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『月光遊戯』

〜第9話〜


「上条男爵のご助力、感謝致します。」
「いえ、私もスラムで暮らす子供達には胸を痛めていた所です。佐久間さんのような方が立ち上がって下さると助かります。」
「それではまた、後日改めて。」
「えぇ。よろしくお願いします。」
屋敷の応接室で、上条は資産家の佐久間善治と面会していた。初老の頃を過ぎた善治が、孤児を保護する施設の設立を考えていると聞き、上条は連絡を取ったのだった。上条家が保有している土地を提供したいと伝えると、善治は感激し打ち合わせ中何度も感謝を述べた。土地を下見し連日入念な打ち合わせを行い、今日売買契約の為に上条邸を訪れていたのである。上条家当主の父・雅文からは「お前に任せる。しっかりやれ」と励まされ、上条はいつになく張り切っていた。先日、怪盗から浴びせられた言葉が上条を駆り立てている。この歪んでいく世界へ、男爵家の責任としてできる事をしなくてはならない。佐久間善治は信用に値する人物だ。一代で財を築いたやり手でありながら慈善事業への投資を惜しまず、孤児院の他に無償で治療を受けられる施療院や、教育機関の充実も進めたいと考えているという。そして自分の行為を決してひけらかさない。謙虚で善良さを具現化したような人柄に、上条は惹きつけられていた。財力や権力を得た者は、こうして世界にその恩恵を返していくべきなのだと上条は感じたのである。無事に売買契約を成立させ、書類を手に上条邸を後にする善治を見送る。今後は孤児院設立へ向けて動く善治をサポートするのだ。忙しくなりそうだと上機嫌で自室へ戻ろうとした上条だが、玄関の向こうから響く聞き慣れた声にげんなりと肩を落とす。
「上条先生、またしても怪盗Spadeの予告状です!」
毎回俺を頼られても困るんだがな、と内心うんざりしながら安西を迎える。だが、予告状に記されたターゲットの名に上条は目を見開いた。
――予告状
明後日午前零時、佐久間家のご子息佐久間善孝氏の手に渡る希少な宝石を頂きに参上します。
              怪盗Spade――
佐久間善孝は善治の息子である。善孝と直接の面識は無いが、好々爺といった印象の善治とは対照的に、剣呑な雰囲気の男だったと記憶している。善治も「ドラ息子」と表現し、「育て方を誤った」と嘆いていたのを思い出す。怪盗の言葉に駆り立てられるように接触した人物と、怪盗がターゲットに定めた人物。やはりあいつと俺には何か運命めいたものがあるのかもしれない。予告状に目を通し上条は安西を見下ろした。
「この希少な宝石とは何ですか? 予告の文面を見る限り、まだ善孝氏の手元には無いようですね?」
返された予告状のコピーを内ポケットにしまいながら安西は頷く。
「その石は闇オークションに流された物です。違法な競売を摘発すべく我々も手を尽くしているのですが……。で、この石は確かレッドベリルといってエメラルドの仲間だそうです。えぇっと、マンガンを含んでいるためエメラルドとは違い、赤く色づいているらしいですな。世界中でどこだったか一か所からしか産出されない石で、しかもとうの昔に掘りつくされてしまったとも言われている、とても希少な石なんだそうです。」
暗記したものを一生懸命思い出しながら説明する安西に苦笑する。自分も貴族の一員、興味はなくとも宝石の知識くらいはある。
「内包物が多い為に大きくカットする事が難しいらしいですね。0.4カラットを超えれば大粒と称されるとか。で、そんな希少な石が闇オークションに流れた、と。」
「えぇ。十数年前に米国のコレクターが何らかの事情で泣く泣く手放した、0.5カラットの品だそうです。盗難に遭って行方不明になり、先日日本で闇オークションにかけられたとの事です。善孝氏の秘書によれば落札金額の支払いは済んでいて、現在オークション主催者から輸送中、明日には善孝氏の元に届くそうです。とはいえ、正規の輸送手段ではないのでしょうな。」
「それを怪盗がどこかから嗅ぎ付けて狙っているというわけですか。」
