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『月光遊戯』

〜第3話〜

「全く、俺は名探偵じゃないっての。」
新聞の一面記事に踊る自分の名と「名探偵」の文字に、探偵こと上条雅志は渋面を作る。先日、怪盗が奪ったネックレスを取り返したことが新聞の一面に取り上げられていた。自分が取り返したわけではなく、怪盗が勝手に返してきただけなのだから尚更渋い顔になる。他にニュースになる事件は無いのか、連日この話題がトップを飾っていた。無造作に新聞をテーブルに放り投げコーヒーを飲み干すと、上条は身支度を整える。また怪盗から予告状が届いたと安西警部から連絡があったのだ。次の標的は子爵家が貿易商から買ったという絵画だった。子爵の名を聞いて上条はある事に気付く。怪盗が狙うのは、スキャンダルや黒い噂の絶えない資産家ばかりだ。天誅のつもりか、とひとりごちる。自分は義賊じゃない、本当に欲しいものを探しているのだと言った怪盗だが、真意は見えない。怪盗の行動には憤りを感じている。他人の物を奪うばかりか、それをショーのように演出するなど上条の理解を越えていた。だがそれにしても、とため息を吐く。予告状が届くたびに相談に来られても困るのだが。民間人の手を借りるなんてという民衆の批判は警部の耳に入っていないのだろうか。警察上層部は、民間人が捜査に関わる事を快く思っていないだろう。とはいえ、弱り切った顔で頼み込まれては無下にする事も出来ない。怪盗の最初の犯行に居合わせたのは、何かの縁だったのだろうか。しかも侯爵家主催のパーティで起きたその事件は、安西が警部に昇進して初めての事件だったという。厳重に警備された屋敷から魔法のように消えた宝石の行方を、上条は探し当てたのだ。結局宝石は奪われてしまったが、ある証言の矛盾を安西に進言し怪盗を追い詰めた上条は、安西から絶大な信頼を寄せられるようになった。怪盗の方も、予告状を出すたびに妨害に現れる上条を気にかけているようである。「上条がいない現場は張り合いが無い」などと言い放った事もあるらしい。そういえば先日も何やら嬉しそうにしていたなと思い返していると玄関の方から聞きなれた声がする。約束の時刻ぴったりに上条邸を訪れた安西と挨拶をかわすと、安西は安心しきった笑みを浮かべた。
「いやぁ、お忙しい所申し訳ありません。上条先生のご助力があれば、今度こそ怪盗の奴めをとッ捕まえてやれるでしょう。」
「私は警部に先生などと呼ばれるような立場ではありませんよ。」
苦笑いを浮かべながら安西と共に後部座席に乗り込む。車が出発すると安西は太い指でポケットから紙片を取り出した。
「これが今回の予告状の写しです。本物はいつも通りスペードのエースのカードに書かれていました。『明日零時、子爵家に相応しからぬ絵画を頂きに参上致します。 怪盗Spade』カードは子爵の部屋の窓に貼られていたそうです。」
頷きながら上条は紙片に目を落とす。筆跡も気取ったサインもいつもと同じものだ。
「部屋の中に貼られていたのですか?」
「えぇ、室内に貼られていました。その日は客人が多く、子爵はずっと応接室にいたそうです。使用人達にも聞いたのですが、この日は慌ただしかったので誰も子爵の部屋に近付いた人物に気が付かなったそうです。」
「警備の方は?」
「もちろん万全です。ねずみ一匹出入りする隙はありません。」
毎回そう言うがいつもまんまと奪われているじゃないかと言いたいのをぐっとこらえ、胸を張る安西に頷いてみせる。怪盗が今回狙っているのは、海外で見つかった100年程前の日本人画家による風景画だった。本物であれば歴史的価値も資産的価値も高く注目を浴びていた品だ。おそらく本物であろうと噂され、発見者である貿易商からいち早く子爵が購入したのだという。発見された絵画を子爵が購入したというニュースに、まだ本物と断定されていないのに性急ではないかと、美術品に疎い上条は思ったものである。高級住宅街の外れにある子爵の屋敷に着くと、高い塀に沿って制服姿の警官がずらりとならび眼光鋭く辺りを見据えていた。屋敷の背後に鬱蒼と広がる森と相まって物々しい雰囲気に包まれている。敬礼する彼らに満足げに頷き返した安西に上条は耳打ちする。
「彼らの中に怪盗が紛れ込んでいるかもしれません。」
「無論、それも考慮して全員に顔写真付き名札の着用を義務付けました。警備に当たる者はすべて名簿に登録してありますし、見覚えのない者が紛れていればすぐにわかります。」
あまり効果は無さそうだと感じたが、得意げな安西の顔に言葉を飲み込む。安西ではなく上層部の考えであるなら、自分が口出し出来る事でもない。門番と言葉をかわし2人は屋敷の中へ案内された。門から玄関への通路に玄関扉、窓の下にも警官が立ち並ぶ。中には上条に訝し気な視線を向ける者も少なくない。当然の反応だろうと肩をすくめながら玄関に入ると、今度はスーツ姿の屈強な男達が警備に当たっていた。通り過ぎる安西に無反応な所を見ると子爵が個人的に雇っているガードマンなのだろう。応接室に案内されると子爵は豪奢な革張りのソファに座ったまま2人を迎えた。
「あぁ、警部さん。わざわざ御苦労さんです。おや、名探偵の男爵殿もご一緒ですか。これはこれは心強い。」
値踏みするように目を細め口元だけで笑う子爵に不快感をこらえ会釈を返す。身分はあちらの方が上だし、互いに顔と名前を知っている程度の関係だ。上辺だけ礼儀を通しておけば問題なかろう。そんな上条の内心など知る由もなく安西は満面の笑みを浮かべる。
「えぇ、ご覧の通り万全の態勢で警備に当たっております。いかに神出鬼没の怪盗といえど、この鉄壁の守りを破る事は不可能でしょう。大船に乗ったつもりでいらして下さい。」
屋敷の中に警官の姿はなく、邸内を警備しているのは子爵のガードマンだけだ。安西達を信用していないのはわかるだろうにと密かに嘆息を漏らしながら、上条はソファの後ろに飾られた風景画に視線を移す。上条がイメージしていたほど大きなものではなく、額ごと鞄に隠すのも容易な大きさのものだ。
「こちらが怪盗の狙っている絵画ですか。」
「その通り。今夜は私自身も寝ずに絵を見張りますよ。高い金を出して買った絵を奪われるわけにはいきませんからな。警部さんも探偵さんも、出番は無いんじゃないですかね。」
「何事も起こらず、我々の出番など無い方が良いでしょう。」
表情を変えない子爵に苛立ちを押さえながら上条はわざとらしく爽やかに微笑んでみせた。

