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『月光遊戯』

〜第7話〜


 公園で捨てられていた新聞を拾いあげると、怪盗はベンチに腰を下ろし小さく呟いた。
「次の狙いはこれにしましょうか。」
新聞の一面を飾るのは、街に住む富豪の芹沢が海外で自ら買い付けた古い宝石の一つについてだった。古代の帝国に献上された3カラットにもなるルビーで、帝国が滅びた後は所有者を次々と変えているという。手にした者は厄災に見舞われるという噂があり、事実、石を手にした直後に非業の死を遂げた者は多い。帝国に敗れた国から人質同然に嫁がされた姫と共に献上されたという逸話を元に、この石は『愁える皇妃』と呼ばれるようになったという。最後に人々の話題に上がったのはもう100年近く前の事で、当時の所有者である貴族の船と共に海へ沈み行方がわからなくなっていたのだ。海外の蚤の市でがらくた同然に売られ汚れていたそれを芹沢が買い付け、帰国後鑑定にかけたところ、愁える皇妃に間違いないという。芹沢の下へは歴史博物館から寄贈の依頼や、「愁える皇妃を買い取らせてくれ」という貴族や宝石商が連日押し寄せているという。
「要さんに提案してみましょう。」
一通り新聞に目を通し怪盗は立ち上がった。怪盗が狙う物は要が指示する事もあり、怪盗から提案する事もある。どちらにせよ、要が手筈を整え怪盗が実行する、という段取りになっていた。棲み処に戻ると要に宛て手紙を書き出かける。スラム街に住む少年の1人が、要と怪盗の手紙を届けているのだ。画家志望の青年に要が出資しているという体裁を取ってはいるが、要が屋敷の人間に話を通しておかなくてはならないため、怪盗の方から会いに行く事はできない。それに、怪盗Spadeが事件を起こす直前に屋敷を頻繁に訪れている人物がいれば、関連を疑う者が現れるかもしれない。決行前に直接会うのは一度だけとし、事前の話し合いは手紙でやり取りしようと決めた。だが、紛失されたり中身を見られるわけにはいかない。考えあぐねているところへ、要が「スラム街で知り合った」と言ってその少年を紹介してくれたのだ。要が「佐伯俊」と名付けたらしい。要が彼に自分達の事をどう話したのかは知らないが、彼は怪盗を「絵描きのお兄さん」と認識し慕っている。俊を探してスラム街を歩いていると、ほどなくして背後から弾んだ声が聞こえてきた。
「あ、優お兄さんだ! 僕を探してたの?」
「ご明察です、俊くん。要さんへ手紙を届けてほしくてね。」
「りょーかい! お金持ちは大変だね、自由に手紙のやり取りもできないなんて。ま、そのおかげで僕はご飯にありつけるんだけどさ。」
「いつもありがとう、助かってますよ。」
「じゃ、さっそく行ってくるよ。早めに届けられるように頑張るからね。」
「よろしくお願いしますね。」
大事に手紙をしまい駆けだした俊の痩せた後ろ姿に、怪盗は表情を引き締める。かつての自分、そして俊のような不遇な子供達を生み出したこの世の中が憎い。こんな世の中に復讐をと怪盗稼業を始めたが、果たして自分に何が出来ているというのか。沈む気持ちを引き上げるように首を振る。今更後戻りはできないのだ。棲み処に戻り描きかけの絵に着手する。要からの手紙が届くまでは、さしあたってする事は無い。平時には画家志望の青年として過ごしたり、また別の名と顔を使って生活費や怪盗稼業の活動資金を稼いだりしている。自分は何者なのだろう。ふとそんな詮無い事を思い苦笑しながら怪盗はイーゼルに向かった。
数日後。要からの手紙を持って俊が怪盗の棲み処を訪れた。
「早かったですね。」
怪盗の言葉に俊は嬉しそうに胸を張る。
「優お兄さんと要お兄さんのためだもん。他にも要お兄さんから頼まれてるから忙しいし……おっと、これまだ秘密だった。」
「秘密? 要さんから何か頼まれているのですか?」
「そ。要お兄さんとの約束だからまだ秘密。じゃぁね!」
