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『月光遊戯』

〜第8話〜


「何が『世直し怪盗』だよ、ただの盗人だろ。」
新聞の見出しに踊る文言に上条は眉をひそめた。記事には怪盗Spadeがこれまで狙ってきた者達の共通項が列挙されている。密かに犯罪に手を染めていた者、犯罪すれすれのあくどい行為をしていた者、犯罪を計画していた者などであり、怪盗が盗みを行った事によってそれらが発覚しているとあった。そこで記者は怪盗の行動を『世直し』ではないかと推測し、警察には暴けなかった闇を討つ世直し人として、怪盗の一連の行為を擁護しているのである。
「そんな単純な事じゃないんだよ。」
先日対峙した時の、怪盗の暗く悲しみに満ちた瞳を思い返し上条は苦々しく呟いた。

「やはりいらっしゃいましたか。」
「お前の考える事くらいお見通しだ。」
予告通りに貴族の屋敷から宝石を奪った怪盗と、上条は屋敷のテラスで対峙していた。安西警部達は怪盗が外へ逃げたと思い込み、屋敷の周囲を駆けずり回っている。
「貴方のいらっしゃる現場はやりがいがありますね。」
「警部に懇願されちゃ断れないからな。それに、男爵家の人間の責任として、お前のような悪党を放置するわけにもいかない。」
法を犯し秩序を乱す盗人、上条の怪盗に対する認識は憎むべき悪だった。上条の言葉に、怪盗は小さく笑う。
「男爵家の責任、ですか。」
「何かおかしいか?」
「いいえ。」
口角を上げ笑いながら、怪盗は大仰な仕草で肩をすくめた。
「私よりももっと罪深い人間が世の中には溢れています。貴方は彼らを一人一人、そうやって追いかけるおつもりですか?」
言葉に詰まる上条に怪盗は尚も笑う。
「以前、『何の為にこんな事をするのか?』と仰いましたね。少しだけヒントを差し上げましょう。」
テラスの柵に寄りかかり、怪盗は夜の街を見渡した。ガス灯の柔らかな明かりが、建ち並ぶ貴族や富豪の邸宅を夜の闇に浮かび上がらせている。
「一見、優しい光が照らす美しい街です。しかし、光は正しく世界を照らすとは限りません。」
「どういう意味だ?」
その問いに答えず、怪盗は上条を見据えた。
「私はね、この世界が憎いのですよ。」
街の夜景に視線を戻し怪盗は言葉を続ける。
「私にも貴方のように、約束された未来があったかもしれない。しかし、それは物心ついた頃には既に奪われていました。そうやって奪われた者は大勢いるのです。なのに光は彼らに届かない。私は奪われた者達の為に立ち上がった。これは、私達から優しい光を奪った世界への復讐なのです。私が欲するのは、この世界の崩壊なのかもしれませんね。」
「確かに、貧富の差は拡大する一方だ。俺が言うのもなんだが、世の中はおかしな方向へ向かっているのかもしれない。だが、だからってこんなやり方があるか!」
「他にどうしろというのです? 男爵家の責任として、貴方はこの問題に取り組んでいらっしゃいますか?」
暗い目をした怪盗に上条は言葉に詰まる。街が発展していく一方で、その恩恵を受けているのは自分も含めた一部の人間のみだ。生まれた時から与えられていた男爵家長男としての人生。多少の窮屈さはあるものの、順風満帆な人生がこれから先にもあるのだと疑いもしなかった。街に貧富の差が広がり、生活に困窮する者が多くいる事を知ってはいたが、どこか遠い問題だと捕えていた事に気づかされる。優雅に笑ってみせ、さも楽しそうに盗みをはたらく怪盗は、好き好んで盗みを始めたわけではなかったのではないか。物心ついた幼い頃から、生きる為に他者から奪う。そんな暮らしは想像が付かなかった。自分には、男爵家長男としてだけでなく、上条雅志という一人の大人として、できる事があるはずだ。世間を騒がせる怪盗が現れ、本意ではないが彼の前に立ちはだかる探偵と認識されている事は、もしかしたら必然だったのではないか。生まれた街を、世界を、憎むしかできなくなったこの男へ、自分にできる事があるだろうか。考え込み黙ってしまった上条に、怪盗は口元を緩め軽く一礼する。
「失礼、貴方とはこんなつまらない話をしたいのではありません。ご気分を害してしまったようで、申し訳ありません。」
「いや、そんな事はいいんだ。」
怪盗を見据え、上条はふいに湧いた考えを口にした。
「ならばお前こそが正しい光を灯すべきなんじゃないのか? お前のその行動力をもってすれば可能だろう。」
仮面の下で、驚いたように目を見開いている怪盗に詰め寄る。
「お前は苦しむ者達の想いを俺以上に知っている。窃盗の罪を償って、苦しむ者達の為に正しく立ち上がるべきだ。俺なら、その手助けができる。」
上条の言葉に怪盗は静かに首を振った。
「ありがたいお言葉ですが、もう後戻りはできないのですよ。」
上条が伸ばした手をそっと退け、怪盗は微笑んだ。その口元は、泣き出しそうなのをこらえているようにも見えた。
「あんな言い方をしましたが、今となってはこの生き方を気に入ってもいるのです。」
テラスの柵に手をかけながら、怪盗は優雅に一礼する。
「では、またお会いしましょう、探偵殿。」
「おい、待て!」
上条の制止を振り切り、怪盗はフックロープを駆使して夜の闇へ消えた。道具を使って逃げられてはもう追う術がない。舌打ちをし上条は邸内へ走った。

 新聞に一通り目を通し、上条はため息をついた。「私を英雄に仕立て上げるとは、物好きな記者もいるのですね」という怪盗の声が聞こえる気がする。「この生き方を気に入っている」と怪盗は言ったが、その先に光に満ちた優しい未来があるとはどうしても思えなかった。
「あんな目をしやがって。俺と共に来ればいいものを、どうして。」
新聞をテーブルに置き呟く。
「俺は諦めんぞ。必ずお前をとっ捕まえて更生させてやる。」


第8話 END
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