闇オークションといえば、一部の貴族や裕福層が犯罪組織と癒着し行っているものだ。スラム育ちだと言っていた怪盗が、どうやって闇オークションの情報など得ているのだろう。これまでの犯行からして、怪盗が闇オークションを行うような犯罪組織に属しているとは考えられない。参加する貴族達も、自分が参加した事や入手した物を公表したりはしない。ならば一体どこからそんな情報を得たのだろう。考え込む上条を安西の声が呼び戻す。
「予告状は昨夜、善孝氏の自室の窓に外から貼られていたそうです。善孝氏は意に介していないようですが、使用人が私の所へ連絡を入れたのです。上条先生にも来て頂けたら心強いのですが。」
いい加減、あてにされていないと気付いたらどうなのかと言いたいのをぐっとこらえ頷く。
「わかりました。善孝氏と面識はありませんが、お父様の善治氏とはちょっとした縁がありますので、協力させて頂きます。」
上条の言葉に安西は相好を崩す。
「それではさっそく警備の打ち合わせに佐久間邸へ向かいましょう。」
安西と共に馬車に揺られ佐久間邸に向かう。孤児院設立の計画は、自分と父の雅文、佐久間家の人間以外に知る者はいない。善治の話によれば計画は善治の独断であり、家の者達は利益の望めない施設の運営に猛反対しているという。怪盗の狙いは善治ではなく息子の善孝だ。孤児院設立の計画を怪盗が知っているとは考えにくい。だが、善孝の存在は上条にとっても厄介である。今回ばかりは、怪盗の犯行が成功して善孝の今後の行動を抑えてくれればいいと密かに思った。佐久間邸に到着すると使用人の若い男が二人を出迎える。
「安西警部と、上条男爵ですね。お待ちしておりました。」
彼が安西に連絡したのだろう。二人を見て安堵の表情を浮かべている。応接室に通されると、苛立った声が廊下から響いた。
「客が来るとは聞いてないぞ。何だこいつらは。」
「私がお呼びしました。若旦那様が怪盗Spadeに狙われていると知って、居ても立ってもいられず……。」
「勝手な事をするな!」
「も、申し訳ありません!」
若旦那と呼ばれた男を宥め安西はソファから立ち上がる。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。犯行予告がされているのですから、警察を呼ぶのは正しい判断です。」
こいつが息子の善孝かと上条は憤る男を眺める。何らかのパーティで一度見かけた事があるくらいだが、やはり剣呑で高慢な印象を受ける。どこをどうすれば、善良そのものといった善治の息子がこうなるのだろう。
「余計なお世話だ! 警察なんぞの世話にはならん! 出て行け!」
「そういうわけにはまいりません。」
喚き散らして追い返そうとする善孝と、引き下がるまいとする安西が押し問答を繰り広げている所へ、別の声が響いた。
「何の騒ぎだね?」
上条が視線を上げると善治が応接室を覗き込んでいた。安西が来るより先に上条邸を後にした善治だが、どこかに立ち寄っていたのだろう、帰宅したばかりといった出で立ちだった。先刻別れたばかりの上条がいるのに気付き驚いた顔をする。
「上条さんではありませんか。どうされたのです? 何か書類に不備でもありましたか? そちらの方は?」
安西に視線を移し困惑する善治に、安西は善孝を押し退け一礼する。
「私は捜査三課の安西と申します。怪盗Spadeから犯行予告があったと通報を受けて伺いました。この方は怪盗Spadeの動向を探っておられる男爵家の上条雅志氏。警察関係者ではありませんが、私からお願いして特別に同行して頂いてます。」
事情を知り腑に落ちた顔になった善治は安西と上条に頭を下げた。
「そうでしたか。私はこの家の主で佐久間善治です。わざわざご足労ありがとうございます。愚息が失礼な態度を取りまして申し訳ありません。」
「狙われてるのは俺だ! 親父には関係ねぇ!」
怒鳴り散らす善孝に善治は顔をしかめる。
「この家の主は私だ。この家の客人は私の客、お前が出る幕は無い。」
舌打ちしながら善孝は荒々しい足音を立て応接室を出て行った。上条と安西にソファへ座るよう促しながら、息子が消えた廊下を見つめ善治は溜め息を吐く。
「遅くに出来た子で、甘やかして育ててしまいました。ご無礼をお詫び申し上げます。」
深々と頭を下げた善治に安西は慌てて首を振った。
「いえいえ、犯行予告なぞされて気が立っておられるのでしょう。私共が参りました以上、怪盗の好きにはさせません。」
