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『月光遊戯』

〜第6話〜


 その日、不安な面持ちで安西警部の下を訪れたのは、品のいい薄茶の外套に身を包んだ温厚そうな紳士だった。「怪盗SPADEからの予告状が届いた」という彼の言葉に、安西は書きかけの報告書を後回しにして飛んでくる。
「お忙しいところ申し訳ありません。私は代々呉服屋を営んでいる一之瀬利充と申します。今朝、私の屋敷にこのようなものが投函されていて、不安でたまらず警部さんを訪ねた次第です。」
「ご連絡をありがとうございます。これがその予告状ですな。拝見致します。」
安西は太い指で差し出された封書を受け取る。中には白い紙とスペードのエースのカードが入っていた。
「ふむ。『予告状 明日夜十時、貴方の愛用している高価な品々を頂きに参上します。 怪盗SPADE』むぅ。横暴な予告に署名の入ったスペードのカード、奴の仕業とみて間違いないでしょう。直ちに厳重な警備を敷くように手配致します。私も明日の正午には伺いますので、ご安心下さい。」
「ありがとう存じます。どうぞよろしくお願いします。」
丁寧に頭を下げる一之瀬を見送ると、安西は上条の屋敷へ連絡を取った。

「あぁ、警部さん。お待ちしておりました。名探偵の上条男爵もご一緒とは心強いです。」
翌日。安堵の表情で安西を迎えた一之瀬は、安西の後ろにいる上条を見て更にほっとした様子で二人を迎え入れた。よほど不安だったのだろう、目の下にくっきりとくまを作っており、眠れなかったことが伺える。そんな一之瀬の様子に、上条は「名探偵」を否定する言葉を飲み込んだ。
「微力ながら尽力させて頂きます。」
前日の夕刊に予告状の件が載ったせいであろう、新聞記者が押しかけ警備に当たる巡査と押し問答をしているのが見える。応接室に通された安西と上条は、一之瀬から屋敷の見取り図を見せてもらい巡査に警備の配置を指示すると、一之瀬に向き直った。
「お尋ねしたいのですが、怪盗が狙うと予告した愛用品とはどのような物ですか?」
「思い当たる物といえば、万年筆や鞄など実用品ばかりです。華美なものを嫌う家系でして、これまで怪盗に狙われてきたような一点物の芸術品や宝飾品は、我が家にはありません。店で扱っている着物や装飾品に高価なものはありますが、これも実用に耐えうる範疇のものですし、何より私の私物ではありません。怪盗は『私が愛用している高価な品々』と言ってきましたが、いったいどういうつもりなのか皆目見当がつきません。」
「ではその万年筆や鞄を見せて頂けますか?」
「はい、少しお待ち下さい。」
自室へ向かった一之瀬を待つ間、上条は応接室を見回す。一見して上質なものとわかる調度品ばかりだが、目を引くような派手さはない。これまで怪盗が狙ってきた豪奢な屋敷とは趣が異なる。しばらくして使いこまれた皮の鞄を手に一之瀬が戻って来る。鞄から筆入れに万年筆、手帳や懐中時計などをテーブルへ丁寧に並べてみせた。
「祖父から受け継いだ古い品ばかりで、一級品ではありますが、百貨店で手に入るものがほとんどです。どうぞお手に取ってご覧下さい。」
並べられた品を手に取り上条は考える。一之瀬の言葉通り、一級品ではあるが上条も手にしたことがある銘柄の品ばかりだ。希少性は無い。
「なるほど。怪盗の奴め、味を占めて見境がなくなってきたと見えますな。そうやって慢心している今こそ逮捕の絶好の機会です。」
得意げに笑う安西に対し、上条は訝しんでいた。奴が高級品とはいえ数多く流通しているような品を狙うだろうか? それに標的になったのは成り上がりの富豪でもなく、黒い噂も無い名家だ。きちんと聞いたわけではないが、奴の信条に外れる気がする。怪盗を擁護する考えに気付き、上条は苦笑いを浮かべ手にした品を一之瀬に返した。安西は自信たっぷりに胸を張る。
「ではこちらは大切にお持ち下さい。この応接室で奴を待ち受けましょう。私も上条先生もついていますので、ご安心下さい。」
警備の確認のため一之瀬を応接室に残し二人で屋敷を見回る。上条は声を潜め安西に問いかけた。
「どう思われます?」
「どう、と仰いますと?」
「今までの奴の事件とは傾向がまるで違います。」
「そうですなぁ。いよいよ性悪な本性を現したといったところではないですかな。」
「そうでしょうか。奴の狙いは別にあるか、あるいはこの事件……」
「安西警部! こちらにいらっしゃいましたか!」