慌ただしく去って行った俊の背を見送り、封を開ける。要はこの数日の間に芹沢の素性を調べ上げ、自分達の復讐の対象者だと認定した。頻繁に海外へ美術品や宝飾品の買い付けに出かけては、麻薬の密輸入に手を出しているという。更には街に売春組織を作ろうという計画を立てている事が解っていた。見下げ果てた行為に怪盗の胸中に憤りが沸く。何とかこの男の行為を明るみに出す事はできないだろうか。手紙を読み進めると、要は屋敷の見取り図から家族構成に使用人の人数、芹沢のここ数日の行動まで調査していた。あまりにも大きな騒ぎになったので、街の歴史博物館へ1日限りの展示として愁える皇妃を貸し出す事にしたのだという。屋敷に侵入して奪うより、10日後に開催される展示会で奪う方が劇的だろうと述べていた。その際に、芹沢の下劣な行為を明らかにしたいと、詳細な計画を詰める為に後日、屋敷へ来てほしいと締められていた。指定された日に屋敷へ向かうと、要は上機嫌な笑みを浮かべ怪盗を部屋へ招き入れた。
「僕もこれを狙おうと思っていたんだ。いいタイミングだよ。」
「あの富豪をご存知だったんですか?」
「うん、顔と名前程度は知っているよ。嫌な噂も聞いている。政財界へ顔を出そうともしているようだ。品性下劣な成金が世の中に幅を利かせる前に潰さなくちゃね。」
「しかし、博物館での展示となると、これまで通りに奪うのは難しくなりませんか?」
「そうだね。それも含めて色々考えていたんだ。」

――予告状
 明日の特別展示の夜7時、愁える皇妃を救いに参上致します。
              怪盗Spade――
怪盗からの予告状を受け、一番不安に襲われたのは博物館の職員達だった。何度も芹沢と交渉し、ようやく1日限りではあるが歴史的価値のある宝石を展示する事に成功したのだ。それを奪われては自分達の首が飛ぶだろう。芹沢よりも先に博物館館長は安西警部へ連絡を取った。翌日、特別展示会の準備が進む博物館に安西と、安西に懇願された上条も訪れる。芹沢からは安西の下へ連絡は無い。
「お忙しいところありがとうございます。名探偵の上条男爵もいらっしゃるのであれば、安心して展示会に臨めます。」
深々と頭を下げた館長の憔悴しきった顔に「名探偵」を否定するのも面倒になり、上条は安西の後ろで会釈を返した。
「ではさっそく、会場の方を見せて頂けますかな。博物館全体の見取り図もお願いします。」
「かしこまりました。特別展示室はこちらになります。」
職員へ館内図を取りに行かせると、館長は特別展示室へ2人を案内した。
「今回の展示に向けて、古代帝国にまつわる資料や他の宝飾品など、関連するもの全てをこの部屋に移しております。近隣の博物館から借りてきたものもありまして、急に決まった展示ですので、展示品をお借りする博物館からも手伝いに来てもらって、準備を進めているところです。」
案内されたのは博物館の2階にある特別展示ホールと記された一室だった。横に長い建物のおおよそ中央にあたる位置である。博物館の制服を着た職員や制服姿の配送員が慌ただしく出入りしている。ロープが張られており、来館者はまだ中に入る事はできない。それほど大きな部屋ではなく、四方の壁と中央に展示台と説明書きの掲示板があり、それらをじっくり見ても10分足らずで全て見て回れるだろう。中央のロープで囲んだ展示台に愁える皇妃を展示するのだという。
「部屋の真ん中に置かれているなら、充分に警備しておればいかに奴といえども奪う事は不可能でしょう。ガラスケースにはしっかりと鍵をかけておいて下さい。ケースの鍵はどなたがお持ちですかな?」
「鍵は私と副館長で保管しております。愁える皇妃を受け取ったら、鍵は2本とも我々が肌身離さず持ち歩きます。」
「それが良いでしょうな。」
館長と安西が話している間、上条は部屋を隅々まで見て回っていた。窓は無く、出入り口は廊下側だけだ。だが扉で仕切られているわけではないので、侵入も逃走も難しくはないだろうと上条は眉間にしわを寄せ考え込む。これまで怪盗はケースを割ったり金庫を壊したりなどといった乱暴な事はしていない。いつもまるで魔法のように消え失せているのだ。今度は一体どうやって奪う気なのだろう。自分ならどうするかと上条は考えてみる。ケースの合鍵を入手するのが確実だが、盗みの予告がされているのだ、鍵を無造作に扱うはずがないだろう。では搬入の際に偽物とすり替えるか。これまでにも、予告された時刻にはすでに偽物とすり替えられていた事はある。作業を進める職員や配送員を視界の端に捉えながら、上条は館長に問いかけた。