胸を張った安西に、毎回犯行阻止に失敗しているのになぜそんな大見得を切れるのかと、上条は内心呆れながら善治に視線を移す。
「私は怪盗Spadeの犯行現場に何度か居合わせまして、奴の犯罪を止めたいと考えています。今回の予告状にご子息の名前があって、驚いて馳せ参じました。」
ソファに座り直し、上条の顔をまじまじと見据えた善治はぽんと膝を打った。
「やはり名探偵上条男爵とはお父上ではなくあなたの事でしたか。素晴らしいご活躍を伺っておりますよ。」
「名探偵だなんてとんでもない。何度も奴を取り逃がしていますし、お恥ずかしい限りです。」
首を振り上条は安西に話を進めるよう促す。
「警部、予告の詳細と屋敷の警備の段取りをお願いします。」
「おぉ、そうでした。佐久間さん、お屋敷の見取り図はありますか? 今回、奴が狙っているのは、先日ご子息が、密かに入手されたという希少な宝石です。」
さすがに善治の前で「闇オークション」とは口にできず言葉を濁す。だが善治は察しているかのように深い溜め息を吐いた。
「あいつがいかがわしい連中と繋がりがあるのは知っています。嘆かわしい事です。そんな連中から手に入れた宝石など、いっそ賊に奪われて痛い目を見ればいいなどと、不謹慎な事を考えてしまいました。」
肩を落とした善治に安西は大きく首を振った。
「いやいや、入手手段がどうあれ、盗みは犯罪です。何としてでも阻止して奴をとッ捕まえてやります!」
大見得を切った安西は善治と上条を交互に見つめる。
「そういえば、上条先生と善治さんはお知り合いなのですか?」
頷いた上条が孤児院設立の計画を簡単に話すと、安西は目を輝かせた。
「それは素晴らしい計画ですな。スラム街周辺は治安も悪く、『あそこにいる奴らごと潰せ』などといった過激な意見も出ていて、我々も頭を抱えていたのです。」
安西の言葉に善治は痛ましげな顔で首を振る。
「そんな意見があるとは……。孤児が生きる為に犯罪に手を染める、そこに目を付けた犯罪組織が孤児を利用し悪の手を広げる、そんな不幸な連鎖を断ち切りたいと思っています。」
「ならば尚のこと怪盗の犯行を阻止し、生きる為の犯罪など無くしていかねばなりませんな!」
「仰る通りです。安西さん、上条さん、どうぞよろしくお願いします。」
上条は安西の言葉に頷きながらも、果たして安西は、何より自分は「生きる為の犯罪」を本当に理解し、きちんと向き合えるのだろうかと考え込んでいた。

 翌日。安西は上条と共に朝から佐久間邸を訪れていた。屋敷を巡査達がずらりと取り囲み、庭や邸内にも制服姿の警官が立ち並ぶ。二階にある善孝の自室にも警備の警官を配置しようとしていたが、そんなものは不要、自分の物は自分で守ると善孝に断固として拒否されあきらめざるを得なかった。そして、怪盗が狙っている宝石はその日の昼過ぎに、何の変哲も無い郵便物として届けられ、身構えていた上条達を拍子抜けさせる。対応した使用人によれば、配達に来た人物は間違いなく佐久間邸のあるエリアを担当している正規の配達員であり、輸送ルートから闇オークションを開催する組織へ辿り着こうとしていた安西の目論見はもろくも崩れ去った。宝石を確認すると善孝は「誰も近付くな」と命じて自室へ閉じこもってしまう。仕方がないと首を振り安西は敷地内を見回った。警備にあたる巡査達を労い叱咤している。予告された時刻までは何も起きないだろうと踏んだ上条は、応接室に待機していた。警備の警官に怪盗が紛れ込んでいないかと考えたが、善孝が宝石を抱えて自室に籠り警備を付けさせないのならば、事前に近付き細工するのは不可能に違いない。これまでの傾向からしても、予告した時刻に正面切って現れるのだろう。何も起きぬまま夕刻になり、帰宅した善治は物々しい警備に驚いた顔をしたが、上条の姿を見つけると表情を引き締めた。
「私にも何かお手伝いさせて下さい。」
真摯な善治の顔にどうしたものかと考える。今回、狙われているのは善治の物ではない。善治を軽視する善孝に憤っているのも事実だ。上条は初めて怪盗の犯行を応援したい気分になっている。私情を持ち込んではいけないと小さく首を振り、上条は心配げな善治を見据えた。