自分の推測を口にしようとした上条の言葉を遮るように、分厚い眼鏡をかけた巡査が安西の名を呼び駆け寄って来た。
「総員、配置に着きました。」
「ご苦労。しっかり見張っていろよ。」
「あっ、名探偵の上条先生ではないですか! 初めての任務でご一緒できて光栄です!」
握手して下さいと上条の手を握り、制帽を落としそうな勢いで飛び跳ね興奮する巡査に苦笑いを返す。
「私は名探偵ではありませんよ。」
「何を仰いますか! 上条先生は子爵の贋作絵画売買事件も暴いた名探偵ですよ! 怪盗逮捕も時間の問題ですね!」
「いや、あれは……。」
「こら、早く持ち場に戻らんか。先生がお困りではないか。」
「あぁ、これは申し訳ありません。では先生、警部、失礼致します。」
最敬礼をしスキップでも始めそうな軽い足取りで巡査は走り去って行った。
「すみませんね、ミーハーな奴で。」
「いえ……。」
曖昧に笑いながら巡査が去って行った方向を見据えている上条の袖を、安西はそっと引く。
「さて、警備も万全ですな。応接室へ戻って奴を待ち構えましょう。」
「そうですね。」
予告された夜十時。安西と上条は一之瀬と共に応接室にいた。ふいに屋敷中が暗くなり、男の叫び声が聞こえる。玄関の方から怒声と激しく乱闘するような音が響く。三人が思わず腰を上げた瞬間「怪盗を捕らえたぞ!」「放せこの野郎!」と立て続けに声が響いた。急いで懐中電灯を手に玄関へ走る。月明かりが揉み合う数人の人影を照らす。上条が懐中電灯を向けると、巡査達に捕まった侵入者を照らし出した。ついに怪盗を捕えたと興奮する一同だが、賊は燕尾服姿で白い仮面を着けているものの、取り押さえる巡査達に暴言を吐いて暴れており、いつもの優雅な怪盗とは似ても似つかない。
「警部、こいつは……」
「奴ではありませんな。おい、こいつは囮かもしれん! こいつは私が引き受けるから引き続き警備にあたれ!」
安西は捕まった賊を外の馬車へ連行する。罵り合う声が遠ざかっていくと、上条は呆然としている一之瀬を振り返った。
「あれは本物の怪盗スペードとは無関係な賊だと思われます。賊は捕まったし、もう大丈夫でしょう。」
不安げな一之瀬を宥めながら上条は応接室へ戻っていく。翌朝まで警備態勢が敷かれたが、それ以上何も起こらなかった。一之瀬は夜通し起きて警戒していたようで、警備の巡査達に引き上げるよう安西から連絡が入ると、ようやくほっとした顔で上条に頭を下げた。
「どうもありがとうございました。」
「いえ、私は何もしていませんよ。お礼は賊を捕まえた果敢な巡査達と安西警部に仰って下さい。」
帰り支度を整えていると、分厚い眼鏡の巡査が上条に声をかけてきた。
「お疲れ様です、上条先生。どうやらただの模倣犯のようですね。大事にならず何よりです。」
背を向けたまま上条は答える。
「白々しいな、悪党め。」
制帽の下から仮面を取り出し眼鏡と素早く付け替え、怪盗は笑った。
「さすが探偵殿。やはりお気づきでしたか。」
「当たり前だろ。お前が量産された品に興味を持つとは思えん。」
それに、と怪盗を振り返る。
「子爵の贋作絵画事件に俺が関わってた事を、今回初めて任務に就く巡査が知ってるはずがない。」
「気づいて頂けて嬉しいです。」
「わざとか。」
「えぇ。貴方なら気づいて頂けると思っていました。」
あれは私と貴方の秘密ですから、と怪盗は嬉しそうに笑う。
「ではそろそろお暇しましょう。なかなか興味深い催しでした。模倣犯が現れるとは、私も有名になったものですね。」
窓枠に足をかけて怪盗は上条を振り返る。
「本物の私を捕まえなくて良いのですか? 絶好の機会ですよ?」
「お前は今回ただの傍観者だ。俺には捕まえる理由も権利も無い。不法侵入で別件逮捕してやってもいいが、それじゃつまらんだろう。」
それは残念、と小さく笑い怪盗は窓から身を乗り出す。
「では、次回は私と貴方が主演ですよ。」
「馬鹿な事言ってないでさっさと行け。」
嬉しそうな笑みを口元に湛え、では、と優雅に会釈し怪盗は窓の外へ消えた。
「何を嬉しそうにしてるんだか。」

 その日発行された号外には『怪盗SPADE、ついに逮捕か!?』と見出しが躍った。だが記事によれば、一之瀬邸に侵入し捕まった賊は怪盗本人ではなく、安西警部はこの賊から怪盗へ繋がる情報を得られる見込みであり、本物の逮捕も時間の問題だと語っているという。街で号外を受け取った怪盗は密かに笑った。
「ご苦労なことです。」


第6話 END


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