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『月光遊戯』

〜第11話〜


 要の指示を受け、俊は連日守屋の屋敷を見張っていた。出入りする人物を一人残らずペン型カメラで撮影し、フィルムにメモを添えて伝書鳩に付け要の下へ送る。守屋の計画と要の推測を聞き、自分の住む場所を自分の手で守るのだと意気込んでいた。要から目立たないようにと貰った、真新しい薄茶色のズボンと麻のシャツも俊の気持ちを高めている。
その日、少し離れた木陰から屋敷の様子を窺っていると、門に向かって黒い車が近づいてきた。窓が黒いフィルムで覆われており、中の様子は見えない。車は高級官僚や一部の富豪しか所持していない。だが守屋の屋敷には車で訪れる者が多かった。馬車よりも機密を守れるからだろうか。双眼鏡を覗きズームする。門前に止まった車から降りてきた人物に、俊は訝し気な声を上げた。
「ん? あいつは確か……。」
要から預かった資料をポケットからひっぱり出す。そこに載っている顔写真と情報を確かめ視線を戻す。
「やっぱり警察が探してる奴だ。そんな奴を屋敷に招いてるなんて、守屋って奴ぜったいに怪しい!」
使用人に案内され屋敷に入って行った男は、黒いスーツに銀縁の眼鏡をかけ小綺麗な格好をしているが、巨額の詐欺容疑で手配されている男だった。急いで写真を撮り、資料にも男が屋敷を訪れた日時を書きこんでおく。カバンから盗聴器を取り出し、門前に停まっている車にそっと近づいた。運転手が車で待機しているが、うとうとと眠り込んでいる。運転手を起こさぬよう細心の注意を払いながら、開いている窓から盗聴器を車内へ仕掛けた。急いで車から離れ、大きく息を吐く。要から守屋の調査を依頼された時、危険な人物だと思われるから十分に気を付けるようにと言われた。数日に渡り屋敷を見張っていて、要の推測に間違いはないと感じている。屋敷を訪れる車は一様に窓を黒いフィルムで覆っていていかにも怪しげだし、屋敷へ入っていく人物は人相の悪い男が多い。そして、守屋がスラム街の再開発計画を発表した頃から、スラムで子供や若者が行方不明になっていた。それも守屋が関係していると推測する要に俊も賛同していた。自分の調査が要の役に立つなら、多少の危険は覚悟の上だ。木陰に身を潜め屋敷の見張りを続ける。一日に複数の男が屋敷を訪れる事も多いし、守屋自身が外出する事もある。車で出かけられては追えないので、その時は守屋が留守の間の来訪者や届け物などをチェックしておく。今日の来客は先程の男だけのようだ。日が暮れる頃にようやく男が屋敷から出てくる。守屋も見送りに出てきていた。何を話しているのかは聞き取れない。男と握手を交わし、去って行く車を見送る。そろそろ屋敷を離れなくては。だが守屋は険しい顔つきであたりを見回していて身動きが取れない。感づかれたか。緊張に身を固くする。守屋が俊の隠れている木陰へ大股で近づいてくる。
「最近、ねずみがちょろちょとしていると報告があったが、お前の事か。」

「俊君からの連絡が途絶えたですって?」
数日後。要から緊急の呼び出しを受け、怪盗は要の屋敷を訪れていた。
「うん。守屋の調査を頼んでいたって話はしたね? 毎日、何も無い日でも報告があったのに、ここ2〜3日連絡が無いんだ。」
「まさか、守屋に……。」
「その可能性は大いにある。」
「助けに行きましょう!」
「気持ちはわかるけどちょっと待ってくれ。あいつに君の事を知られるわけにはいかない。」
「そんな事を言っている場合ですか! 私達のせいで俊君が危険な目に遭っているのに!」
憤る怪盗の手を取り座るよう促す。
「僕が何の策も無く俊君に危険な任務を依頼したと思うかい? 大丈夫だよ、手は打ってある。」
落ち着き払った要の態度にわずかな苛立ちを抱いたが、怪盗は大きく息を吐いて座り直し要を見据えた。
「手は打ってある、とは?」
「詳細は言えないけど、信頼のおける人物に根回しをしてある。だから君はまだ動かないでくれ。」
納得は行かなかったが、要の真剣な眼差しに怪盗はしぶしぶ頷いた。

