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『迷い猫、異世界を行く』

第1話

ねぇ、待ってよご主人。こんな時間にどこへ行くの? 危ないからぼくも一緒に行くよ。待ってってば……!

「あ、猫だー!」
知らない女の子が走ってきたのに気づいて顔を上げる。あれ、ここどこ? ご主人は? 見回してもご主人はどこにもいない。それに、お家から出てちょっと走っただけなのにぜんぜん知らないところにいるし、さっきまで真っ暗だったのにもうお日様が出てる。どうなってんの?
「あれ? この子、羽がないね。珍しい猫だ。」
ぼくを抱き上げた女の子は知らない言葉で喋ってる。生まれた頃からご主人に育ててもらったから、人間の言葉はちょっとならわかる。だけど、この女の子が何を言ってるのかぜんぜんわからない。なんでだろう? 女の子の後ろから大人の女の人が歩いてくる。ご主人より年上っぽい。
「ほら、そんな乱暴に抱っこしちゃだめでしょ。怖がってるじゃないの。」
この女の人も何て言ったのかわからない。女の子と同じ言葉みたいだけど。
「ノラ猫かなぁ。ねぇ、ママ。この子もうちの子にしていい?」
「ダメよ。うちにはティオスがいるでしょう。それにこの子、ちゃんと主がいるみたいよ。」
女の人がぼくの首輪にそっと手を伸ばしてくる。ご主人が作ってくれた革の首輪には迷子札もついてる。お家の住所とかぼくとご主人の名前とか書いてあるから、ご主人のところへ連れて行ってもらえるかな。
「なんて書いてあるの?」
「読めないわ。見たことない文字ね。」
あれ、2人とも首をかしげて困った顔してる。もしかして知らない住所なのかな? そんな遠いところまで来ちゃったの? ご主人は見当たらないし、帰り道もわかんないし、どうしよう。
「あら? この子、羽がないのね。怪我して失くした、ってわけじゃないみたいね。生まれつきかしら?」
女の人がぼくの背中を何か確かめるみたいになでる。くすぐったいよ。
「これじゃ自分で主を探すのも難しそうね。しばらくうちで預かって主を探してみて、どうしても見つからなかったらギルドへ行って本職の人に任せましょう。」
「うん、わかった。じゃあ、猫ちゃん、しばらくよろしくね。」
「早く主に会えるといいわね。」
女の子も女の人もぼくの顔を見つめてにっこり笑う。何て言ったのかはわかんないけど、いい人みたいだっていうのはわかった。女の子がぼくを抱っこして歩きだす。どこへ行くんだろう? どうしたらいいかわかんないし、このまま一緒にいてみようか。女の子に抱っこされながら周りを見てみる。石でできた知らない建物が並んでいて、道も石でできている。人がいっぱいでにぎやかなところだ。見たことない花が咲いてて、お店には見たことないおさかなやくだものが並んでる。知らないもの見たことないものばっかりだ。でも風の匂いは、お家のあたりで吹いてた風と同じ匂いがした。ご主人が「海の匂いだよ」って教えてくれた、ちょっと湿った強い風が吹いてる。そういえば、海の向こうには「外国」っていうたくさんの人が住むちがう街があるんだって、ご主人が教えてくれた。もしかして、海を泳いで外国に来ちゃったのかな? ご主人がお部屋で見てたテレビってやつに外国が出てきて、知らない言葉で話す人がたくさんいたのを覚えてる。あぁ、きっとそうだ。じゃあ、ご主人は外国へ行きたかったのかな? ご主人はちゃんとこの外国に来れたのかな? でもあんな時間に出かけなくてもいいのに。よくわかんないことだらけだ。しばらく歩いて、2人は石でできた建物のドアを開け中に入って行く。ここがこの人達のお家なのかな?
「さぁ、猫ちゃん。ここがわたし達のお家だよ。お腹すいてない? ミルク飲めるかなぁ。今用意するからね。」
靴を履いたまま奥に入って行っちゃった。いいの? ご主人が住んでたお家とはずいぶん違う。天井が高くて、お部屋がたくさんあるみたい。玄関を入ったところに座ってきょろきょろしてたら視線を感じた。
「何だ、お前? 羽がないなんて変わってるな。」
頭の上から声がして見上げると、猫が宙に浮かんでいた。ぼくを見下ろして不思議そうな顔をしてる。あぁ、よかった、猫同士なら言葉がわかる。あれ? ちょっと待って、何でこの猫浮いてるの? ぼくの前に降りてきた猫は不思議そうにぼくの背中を見たり鼻を寄せたりしてくる。くすぐったいよ。変わってるってどういうこと? さっき女の人も不思議そうにぼくの背中をなでてたけど。そこへ女の子がお皿を持って戻って来る。
「あ、ティオス。さっそく仲良くなったの? その子、迷子みたいだから優しくしてあげるんだよ。」
「迷子か。主を探してやるのか?」
「うん、できる範囲でね。」
「優しいなぁ、さすがナルジェル。俺の主に相応しい!」
「ティオスも協力してね。」
「おう、任せろ!」
女の子に頷いてみせると猫はぼくの方を向いた。この猫なら女の子が何て言ってるかわかるかな。
「俺はティオスだ。この家で世話になってる。よろしくな。主とはぐれたんだって?」
「うん。ぼくはルイだよ。夜遅くに急に出かけて行ったご主人を追いかけてたら、見失っちゃったんだ。」
「そうか。俺達が助けてやるから、心配すんな。」
「うん、ありがとう。」
ご主人がいなくなっちゃって不安だったけど、いい人と猫に会えて良かった。早くご主人に会いたいな。


続く



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