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『月光遊戯』

〜第5話〜

「今度の狙いはこれだよ。」
要が差し出した写真に怪盗は困惑しながら視線を上げる。
「誘拐、ですか?」
「正確には駆け落ちの手伝い、だね。」
悪戯っぽく笑いソファへ座るよう促した要に、なるほどと安堵の表情で頷く。ソファに腰を下ろすと怪盗は写真をもう一度見つめる。写っているのは同世代の女性だった。パーティ会場で撮ったもののようで、淡い水色の清楚なドレスを着てシャンデリアの下に佇んでいる。落ち着いた雰囲気だが、どこか不安そうな表情を浮かべていた。向かいに腰を下ろした要は憂い顔で話し始める。
「彼女は僕の数少ない社交界での友人なんだ。子爵の令嬢で名前は東条和泉。僕と境遇が似ていてね。打ち解けて話すようになった。」
「それで、駆け落ちとは?」
「和泉さんは屋敷に仕えていた庭師の青年と恋に落ちたんだ。それを知った子爵は大激怒して青年を追放した。そして彼女の縁談を強引に進めた。その相手がこれだ。」
別の写真を差し出し要は顔をしかめた。
「政界にも顔の利く三嶋財閥の長男でね。黒い噂が絶えない。」
新聞から切り抜かれた男の写真には怪盗も見覚えがあった。慈善事業にも手を広げ脚光を浴びているが、その一方で武器や麻薬の密輸に手を染めているという噂もある。
「彼女は僕と違って純粋な人だ。こんな奴の下へ嫁がされるのは不憫でね。そこで君の手を借りたいんだ。協力してくれるかい?」
「それはもちろんですが、いったいどうやって?」
怪盗の言葉に要は立ち上がり、机の引き出しから取り出した白い封筒を怪盗にかざして見せる。
「来月、婚約披露パーティが行われる。といっても、奴がお披露目したいのは婚約者の和泉さんじゃない。奴が大金をかけたウェディングドレスと婚約指輪だ。この指輪を狙う予告状を出す。」
差し出された別の新聞記事に怪盗は視線を移す。大財閥の長男と子爵家令嬢の婚約が大々的に報じられていた。しかし記事は婚約そのものよりも、大金をかけたドレスと婚約指輪にばかり注目している。とくに指輪は中央に大粒のダイヤモンドをあしらい、その周りを小さなダイヤが囲ったデザインで、リングにも植物をモチーフにした複雑な彫刻が施されていた。白黒の写真からもその美しさと豪華さが伝わってくる。
「指輪を狙うと見せかけて令嬢を連れ出すのですか?」
「もちろん指輪もいただくよ。彼女は愛する人と結ばれて、僕らは美しい指輪を手に入れる。」
「令嬢自身と追放されたという庭師の青年はこの事をご存知なのですか?」
怪盗の疑問に要は得意げな笑みを浮かべた。
「その点は心配ない。彼女の乳母が東条家で唯一和泉さんの味方だ。彼女を通して彼には連絡を取れる。和泉さんは嘘がつけない人だから、計画の露呈を防ぐために直前まで伝えない。他に疑問は無いかな? じゃ、計画を詰めようか。」