「愁える皇妃はいつこちらへ運び込まれるのですか?」
「前日の閉館後に芹沢さん自らがこちらに持っていらっしゃいます。こんな予告をされたので展示を取り止めると言い出されたらどうしようかと思っていたのですが、『下らん事に屈する必要はない』と仰られました。『自分の手で展示台に置くからあとはきちんと見張っておけ』とも。」
「そうですか。」
なら愁える皇妃はまだ芹沢の手元にある。特別展示の日は祝日であるため、閉館は夜の8時だという。芹沢の手元を離れるのは前日、閉館後の夕方5時以降。怪盗は夜7時に奪いに来ると予告している。昼間は多くの見物客の目に触れるのだ、事前に偽物とすり替えるとは考えにくい。やはり予告した時刻に直接奪いに来ると考えた方がいいだろう。館内の案内図を見据え安西は警備の配置を考えている。
「警部、宝石が搬入される時にも立ち会った方がいいでしょう。」
「なるほど、その時に偽物とすり替えられる可能性もありますからな。それがいいでしょう。」
そうじゃないのだが、と言いかけて止めておく。その可能性もゼロではないだろう。
深夜、灯りの消えた博物館に芹沢が秘書を伴って現れた。便乗する強盗を避けるため、搬入は懐中電灯の灯りだけで行われる事になった。館長が特別展示室へ案内し、芹沢の手でケースの中に愁える皇妃が置かれる。鍵を手にした職員が確実に施錠し鍵を館長へ渡すのを見届ける。怪盗が予告した時刻を違える事はないだろうと判断し、安西と上条は博物館を後にした。翌朝、愁える皇妃はケースに無事収まっていた。特別展示室を中心に館内に警備の巡査が立ち並ぶ。上条の進言で安西は巡査に怪盗が紛れ込んでいない事を確認する。開館時刻になると、歴史的価値のある美しい宝石を一目見ようと大勢の人が押し寄せ、博物館はかつてない混雑を見せた。「いつもこうならいいのに」という館長の呟きをよそに、来館者の1人1人を観察しながら、安西と上条は警備の巡査達と共に特別展示室を見張る。多くの来館者は中央の愁える皇妃に魅入っているが、不審な動きをする者は今のところいない。昼間は何事もなく時が過ぎて行った。予告された7時が近づくと館内に緊張が走る。夜になっても来館者の波は途絶えない。予告状の件は当日の朝刊で報じられたため、この時間の来館者には怪盗を一目見ようとしている者もいるのかもしれない。やがて館内の時計が7時を告げた。その瞬間、館内全ての明かりが消えた。驚きの声が上がる中、館長の悲鳴のような声が響く。
「怪盗が来るぞ! 愁える皇妃を守れ!」
暗闇の中、自分の身と所持品を守ろうと逃げ出す者、怪盗の犯行の瞬間を見ようとする者、駆けつける巡査と職員が入り乱れ、展示室は混乱に包まれた。上条と安西も展示室に駆け込む。数分続いた暗闇から明かりが復旧すると、一同の視線は中央の展示台に集まった。ケースの扉は開かれ、愁える皇妃は消えていた。
「まだ怪盗は館内にいるはずだ、探せ! 誰も外に出すな!」
安西の叫びに巡査と職員が走り出す。展示台の前で蒼白な顔になり気を失った館長を支えると、上条はケースから「Thanks」と書かれたスペードのエースのカードを取り出し握りつぶした。心配そうに駆け寄る日焼けした職員に館長を託すと上条も展示室を飛び出す。が、すぐにはっとして展示室に駆け戻った。職員が倒れた館長をそのままに展示室から走り出したところだった。
「おい、待て!」
上条の叫びに職員はちらりと振り返って笑みを浮かべるとハンカチで顔を拭う。褐色の肌が色白の肌に変わる。素早く胸ポケットからだした白い仮面を着け、口に含んでいた綿を吐き出すと、怪盗は2階のテラスへ向かって走り出す。1階へ向かった安西を呼ぶべきか、一瞬迷ったがそんな事をしている間に逃げられてしまうだろう。そのまま上条は怪盗を追った。テラスには椅子とテーブルが置かれ、来館者の休憩スペースになっているが、今は誰もいない。怪盗を追って上条もテラスへ出る。まるで上条を待っていたかのように、怪盗は柵に寄りかかって月を見上げていた。