 深夜。時計が零時を知らせると同時に屋敷の灯りが全て消える。誰かの悲鳴と怒号が響き、近くの客室から応接室を見張っていた上条と安西は応接室へ駆けこんだ。子爵が部屋の中から施錠したはずの扉は開いていた。
「子爵、どうされましたか!?」
扉の前で倒れている子爵を助け起こすと、上条は懐から懐中電灯を取り出し壁を照らす。絵画は消え空になった額だけがあった。窓が開いてカーテンが揺れている。眠っているだけらしい子爵を安西に任せ上条は窓から外を見回した。警官達はみな一様に倒れ込んでいる。微かに残る刺激臭に気付きハンカチで鼻と口を押さえながら外へ出た。眠り込んでいる警官達を叩き起こし、目を覚ました1人を問い質す。
「妙な臭いがすると思ったら、急に眠くなって……仲間が窓から入っていったから、絵や子爵に何かあったのかと……。」
やはり怪盗は彼らの中に紛れ込んでいたのだ。しきりに頭を振りながら答えた警官に更に問いかける。
「窓から侵入した奴はどこへ行った?」
「その後は見ていません。眠ってしまったので断言できませんが……。」
応接室の扉は開いていたし別のルートから逃げたのだろうと推測し、窓から応接室へ戻る。応接室には誰もいなかった。安西と子爵はどうしたのだろう。廊下へ飛び出し安西の名を呼ぶと、先ほどまで待機していた部屋から安西が顔を出した。
「先生、こちらです。」
「応接室から誰か出て行くのを見ませんでしたか!?」
「あの部屋から不審な臭いがしたので子爵をこちらへお連れして介抱していたのです。」
舌打ちしそうになるのをこらえ部屋を飛び出す。もしかしたらまだ応接室に潜んでいるかもしれない。そう考え応接室に戻った瞬間、灯りがともり上条は息を飲んだ。先ほど確かに消えていた絵が額に戻されているのだ。何が起きているのか。怪盗は盗んだ絵をどうしたのか。想像してみる。ブレーカーを落とし屋敷を暗闇にし、警備の警官を眠らせ窓から侵入して子爵も眠らせる。絵を額から抜き取とる。上条と安西が駆け込んでくる。外で警官に話を聞いている間に安西達を追い出して絵を戻し逃走する。何故絵を戻したのか。偽物とすり替えたのだろうか。そんな面倒な事をした理由は何だ? 額から絵を抜いたなら隠して持ち歩くのは簡単だろう。だがガードマンも警察官も血眼になって怪盗を探している。そんな中どうやって屋敷から逃げ出す? 自分なら屋敷を出るまで警察官の扮装のままでいるだろう。そこまで考えてはっとする。眠らされた警察官は応接室の窓の下にいた者達だけだ。皆が深く眠らされている中で1人だけ目を覚ましたあの警官。舌打ちして窓から飛び出す。屋敷中が大騒ぎになっている中まだ彼らは眠っている。倒れ込む彼らをまたいで走る。警戒厳重な表通りの門から出るのはさすがに不可能だろう。屋敷の裏は広大な森になっていて出入り口は無いと聞いているが、怪盗に出入り口など不要だ。裏へ向かうと誰かの叫びが聞こえた。
「こんな所から逃げるのは無理だ、表を見張れ!」
数人の足音が遠ざかって行くのが聞こえ上条は屋敷裏に回り込んだ。月明かりの下、足音が消えた方向を見つめていた警官姿の男は、ゆっくりと上条を振り返った。
「おや、探偵さん。こんな所へいらっしゃるとはどうされましたか?」
「どうされましたかじゃねぇよ、悪党め。」
上条の悪態に男は目深にかぶった警帽を軽く押さえ笑う。