――親愛なる三嶋修一様
明日の婚約披露パーティで、貴方の大切なものを頂きに参上します。 怪盗Spead――
怪盗からの予告状を受け、パーティ会場となる三嶋家の屋敷には大勢の警察官が詰めかけ物々しい雰囲気が漂っている。安西警部はパーティの招待を受けていた上条雅志の姿を見つけ駆け寄った。
「上条先生がいらっしゃるなら鬼に金棒ですな。」
「私はただの招待客ですよ。警部がいらっしゃるのだから問題ないでしょう。」
内心げんなりしながらも上条は安西を宥める。怪盗の狙いは話題を集めた高価な婚約指輪とウェディングドレスであろうと推測し、安西が展示を止めるよう三嶋に提案したが聞き入れなかったという。また面倒な事になりそうだと上条は密かにため息をついた。賓客と挨拶を交わす三嶋を見つけ上条も歩み寄る。近付いてきた上条に気付き、三嶋は作り物めいた笑顔を浮かべた。
「これはこれは、名探偵と謳われる上条男爵にお越しいただけて光栄です。」
「この度はご婚約おめでとうございます。名探偵などととんでもない。こちらこそこの国に欠かせない存在になるであろう方にお招きいただき光栄に思っています。」
面倒な事はさっさと済ませようと、失礼にならない程度に上辺だけの祝いと挨拶を一息に述べ立ち去る。大勢の招待客を相手にする三嶋は短い上条の挨拶を気にも留めなかったようだ。上条より爵位の高い人物と熱心に挨拶を交わしている。政財界に顔を利かせ始めているとはいえ成り上がりの身、爵位を持つ由緒正しい家柄の者に取り入って、確固たる後ろ盾を得たいのだろう。爬虫類を思わせる感情の見えない目つきに以前から嫌悪感を抱いていたが、強者へ媚びる笑みに虫唾が走り嫌悪感を更に募らせる。あんな男に嫁がなくてはならない令嬢を憐れに思った。
「ご令嬢の姿がみえませんね。」
相変わらずくっついている安西に問いかけると、安西も憐れみを浮かべた目で答える。
「ご気分が優れないとの事で、上条先生がいらっしゃる前にお部屋に戻られました。まぁ、無理もないでしょう。」
パーティが始まっても婚約者である東条和泉は姿を見せなかった。婚約披露パーティに婚約者が不在である事を賓客に詫びた三嶋だが、「恥をかかせやがって」という憤りが言葉や表情に露骨に現れている。三嶋が座る壇上の傍に、話題の婚約指輪とウェディングドレスが飾られていた。怪盗が狙っていると予測されているにも関わらず、周囲にロープを張り見張りに三嶋の秘書を立たせているだけで警戒している様子がまるでない。三嶋の話が大金をかけた指輪とドレスに及ぶと、会場に緊張が走る。会場内や招待客の控室、廊下や厨房といたる所に警官が立ち並び目を光らせていた。
「何やらこそ泥がこの指輪とドレスを狙っているらしいですが、ご心配には及びません。警察の協力を得てご覧の通り警戒厳重ですし、万が一に備えて私の個人ガードマンも警官の中に紛れ込ませています。不審な輩がいても彼らが見張っている限り身動きは取れません。」
三嶋の言葉に驚き安西の方を見ると、安西も知らなかったようで驚愕の表情を浮かべていた。余計な事をしやがってと内心舌打ちしながら会場をそっと見回す。長い三嶋の挨拶に辟易している者、ドレスに見入っている者、落ち着かない様子で警備の警官達を見ている者、今のところ不審な動きをする者は見当たらない。怪盗はこの会場内にはいないのだろうか。どこから狙っているのだろう。奴をこそ泥と見くびると痛い目を見るぞ。
「それでは、しばしご歓談を。」
三嶋の長い挨拶がようやく終わり、招待客達がグラスや前菜に手を伸ばし始めた時だった。どこかでガラスの割れる音が聞こえた。と同時に、屋敷の明かりが全て消えた。
「えぇ、皆さまどうぞ落ち着いて下さい。おい、何事だ!」
三嶋の怒りの声に招待客はますます動揺する。
「怪盗Speadだ!」
暗闇の中、誰かの叫びに警官達が走り出し、招待客達は所持品と身を守ろうと逃げ出し会場はパニックに陥った。