「善孝さんは二階に警備を付ける事を拒まれているので困っています。善治さんのお部屋も二階ですね? 犯行は今夜零時と予告されています。善孝さんに悟られないように、二階の見張りをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「お任せ下さい。昨今の善孝の動向はともかく、ここは私の屋敷。不法侵入に窃盗を許すわけにはいきません。それに、宝石よりも善孝の身に何かあったら、私は……。」
声を震わせた善治に頷く。そして普段、深夜零時といえばとっくに眠っているという善治に起きているよう頼んだ事が、後に善治自身を救う事になるとこの時上条は思いもよらなかったのである。
深夜零時、予想通り屋敷の明かりが全て消えた。だが立ち上がった上条と安西は次の瞬間、想定外の方向から聞こえた男の悲鳴に表情を強張らせる。善孝の部屋とは真逆にある、善治の部屋の方から悲鳴が上がったのだ。応接室から飛び出し、暗闇の中階段を駆け上がる。善治の部屋からガラスの割れる音が響いた。
「善治さん!」
善治の部屋の扉を勢いよく開け懐中電灯で照らす。床に、胸から血を流して倒れている善治の姿があった。部屋は荒らされ、割れた窓から吹き込んだ風にカーテンが揺れる。
「誰か! 馬車を手配してくれ!」
上条の叫びに使用人達が駆け寄って来る。馬車を呼ぶため電話機へ走る者、善治の血を見て卒倒してしまった者、賊を逃がすまいと安西の指示の下走り出す警官達。一瞬にして屋敷内は騒然となった。
「これはどういう事だ!」
善治が病院に運ばれた後、応接室に集まった一同を見回し恫喝したのは善孝だった。
「安西っていったっけ? こんなにも厳重な警備を敷いておきながらこのザマは何なんだ!」
安西は気の毒なくらい小さくなって頭を下げる。
「面目ありません……。」
これまでの怪盗Spadeの事件現場で、殺人が起きた事など無かった。安西自身、血を見慣れてはいないのだろう。青ざめ小刻みに震えている。病院から連絡が入り、善治は一命を取り止めたものの意識不明の重体だという。
「早く親父を殺した盗っ人を捕まえろよ!」
声を荒げ安西に詰め寄る善孝の腕を上条が掴む。上条の目は静かな怒りに満ちていた。
「善治さんはまだ亡くなっていませんよ。それに、善治さんを襲ったのは怪盗Spadeではありません。あいつは人殺しなどしませんよ。」
捕まれた腕を勢いよく払い善孝は激昂する。
「お前は盗っ人を擁護するのか!」
「いいえ、犯罪は正しく裁かれなくてはなりません。」
上条の胸倉を掴み善孝は尚も怒鳴りつける。
「あいつは親父を殺して机の引き出しから土地の売買契約書類を盗んで行ったじゃないか!」
上条は落ち着き払った態度で善孝の手を払い退け、怒りに満ちた目を善孝へ向ける。善治を襲ったのは怪盗ではないと上条は確信していた。怪盗の行動理念に反するし、何より現場の状況が、怪盗の犯行ではあり得ないと示している。
「貴方は予告状を利用して邪魔な父親を殺害し、怪盗にその罪を着せようとした。そうですね?」
「何を言ってるんだ! 親父が襲われて土地の売買契約書類が無くなってる、あの盗っ人以外に誰がそんな事をするんだ!」
「予告状は善孝さん、貴方の部屋の窓に貼られていた。いざ犯行という時になって、奴が部屋を間違えるなどあり得ません。」
「最初から親父を殺して買い上げた土地を奪う計画だったんだろう。俺への予告はカモフラージュだ!」
目をぎらつかせ叫ぶ善孝に、上条は冷たい目を向け首を振った。
「それはあり得ません。私と善治さんの間で土地の売買契約が成立したのは、予告状が出された日よりも後です。怪盗がそれを知っているはずがありません。貴方が怪盗Spadeだと言うのなら、話は別ですが?」
「俺が盗っ人だとでも言うのか!?」
「上条家から善治さんが土地を買った事を知っているのは、貴方だけです。」
すぅっと目を細め上条は善孝に詰め寄る。
「善治さんの計画に貴方は猛反対していると聞きました。貴方以外に、善治さんを殺害する動機を持っている人間がいますか?」
一同の視線が善孝に集まり、応接室は静まり返る。
「何が孤児院だ! 金にならねぇ事業にばかりうつつを抜かしやがって、あのクソ親父!」
善孝の叫びに顔をしかめながら、上条は安西に視線を移す。
