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『月光遊戯』

〜第2話〜

「獲物を返してしまった事、怒られてしまいますかねぇ。」
傍らに落ちている新聞の一面記事を眺め怪盗は苦笑いを浮かべた。『名探偵上条男爵、お手柄!』との見出しが踊る。先日怪盗が予告し奪ったネックレスを、探偵が取り戻した事を称賛する記事だ。写真の探偵の表情に得意げな様子は微塵もなく、やや仏頂面をしている所が彼らしいと怪盗はくすくす笑う。しかし、奪ったネックレスを返した事は後悔していないが、怪盗稼業に協力してくれている人物にとっては面白くないだろう。その人物から新しい仕事道具が出来たから取りに来てほしいと連絡を受け、怪盗は身支度を整えている。白い綿のシャツに茶色い麻のズボン、肩に画材の入った大きな麻の鞄をかけた。画家を志す貧しい青年の姿は、彼の平時の顔の一つである。パトロンである貴族の屋敷に出向くので貧乏画家の身で精一杯の正装をした、といった体裁だ。街外れのスラム街にある住処を出て、中心部の高級住宅街へ向かう。子供の頃に彼と出逢わなければ、貴族を街を全てを憎みながら手を血に染め闇に堕ちていただろう。彼は貴族にも世界の在り方を憎み、苦しんでいる者がいる事を教えてくれた。怪盗稼業はただ一人の友人である彼の為でもある。彼と出逢った頃から、生きる為の盗みは自分の生き方を演出する為のものになったのだった。穏やかな日差しの中歩き続け、賑わう商店街を通り抜け大きな公園にさしかかる。歓声を上げ走り回る子供達、おしゃべりに興じる女性達、犬を散歩させる老人、仕事を抜け出し一休み中らしい青年、様々な人が陽射しを浴び日々を謳歌している。そんな様子を淋し気な微笑と共に横目に見ながら怪盗は歩いて行く。自分には縁遠いものだ。闇夜を闊歩する今の生き方を気に入っているが、あのような優しい日々への憧憬も捨てきれずにいる事に気付き自嘲した。思っても詮無い事、忘れていたのにと首を振る。
「貴方のせいですよ、探偵殿。」
出がけに見た探偵の写真を思い返し理不尽な愚痴をぶつけていると目的の屋敷が見えてくる。煉瓦造りの大きな屋敷だ。外壁を回り門の前に立つ。呼び鈴を押すと執事の若い男性が現れた。
「失礼いたします。斎賀要様よりお招きを頂いた御剣優(みつるぎすぐる)と申します。」
「伺っています。どうぞこちらへ。」
執事は門を開けると彼を敷地内へと招く。自分が世間を騒がせている怪盗だと知ったら彼はさぞ驚く事だろうと密かに笑いながら、玄関までの石畳を歩き豪奢な扉をくぐった。足音一つ立たない分厚いカーペットが敷かれた廊下を歩き二階へ上がり、突き当りの部屋の前に立つと執事は重厚な扉をノックする。
「要様、御剣殿をお連れしました。」
「あぁ、こっちへ案内してくれ。」
要の声に執事は扉をそっと開ける。怪盗に部屋へ入るよう促すと執事は一礼して去っていった。事前に要は自分の肖像画を描かせる為に御剣を呼んだのであり、集中させたいから誰も部屋には近づかないようにと釘を刺してあった。執事が部屋から遠ざかったのを確認し要は笑いかける。
「すまないね、御剣。急に呼び出して。」
「とんでもないです、いつもありがとうございます。」
恭しく一礼した怪盗に苦笑する。
「君は変わらないな。僕を貴族扱いしなくていいって言うのに。」
「要さんは私の名付け親であり出資者です。敬意を表するのは当然の事ですよ。」
子供の頃に出逢った時、名前が無いという怪盗に要は御剣優という名を付けた。以後、怪盗の活動を密かに支えてきた要は、斎賀伯爵家当主の座を継いだ日に、画家志望の御剣優へ出資すると屋敷の者に告げたという。以前は人目を忍んで会いに来ていたが、その日を境に要の名の下堂々と屋敷へ出入りできるようになった。カモフラージュの為に実際に怪盗が描いた絵を置いていく事もある。逃走の為に地形を覚えようと始めた街のスケッチがこんな所で役に立つとは思いもよらない事で、人生何が役に立つか解らないと感じたものだった。要は机の引き出しから包みを取り出し、怪盗の前に広げて見せ声を潜める。
「これは新しいオペラグラス。ズームしたら暗く見えるって言ってたのを改良したよ。こっちは使い捨ての煙幕弾。催涙効果もあるから逃げる時間を充分に確保できる。こっちは万年筆に模したシークレットナイフだ。それから予告状に使うスペードのAのトランプ。」
手に取って使い心地を確かめながら怪盗は頭を下げる。
「本当に助かります。」
「お礼なんていいよ。君の活動は僕の心の支えでもある。」
品物を包みに戻し怪盗に渡すと、要はすぅっと目を細め怪盗を見据えた。
「そういえば、新聞見たよ。あれ、返しちゃったんだって?」
あぁやっぱりと首をすくめ怪盗は再び頭を下げる。言い訳はしない方がいいだろう。
「申し訳ありません。」
殊勝に頭を下げた怪盗に要はため息を吐く。
「しょうがないなぁ。見失わずに追いかけてきてくれたのが嬉しかったんだろう?」
「面目ない。」
「わからないでもないけどね。まぁ、『男爵家の人間とはいえ民間人に頼るなんて警察は何をやってるんだ』って批判も上がってるから、悪くはないか。」
でも、と要は怪盗を真っ直ぐに見据える。
「情を寄せるのもほどほどにしてくれよ。」
「えぇ、解っています。」
表情を引き締め怪盗は頷く。貴族に生まれたが故に傷付き苦しんだ要、物心ついた頃から一人きりでスラムで生きてきた自分。生まれの違う彼らを結び付けたのは世界への憎しみだった。そして傷を隠して生きなければならない要を、支え救えるのは自分だけだ。
「ならいいけど。」
「コレクション、見せて頂いてもいいですか?」
硬い表情を解いた要に安堵しながら問いかける。軽く頷いた要は壁に作りつけられた本棚の扉を開き、数冊取り出して傍の机に置くと奥に手を伸ばす。かちりと小さな音を立て本棚が左右へ動き、簡素で分厚い木の扉が現れた。2人はゆっくりと扉を開き奥の部屋へ足を踏み入れる。怪盗が奪った品はほとんどがこの隠し部屋に保管されていた。窓の無い小さな部屋に、由緒ある宝飾品や絵画、調度品などが整然と並べられている。灯りを灯して部屋を見渡し、怪盗は要の震えている手にそっと手を添える。要にとってトラウマに直結するこの部屋を、盗品の保管場所に作り変えたのは彼の復讐心の表れなのだろう。この部屋を開ける度に震える要の手、そして飾られた盗品の数々。これは私達の復讐だ。空いている方の手でダイヤモンドの指輪を灯りにかざして見せる。
「美しいですね。」
「うん、綺麗だ。」
「心根の醜い輩が手にしていい品ではありません。」
「そうだよね。」
微笑む要の手の震えが収まっていく。ここにあるものは全て他の誰かのものだった。だけど、傷付いた貴方が、私を救ってくれた貴方が、笑ってくれるのであれば、これらは私達にとって必要なもの、私達のものだと言い切っていいでしょう? 誰にともなく胸の内で問いかけながら、怪盗は子供の頃に要と交わした約束の言葉を口にした。
「私達で、世界に復讐しましょう。」


第2話 END

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