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『迷い猫、異世界を行く』

第3話

港を離れて歩きだした。ナルジェルの腕がさっきよりこわばっている。ティオスも周りを警戒しながらナルジェルの傍をゆっくりと飛んでいる。ぼくも、精いっぱい周りを警戒しながらナルジェルに身体を寄せた。ぼくのせいでナルジェルやティオスを危険な目に遭わせちゃいけない。ぼくの緊張を感じたのか、ナルジェルがぼくの頭をそっと撫でてくれた。
「大丈夫、ルイの事はわたし達が守るからね。」
ご主人より小さいけど、やわらかくてあったかい手だ。言葉がわかんなくても、ナルジェルが優しい女の子だってことはわかる。本当に、ここで最初に会ったのがナルジェルで良かったと思う。しばらく歩いて港を出ようとしたところで、若い男の人がナルジェルに声をかけてきた。
「あの、すみません。お尋ねしたいのですが。」
「はい、何でしょうか?」
少し髪の長い優しそうな男の人で、すごく困ってるみたいな顔をしている。
「乗船券の売り場はどこでしょうか? 港は広いので迷ってしまって。」
「あぁ、それならこの道を真っ直ぐ行って、二つ目の角を……」
困りきった顔と優しそうな見た目に、ぼく達はすっかり油断してしまった。ナルジェルが腕を上げて振り返り港の方を指さした瞬間、その人はぼくの首を掴んで思いっきり引っぱり上げた。
「うあぁ!」
悲鳴を上げたぼくに慌ててナルジェルが男に掴みかかる。
「何するの、返して!」
男は無言でナルジェルを突き飛ばす。転んだナルジェルに駆け寄ろうと暴れたけど、首をぎゅっと抑えられてて全然動けない。
「ナルジェル! ルイ!」
ティオスが羽を大きく広げて男に飛びかかる。飛んできたティオスを、男は持っていた鞄を振り回して地面に叩き付けた。
「ティオス! ナルジェル!」
叫ぶぼくを無視して男は走り出す。怖い。どうしよう。離れるなって言われたばかりなのに。
「ルイ!」
叩き付けられたティオスがふらふらと頭を振りながら、ぼくを呼ぶ。ティオスは自分の羽を口で抜いてぼくの方へ飛ばしてきた。真っ直ぐに飛んでくるティオスの羽根を、男に気付かれないように前足を伸ばして掴む。ぼくの足に触れた瞬間、羽根はぽぅっと光ってひとりでにぼくの首輪の隙間に入り込んだ。え? 今の、何? ティオスの羽根があるところは、ほんのりとあったかい。どうやったのかわかんないけど、ティオスがぼくを守るためにやってくれたんだっていうのはわかる。あっという間に遠ざかっていく二人の姿。うずくまってるナルジェルの傍にティオスが飛んでいく。こいつに二人が怪我をさせられたんじゃないかと思うと怒りで身体が震えた。動けないから目いっぱいに爪を立ててやる。
「痛ってぇな! おとなしくしてろ!」
背中を叩かれた。すごく痛いし悔しい。ちらっと見えた男の顔は、さっきまでの困り果てた様子なんかどこにもなくて、唇を歪めて笑ってる。騙された。絶対にこいつをやっつけて、二人のところへ戻るんだ。男はくねくねした細い道に入って走り続ける。よし、動けないならせめて道を覚えておこう。いっぱいに目を開いて見えるものを覚えていく。せまい道沿いに並ぶ建物は木でできているみたいで、ほとんどが穴だらけでぼろぼろだ。背の高い木がいくつか生えてるけど、どれも手入れなんかされてなくて枝が伸び放題になってる。どこかから水がもれているみたいで、いいお天気なのににごった水たまりができていた。人はあんまりいなくて、いても道端にぼんやりと座っているだけで元気がない。ゴミだらけで嫌な臭いのする道だ。ナルジェルのお家の辺りとは全然違う。もちろん、ぼく達のお家とも。それに、道を覚えるには目印があんまりない。どこも似たような景色だ。ゴミの臭いに混じって海のにおいがするから、港からはそんなに離れていないんじゃないかなって思う。男は複雑な道を迷うことなく走り続けて、他よりは大きいけどぼろぼろの建物に入って行った。お酒の臭いと何かの煙が漂ってる。気分が悪くなりそうだ。
「ボス、珍しいもん見つけてきましたぜ!」
「なんでぇ、騒々しい。」
男が声をかけた先、薄暗い部屋のイスに体格のいい男が座ってる。テーブルには飲みかけのコップが置いてあった。腕組みしながら居眠りしてたみたい。腕も肩も胸も、ぼくを捕まえた男よりずっと太くてがっしりしてる。袖のない服を着てて、胸元から腕にも毛がいっぱい生えていた。見るからに強そう。そいつが顔を上げてこっちを見た瞬間ぎょっとした。おでこからほっぺたにかけて大きな傷あとがある。目つきも悪いし絶対に悪い人だ。ぼくを捕まえた男をめんどくさそうに見てる。
「こいつですよ。羽の無い猫なんてきっと高く売れますよ!」
何か言いながらぼくを強そうな男の方へ差し出した。言葉はわからなくても、悪だくみをしてるんだってことはわかる。強そうな男はぼくをじーっと見て、嫌な感じの笑いを浮かべた。
「ほぉ。透けてるんでも被膜でもなく、羽そのものが無いってのは珍しいな。いかにも好事家が飛びつきそうだ。」
「でしょう? アニキ達が見つけたのを俺が攫ってきました。」
男が身体を乗り出して何か言った後、強そうな男は顔をしかめた。
「あぁ? 手柄の横取りは感心しねぇな。」
次の瞬間、大きな音がしてテーブルがガタンと揺れた。ぼくのすぐ横、ぼくを捕まえた男の指と指の間に、大きなナイフが突き立てられていた。テーブルは硬い木でできてるのに、ナイフはしっかりと刺さっている。あんな一瞬で、狭い指の間を正確に狙ってこんなに強く刺すなんて。この男、ただ強いだけの奴じゃなさそう。ちらっと見上げると、ぼくを捕まえた男はさっきまでの感じ悪い笑みが嘘みたいに、怯えた顔して固まってる。いい気味だ。
「て、手柄の横取りなんて滅相もねぇです。ガキが連れてた猫だから、アニキ達が出るほどじゃねぇかなって。」
強そうな男はナイフを抜いて何か言ってる。
「言い訳はいい。こいつは俺が保管しておく。さっさと競りの準備をしろ。」
「は、はいっ!」
男は怯えた顔で頷いてどこかへ行っちゃった。強そうな男がぼくを抱き上げる。
「怖い思いをさせちまって悪かったなぁ。」
ぼくの背を撫でるそいつの手は、硬いけど思いがけず優しかった。こいつ悪い奴、だよね? 見上げると目を細めてぼくを見下ろしてくる。
「普通はあるはずのものが無いってのは、苦労するよな。『普通って何だよ?』って言いてぇけど。まぁ、俺らの顧客にはお上品な奴も少なからずいるから、そいつらに当たれば多少はまともに過ごせるだろ。」
男はぼくを抱えて奥の部屋へ移動する。
「競りが始まるまではゆっくりしてな。」
連れて行かれた部屋は、お酒と人間の汗の臭いが混じった嫌な臭いのする部屋だった。早くここから逃げてナルジェル達の所へ戻らなきゃ。でも。強くて悪そうなくせに淋しそうな目をしたあの男が、何だかちょっとだけ気になった。ご主人も時々、淋しそうだったから。もちろんご主人とこの男は全然違うけど。

続く



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