「俊君!」
「あ……、優お兄さん……。」
それから更に数日。怪盗が棲処に戻ると、傷だらけの俊が座り込んでいた。すぐさま駆け寄り俊をそっと抱き寄せる。
「その傷はどうしたんですか!? とりあえず中へ!」
俊の身体を支えながら扉を開け、自分の寝床に俊を横たわらせた。水を汲み清潔なタオルを探し出すと、濡らしたタオルを頬に充てる。目も開けていられない程にまぶたと両頬が腫れ上がり、赤黒く変色している。苦しそうな息を吐く口からも血が流れ、ほとんどの歯が折れているのが見えた。破れぼろぼろになった服の下、全身のいたる所に無残な傷や赤黒い痣があり血が滲んでいる。
「守屋にやられたんですね?」
「うん……。要お兄さんに、頼まれて、あいつの事、調べてたんだ。危険な……、奴だから、十分気を付けてって、言われてたんだけど……。」
途切れ途切れに、苦しそうな息をしながら話す俊に怪盗は涙を零した。こんな小さな子をこんな酷い目に遭わせるなんて。やはり自分が動くべきだったのではないか。要の言った「根回し」とは何なのだろう。俊がこんな目に遭う前に、どうにかできなかったのだろうか。
「優お兄さん……、泣かないで。僕が、しくじっただけなんだから……。」
「俊くんは悪くありません!」
激しく首を振る怪盗に、俊は悲し気な声を上げた。
「でも、僕のせいで、要お兄さんが……。あいつに、『誰の指示で嗅ぎ回ってるのか言え』って、言われて、でも僕、どんなに殴られても蹴られても、要お兄さんの事は、絶対に話さなかった。そしたら、あいつ……何かおかしな薬を、僕に注射しやがったんだ……。そしたら、頭がぼんやりして、なんにも考えられなくなって……。」
腫れあがったまぶたから涙を零し俊は言葉を続ける。
「その後の事は、よく覚えてないんだ。夕べ、『お前はもう用無しだ』って、放り出されて……。どうしよう、僕、要お兄さんの事、あいつに話しちゃったかもしれない……!」
怪盗は俊の涙をそっと拭う。
「大丈夫ですよ。要さんなら、何があってもきっと解決してくれます。俊くんをこんな目に遭わせたあいつに、仕返ししてくれます。」
「うん……。」
張りつめていたものが切れたのか、俊は微かに頷き気を失ってしまった。これほどの暴行を受けたなら、外傷だけでなく骨や内臓にも損傷があるだろう。こんな大怪我を負って、それでも要の身を案じて怪盗の下へ来た俊を救わなくてはいけない。だが、俊の怪我はとても怪盗の手に負えるものではない。どうすればいい。守屋が非道な手段で要の情報を得ているなら、要の所へは連れて行けない。孤児を診てくれる医師なんていない。誰か、誰か。
「探偵殿……。」
不意に怪盗の脳裏に上条男爵の顔が浮かんだ。彼は資産家の佐久間義治と協力し、孤児を保護し養育する施設を運営する計画を進めている。彼らなら、俊を助けてくれるかもしれない。平時に会った事はないが、「怪盗Spade」として何度も上条と対峙している。正体がばれる危険はあるが、他に俊を助けてくれそうな人物など思い当たらない。迷ってなどいられなかった。気を失っている俊の身体をそっと毛布で包み抱き上げる。上条は今どこにいるのだろう。佐久間と一緒にいてくれると助かるのだが。棲処を出て、記憶を手繰りながら足早に歩く。以前、上条と佐久間の計画を、息子の佐久間義孝が潰そうとした事件を思い出す。義孝から奪い返した土地の売買契約書に記された住所が、上条達が計画している施設の建設場所なのだろう。そこに二人がいる確証など無かったが、上条の屋敷の場所は知らないし、他に行く当ても無い。俊を抱きかかえ祈るような気持ちで記憶にある住所へ向かう。
「いた……!」