「やってくれたな悪党め。」
「有言実行が私の信条ですので。」
「どうやって鍵を奪った?」
「私の手で鍵をかけたのですから。本物の鍵は今もここに。」
胸ポケットから優雅な手つきで真鍮製の鍵を取り出す。
「お前、あの時の……!」
「えぇ。暗かったですし、お話するわけにはいきませんでしたから、お気づきにならなくても無理はないでしょう。」
月明かりに鍵をかざして揺らしながら、怪盗は話し続ける。
「愁える皇妃の展示が決まってから職員さんが増えましたからね。いかに館長さんといえども、隣町の職員さんの顔まで覚えてはいないでしょう。紛れ込んで博物館の仕事をしていても誰も気づきませんでした。色々な知識も身について、短かったですが貴重な体験ができました。これはもう不要ですから、お返ししておきましょう。館長さんでしたら、失神しているだけなので命に別状はありません。」
「鍵よりもルビーを返せ。」
「探偵殿のお願いといえども、今回は聞くわけにまいりません。私は彼女を救いにきたのですから。」
予告状の文面を思い返し上条は怪訝な顔をする。
「予告にも『皇妃を救う』と書いてきたな。どういう意味だ?」
鍵を指先で弄びながら怪盗は優雅に笑う。
「どういうも何も、そのままの意味ですよ。愁える皇妃の逸話はご存知でしょう? 欲にまみれた輩の手から、彼女を救いに来たのです。」
「石は石だ。古代の皇妃じゃない。」
睨み据える上条の言葉に、怪盗は大仰な仕草で肩をすくめた。
「実にあなたらしいお考えですね。浪漫の欠片もありません 。でも私はあなたのそういうところ、好きですよ。」
「お前に好かれても嬉しくない。」
仏頂面で応えると上条は怪盗に手を突き出した。
「御託はいいからルビーを返せ。浪漫が欲しいのなら聞かせてやろう。その石は所有者を滅ぼすと言われてるぞ。お前は滅びたいのか?」
「所有欲を持って独占しようとするから滅びるのです。無理やり姫を嫁がせた古の皇帝のようにね。私はこの石を所有したいわけではありません。」
しかしそれもいいかもしれませんね、と小さく呟く。傲慢な支配者の末路も、復讐者の末路も、似たようなものだろう。怪盗の小さな呟きと密かな胸中を知ってか知らずか、上条は眉を寄せる。
「お前、どういうつもりだ?」
「もしかして私の身を案じて下さるのですか? ありがとう存じます。」
微笑して恭しく一礼すると、怪盗は柵に手をかけた。いつの間に張られていたのか、ワイヤーが道路を越え向かいの建物まで伸びている。
「では、今宵はこれで失礼いたします。警部さんと館長さんにも、よろしくお伝え下さい。」
博物館職員の制服を脱ぎ捨て黒いマントを翻すと、怪盗は柵を越え手にした小さな滑車にぶら下がりワイヤーを滑り下りて行く。上条が柵に駆け寄ると、あっという間に向かいの建物に着地し、素早くワイヤーを外して走り去って行く怪盗の姿が見えた。ワイヤーを回収する気はないようだ。そこから足が付く事はないと確信しているのだろう。暗がりの中の一瞬の出来事に、階下を駆けまわる安西達は気が付いていない。向こうの建物へ逃げたと伝えても、もう間に合わないだろう。追い詰めておきながら逃げられた、と報告するのは屈辱だ。唇を噛み怪盗の消えた先を一睨みすると、上条は安西の下へ走り出した。

 数日後。博物館へ展示ケースの鍵だけが送られ館長を憤らせた。そして、新聞社と警察に、芹沢の麻薬取引の証書と売春組織設立の計画書が匿名で送りつけられ芹沢は逮捕、大きな騒ぎとなった。自室で新聞に目を通した要は満足げに笑う。同じ頃、怪盗は公園で捨てられていた新聞を拾い目を通す。あの夜手にした愁える皇妃の鋭く悲し気な煌めきを思い返し、怪盗はそっと目を閉じた。こんな事を言ったと知ったら、探偵殿は笑うかもしれないと思いながら。
「お妃様、どうぞ安らかに。」


第7話 END

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