありまして。」
ネックレスを胸ポケットにそっとしまうと怪盗は探偵を真っ直ぐに見据えた。
「いつも貴方は私の逃げる先へ的確に追って来られる。警部達は簡単に撒けるのに貴方を撒くのは難しい。何故なのです?」
「何故って、俺ならどうすると考えるだけだ。」
困惑気味に答えた探偵に怪盗は嬉しそうに目を細める。白い仮面の奥で細められた目に気付いた探偵は怪訝な顔で肩をすくめた。
「何を嬉しそうにしているんだ。」
「私の事を解って下さる方がいるというのは嬉しいものですよ。」
「おかしな奴だな。ならば俺も聞こう。お前は何故盗みを働く? 予告状を送りつけるなんて真似をしてまでそんな事をする理由は何だ?」
「何故かと問われれば、私の本当に欲しいものを探すため、でしょうか。」
「何だそりゃ? なら盗んだ品をどうしているんだ? 噂では闇ルートで売り払ってスラム街の子供達に恵んでいると聞いたが。」
探偵の言葉に怪盗は大仰な仕草で首を振った。
「まさか。盗品を売ったら確実に足が付きます。警部さん達が目を光らせているでしょう? 私の行方は追えなくとも、奪われた品物が流れてくればどんなに隠されたルートであっても見つけられるでしょう。私は義賊なんて格好いい存在ではありませんよ。」
外套の襟元を整えると怪盗は優雅に一礼し微笑む。
「さて、そろそろおいとまさせて頂きます。」
「ここから逃げられるとでも思っているのか?」
「私はどこへでも行けるし、何にでもなれるのです。」
「待て! 盗んだ品を返せ!」
手のひらを突き付ける探偵に怪盗は逡巡しやがて頷いた。
「わかりました。今宵の有意義な時間のお礼にこちらはお返し致しましょう。」
「はぁ?」
素直に応じられ探偵は思わず間の抜けた声を漏らす。
「何かおかしいですか?」
涼しい顔で探偵に近付くと、怪盗は胸ポケットからネックレスを取り出す。突き出された手を取りその上にそっとネックレスを乗せると、探偵の指先に恭しく口づけを落とした。
「何をする!」
「敬愛の証、ですよ。」
思わず手を振り払い怒鳴りつけた探偵は怪盗の言葉に困惑する。いつもの優雅な笑みの奥に、泣き出しそうな顔が見えた気がしたのだ。
「では、警部さんによろしくお伝え下さい。」
何事も無かったかのように再び優雅に一礼すると怪盗は柵を飛び越え消えた。
「おい、待て!」
慌てて柵に駆け寄ったが、夜の闇は怪盗の姿を隠し何の気配も感じさせなかった。返されたネックレスが月光を受け煌めく。ふいに怪盗に口づけされた感触が、一瞬の悲しげな笑みと共に蘇り探偵の胸を締め付けた。何故あんな顔をする? お前の本当の望みは何だ?
探偵の困惑を知ってか知らずか、夜の街に怪盗の呟きが漏れる。
「さぁ、追いかけっこを続けましょう。探偵殿。」


第1話 END


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