安堵の呟きを漏らし足を止める。上条と佐久間が、建設の進む建物を見つめながら立ち話をしているのが見えた。義孝に襲われた時の傷はもう癒えているようで安心する。しかし、ここまで来たはいいが、果たして見ず知らずの自分の話を聞いてくれるだろうか。不安を飲み込み怪盗は小走りに二人へ近づいた。
「お願いします! 助けて下さい!」
突然かけられた声に上条と佐久間が振り返る。俊の怪我が二人に見えるよう毛布を少しめくり、怪盗は深々と頭を下げた。
「突然申し訳ありません。私はスラムに住む御剣優と申します。この子は私の友人なのですが、何者かに暴行を受けたんです。どうかお助け下さい!」
上条と佐久間は怪訝な顔を見合わせたが、俊の顔を見て顔色を変えた。
「なんと惨い……。すぐにうちの医師に診せましょう。ひとまず私の屋敷へ。」
「ありがとうございます!」
「俺も行きましょう。」
屋敷に着くと佐久間はすぐさま使用人に医師を呼ばせる。駆けつけた医師に俊を託すと、佐久間は応接室へ怪盗を案内した。ソファに腰を下ろすと、怪盗は佐久間と上条に深々と頭を下げた。
「突然のご無礼をお詫び申し上げます。不躾な願いを聞いて頂き感謝しております。」
佐久間は顔を上げるよう促すと、不思議そうな顔で怪盗を見つめた。
「礼には及ばんよ。御剣君といったかな? 君はなぜ私を頼ってきたんだい? どこかでお会いした事があったかな?」
怪盗の胸に緊張が走る。渇く口を潤すように唾を飲み込む。斜向かいに座った上条はじっと怪盗を見据えている。
「いえ、あの、以前に新聞記事で、佐久間さんと上条男爵が、孤児の保護と養育を目的とした施設の運営に着手したと知りました。私も孤児なので、とても感動したのです。」
茶を出した使用人に礼を言って一口啜ると、怪盗は佐久間を見つめる。
「あの子、佐伯俊君は同じくスラムで暮らす孤児で私の友人です。今朝、何者かに暴行を受けて倒れていたのを見つけて、でも私にはどうしようもできなくて、それで佐久間さんの事を思い出したんです。佐久間さんなら、もしかしたら俊君を助けてくれるかもしれないと。」
小さく頷き佐久間は微笑んだ。
「そうか。私を頼ってくれて嬉しいよ。スラムの人達の中には、私に警戒している人も多いようだから。」
上条が身を乗り出し怪盗を見据え口を開いた。
「それで、あの子はどうしてあんな暴行を受けたんだ? 街の住民はスラムの住民を一方的に悪と決めつけて嫌っているが、それだけであんな大怪我をするほどの暴力を、しかも子供に振るうだろうか。何があったのか知ってるか?」
探るような上条の視線を受け止める。それを話すわけにはいかず、怪盗は視線を落とし小さく首を振った。
「わかりません。私が見つけた時には、もう口もきけない状態でしたので……。」
「そうか。」
納得したのかしていないのか、それだけ言うと上条は黙り込んだ。しばしの沈黙の後、佐久間は怪盗の肩にそっと手をかけた。
「うちの医師は腕も人柄も良いから、安心してくれ。あの子や君のような人が救われるよう、尽力しよう。」
「ありがとうございます。治療にかかった費用は一生かけてでもお支払いします。」
「治療費は気にしないでくれ。孤児や困窮した人々が、無償で治療を受けられる医療施設の運営も考えているところだ。今後の参考にもなってありがたいと思っているくらいだから。」
かつて触れたことのない善意に、怪盗の目頭が熱くなった。

 それから更に数日が過ぎたある日。街のいたる所で配られている号外を目にした怪盗は凍り付いた。
『怪盗Spade、ついに逮捕!』
その見出しの下には、要の写真が添えられていた。


第11話 END
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