「やはり貴方の目はごまかし切れませんね。」
帽子の下からいつもの白い仮面を取り出し身に着け警帽を放り捨てる。
「今夜は騙し切れると思ったのですが、残念です。」
言葉と裏腹に嬉しそうな口調の怪盗に近付く。
「残念ついでに、盗んだ絵も返してもらおうか。」
「それなんですけどね。」
今度は心底残念そうに怪盗は首を振った。
「あれ、残念ながら偽物です。」
「どういう事だ?」
「私は美術品の目利きも出来るんです。美しい物を好みますが偽物は好みませんのでね。額から外してじっくり見させて頂きましたが、あれは偽物です。署名の筆跡が異なります。」
「お前がすり替えたんじゃないのか?」
「頂くと予告したのですから、すり替える意味はありませんよ。」
「ならお前に奪われないよう予め偽物を用意してあったんじゃないか? 本物はどこかに隠してあるんだろう。」
「私もそう考えて屋敷をくまなく調べました。使用人達とも話をしたんですがね、本物はどこにもありませんでした。」
「どういう事なんだ? 子爵は騙されて偽物を買ったのか?」
上条の呟きに怪盗は声を潜める。
「面白い事を教えて差し上げましょう。子爵はあれが偽物だと知っています。」
「何だって!?」
思わず大声を上げた上条を制し怪盗は話を続ける。
「声が大きいですよ。絵が偽物だと解って調べていると使用人の中にしきりに『絵は無事なのか』と気にしている男がいましてね、よほど気が動転していたのでしょう、『あれは買い手が決まっている』とおかしな事を口走ったのです。」
「まさか、贋作を……?」
上条の呟きに怪盗は頷く。
「おそらくは貿易商と組んでいるのではないでしょうか。子爵のお墨付きであれば、鑑定が済んでいなくとも買い手は本物だと信じるでしょうね。」
ポケットから優雅な手つきで紙片を取り出すと上条に差し出した。
「使用人からこっそり頂いてきました。詳細は解りかねますけど、贋作の販売先リストだと思われます。すでに取引を終えたものもあるようですね。警部さんに教えてあげて下さい。」
信じられない思いで怪盗から紙片を受け取る。絵が消えてからのわずかな間に、怪盗は絵を偽物だと見破りこんな事件を暴いてしまったのだ。
「お前が警部に進言すればいい。これはお前の手柄だ。」
紙片を返そうとする上条に怪盗は小さく笑って首を振った。
「私の言う事を警部さんや世間が信用すると思いますか? 子爵にもみ消されて終わるでしょう。」
「だがこれは動かしがたい証拠だ。」
「私は手柄が欲しいのではありませんから。」
上条の手に紙片を押し付けると、怪盗は優雅に一礼してみせた。
「今日は空振りに終わって疲れてしまいました。そろそろおいとまさせて頂くとしましょう。」
「おい、待てよ。」
上条の呼びかけに嬉しそうな笑みを湛えると、怪盗は塀を飛び越え消えた。

 後日。子爵が美術品の贋作販売に携わっていたとニュースになった。怪盗は新聞を眺めひとりごちる。
「おや、ご自身の手柄にはなさらなかったのですね。」
記事に上条の名は無く、怪盗に予告されたにも関わらず奪われなかった絵を不審に思った安西警部が贋作を見破った事になっていた。
「あの方らしいですね、全く。」


第3話 END


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