「安西警部。殺人未遂は管轄外でしょうが、一刻も早くこいつを連行して下さい。」
「は、はい。おい、手を貸せ!」
安西と数名の警察官に囲まれて善孝は連れ出された。どうしていいかわからず呆然とする使用人達をよそに、上条は応接室を出る。
「子供への投資は未来への投資だ。そんな事もわからんのか。」
そう呟きながらも、自分だってつい最近までわからずにいただろうと自嘲する。今夜はもう帰ろう、気分が悪いと玄関へ向かう。善治の無事を祈りながら佐久間邸を後にしようとしてはたと立ち止まった。予告状自体は本物だったはず。怪盗は間違いなくここへ来ているだろう。こんな事件が起きて諦めただろうかと考えたが、自分を見つめる視線に気付き辺りを見回す。
「おい、いるんだろう? 悪党め。」
「さすが探偵殿。」
屋敷の傍の大きな木から音も無く降りてきた怪盗に肩をすくめる。
「お前が宣言を覆した事などないからな。今回は想定外の事が起きたから黙って見学か?」
「そんなわけないじゃないですか。」
上機嫌な怪盗に上条は怪訝な顔をする。
「自分に殺人未遂容疑がかかっていたかもしれないのに、何をそんなに楽しそうにしてるんだ?」
「佐久間善治さんが、上条家から土地を購入したそうですね。孤児を保護する施設を作ろうとしていらっしゃるそうで。」
「それがどうした?」
「貴方がスラムの子供達を救おうとして下さっているのが嬉しいのですよ。」
あぁ、と納得し上条は怪盗を見据える。
「先日のお前の発言に頭を殴られた気がした。俺は俺にできる事をする、そう決めただけだ。」
「応援しておりますよ。」
胸に手をあて優雅に頭を下げる怪盗に上条は仏頂面を見せる。
「だったらこれ以上騒ぎを起こすな。」
「ふふっ。それとこれとは別のお話です。」
怪盗は優雅な所作でポケットから赤く煌めく小さな宝石を取り出しかざしてみせた。
「お前、いつの間に!」
「せっかく予告状を出したのに、お宝のある部屋はもぬけの空で拍子抜けしてしまいましたよ。」
月明かりにレッドベリルをかざしながら、怪盗は微笑む。
「美しい石ですね。レッドベリルの石言葉をご存知ですか? 『誠実』、『聡明』、探偵殿にこそ相応しい石かもしれませんね。」
「そう思うなら返してもらおうか。」
手を突き出した上条に怪盗は静かに笑う。
「それは出来かねますね。貴方にお返ししたいものは他にありますし。」
「これは!」
怪盗が差し出した大きな封筒に上条は驚きの声を上げた。
「えぇ。探偵殿が名推理を披露し善孝さんを追い詰めている間に、おかしな動きをしていた使用人から奪い返しておきました。恐らく、善孝さんが善治さんを襲っている間に、手下の使用人が契約書類を探して奪う、という筋書きだったのでしょう。」
封筒を受け取り上条は真っ直ぐに怪盗を見つめた。
「ありがとう、助かった。」
その言葉に怪盗は嬉しそうに口角を上げる。
「礼にはおよびませんよ。あんな奴にそれを渡すわけにはいきませんから。私にとっても、お二方の計画は希望なんです。」
それでは、と怪盗は恭しく一礼する。
「目的の物は手に入りましたし、貴方のお役にも立てて今夜は大満足です。」
フック付きワイヤーを振るって塀の上に飛び上がり、怪盗は微笑む。
「私を信じて頂けて嬉しかったですよ。」
「おい、待て!」
「またお会いしましょう。愛しい探偵殿。」
塀を越えて消えた怪盗を追い慌てて門を抜けたが、静まり返った高級住宅街のどこにも怪盗の姿は無かった。

 数日後。新聞の見出しには「名探偵上条男爵、またしてもお手柄!」の文字が躍る。実業家・佐久間善治殺害未遂の容疑で息子の佐久間善孝が逮捕されたと報じられている。怪盗Spadeの犯行予告を受け佐久間邸を訪れていた上条が、同時に起きた善治殺害未遂事件を暴いたと綴られていた。善治が意識を取り戻したとの記事に安堵しながらも、上条は溜め息を吐く。
「俺の名は出さないでくれって言ったのに……。」

 安西の口の軽さに上条が閉口する一方で、同じ新聞を忌々し気に握り潰す男の存在があった。
「怪盗Spadeに、男爵家の上条か。」
握り潰した新聞を無造作に投げ捨て、男は呟く。
「邪魔だな……。」


第9話 END
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