その頃。東条和泉は与えられた部屋で臥せっていた。身分違いの恋が許されないものだとは分かっていた。だが、彼が屋敷を追われ一家で職を失うほどの大事になるとは思ってもいなかった。自分が彼の人生を台無しにしたのだと自責の念に駆られる一方で、彼を追放し勝手に縁談を進めた父に憤りを抱いていた。もう少し自分の話を聞いてくれてもいいのではないか。婚約者となる男の評判は和泉の耳にも届いていた。陰で悪事に手を染めているかもしれない男に、娘を嫁がせようとする神経が理解できなかった。大々的に報道までされてはもう逃れられない。幼い頃から抑圧され虐げられてきた。父にとって自分は一体なんなのだろう。今日何度目かのため息を吐いた時、どこかでガラスの割れる音が聞こえた。その後すぐに明かりが消える。何事だろうと起き上がり部屋を見回すと、窓をこつこつと叩く音が聞こえた。訝しみながら立ち上がりカーテンを小さく開けると、黒い外套に黒のシルクハットを目深にかぶった男がバルコニーに立っていた。小さく悲鳴を上げ後ずさると、男は恭しい仕草で頭を下げ、いつのまに鍵を開けたのかそっと窓を開ける。
「誰!? 人を呼びますよ!」
震える声で告げると男は静かに微笑んで首を振った。
「それはいけません。貴女の大切な人に危険が及びます。」
「どういう事……?」
「突然のご無礼をお詫び申し上げます。私は貴女を盗みに来た怪盗です。」
わけがわからないといった表情の和泉に怪盗は微笑む。
「貴女に危害は加えません。むしろ貴女を救いに来たのです。」
怯えた表情で後ずさる和泉の背後から女性の声がした。
「お嬢様、ご安心ください。この者は私がある方を通して呼んだのです。」
「弥生さん?」
現れた乳母の姿に多少安堵しつつも、震える手でカーテンを握り身体をこわばらせる。
「どういう事なの?」
「あまり時間がありません。お嬢様、私を信じて下さい。警備が手薄な裏庭に、清一さんが来ています。」
「清一さんが……? どうして?」
「貴女との愛を貫くために。私がそのお手伝いをさせて頂きます。」
「でも、私は……。」
困惑した表情で首を振る和泉に怪盗は手を差し伸べた。
「婚約者がいると? しかし、未来の旦那様は貴女を『大切なもの』とは認識していないようですよ?」
はっとして和泉は差し出された怪盗の手を見つめた。怪盗からの予告状に厳重な警備が敷かれたが、自分がいる部屋の周りには誰もいない。満月の明かりを背負うように立つ怪盗の顔はよく見えないが、その声に実の父からは聞いた事もない優しさを感じた。何より幼少時から傍にいて絶大な信頼を寄せる乳母がこの男を呼んだというのなら、それが愛する清一と結ばれる道ならば、この手を取ってもいいだろうと思った。
「わかりました。連れて行って下さい。」
「かしこまりました。」
恭しく和泉の手を取ると怪盗は優雅に一礼し、自分にしっかりつかまるよう促す。和泉をそっと抱き上げると、弥生にも一礼して怪盗はバルコニーの向こうに姿を消した。
「お嬢様、後の事は私に任せて、どうか幸せになって下さい……!」

数分が経ち再び明かりが灯った頃、パーティ会場から婚約指輪が消え「Thanks」と書かれたスペードのエースのカードが残されていた。
「こそ泥を捕まえろ!」
激昂した三嶋の叫びもむなしく、怪盗の姿も指輪も見つからなかった。しばらくして東条和泉が姿を消したと騒ぎになる。婚約を厭い混乱に乗じて逃げ出したとも、子爵に追放された庭師の男が怪しいとも様々に噂されたが、真相は誰にもわからなかった。

「婚約は破談、指輪の行方はわからず。計画通りですね。」
数日後、要の部屋で怪盗は新聞に目を通していた。記事には指輪の行方も東条和美の消息もわからない事に加え、婚約の破談に伴い三嶋が東条家に賠償を請求している事が綴られている。
「令嬢は今頃幸せにしていますかね。」
「それは彼女次第だね。」
怪盗の言葉に要は遠い目をして呟いた。
「自由の利かない身で、それでも幸せや自由を得ようとするなら、手を汚す事や他人を踏みにじる事も覚悟しないといけない。」
「要さん?」
思いがけず不穏な響きを込めた要の言葉に怪盗は怪訝な顔をする。
「自由や幸せってのは、誰かの不幸の上に成り立ってるのさ。」
あの日奪った指輪を手に取り要は笑った。
「僕は今とても幸せだよ、御剣。」


第5話 END

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